立川志らくが共感する、「なんでもやる」川島雄三の生き方

ひとつのことだけやり遂げるか? 興味の赴くままになんでもやってみるか? 芸の世界では、自分のやりたいことを突き詰めるタイプが評価されることが多い。そんな世界の中で、映画監督、映画評論家、TVコメンテーターなどの顔も持つ落語家・立川志らくは自身のマルチな活躍になにを思うか?

落語の世界と幕末の時代をかけ合わせ、『幕末太陽傳』という日本映画史上に輝く大傑作を作り上げた、映画監督・川島雄三。幅広いジャンルを取り上げ、興味の赴くままに作品を積み上げていった、志らくも敬愛する不世出の異才が今年「生誕100年」を迎える。それを記念し、10月29日から11月4日まで、六本木俳優座劇場にて『幕末太陽傳』にちなんだ演目が上演される落語イベント『お江戸@ハート幕末太陽傳の巻』が開催され、志らくも本イベントに登壇。そこで、バラエティー豊かな作品を作り上げた川島雄三監督との密接な「つながり」を、このマルチな男の肉声から紐解いてみた。

「職業監督」だというのが川島雄三のすごく心惹かれるところです。

—「生誕100周年」を迎えたこともあって、今年は川島雄三が脚光を浴びていますね。

志らく:映画ファンのあいだでは、川島雄三はおなじみの監督だけども、世間的には小津安二郎、黒澤明などと比べると、これまであまりスポットが当たってこなかった。でも、ようやくこういう「異能の士」が受け入れられる時代になったんですね。川島映画を観るには、いまくらいがちょうどいい。

—その「いまくらいがちょうどいい」ということを、もう少しお話していただけますか。

志らく:川島雄三が好きなファンはね、「失敗作の中に当たりがある」って、かねがね言ってきたんです。公開当時、「なんだかよくわからない」と失敗作の烙印を押されたものが無数にあった。でもそれは、感覚的に先んじていただけで、いまだったら普通に面白い映画だと受け止めてもらえるはず。登場する時代が早すぎたんですね。

立川志らく

—以前、「喜劇映画を作ろうとしたら芸術映画になってしまった監督」と、川島雄三の研究本で定義されていましたね。

志らく:天才の中でも彼は「狂った天才」ですね。たとえ失敗作であってもどこかチャーミングであったり、ぶっ飛んだ革新的な作風であったりして、無視できない。それと「職業監督」だというのが川島雄三のすごく心惹かれるところ。

黒澤明は我を通し、自分のビジョンを追求することが許された監督じゃないですか。小津安二郎も同じで、好きな役者を使い、なにごとにもこだわりを貫き、誰も文句の言えない「小津王国」を築き上げた。

でも川島雄三の場合は、どんな題材でも会社から言われたら引き受け、だから酷い作品も平気で作っちゃったわけです。で、そうやって量産しているうちにヘンテコな作品も傑作も生まれ、とにかく多彩な作品がフィルモグラフィーの中に並んでいるんですね。それは、なんでも撮った「職業監督」だからこそ。

映画監督・川島雄三

—松竹大船から始まって、日活、東宝系の東京映画、大映と各社を渡り歩きながら、51本の作品を残しました。

志らく:目移りせずに、「ひとつのことだけやり遂げるのが職人だ」という考え方がありますよね。たとえば小津安二郎は「僕は豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言い、死ぬまで実践した。それはそれで素晴らしい。川島雄三だって文芸路線をやり続ければ、もっと評価が上がったかもしれない。けれども次から次へと作り、玉石が否応なく混合したんですね。

立川談志という落語家の人生を見てみると、余技が「糧」になっている。

—いろいろなことを試みる川島監督のスタイルは、もしかして志らく師匠にも通ずる面がありませんか。

志らく:川島雄三寄りの生き方というのは、そもそも私の師匠、立川談志がそうでしたからね。映画やテレビ、ラジオに出たり、国会議員になってみたりといろんなことをやって、「それは遠回りだ」と批判されたんだけど、結局はいちばんの近道だった、と。

—「近道」というのは、本業の落語のための近道?

