地方都市文化の鍵を握るのは公共ホール? 岸野雄一×出口亮太

全国に2200館ほどあるとされる公共ホール。おそらくあなたの近所にも、文化イベントを催すためのホール機能を持った施設が、少なからずあるはずだ。しかし、その場所を観客として訪れたり、ましてや主催者として利用した経験のある人は、とても珍しいのではないだろうか?

実際、公共ホールの多くは、資金難や人材難を抱えながら、「ハコモノ」の有効な使い途に悩んでいるのが現状だという。そんな状況のなか、自治体予算や助成金に頼らず、自己資金だけでCINRA.NET読者にも馴染み深いカルチャー企画を独創的な空間で実施し、公共ホールのあり方を拡張しているのが、長崎県の「長崎市チトセピアホール」だ。

今回はその若き館長・出口亮太と、同ホールでのイベント出演経験もある岸野雄一に、公共ホールの可能性について語ってもらった。二人の対話から見えてきたのは、施設の活用にとどまらない、地方都市における文化の現在だった。

設備が充実している公共ホールには、本来大きな可能性がある。(出口)

—まずは率直に、公共ホールの現状についてお聞きできますか?

出口:公共ホールは全国に2200館あるとされていますが、実際にアクティブに活動しているホールは少なくて、多くは予算もなければ企画を考案するアートマネジメント人材もいないなど、厳しい状況にあります。とくに中小規模のホールに問題は顕著で、事業を回すためにパッケージ化された有名歌手の公演を買い取ったり、行政の予算や補助金に頼ったりせざるを得ない施設が多くあるのが実情です。

その一方で、大きなホールほど人材・予算ともにリソースが集まり、一種の格差が生まれている、という問題もある。でも、基本的な音響照明の設備が備わっている公共ホールには、本来大きな可能性があると思うんです。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一
左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

岸野:僕はイベントのオーガナイザーとしても活動していますが、全国に使える施設があるのに、それらが機能していない現状をいろんな地域で感じてきました。ハコモノを、本当にただのハコモノにしてしまっている。そんな、いたたまれなさがありますね。

—オーガナイザーから見て、公共ホールの使いづらさの原因とはなんでしょうか?

岸野:一番の原因は、融通の利かなさですね。民間のハコは、話がしやすくフレキシブルな対応もできる。イベントは生き物ですから、たとえば撤収時間が過ぎてもハコのスタッフにタクシー代を払えばなんとかなる。

でも公共ホールの場合、それが利用規約に引っかかるからという理由で、企画自体がダメになることもあったり、無慈悲に電源が落とされて、施錠されてしまうこともあるわけです。もちろん、時間がきたら電源を落として施錠することでお給料をもらっているので、当たり前の話なんですが、多くのホールは、公演を盛り上げなくても補助金などでお金がもらえるので、面倒臭いことはしたくないのが本音でしょう。

出口:公共ホールはどうしても条例などの決まりに従って動くので、やむを得ない部分もあるとは思います。ただ、「お客さま」と「サービスの提供者」という関係ではなくて、一緒にイベントを作っていく姿勢を持てば、使いづらさを軽減して自由度を高めることもできるんですよね。

出口亮太

岸野:じつは公共施設を有効活用するアイデアは、企画を持ち込む運営側にもあるんです。職員さんたちは自分では言い出せないけど、本当は面白いことをやりたいと思っていることも多いです。だけど使い手がそれを知らない。ホールの現状の背景には、使い手の問題もあると思います。

公共ホールが扱うジャンルを人口比や経済合理性だけで選んでいると、都市と地方の文化資本の差は開く一方。(出口)

—そうした現状のなか、チトセピアホールでは岸野さんの「ヒゲの未亡人」の公演をはじめ、スガダイローさんと中村達也さんのセッション、二階堂和美さんや伊藤ゴローさんのコンサート、神田松之丞さんなどの若手が出演する寄席『千歳公楽座』など、サブカルチャー寄りの自主企画を多く実施していますね。こうしたスタイルで運営をされているのは、なぜですか?

