クウチュウ戦の警告。左脳ばかりを動かす現代日本人を刺激する

空中――かつてはフィッシュマンズが恍惚と酩酊のキャンプを張ったその場所を、今、色とりどりの眩い光線を発しながら縦横無尽に飛び回る若者たちがいる。ここに紹介する1990年生まれの4ピースバンド、クウチュウ戦である。

プログレ、ソウル、ハードロック、テクノ……あらゆる要素を濃縮したサウンド。人の心の一番柔らかい部分に沁み入るような歌。クウチュウ戦は、過剰なほどの音楽的情報量を駆使し、それと同等の熱量を「歌」という感情表現へと注ぐことで、この世界が、そして僕ら自身が、本当はどれほど神秘的な存在であるかを証明しようとする。

もしかしたら今は多くの人々が、世界は整理され、説明されつくしていると勘違いしているのかもしれない。でも、Twitterのタイムラインで世界を説明することなんてできないし、「いいね!」の一言で僕らの感情が表現できるわけがない。だって、世界も僕らも、もっと豊かで、もっと歪で、もっと美しいから。2ndミニアルバム『Sukoshi Fushigi』を肴に、バンドのコンポーザーであるリヨとベントラーカオルに、彼らが音楽に賭ける理想を訊いた。この音楽を通して、あなたが想像以上のあなた自身に出会えることを、きっと彼らは望んでいる。

盲目的になにかを信じる力の強さは、人にしか生み出せないことだと思う。それはやっぱり、「少し不思議」ですよね。(リヨ)

―今作のタイトル『Sukoshi Fushigi』って、藤子・F・不二雄が「SF」という言葉を「サイエンスフィクション」ではなく、「少し不思議」と解釈したことからきているのかなと思ったんですけど。

リヨ(Vo,Gt):そうです。僕、SFがめっちゃ好きなんですよ。藤子・F・不二雄はすごいですよね、言い得て妙だと思う。SFを「サイエンスフィクション」の略だとするのは、説明不足な感じがするんですよ。でも、「少し不思議」ならしっくりくる。このアルバムに収録された6曲って、「とんでもなく不思議」なわけじゃないし、「ただ不思議」なわけでもない。でも、通して聴くと「少し不思議」だと思うんです。

―「サイエンスフィクション」と「少し不思議」の違いって、どこにあるんだと思いますか?

リヨ:「科学の作り物(サイエンスフィクション)」って、めちゃくちゃ無味乾燥じゃないですか? SFは、そんなもんじゃないと思う。今って、科学が至る所に横たわっているパラダイムだと思うんですよ。でも、SFには超能力が出てくるじゃないですか。『STAR WARS』でもそうですよね。単に宇宙船が飛んでいるだけじゃなくて、フォースっていう目に見えない力がある。それはもう、科学じゃないですよね。そもそも人間って、科学では説明できない部分がたくさんあると思うんです。

リヨ
リヨ

―それは、具体的にどんなときに実感しますか?

リヨ:たとえば、1杯のただの水を「風邪薬だよ」って言われて出されて、飲んだ人は風邪が治った、なんていう話がありますよね。それを「プラシーボ効果」という言葉にすれば簡単だけど、これって、盲目的になにかを信じる力の強さを表している話だと思うんです。それは人にしか生み出せない、機械には生み出せない、科学にも説明できないことだと思う。やっぱり、人間は「少し不思議」ですよね。

―では、今の時代にクウチュウ戦が「SF作品」を作る意味って、どこにあるんだと思います?

リヨ:単純に、刺激がほしいんです。今って、みんな麻痺しているんだと思うんですよ。本当は、なんでも手に取って匂いを嗅いで、それを舐めたりできるのがリアルだと思うんだけど、それをないがしろにする時代になったと思う。みんなスマホいじっているけど、それって視覚に偏っているんですよ。舐めたらスマホの味しかしないし、嗅いでもスマホの匂いしかしない。でも、俺らの音源って、匂いしませんか?

―うん、匂いますね(笑)。SFって、すごくファンタジックなものではあるけれど、そのファンタジックさ自体が、リヨさんにとっては人間のリアルなんですね。ただのフィクションではない。

リヨ:そうですね。でも今って、無味乾燥で殺菌消毒されたイカれた方向に向かっている……この国の、そんな側面にすごく辟易していて。だって、情報をTwitterやニュース越しで得ることは、目隠しですからね。そこで止まっちゃう。その先にいろんなことがあるはずなのに、そこでアイマスクされてしまう。俺はそれが嫌なんです。今年の2月にインドに行ったんですけど、インドって、真逆なんですよ。

ベントラーカオル
ベントラーカオル

―具体的に、どういう部分で?

