鍛え抜かれた身体の価値 舞踊団Noism 金森穣インタビュー

新潟を拠点に活動する、日本唯一のレジデンシャルダンスカンパニー(劇場専属の舞踊団)Noismの新作公演が間もなく始まろうとしている。「社会にとって芸術は何のためにあるのか?」という問いが繰り返されているのをよく見かけるが、Noismは常に真っ正面からド直球の答えを投げ返してきた。2004年以降、日本のダンスシーンを牽引してきたこのカンパニーの根底にあるものは「鍛え抜かれた身体を持った、プロフェッショナルなダンスカンパニー」ということだ。多くの口先だけのボンクラなダンスもまかり通る中、揺るぎなく独自の世界を創りだし、自らの言を証明してきたNoismの芸術監督・金森穣。今回は自身が「4年に1度、作りたくなる」という3部構成の新作を前に、これまでの活動や、それを支えてきた想いも含めて話を聞いた。

17歳でスイスに留学。そこでそれまでの価値観がガラガラと崩れさる経験をして、今の自分がある。

―Noismは、レジデンシャルダンスカンパニー、つまり公立劇場に所属して、市民からの税金で活動するカンパニーです。これは欧米では普通のスタイルですが、日本ではNoismが最初にして現在は唯一の存在です。金森さんの経歴を遡っていくと、17歳で海外の名門校にダンス留学されていたりと、バリバリのダンスエリートというイメージがあるのですが、まずこれまでのお話を伺ってもいいですか?

金森:父が舞踊家(金森勢)だったので、子どもの頃からごく自然に踊っていましたね。17歳でルードラ・ベジャール・ローザンヌ(振付家・モーリス・ベジャールが主宰するスイス・ローザンヌのダンス学校)に入学したんですが、そこでそれまでの価値観がガラガラと崩れさる経験をして、今の自分があるという感じでしょうか。

―世界中から集まった、才能ある一握りの若者たちだけが学ぶことを許されるルードラ・ベジャール・ローザンヌの授業では、ダンスだけではなく、歌や演技など、舞台芸術全般を叩き込まれるんですよね。

金森:そうです。そして、本当に皆自己主張が激しいですからね。言葉の壁以上に、まず日本で培った価値観が全く通用しない。そんな状況の中で生き抜いていくには、自分には何があって、何ができるということを周囲にはっきり主張しないといけないんです。

金森穣
金森穣

―そうした中でサバイバルをしていかなければならないんですね。

金森:好きとか嫌いとか言っていられない。もし嫌いなことでも、それが得意なものとして評価されるのなら、自分の武器として使っていくしかないんです。実際、クラスメイトはどんどんふるいにかけられて辞めていき、卒業までいるのは一握りだけです。おそらく皆、「ジョーは一番最初に辞めるだろう」と思っていたんだろうけど、最後まで残った。それはダンスの才能とはまた別の次元で、その学校で求められていた事が自分には向いていた、最終的にプロの舞踊家という仕事自体が向いていた、ということなんだと思っています。

―その後は、ネザーランド・ダンス・シアターなど、世界トップレベルのダンスカンパニーで活躍し、2002年に帰国。2004年にりゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・舞踊部門芸術監督就任と共に、Noismを立ち上げます。これは日本の舞台芸術シーンにとって、とても画期的なことでした。

金森:公的機関やオペラハウスなどの劇場が、専属の舞踊団や劇団を持つということは、欧米では当たり前なのですが、それまでの日本には本格的な形ではありませんでした。劇場という箱だけはどんどん建てられていくのに、俳優やオーケストラ、舞踊家や職員など、プロとして劇場で働いていける人があまりにも少ないという状況は、とても不思議なことだと思います。

見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信
見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信

―東京にも23区それぞれに公共劇場はありますが、基本的には市民に対してスペースを公平に貸し出すことをメインとした、多目的ホールが圧倒的多数ですよね。

金森:たとえば、オペラハウスを見てみても、「劇場は市民が好き勝手に使うものではなく、プロフェッショナルな芸術を育て、鑑賞する場所である」ということが欧米では前提としてあるんです。

