河原雅彦×秋元才加 「演劇の教科書」に立ち返り醸し出す俳優力

森の中の一軒家に暮らしていた人々の前に巻き起こった殺人事件を描く心理サスペンス劇『夜が私を待っている』。この殺人事件の犯人は、この一軒家に紛れ込んできた「ダン」という男であった……。

……と、のっけからネタバラシをしてしまったが、この作品に限っては全く問題ない。1935年にイギリス人劇作家のエムリン・ウィリアムズが執筆し、80年の時を超えてブロードウェイでもリバイバル上演されている本作は、演劇の普遍的な魅力を浮き上がらせてくれる作品だからだ。

『夜が私を待っている』が描くのは、殺人事件という状況に置かれた人々が織りなす、少し狂気じみた人間心理の綾。『ロミオとジュリエット』が悲劇的な結末を迎えるのを知り、『ゴドーを待ちながら』では、ゴドーが来ないことを誰もが知っているにもかかわらず、観客がいまだにその物語を楽しむことができるのは、そこに、魅力的な人間の姿が描かれているから。演出の河原雅彦も「この作品の魅力は、犯人探しではない」と断言する。

いったい、この作品が見せてくれる人間の姿とはどのようなものだろうか? そして、河原が「演劇の教科書」と認めるこの作品は、どのようにして観客たちの前に提示されるのだろうか? 河原とともに、本作に出演する秋元才加の言葉から、その魅力を探ってみよう。

犯人探しではなく、突然現れた人間が、どのようにその家を侵食していくかが、この戯曲の醍醐味なんです。(河原)

―本作は、1935年にイギリスで執筆された戯曲です。以降、80年の長きにわたって上演が続けられてきた本作を読み、河原さんはどのような感想を持ったのでしょうか?

河原:本作のチラシにも「心理サスペンス劇」と書かれていますが、僕はもともと、「心理サスペンス」というジャンルがとても好きなんです。ただ、この作品は犯人探しを楽しむものではなく、最初からダンが犯人であるということがわかっているという構造なので、「これは難しいな……」と思いました。なぜかというと、謎解きの面白みがない分、犯人がかなり魅力的な人間でないと作品として成立しないんですよ。いったい、誰が演じるんだろうって思ったのを覚えています(笑)。

左から:秋元才加、河原雅彦
左から:秋元才加、河原雅彦

―そんなダンを入江甚儀さんが演じるわけですが、本作は、登場人物たちの心理を描くことが主眼に置かれていますよね。

河原:そうですね。作品としては、ある未亡人の家に、ダンというミステリアスな男がやってくるところからストーリーが動き出します。犯人探しではなく、突然現れた異物として加わってきた人間が、どのようにその家を侵食していくかがこの戯曲の醍醐味なんです。

―秋元さんが演じるオリヴィア・グレインというキャラクターは、ダンと一番緊密に接しており、物語を展開していく上で重要な役割を担っている人物です。このキャラクターをどのように演じようと考えていますか?

秋元:オリヴィアは、人目を引かない地味なキャラクターという設定でありながら、かなりの分量の台詞を喋り、殺人事件にも果敢に立ち向かっていきます。華がある役の場合、バーっと勢いをつけて演じることができるから楽なんですが、オリヴィアは地味で目立ちすぎず、なおかつ重要なところですごく喋らなければいけない。彼女を演じる上ではそういうバランスがとても大切だし、難しいところですね。

秋元才加

―オリヴィアという人間の心理を通じて、観客も物語の世界に誘われていきますよね。特に、オリヴィアがダンに対して感じる「恐怖」は物語全体のトーンに関わってくる重要な心理です。そんな恐怖の心理は、どのように表現されるのでしょうか?

秋元:オリヴィアの感じる恐怖は、目に見えてわかりやすいものではなく、「あ、この人やばい……」という直感的な恐怖です。日常生活でも不穏な空気を持っている人がたまにいると思いますが、おそらく、オリヴィアはそういったことを察する感受性が人より鋭いんだと思います。

―オリヴィアは、不穏さに敏感である一方、殺人犯であるダンに心を惹かれていきますね。そんな矛盾する心理状態は、一筋縄で表現できるものではないと思います。

秋元:でも、悪いとわかっていても好きになってしまう……、というのは、人間にとって必ずしも理解できない感情ではないと思うんです。例えば、殺人犯の男性に熱狂してファンのようになってしまう女性は、現代の日本にも存在しますよね。

この作品のいちばんの恐ろしさは、ダンという殺人犯やダンの起こした殺人事件ではなく、そういった人の心理の中にある狂気みたいなものです。そういった部分を、丁寧に演じていかなきゃと思います。

「私ならば、この人を変えられるかもしれない」と思う、そんな女性の狂気じみた心理を描き出したい。(秋元)

―たしかに誰にでも芽生えうる心理ですよね。秋元さん自身はそういった感情を抱いた体験はありますか?