リヨ:例えば葬式って、日本だと生活から切り離されているから、火葬場ひとつ建てるのもしんどいじゃないですか。葬式には人々も喪服を着ていくし。それって全部、境界線なんですよ。「境界線」って、俺は東京を象徴する言葉だと思っていて。物事と物事の間、人と人との間……東京には至るところに境界線がある。でも、インドにはそれがないんです。道端で人の死体を燃やしていますからね。ヨレヨレのTシャツを着た奴が、「また死体かよ~」みたいな感じで火をつけているのを、観光客の俺らも見ることができる。それって、境界線がないじゃないですか。日本人からしたら異常だけど、でも、そこがすごく刺激的なんです。

そもそも地球上で最初に歌った人って、精霊や神様と交信したりする、シャーマニズム的な目的で歌い始めたんだと思うんです。(リヨ)

―今作の1曲目“光線”と2曲目“青い星”にはシタールが使われていますけど、それもインドに行ったことから関連してのことですか?

リヨ:そうそう、インドでシタールを習ったんですよ。シタールって、超インド的な楽器なんですよね。弦が二層構造になっていて、上と下に張られているんですけど、下の方の弦は「共鳴弦」って言って、そこに触れることはないんです。上の弦で引いた音に共鳴して、下の弦が勝手にぽわ~んって鳴るんですね。置いておくだけでドローンミュージックみたいになる。それって、超宇宙じゃないですか。シタール、すごいですね。

―シタールの構造にも繋がると思うんですけど、普段、僕らが気づいていないだけで、目を凝らせば日常の地続きに、想像を超えたリアルがあったりする。そこがリヨさんにとって重要なのかもしれないですね。クウチュウ戦の音楽が1曲の中でコロコロと展開を変えていくのも、そのことを象徴しているのかなって思います。

リヨ:そうかもしれないです。曲を作るときにジャンルなんて意識しないけど、自分のルーツにあるのはプログレで。プログレって、長いから飽きないんですよ。3分くらいの曲だと、3回くらい立て続けに聴いたら俺は飽きてきちゃうんです。でもPINK FLOYDの“Echoes”は一生飽きないと思う。俺は飽きっぽいんですよね。だから海外にも行きたくなるし。次は中国に行ってみたいんですよねぇ。

リヨ

―リヨさんにとっては音楽も、インドで出会ったようなリアルな刺激を与えてくれるものなんですか?

リヨ:そもそも地球上で最初に歌った人って、精霊や神様と交信したりする、シャーマニズム的な目的で始めたんだと思うんです。その感覚は、俺にもあって。シャーマンは、神様や精霊と交信して、それを自分の言葉で人々に伝える存在だけど、それって俺と一緒じゃないですか。具体的に精霊とか神様とは言わないけど、言葉にできない、音楽や歌でしか表現できないものがあって、俺はそれを表現しているんだと思います。

―リヨさんが、最初に言葉にできないなにかを音楽で表現したいと思ったのは、いつ頃のことですか?

リヨ:意識して「表現しよう!」という感じじゃないんですよ。「音楽になった!」っていう感じ。「ああ、これ、ああ……音楽になった!」みたいな。でも、初期の頃はそういうふうには作ってないですね。前作の『コンパクト』の頃からかもしれない。

―じゃあ、作品を出したり、人前で演奏するようになってから、自分の中のシャーマン気質が表れ始めたんですね。

リヨ:うん、そうですね。あと、大学でドラッグカルチャーを学んでいたことは、影響していると思います。ドラッグカルチャーと言っても、THE BEATLESとか、1960年代のヒッピームーブメント的なものじゃなくて、もっと人類学的なものなんですけど。「儀礼でトランスする」ということに興味を持って、実際にペルーに行って現地のシャーマニズムの儀式に参加したりして。本物のシャーマンも、絶対に歌うんですよね。それは歌でしか伝わらないことだから歌うんだし、実際めちゃくちゃ伝わるんです。

身もふたもないけど、「音楽にしかできないものがある。それは音楽だ」という気持ちがある。(カオル)

―カオルさんは、同じクウチュウ戦のコンポーザーとして、リヨさんと共通する部分や違う部分はありますか?