志らく:そうです。面白い落語家、魅力的な落語家になる近道ですね。参議院議員に当選した折も「政治なんかやるからライバルの古今亭志ん朝(東京都出身の落語家、3代目 古今亭志ん朝)と差ができた。政治さえやらなければもっと上手くなったのに」と揶揄されたんですが、立川談志という落語家の人生を見てみると、本業以外が「糧」になっている。

談志はね、不機嫌な日は高座がボロボロだったりした。だから「志ん朝はいつでも90点台の芸を見せる。談志は120点のときもあれば5点のときもある」とクサされた。でも、5点のときもあるから談志は面白い。なぜ面白いかっていうと、いろんなことをやり、しくじったりもして、それが人間的な幅に還元されたから。その清濁併せて、みんなが愛したわけです。

だから私は、川島雄三の生き方にも共感します。ところがね、言われるんですよ。「『ひるおび!』のコメンテーターやバラエティーなんかに出てたらダメだ。一所懸命もっと落語をやらないと」って。なにを言ってるんだと思う。立川談志という最良の見本がすでにあるのに。

川島雄三が監督した『洲崎パラダイス 赤信号』場面写真

—なるほど。志らく師匠は若い頃、「立川ボーイズ」としてバラエティーに出たり、また、自主映画の監督や演劇公演もやられていますよね。

志らく:自分としては興味に従っているだけなんです。テレビの仕事も「この歳になって面白くなってきた。じゃあやってみようか」っていう。古典ひと筋の人間がいきなり変貌したら、おかしいかもしれないけれども、いままでも落語以外の活動をしてきたのだから、私の中ではなにも変わりはないんです。

—ちなみに、『ひるおび!』のコメンテーターの面白さとは?

志らく:テレビは全部、「即興大喜利」なんですよね。台本がなく、あるのは進行表のみ。『ひるおび!』の場合は巷を騒がせている有象無象についてのお題を出されて、そこで答えるわけです。ほかのバラエティー番組でも、誰かの発言に負けないよう、極力ひねりを効かせたことを述べていく。

しゃべるのは自分のテリトリーですから。クイズ番組にあまり出ないのは、フラストレーションが溜まると思うので。林修先生に負けないくらい、広範囲にものを知っていれば別だけど、私は知識が偏っているからね(笑)。

落語の本質っていうのは音楽と同じで、音楽的な才能がない人にはできないんですよ。

—川島雄三の作品の中でも、特に人気が高いのは1957年度の「キネマ旬報ベスト・テン」で第4位にランクインした『幕末太陽傳』。「落語の世界」と「幕末の乱世」を絶妙に掛け合わせ、現代にも息づく人間模様を活写した本作には、いくつもの古典落語のエッセンスがまぶしてあります。

志らく:軸となる噺は「居残り佐平次」と「品川心中」ですね。「居残り佐平次」の主人公・佐平次は、落語においてはスーパースターみたいなキャラクターです。と言っても銭も持たずに、仲間を引き連れて遊郭で飲めや歌えの大騒ぎをし、朝方、仲間を帰したあとでひとり「居残る男」ですけど。

—主演はフランキー堺さん(昭和を代表する俳優、コメディアン、司会者)。このキャスティングが大きいですね。

志らく:佐平次を演ずることができたのは、当時でいえば、フランキー堺か、あるいは渥美清(俳優、『男はつらいよ』シリーズの車寅次郎役を務めた)か……そのどちらかでしょうね。ほかの二枚目役者だとそぐわない。佐平次というのは落語の中に出てくる粋でいなせな、しかし、なんともくだらない人間で、それをフランキー堺が見事に具現化しています。

『幕末太陽傳』場面写真

—セリフの一つひとつ、口跡の鮮やかさにグッと心を掴まれます!