秋元:あります、あります。以前、実家の近所で殺人事件が起こったことがあって。とても凄惨な事件ですごく怖かったんですけど、その反面、テレビの報道を見て「この事件、私の地元で起こったんだ」ということに対して、不謹慎ですが、好奇心を掻き立てられてしまう自分もいたんです。だから、オリヴィアのような矛盾する心理は、私自身もわからなくはないんですよね。

秋元才加

―異なる気持ちが同居してしまうという意味では、とても似ている心理ですね。

秋元:そうですね。この戯曲が書かれた80年前でも今でも、人間の心理はあまり変わらないんだろうなと感じます。オリヴィアはダンに対して恐怖を感じている一方、「私ならば、この人を変えられるかもしれない」と思っているところがある。そんな、女性の狂気じみた心理を描き出したいですね。

―河原さんは、以前、雑誌のおすすめ本企画で、北九州監禁殺人事件を描いた『消された一家』(著・豊田正義 / 新潮社)を挙げていました。人間の暗部や狂気という意味では、本作と共通するのではないでしょうか?

河原雅彦

河原:そうかもしれないですね。北九州の事件の主犯である松永太は、ある意味エンターテイナーだと思います。常軌を逸した猟奇的な殺人をしているにもかかわらず、裁判中にはウィットに富んだ発言をし、傍聴席にいる人々から笑い声も起こっている。

この芝居でも、ダンの態度や言動はある種のエンターテイメントとして描かれていて、彼の引き起こした殺人事件もスキャンダラスな事件としてイギリス全土に注目されます。松永もダンも、センスとしてはすごく似ている部分があると思います。ただ、おそらく、松永がこの戯曲を読んだら、ダンのことを「甘い」と言うでしょうね。

―「甘い」とは?

河原:ダンは、見ている側が感情移入しやすい幼さや愚かさをあわせ持っているんです。けど、彼が冷徹になりきれない部分、彼の人間味こそが、登場人物としての大きな魅力になっているんです。

河原雅彦

―北九州監禁殺人事件や尼崎連続変死事件など、猟奇殺人が起こると、ワイドショーなどでも積極的に取り上げられています。猟奇殺人は、人を惹きつけてやまない力があるのでしょうか?

河原:あるんだと思います。多くの猟奇的な事件は、共通して閉鎖的な空間で行なわれますよね。街の雰囲気にしても、小さな世界がそこにいる人たちのすべて、というシチュエーションで事件が起こりやすいんです。

このお芝居でも、田舎の森のなかにある一軒家で、人々が煮詰まった生活を送っているという閉鎖的なシチュエーションを大切にしたいです。そんな雰囲気から、殺人事件が生まれてくるんですよ。

―ただ、演劇としてはとてもオーソドックスな作品であり、その中で狂気を描いていくという点では、俳優にとってもかなり難しいですよね。

秋元:台本を読んで、挑戦しがいのある難しい作品だと実感しました。私はここまでストレートな翻訳劇に出演したことがなくて。ごまかしの効かないストレートプレイで、いったい自分がどこまでできるのかに挑戦してみたかったんです。

河原:「俳優力」がとても試される舞台になるでしょうね。演じることにおいて、すごく大切なことが詰まった舞台だと思います。

秋元:まるで、お芝居の教本みたいな作品ですよね。

河原:うん、演じることの楽しさ難しさ、シンプルさ複雑さ、それら全ての魅力がぎゅっと凝縮された教科書ですね。

河原雅彦
『夜が私を待っている~ナイト・マスト・フォール~』メインビジュアル

―秋元さんは、AKB48を卒業するにあたって、「女優を目指していきたい」と宣言していましたが、まさにこの作品は女優だからこそ演じることができるキャラクターですね(成長するために次のステージへ 秋元才加インタビュー)。

秋元:演技の基礎がしっかり身についていなければできないと思います。だから、この機会を与えて頂いたのは、とてもありがたいです。もしかしたら、「一から演技を見つめ直せ」と言われているのかもしれませんね(笑)。

このお芝居は、犯人であるダンの手練手管を楽しんでいくものです。(河原)

―『夜が私を待っている』は、欧米では舞台作品として上演されているだけでなく、映画も製作されています。このサスペンス劇を、ドラマや映画ではなく演劇で上演することの意味はどこにあるのでしょうか?