カオル(Key):極端に正反対だなって思う部分もあるんですけど、すごく大事な部分で、他の人には感じないシンパシーを感じたりしますね。「演者がシャーマンであるべきだ」という発想はわかるし、似たようなものを感じていると思います。でも、曲を作るときって、彼の場合は具体的になにかを感じて、それをアウトプットする行為がメインだと思うんですけど、僕はどちらかと言うと、突拍子もない妄想がメインというか。

ベントラーカオル

―もっと、自分の脳内で起こることの方が大きいですか?

カオル:そうですね。それこそ今作で僕が作った“雨模様です”とか“にゅうどうぐも”も、タイトルからしてそんな感じだし。漠然とした景色とか時間帯とか……なにを理由にそれを表現したいと思ったのかはわからないけど、「ビル街に夕日が沈みかけている冬」みたいな断片的な景色や状況が、別にその場で見たわけではないのになぜか頭の中に生まれたとき、これを感じさせる曲を作りたいなって思うんです。

―その景色は、リヨさんと同じように「音楽でしか表現できない」ものですか?

カオル:「音楽じゃないといけない」という気持ちは僕にもあると思います。身もふたもないけど、「音楽にしかできないものがある。それは音楽だ」くらいの気持ちですね。そうとしか言えない。

つまんないもん、どいつもこいつも。大抵のものは右脳を一切使っていない。左脳の檻に閉じ込められて、理論だけで終わっちゃっているんです。(リヨ)

―さっきリヨさんの口から出た、1960年代のヒッピーカルチャーみたいなものに対する憧憬って、クウチュウ戦にはあると言えますか?

リヨ:いやぁ、ないですね。この時代に生まれたのは俺のカルマだから。一時期、「俺は生まれてくる時代を間違った」なんて愚痴っていたこともあったんです。でも、俺は生まれるべくしてこの時代に生まれて、今、音楽をやっているんだと思う。それに、インドに一生住みたいかと言われたら、全然そんなことはなくて。結局、自分が住むのは東京だと思っているんですよ。東京のことを、50パーセントは憎んでいるけど、50パーセントは愛している。とにかく安全ですよね、日本って。インドはカオスだから、刺激はあるけど……財布もぱくられたし、熱も40度くらい出たし、牛にも突かれたし!

リヨ

―牛に……。でも、息苦しさを感じるような今の環境に対しても、刺激を与えてくれる未知の場所に対しても、愛憎が半々に存在することは、大事なことかもしれないですね。

リヨ:うん、理性的なものも感性的なものも、どっちも絶対に必要なんだと思います。感性的過ぎたらカオスだし、理性的過ぎたら表面的なものになってしまう。俺らは、手段としては理性的だと思いますよ。こうやって、きっちりとしたビートに乗せて、メロディーも決まっていて。でも、その中にはとても感性的なものが詰まっているっていう。どっちも必要なんですよね。今は時代が理性に行き過ぎているから、それを、ちょっとだけ感性に戻せたらいいなって思っているんです。

―「クウチュウ戦の音楽は世直しだ」という意識はどれくらいありますか?

リヨ:「世直ししたい」とは言いたくないけど、もう世直しになってしまうんでしょうね。つまんないもん、どいつもこいつも。リスペクトしている同世代のミュージシャンもいるし、日本の音楽シーンが終わっているなんて思わないけど、大抵のものは右脳を一切使っていない。考えて作っているだけ。左脳の檻に閉じ込められて、理論だけで終わっちゃっているんです。だから、(胸を指しながら)ここまで届かないんですよね。この間スタジオの待合室にいたら、別のバンドマンが、「俺らに才能なんてないじゃん。でも、RADWIMPSみたいなものを作れば売れるんじゃない?」みたいな話をしていて……俺は絶望しました。

カオル:自分らのいる狭い世界への対症療法的に音楽を作っている人が多いですよね。

リヨ:そんな連中は趣味でやってればいいじゃん。自分で「才能ねえ」とか言ってるんだぜ?

カオル:もし売れたとしても、それだと仕事としての志も低いだろうね。趣味としてやろうが、カルマとしてやろうが、そんなやり方でやるんだったら、その人は音楽やらない方が絶対に幸せなんだけどな。他にも楽しいことはこの世にいっぱいあるわけだし。

ベントラーカオル

―9月に行われた自主企画『クウヂュウの戦~ikusa~Vol.1』のゲストには、嶺川貴子&Dustin Wong、それに、かせきさいだぁ&ハグトーンズを招いていましたよね。この出演者の並びを見たときも思ったんですけど、クウチュウ戦って、音楽性としても、考え方としても、似た者のいない独特な場所に立とうとしていますよね。