出口:扱うジャンルを人口比や経済合理性だけで選んでいると、都市と地方の文化資本の差は開く一方だと思うんです。それに抗うため、サブカルチャーを意識的に取り入れて、豊かな文化環境作りを目指しています。

たとえばチトセピアホールの近隣には、うちを含めて4館の公共ホールがありますが、それらがすべて、同じようなクラシックコンサートを企画していていいのか。決まったジャンルにしか触れられない環境と、東京のようなさまざまな文化が身近にある環境では、そこで育つ子供も含めて、市民のあいだに大きな文化体験の差ができてしまいますよね。自主事業にはその多様性を担保したいという思いがあります。

チトセピアホールで行われたドラマー・中村達也とピアニスト・スガダイローのデュオ「赤斬月」のセッション / ホールの客席部分にグランドピアノとドラムセットを置いた特設ステージでの演奏が行われた
チトセピアホールで行われたドラマー・中村達也とピアニスト・スガダイローのデュオ「赤斬月」のセッション / ホールの客席部分にグランドピアノとドラムセットを置いた特設ステージでの演奏が行われた

『二階堂和美のコンサート』舞台美術は地元の障がい者をアートで支援するNPO「TSUNAGU FAMILY」が手がけている
『二階堂和美のコンサート』舞台美術は地元の障がい者をアートで支援するNPO「TSUNAGU FAMILY」が手がけている

『伊藤ゴロー・エンド・オブ・ザ・イヤー・ギター・コンサート 2016』 / アコースティックギターとチェロのアンサンブルによるコンサート
『伊藤ゴロー・エンド・オブ・ザ・イヤー・ギター・コンサート 2016』 / アコースティックギターとチェロのアンサンブルによるコンサート

岸野:多様性は重要ですね。僕なんか、子供のころに影絵作家の藤城清治さんの公演に連れて行ってもらったおかげで、いまの自分があるようなものです。もちろん、著名なヴァイオリニストが育つかもしれないから、クラシックの公演はあるべきですが、同じ理屈で有名トラックメイカーを育てるためにクラブイベントもなきゃダメでしょう。

岸野雄一

出口:どんな子に育つかなんて、わからないわけですからね。

岸野:だから、とにかくいろんなものに触れさせたほうがいい。よくクラシック初心者の若者から、「最初になにを聴けばいいのか?」と訊かれるのですが、僕は「なんでもいいからクラシックのコンサートに一回、行ってください」と答えるんです。

というのも、生のアンサンブルが空気を震わせる体験って、やっぱり特別なんです。なにより体験をしないとはじまらない。各都市のホールは、その体験を提供する役割を担っているんですよ。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

補助金をもらっていないからこそ、自由度の高い事業ができる。自分の財布から出入りするから、我が事として考えるんです。(出口)

—公共ホールは、人が未知の文化に触れる入口にもなるんですね。

岸野:たとえば、山口市の山口情報芸術センター(YCAM)は開館から10年以上が経ちますが、運営側と使い手側の創意工夫で、いまや公共の施設でありながらオールナイトイベントをやっています。地方の街にそんな場所があるのはワクワクしますよね。その近所で育った子たちが、いま社会に出はじめている。「振り返ると良い経験をしてきた」と話しているみたいです。

出口:公共文化施設には、ある文化を「すでに知っている人」だけではなく、「まだ知らない人」に向けて伝える役目もあります。そうした教育普及活動は、美術館や図書館ではすでに実施されていましたが、公共ホールでも行われていますね。

出口亮太

—2015年に指定管理者として館長になった出口さんですが、チトセピアホールの自主事業は自治体からの予算に頼らず、チケット収入を中心とする自己資金で運営されているそうですね。事業実績から予算まであらゆるものがないなか、現在の活動を確立するのは大変だったのではないでしょうか?

出口:いまの活動のあり方は、いわば消去法のコンセプトでした。予算や集客など現実に即して考えるなかで、自分なりの方法論が見つかってきたんです。たとえば、これまでなんとなくフライヤーのデザインを外注してきたけれど、それは自分で作れるよね、とか。単独では実現が難しい企画でも、ほかの公共ホールや団体と協力してセットで呼べばできるよね、とか。

落語会『千歳公楽座』フライヤー / 自主事業のチラシ制作のほとんどを出口本人が手がけている
落語会『千歳公楽座』フライヤー / 自主事業のチラシ制作のほとんどを出口本人が手がけている

出口:事業をしていくと、いろんな「~ねばならない」があることが見えてきます。僕の場合は、たまたま館長職として、従来のそのあり方を考え直す権限が自分にあったことが、とても良かったことでした。