トレーニングを積んだ舞踊家が社会にとってどんな価値があり、行政の考える芸術文化とどうつながっていくのか訴えました。

―そんな国内と海外の大きな状況の違いの中で、りゅーとぴあから舞踊部門芸術監督就任の話があったときは、どういうお気持ちで受けられたんですか。

金森:最初の話では、東京で作品を作り、ときどき新潟の人たちに見せに行く、あるいは新潟の劇場が招聘するべき舞踊公演をアドバイスする、というものでした。しかしそれでは、日本でプロフェッショナルなダンスカンパニーや舞踊家を育てることができないと思ったんです。そこで「新潟に住むので、レジデンシャルカンパニーを作りましょう」と伝えました。その理由の1つには、帰国して東京で作品を作りながら感じたこと……日本の舞踊家のレベルが低すぎて、とても世に出せるようなものではなかったということがあります。

―それは技術的なことですか?

金森:そうです。だから「作品創作以前に、まず舞踊家たちを朝から晩まで鍛える必要がある。でも彼らだって生活の保障がなければ、そんな時間は取れない。だから給与を支給して、集中してトレーニングできる環境、すなわち芸術創造のための人材育成が必要である」と交渉したんです。もちろんそのためには、トレーニングを積んだ舞踊家の存在が社会にとってどんな価値があり、舞踊の芸術性が行政の考える芸術文化とどうつながっていくのかを説明できなければいけませんでした。日本の芸術文化の歴史、劇場の成り立ち、行政のものの考え方など、様々なことを勉強して訴えました。

見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信
見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信

―それが実現したということは、Noismというカンパニーに税金が使われることを正しく理解・支持している新潟市や新潟市民の民度の高さを証明していますね。とくに新潟は2004年の新潟県中越地震などがあってもカンパニーを支え続けたわけですから。

金森:それには本当に感謝しています。Noismの公演は、新潟でも東京でも、だいたい1,500人の集客があるんですが、東京都の人口約1,300万人と新潟県の人口約237万人(いずれも2012年3月31日現在。ちなみに新潟市は約80万人)という分母の違いを考えると、これは奇跡的な動員数だと思うんですよ。たださらにこれ以上増やしていくためには、行政の協力が絶対に必要なんです。なぜなら、そもそも劇場に足を運ばない、その場所さえ知らない市民がほとんどなんですから。りゅーとぴあを一部の市民がお稽古ごとに使うただの市民ホールではなく、世界に発信する芸術文化創造の場、そして上質な芸術文化鑑賞の場にしていかなければいけません。

金森穣

―金森さんは、いちアーティストとして作品を作るだけでなく、芸術監督としてカンパニーを維持発展させる責務を負っています。先ほどから「舞台芸術と社会の関係性」についてのお話をされていますが、金森さんにとって、劇場が社会にとって有用であると思える部分はどういうところにあるのでしょうか?

金森:劇場って「真っ暗な客席の中に、見ず知らずの人間が1,000〜2,000人も詰め込まれて、何か1つの出来事を体験する」という、ものすごく非日常的な空間じゃないですか。つまり劇場という場所は、非日常的な体験をする場であり、現代社会の対称を鏡のように映し出す力があると思うんです。社会を違った角度から眺めることで、普段は見落とされている物事の価値に気がついたり、人間の存在について深く考察すること。あるいは日常生活で経験できないような感動に出会うこと。こういった個人的体験を、集団で共有できるのが劇場であり、そこで感じたことを批評したり、他者と議論したりすることで、社会生活に対して市民が主体的になること。それが舞台芸術の役割だと思っています。

―なるほど。

金森:たとえば非常にゆっくり動く、舞踏と呼ばれる日本から生まれた独特な舞踊がありますよね。日常生活において、あんな速度で動いている人はいませんが、ひょっとしたら、あの速度で生きることも可能かもしれない。そういう、社会からは否定されていたり、忘れられているようなものも、劇場に行けばある。劇場とはそうあるべきだと思います。

―当然ダンサーにも「社会の鏡」たる力量が求められますね。

金森:ただ悲しいことに、今の舞踊界には素人が蔓延しています。もちろんそうなってしまう必然性もありました。それは、かつて様々な振付家たちが新しい身体表現を模索していく中で、「専門性を突き破った素人の生身な身体」という表現に行き着いてしまったからなんです。どんな分野でも突き詰めていくと、新しさだけを追求し、表現自体がどんどん解体していってしまいますよね。