リヨ:立ち位置とかは考えてないですよ。9月の企画も、「刺激的だから一緒にやりたい」という理由で出てもらっただけで。でも、『ポンキッキーズ』みたいになりたいなぁって思うんですよ。俺は『ポンキッキーズ』チルドレンなんです。3~4歳の頃に、矢野顕子とか斉藤和義とかスチャダラパーとか、今の俺みたいに面白い人たちをテレビで見せられて、良質なポップスを聴かせてくれた。あれって、すごくいい洗脳効果だったと思うんですよね。今のちびっ子がクウチュウ戦を聴いたら面白いと思う。だって、俺ら面白くないですか?(笑)

―ははは(笑)。もちろん、面白いと思ってるからこうやって取材させてもらってるわけです(笑)。バンドの立ち位置について、カオルさんはどうですか?

カオル:僕も、あんまり立ち位置とかは考えていないけど、聴いた人がこの作品を位置づけようとするなら、それは自分の人生における位置づけであってほしいですね。最近、未成年の若いお客さんもチラホラ見かけるけど、思春期の頃に聴いた音楽って、なにかしらその後の自分の人生を決定づけたり、一度離れても、戻って来るとなぜか引っかかっちゃうものだったりするじゃないですか。そういう1枚に確実になってほしいという願望はあります。

リヨ:それはあるね。

「感じろ感じろ感じろ感じろ感じろ感じろ!!」っていうことです。(リヨ)

―話を聞いていると、今、クウチュウ戦としてやるべきことを、とても明確に見据えていますよね。

リヨ:別に、使命感や野望があるわけじゃないですよ。「俺が頂点に君臨してなにかを変えてやろう!」っていう、そんな独裁者みたいになりたいとは思わないですから。それに、バンドが今どこに向かっているのかとか、それもどうでもよかったりしますね。芯がないことが、俺の芯なんです。型にはまりたくないし、漂っていたい。思いつきで全部やりたいんです。女によく言われるんですよ、「あんたには芯がない」って。その度に「うるせえなぁ」って思っています。

―ははは(笑)。でも、「型にはまらない」ことこそ、自分のすぐ近くにある「少し不思議」ななにかに気づくための、なによりのきっかけになるのかもしれないですね。

リヨ:うん、目標とか掲げる時点で、もう可能性は限られますよね。そこに向かって無理やり行こうとしているから。でも実際は、歩いていく過程で、どんどん景色は変わっていくし、人間も変わっていく。だったらもう、芯なんてなくていいんです。そのときそのときでやりたいことをやればいいと思う。でも、その中で、クウチュウ戦の音楽を聴いてなにかを感じて気づく人が多く出てきたら、今よりもうちょっとはマシになると思う。別に、音楽の力ってそんなに強いものだとは思っていないですよ。でも、ちょっとでも、微々たるものでもいいから、誰かが僕たちの音源からなにかを感じてくれたらいいなって思いますね。「感じろ感じろ感じろ感じろ感じろ感じろ!!」っていうことです。

リリース情報
クウチュウ戦
『Sukoshi Fushigi』(CD)

2016年1月20日(水)発売
価格:1,000円(税込)
DQC-1513

1. 光線
2. 青い星
3. 雨模様です
4. 台風
5. にゅうどうぐも
6. エンドレスサマー

イベント情報
『ミニライブ、サイン会』

2016年2月14日(日)14:00~
会場:大阪府 タワーレコード難波店

2016年2月21日(日)21:00~
会場:東京都 タワーレコード新宿店

プロフィール
クウチュウ戦
クウチュウ戦 (くうちゅうせん)

1990年生まれのロックカルテット。2008年、大学1年のリヨ(Vo,Gt)とニシヒラユミコ(Ba)が原型バンドを結成。2011年1月、ベントラーカオル(Key)加入。同年7月にリヨが突然ペルーに飛び、アマゾンのジャングルの奥で行われる神秘的な儀式に参加。その後、2012年3月までイギリス/オランダなど、ヨーロッパを放浪。2012年11月、シングル『意気消沈/白い十代』を500枚限定でリリース。瞬く間にソールドアウト。2013年5月、アバシリ(Dr)が正式加入。新体制のクウチュウ戦が誕生。その高度な演奏力、プログレッシブな音楽性が同世代の客/バンド/ライブハウス関係者などに絶賛されるが、そこにあった本当に重要なものは、夏のオリオンのように美しいメロディー、日常の風景を少し不思議な空間に異化させるユニークな視点を持ったリリック、そして光線のように天空を突き抜ける歌心だった。2016年1月20日、2ndミニアルバム『Sukoshi Fushigi』をリリース。



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