河原:どんな演劇でも、生身の俳優が舞台の上で、一瞬一瞬何かを醸し出していなければいけません。特に、サスペンスというジャンルは、見る側の想像力を刺激することが基本中の基本です。映像のように意味ありげなカットで逃げられないし、クローズアップで表現することもできない。

観客を目の前にして、サスペンスフルな空気を作らなければならないんです。そういう意味で、演劇の根本的な醍醐味がサスペンス劇というジャンルには詰まっています。たまには、こういう基本の場所に戻ってこなければなりませんね。

左から:秋元才加、河原雅彦

―さきほど、本作は俳優にとっての「教科書」と語られていましたが、河原さん自身も、本作を通じて「演劇の根本」に立ち返っているんですね。

河原:そうですね。特に、この作品はとてもオーソドックスに描かれているぶん、難しさとやりがいにあふれている。ミュージカルのように歌ったり踊ったりすることせず、俳優の演技で直球勝負をしなければならないんです。

秋元:直球と言っても、声を張り上げてワーワー騒いでいるだけでは、3時間もの上演時間は持ちませんよね。緩急をつけながら、丁寧に舞台を作っていかなければならないから、俳優としても考えさせられる舞台です。

秋元才加

―では、そんな直球な戯曲から演劇を立ち上げるにあたって、河原さんが最も大切にするのはどのような部分でしょうか?

河原:戯曲における「役」という言葉を、僕は「役割」という意味で解釈しています。「役を演じる」というのは、つまり「役割を演じる」ということです。きちんと書かれた本には、明確にそれぞれの役割が記されています。一人ひとりの登場人物が、戯曲のためにどのように作用しなければならないか、場面ごとにそれぞれのキャラクターがどのような役割を担っていかなければならないか、ということに立脚しながら、俳優はテキストを見つめなければならないんです。

―「役割」が根本にあって、その上で会話や心理描写といった演技が生まれる、ということですね。

河原:そうです。また、自分の役割だけでなく、人の役割を知ることもとても大切です。この人はこういう役割であり、この場面ではどのように見せなければならないか……、他の登場人物の役割を立たせることも、俳優にとって大切な感覚なんです。そういうことをパッと捉えられる人が、本当に上手い俳優です。

その場面をどういうものにしなきゃいけないかをしっかり考えながらやっている人たちであれば、実は稽古は1か月もいらないんですよ。立ち位置ひとつとっても意味が出るし、どのタイミングで移動するか、どれくらいの距離を取るか、それだけでも空気がずいぶん変わります。心理サスペンスは特に、俳優の動きひとつで、舞台上に流れる空気の密度が全く違ってきます。

河原雅彦

―おふたりとしては、観客に対して、『夜が私を待っている』をどのように楽しんでほしいでしょうか?

河原:このお芝居は、犯人であるダンの手練手管を楽しんでいくものだと思います。あとは一癖も二癖もある登場人物たちが織り成す人間模様。犯人探しがメインにならないぶん、シーン一つひとつに説得力を持たせなければならない。だから、演じる側のハードルがとても高いんです。そういう意味では、昨今、あまり見ないタイプの舞台になるはずです。インタビューなので、そのハードルを超える楽しみを語ってはいますが、実際に稽古が進んでいく中でどうなっていくのか……と、少し不安でもあります(笑)。

秋元:この戯曲を上演するためには、常に不安なくらいがいいと思います(笑)。変にストーリーをひねって、現代的な意味でおもしろい作品になってしまうと、この作品のクラシカルな魅力が薄れてしまうので。演劇の基本中の基本や魅力が詰め込まれた作品だから、原作に対して忠実に上演することで、この作品の持つクラシックな良さを見せていきたいです。

イベント情報
『夜が私を待っている~ナイト・マスト・フォール~』

2016年10月15日(土)~10月30日(日)
会場:東京都 新宿 紀伊國屋サザンシアター
作:エムリン・ウィリアムズ
演出:河原雅彦
出演:
入江甚儀
秋元才加
前田美波里
ほか
料金:一般6,500円 U-25券4,000円

プロフィール
河原雅彦 (かわはら まさひこ)

俳優・演出家・脚本家。北陸高等学校、明治大学文学部卒業。元「HIGHLEG JESUS」総代。1992年に演劇やライブ活動を行う「HIGHLEG JESUS」を結成、2002年の解散まで全作品の作・演出を手掛ける。2006年、シス・カンパニー公演「父帰る/屋上の狂人」の演出で第14回読売演劇大賞・優秀演出家賞受賞。2015年、パルコ・プロデュース「万獣こわい」の演出で第22回読売演劇大賞・優秀作品賞を受賞。

秋元才加 (あきもと さやか)

1988年7月26日生まれ。千葉県出身。2006年にAKB48の2期生として「チームK」に所属。キャプテンを務める等活躍し、2013年8月卒業。音楽のみならず、バラエティーや女優として映画・ドラマにも出演し、幅広く活動している。



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