見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信
見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信

―「頭で考えた新しさ」みたいなものに嵌まって身体性が希薄になっていくと、ダンスという文化自体がどんどん痩せていくことにもなりかねませんね。

金森:でもそんな「新しさ」は舞踊界という閉ざされた世界の中だけのお話です。日常生活で普通に見ることのできる素人の身体を劇場の舞台に立たせても、「社会の鏡面」にはなれません。先ほども言いましたが、鏡像は実像と対称であるべきなんです。そこに立つのは、トレーニングを積んだ、プロフェッショナルな身体以外はあり得ない。と、同時に舞踊家たちも、常に社会と劇場との関係を考えていなければ存在意義がないと思います。自分が踊りを通して社会に何かを伝えられる舞踊家だということを証明しなければいけない。ある種の専門性や社会性が担保されていなければ、税金を使ってカンパニーを維持している意味はないでしょう。

―たしかに先端的な表現を求めるあまり社会と乖離する人は少なくありません。しかし社会との関係性を保ちながら最高の作品を作り続けていくためには、磨かれた専門性が不可欠だというわけですね。

金森:そうです。でもそういう実感は、大学などの机上の空論で「芸術とは? 劇場とは?」と考えていてもわからない。毎日劇場に行って、税金で糧を得ながら自らの限界と向き合う中で、市民の目を感じ、批評を感じ、賛同を感じ……とその身体で養っていくことが大切なんです。

10周年のお祝いをしようという声もあるんですが、まだ祝うほどの何かを成し遂げたとも思ってはいないんですよ。

―ここからは、Noism1の新作公演『ZAZA 〜 祈りと欲望の間に』について伺いたいのですが、今公演は3つの新作を組み合わせた、3部構成になっていますね。複数の作品を同時に作り上げていくことは、かなり大変だと思うのですが。

金森:そうですね(笑)。初めは3部構成にするつもりはなかったんですよ。全く違う作品を1本作るつもりで、台本も完成していたんです。だけど、あらためて見直してみると、どうもこれまで自分がやってきたことの延長線でしかないように思えてきたんです。いつも「これが最後になるかもしれない」という決意を持って作品を作るのですが、本当にこれでいいのか? という疑問が残ってしまったんですね。

―手慣れた手法で作品を量産するアーティストもいますが、あえて挑戦し続ける道を選んだわけですね。

金森:そして、全く新しい挑戦を色々考えているうちに、「時」「性」「欲」という3つのテーマが出てきたんです。そしてこのあいだ気がついたんですが、不思議なことに、自分は4年に1度、必ず3部構成の作品を作っているんですよ(笑)。2005年の『black ice』、2009年の『ZONE〜稲妻 陽炎 水の月』、そして2013年の『ZAZA 〜 祈りと欲望の間に』。結果的にだけど、すべて3部作なんですよね。

見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信
見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信

―アーティストとして本能的に「今の自分が本当にやるべきこと」を欲するリズムがあるのかもしれませんね(笑)。

金森:手慣れた作品を作ってしまうことを想像すると、そこで自分が終わってしまいそうで怖いんですよ。自分にはまだまだ未知なる領域があると思いたいし、自分で自分に驚きたい。容易に想像できる成功よりも、様々な方法論を試して、大失敗もしたい。そこで初めて自分が今手にしているもの、そして今の自分に何が足りないのかがわかってくると思うんです。

―3作品をまとめた全体のタイトルは『ZAZA 〜 祈りと欲望の間に』ですが、「祈り」や「間(はざま)」が全体に通底している重要なテーマなのでしょうか。

金森:今は社会そのものが複雑で、白とも黒とも言い切れない「間」みたいなものだけど、そこを乗り越えていきたいという思いがあります。「祈りと欲望の間」という言葉ですが、たとえば3.11以前から、原発に関する議論はずっと続いていますよね。平和や博愛を願う気持ちというのは、ある種の「祈り」だと言えるでしょう。しかし、一方で今、子どもを育てている母親にとっては「原発のない、子どもが安全に暮らせる社会」というのは、祈りではないんです。「この子のためなら何でもする」という母親のリアルな感情は、もはや欲望と呼ぶほかはない強いものですよね。