岸野:予算も含めて、自分で責任を取れるのは大きいよね。

岸野雄一

出口:そうですね。ほとんどのホールは、行政や自治体の予算、補助金で回っていますが、それをもらっていないからこそ、DIYで自由度の高い事業ができる。予算の配分も、家計簿感覚で考えられる。自分の財布から出入りするから、我が事として考えるんです。

地域に一館くらい、ロビーで寄席をやる公共ホールがあってもいい。(出口)

—さらにチトセピアホールは、空間の使い方も独創的ですよね。

出口:ホールのキャパは500人なのですが、それだけの観客を集める公演を地方でサブカルチャーで、となるとなかなか難しい。そこで80人や100人でも場を成立させるために、客席を取り払った空間でライブを行ったり、ホールのロビーでイベントや落語の寄席を行ってきました。

いわば公共ホールを使って、ブロックパーティーをする感覚なんです。『RAW LIFE』(2004年から2006年にかけて開催された音楽イベント)に影響を受けた世代なので、オルタナティブスペースという考え方はもともと普通に持っていました。本来の使い方ではない空間の転用によって、ホールのさまざまな場所に新しい利用価値が見えてきたんです。

長崎市チトセピアホール 内観

『ヒゲの未亡人の国内旅行2016 in 長崎』 / ホールのロビーで岸野雄一による「ヒゲの未亡人」と海藻姉妹のライブ、常盤響のDJが行われた
『ヒゲの未亡人の国内旅行2016 in 長崎』 / ホールのロビーで岸野雄一による「ヒゲの未亡人」と海藻姉妹のライブ、常盤響のDJが行われた

岸野:僕はもともとライブハウスで育ったクラブっ子だから、既存のハコが盛り上がるのは嬉しいけど、観客として訪れると、そうした場には演奏者の友人やフォロワーしかいない、閉じた空間である場合も多いんです。

でも、本当のストリート感覚って、その地域に住んでいる誰もが来られることなんだと思います。実際にはじめての場所でやると発見も多くて、コンビニでDJイベントをやったとき、出演者のやけのはらくんが、観客が楽しそうなのを見て、「こんな明るくてもいいんだ!」と驚いていたんですね。

コンビニでDJイベントを行う「コンビニDJ」
コンビニでDJイベントを行う「コンビニDJ」

出口:それも「~ねばならない」の話で、クラブは暗くなくてもいいわけですよね。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

岸野:同じように落語の寄席も、その発生期にはマイクや音響機器なんかないわけで、ロビーで生声でやるというのは、むしろ本来のかたちに近いと言えますよ。

出口:公共ホールで主に開かれるのは、大会場でマイクを通した「ホール落語」ですが、このあり方は落語の長い歴史ではほんの一時期のことにすぎません。だけど、地方に行けば行くほど、「笑点の出演者がホールでやるのが落語だ」と画一的に思われていて、とても勿体無いと思うんですね。地域に一館くらい、ロビーで寄席をやる場所があってもいい。

寄席『千歳公楽座』 / ホールの中ではなくロビーで生声による落語が披露される
寄席『千歳公楽座』 / ホールの中ではなくロビーで生声による落語が披露される

出口:オルタナティブな場所を使うと、舞台と客席の境目が曖昧になるのも面白い点です。だけど、もともと演劇のはじまりが祭りにあったことを思えば、両者のあいだに明確な線引きはなかったはず。その意味では、むしろ新しい場所で寄席やライブを行うことは、むき出しの表現というか、プリミティブなものに帰っていっている感覚はありますね。

—お話を聞いていると、出口さんはもともと博物館学を学ばれていたこともあって、とても文化に明るいのですが、ご自身でもサブカルチャーはお好きだったんですか?

出口:いち音楽ファンであり、サブカルキッズではありました。

岸野:それこそ、僕らが1990年代からやっていた『ギラギラナイト』という、当時はご法度だった和モノの音楽をかけるクラブイベントがあって、出口さんはその数少ない客のひとりでした(笑)。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

出口:(笑)。そうした文化が好きだった自分が、地元に帰ったとき、切実に足りないと感じたものを呼んでくるというのが、いまの事業の基本にはあります。たとえば、最近までミニマルテクノで踊っていたような女の子が、お母さんになって地元に帰って暮らしている、というようなこともあるように、地方都市の住民にもさまざまな趣味嗜好がある。