―「祈りは皆のためにあるけれど、欲望は個人的なものだ」と、ネガティブに対比されることも多いと思いますが、その間には幅があるわけですね。

金森:ある臨界点を超えた瞬間、水が凍り始めるように、欲望が祈りに転化する臨界点があると思うんです。それを掴んで表現したいと思っています。

―第1部の『A・N・D・A・N・T・E』は時間がテーマですね。

金森:自分が感じる内的な時間、出来事が流れている外的な時間、そして舞踊芸術が提示してくるイリュージョンとしての時間……様々な時間への考察です。J・S・バッハのヴァイオリン協奏曲“Andante”という約5分の曲を20分に引き伸ばして踊る試みなんです。

―先ほどあった「非日常的な舞踏の動き」にもつながってきますね。そして曲の長さを変えるから、タイトルのアルファベットの間にドットが入っているわけですか!?

金森:はい。江戸時代に生まれた邦楽に長唄ってあるじゃないですか。あの言葉を長く引き延ばした謡い方って、現代人の耳にはひと連なりの言葉として認識しにくいけれど、昔の人は歌であると同時に言葉としても認識できていたと思う。つまり、今と昔では生活する人々が体感している時間の速度が全然違う。それはバッハがこの曲を作曲したときに感じていたアンダンテ、ようするに「歩くような速さ」と、現代人の感じる「歩くような速さ」は違うということです。『A・N・D・A・N・T・E』では、そんな時間感覚のブレを探っていこうと思っています。

―第2部の『囚われの女王』では、Noismの要となるダンサーであり、副芸術監督でもある井関佐和子のソロ作品となっていますね。

金森:テーマは「性(別)」で、シベリウスの曲を使っています。フィンランドの民族解放がテーマになっているバラッドで、登場人物は女王と番人と若い男と英雄、つまり女性1人と男性3人ですが、踊るのは井関佐和子1人。今1つの円熟期を迎えつつある彼女にとって、身体的にも技術的にも新しいことに挑戦してもらえたらと、1人で4役を演じる作品になりました(笑)。性別を超えた表現として、彼女自身の壁を突き破り、自らの限界を解放するくらいのソロ作品にしたいですね。

―そして第3部が全体タイトルでもある『ZAZA』。この作品では、イギリスのロック・ニューウェーブバンド「THE THE」の曲を使われていますが、タイトルはこのバンド名から取ったんですか?

金森:実は全く逆なんです(笑)。まず「ザザ」という、濁りのある2つの音の響きが好きで、タイトルに決めたのが最初です。ただタイトルって、誰がどんな意味を関連付けするかわからないので、一応ネットで調べてみると「THE THE」という80年代のロックバンドが引っかかってきた。聴いてみるとすごくいい。背景を調べると、結構社会的な発言もしていて、さらにいい(笑)。今は映画のサントラだけを作っているそうなんですが、直近に音楽を担当した2本の映画は、宇宙飛行士の話と連続殺人鬼の話なんです。それはまさに人間の欲望の極右と極左じゃないですか。そこで自分の中にインスピレーションがグッと湧いてくるわけですよ。

―なるほど。しかも第3部『ZAZA』のテーマは「欲」です。

金森:はい。これまでの自分は、自分の欲望を実現するために舞踊家たちに振り付けていたわけですが、この作品ではメンバーからアンケートを取って、彼らの欲望、彼らが舞台上で何をやりたいかを書いてもらったんです。つまり舞踊家の欲望を実現するために演出、そして振付できないかということです。もちろん「そういう手法全体を含めて金森穣の欲望だろう」と言われればそうですが、彼らの欲望を演出することで、祈りに転化できないかと考えています。

見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信
見世物小屋シリーズ第3弾 Noism1『Nameless Voice〜水の庭、砂の家』(2012年)撮影:篠山紀信

―アンケートに書く「やりたいこと」は、本当に何でもいいんですか?