そこの部分の足りなさを埋めたい気持ちというのはあります。ただ、そのなかでも、そのイベントには本当に公共性があるのか、それとも自分が見たいだけなのかはつねに客観視して、近隣のホールで行われている事業も考慮しながらバランスを考えて企画していますね。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

公共ホールは「公共文化施設」である以前に、「公共施設」なんです。(出口)

—そもそもの話ですが、公共ホールの「公共」をどう考えるかというのも、難しい問題ですよね。

出口:公共ホールは「公共文化施設」である以前に、「公共施設」なんですよね。だから、そこでは文化だけではなくて、医療や福祉など、地域社会の抱えるさまざまな問題を、ホール機能を使いながら発信していく「スピーカー」のような役割もあると思います。それと近年では、公共ホールに地域の「へそ」として、人が集まる場所としての機能を求める動きもあります。

岸野:公共ホールは、血縁ではない「地縁」の感覚の土台にもなれますよね。つまり、いざというときに頼りになるのはご近所だ、という感覚。

いまは誰もがSNSに安住の地を求めていますよね。たしかにSNSでは、話の合う人とだけつながれるし、嫌になればブロックすればいい。こんな楽な住処はないですよ。でも結果、自分の近所に知人が誰もいないなんてことになる。現在の文化の疲弊感には、SNSも関係していると思います。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

出口:僕は1990年代後半に高校時代を過ごしましたが、当時は長崎でも、洋服店や中古レコード店が地元の文化好きの集まるサロン的な役割を果たしていました。でも、不景気が続くと真っ先になくなるのはそうした場所です。

そして地方から、文化の厚みが失われていきました。そこを少しずつでも太らせ、また豊かにしていきたい。画一化しがちな地方都市で、どれだけ文化の幅や多様性を持たせられるか、それが一番の問題意識なんです。

岸野:人々が実際に顔を向き合わせて関係を築いていく。そのプロセスは、じつは人間をすごく豊かにしていたのだと思いますね。

出口:サロン的な場所からは、新しいコミュニティーが生まれる可能性もありますよね。落語を見にきた人たちが、そのあと一緒に飲みに行ったり、文化をあいだに置くことでコミュニティーが再編されないか、ということは考えます。

それに人の交わりがあると、予想外の出来事が起きることもある。岸野さんのイベントを開催したとき、長崎からは車で1時間半ほどの佐世保に住む子たちが来てくれたんですが、彼らが最近、自分たちの地元で音楽イベントをはじめたんですよ。

岸野:面白いね。

出口:僕の地元じゃないのが悔しいですけど(笑)。こんな風に、他の人に「いまのままでいいのか?」と問うことができるのも、多様性があることの良さですね。

勘違いしちゃいけないのは、どこからも文句が出ないことが「公共的」ではないということ。(岸野)

—しかし現実的には、出口さんのような地域にタネを蒔く存在は、なかなか少ないように思います。問題を感じつつも悩んでいるほかのホールの関係者は、どんな視点を持つといいと思いますか?

出口:舞台芸術だけでなく、まちづくりや建築、福祉など、異ジャンルの人たちの活動にヒントがあるかもしれません。僕たちと協働してくれた佐賀の「ON THE ROOF」や、ヒゲの未亡人のライブ会場となった仙台の「TRUNK」、花巻の「マルカンビル大食堂」など、劇場の外にあるシェアオフィスやリノベーション施設のほうが、コミュニティーや公共空間のあり方について意識的で意欲的なことも多いですね。

佐賀県呉服元町の旧西沢ビルをリノベーションした「ON THE ROOF」で開催された、落語会『寄席オン・ザ・ルーフ』 / 今後テナント入居予定の1階スペースを利用し高座と客席を特設することで、一日限りの寄席が出現した
佐賀県呉服元町の旧西沢ビルをリノベーションした「ON THE ROOF」で開催された、落語会『寄席オン・ザ・ルーフ』 / 今後テナント入居予定の1階スペースを利用し高座と客席を特設することで、一日限りの寄席が出現した

出口:この点は、全国で「リノベーションまちづくり」の活動に携わっている人たちにも共感するところがあります。ホール単体で考えるのではなく、「街の一部としてホールがある」という意識を持って、ネットワークを築くことが大切だと思います。

岸野:いま文化を取り巻く状況は厳しいけど、出口さんみたいな前例を作っていき、既成事実を更新していくしかない。また最初にも言いましたが、施設を有効活用したり、文化を淘汰させていく、次の時代に良いものを残していくという使命は、市民の側にもあります。もし読者のなかに、自分の街がつまらないと感じている人がいるなら、その原因はあなたにもある、と言いたいですね。

岸野雄一

出口:結局、文化の多様性を担保していくことは、寛容さにつながると思うんです。あんな人やこんなイベントがあってもいいと、認める人が地域に増えていく。

岸野:そうですね。ヨーロッパではすごく先進的な音楽のライブを、普通に老若男女が楽しんでいる場面に出会います。一方、日本の許容量の狭さは危機的と感じる。ちょっとでも自分と合っていないと感じると、すぐに帰ってしまう。「公共」の捉え方も千差万別だけど、勘違いしちゃいけないのは、どこからも文句が出ないことが「公共的」ではないということです。

文化に接しないと、文化は育たない。多様性を更新していく試みを継続して、その度ごとに厚みを作っていくことが重要ですね。

出口:べつにすべてに理解を示さなくてもいいけれど、お互いに許しあえるような潤いを作ったり、人のキャパを広げたりする効用が文化にはあると思います。地方から豊かな文化の火を絶やさないためにも、今後も公共ホールの価値を広げていきたいですね。

左から、出口亮太(長崎市チトセピアホール館長)、岸野雄一

イベント情報
『伊藤ゴロー with ロビン・デュプイ デュオコンサート』

2017年12月27日(水)
会場:長崎県 長崎市チトセピアホール
料金:前売3,000円

『千歳公楽座 旅成金 in 長崎』

2018年2月1日(木)
会場:長崎県 長崎市市民生活プラザホール
出演:
柳亭小痴楽
瀧川鯉八
神田松之丞
料金:前売2,500円

プロフィール
岸野雄一 (きしの ゆういち)

1963年、東京都生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科、美学校等で教鞭をとる。「ヒゲの未亡人」「ワッツタワーズ」などの音楽ユニットをはじめとした多岐に渡る活動を包括する名称としてスタディスト(勉強家)を名乗る。銭湯やコンビニ、盆踊り会場でDJイベントを行うなど常に革新的な場を創出している。2015年、『正しい数の数え方』で第19回文化庁メディア芸術際エンターテインメント部門の大賞を受賞。2017年、さっぽろ雪まつり×札幌国際芸術祭2017「トット商店街」に芸術監督として参加。

出口亮太 (いでぐち りょうた)

1979年長崎市生まれ。東京学芸大学で博物館学を学んだ後、青山・桃林堂画廊の運営を経て、長崎歴史文化博物館の研究員として教育普及を担当する。その後、家業である舞台管理会社・ステージサービスに入社。公共ホール管理のほか博物館展示デザインやイベント運営を手がける。2015年、若干35歳で長崎市チトセピアホールの館長に就任、これまでに50本あまりの企画を運営する。2016年にはDOMMUNEにて「公共ホールの新たな可能性を探す ~サードプレイスとしての劇場空間」と題した特集プログラムを岸野雄一氏と共同で企画・出演し話題となる。近年では、ホール内での事業にとどまらず、教育機関や医療機関、地元のNPOとの協働事業を企画運営しながら、現場での実践をもとにした公共文化施設についての講義を県内の大学でも行う。また、近隣の公共施設と連携し長崎市チトセピアホールで企画した事業を巡回させるネットワーク作りも行っている。

長崎市チトセピアホール

長崎市千歳町に1991年に開館した500席を擁する多目的ホール。平成27年度より自主事業を本格的にスタートさせ、先鋭的な企画と助成金に頼らない運営スタイルで注目を集める。これまでの出演者は伊藤ゴロー、神田松之丞、岸野雄一、スガダイロー、高浪慶太郎、瀧川鯉八、内藤廣、中島ノブユキ、中村達也、二階堂和美、柳亭小痴楽、渡辺航など。また、既存の「舞台 / 客席」の関係性にとらわれず、「公共ホールでブロックパーティ」をテーマに、客席内に舞台を仮設したり、ロビースペースを寄席やダンスフロアに転用するなど、オルタナティブスペース的発想に基づいた公共空間の新たな活用法と利用価値を模索している。事業内容は舞台芸術の分野だけでなく、まちづくり、建築、福祉、医療、食育分野とのコラボレーション企画も多く、公共ホールの可能性を拡張する活動を続けている。



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