金森:もちろん。中には「それ本当にできるの!?」ということを書いてくるメンバーもいます(笑)。そんなときは「じゃあちょっとやってみてよ」とやらせてみるんです。すると恥ずかしくてできない。あるいは本人は自信満々だけど、客観的に見たら恥ずかしい……。ある意味残酷だけど、願望と現実、自分自身の能力と直面する機会にもなりますからね。

―そのドキュメンタリー映像が見られたら面白いでしょうね。たとえば、ネットの世界では欲望を際限なく拡大することが可能で、言葉だけならいくらでも発信することができる。でもほとんどの人は、「拡大した欲望を実現できない自分」という現実とは直面しないまま、平穏無事に毎日を過ごせてしまうわけですから。

金森:そうですね。発言することと、それを自分で実行することは、また全然違うし、だから社会ってややこしいんですよね。自分にできることだけを欲し、発言していればいいのかもしれないけれど、人間には想像力がある。そしてそこにこそ大いなる可能性があるわけだから、想像力は誰も否定できない。法律でも規制できない。だから我々は社会という欲望の海原の中で自分を見失うわけですよ。本当に厄介ですよね(笑)。舞台上に展開される舞踊家たちの渦巻く欲望が、どのような形で演出されて作品となり、果たして祈りへと転化できたのか。ぜひ色んな人たちに見てほしいですね。

―本当に楽しみにしています。ところでNoismは来年4月で10周年を迎えるそうですが、ここまでは長かったですか? 短かったですか?

金森:あっという間でしたね。10周年のお祝いをしようという声もあるんですが、まだ祝うほどの何かを成し遂げたとも思ってはいないんですよ。他の劇場でNoismのようなレジデンシャルカンパニーが誕生したわけでもないですし、日本の劇場文化環境は何も変わっていない。今ここでもしNoismがなくなってしまったら、「あー、Noismって何年から何年まで劇場文化! とか言ってやっていたやつでしょ?」で終わってしまう。それを考えたら、とても祝える気持ちにはなれません。何祝うの? みたいな(苦笑)。

―いや、そこは逆に盛大に祝いましょうよ。そうしたら「ああ、あいつら頑張っているな。じゃあうちの街にも!」ってなるかもしれないじゃないですか。

金森:そうなるなら、祝ってもいいですかね(笑)。

イベント情報
『ZAZA 〜 祈りと欲望の間に』

演出・振付:金森穣
出演:Noism1
第1部『A・N・D・A・N・T・E』
音楽:J.S. Bach『ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2楽章 Andante』
第2部『囚われの女王』
音楽:J. Sibelius『囚われの女王』
第3部『ZAZA』
音楽:soundtrack by THE THE『MOONBUG』&『TONY』より抜粋
椅子・机:須長檀

新潟公演
2013年5月24日(金)〜5月26日(日)全3回公演
会場:新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
料金:一般5,000円 学生2,500円
※各公演後にアフタートーク有り
5月24日出演:堂本教子(衣裳デザイナー)
5月25日出演:須長檀(家具デザイナー)
5月26日出演:乗越たかお(作家・ヤサぐれ舞踊評論家)

神奈川公演
2013年5月31日(金)〜6月2日(日)全3回公演
会場:神奈川県 横浜 KAAT神奈川芸術劇場・ホール
料金:5,500円
※各公演後にアフタートーク有り
5月31日出演:宮前義之(ISSEY MIYAKEデザイナー)
6月1日出演:松永大司(映画監督)
6月2日出演:成田久(アーティスト&資生堂アートディレクター)

静岡公演
2013年7月20日(土)、7月21日(日)全2回公演
会場:静岡県 静岡芸術劇場
料金:一般大人4,000円 大学生・専門学校生2,000円 高校生以下1,000円 ほか
※各公演後にアフタートーク有り

プロフィール
金森穣

演出振付家・舞踊家。りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督。Noism芸術監督。20世紀のダンスに革命を起こしたモーリス・ベジャールが創設した芸術学校ルードラ・ベジャール・ローザンヌを卒業後、世界的に有名なイリ・キリアンのネザーランド・ダンス・シアター、国立リヨンオペラ座バレエ団などで活躍し、帰国。04年に日本初の劇場専属ダンスカンパニー・Noismを立ち上げる。海外バレエ団や新国立劇場バレエ団への振付け、サイトウ・キネン・フェスでのオペラ演出など、国内外で幅広く活躍している。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞ほか、受賞歴多数。

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