志らく:あと、動きのキレにもね。落語の本質っていうのは音楽と同じで、音楽的な才能がない人にはできないんですよ。そう考えると落語ファンが、知っている噺を繰り返し聞くのもよくわかると思います。つまりそこには「歌詞とメロディー」と、それを増幅させる演者のパフォーマンスがあるんです。石川さゆりの“津軽海峡・冬景色”をなん遍も聴くように、落語を聞いている。

川島雄三に負けず劣らず、フランキー堺は落語が大好きで、落語を熟知した人だからこの映画にハマったんですね。しかも、元ドラマーのジャズマン出身なので、フランキー堺が居残り佐平次として四方八方に動き回ることによって、グルーヴィーなメロディーが生まれてくる。『幕末太陽傳』は落語の持つ軽快なリズムを見事に表現しているんです。

映画『幕末太陽傳』ポスター

談志師匠は、『幕末太陽傳』自体は認めていたけれども、「佐平次の描き方が違う」と言っていました。

—共演者も贅沢な布陣。その中で公開の前年、1956年に映画デビューし、「太陽族」のシンボル的な存在だった石原裕次郎に、幕末の志士・高杉晋作役をあてがっているのが川島監督らしいですね。

志らく:不良の代名詞だった「太陽族」と幕末の志士を重ね、皮肉を込めていますね。と同時に、人気が沸騰していた石原裕次郎を起用することによって、世間の注目を集めるという商売的な計算も入っています。裕次郎はちょっと気の毒というか、ダシに使われている。

世間的には「カッコいい男」の象徴だったんだけど映画全体を通すと、高杉晋作は佐平次に男っぷりで落ちる、つまり裕次郎よりもフランキー堺のほうが断然カッコよく見えるんですよね。いまで言うイケメンの横に二枚目ではないフランキー堺を持ってきて、カッコよくしてしまうワザ。観客は「裕次郎よりもイケてるっていうのはどういうことだ!?」と驚く。ここらへんが川島雄三の心憎い演出なんです。

『幕末太陽傳』のいち場面。左からフランキー堺、石原裕次郎

—談志師匠は、『幕末太陽傳』をどのようにご覧になっていたのでしょうか?

志らく:作品自体は認めていたけれども、「佐平次の描き方が違う」と言っていましたね。それは自分が高座でやる「居残り佐平次」のほうがいいってことです。落語家としてのプライドがあったのでしょう。

佐平次は結核とは言っているが、実は病気で居残りをしているのではない、という談志の美学があった。これは解釈の問題で、映画だと結核で、本当に自分の寿命がわかっているから居残りをしているようにも見える。談志は「居残りが好きだからやっているんだ」と。

—それは興味深い、解釈の違いですね。

志らく:私は、映画よりも落語の優位性を説く談志の気持ちもわかるし、川島雄三がなぜこれを病気にしたのかもわかる。ただ、結核の解釈については、フランキー堺の意見なんです。もしかしたら川島雄三は、談志と同じ考えだったのかもしれない。頭がぶっ飛んでいた人だったから。

有名なエピソードですが、『幕末太陽傳』のラストは、大胆にもスタジオから飛び出して、「現代の街を佐平次が走っている」ようにしたかったのだとか。さすがに周りから反対され、フランキー堺にも否定されて諦めた。

でも、いまの時代の観客だったらそれ、理解できるでしょ。ただただ居残りが好きな変なヤツが、最後には「江戸時代から現代へと飛び出してきちゃった」という作り方をしても。『ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督、2017年)のラストシーンみたいな感覚で描ける。やっぱり川島雄三は早すぎて、しかも狂った天才監督だったんだね。

「バカなヤツは殺しちまってもいいや」なんて人間の業を肯定するのが、落語のすごいところなんです。

—その『幕末太陽傳』にリスペクトを捧げつつ、日替わりで、平成落語・講談界の名人上手たちが、作品と縁のある演目を上演するスペシャルな寄席イベント『お江戸@ハート 幕末太陽傳の巻』が開催されます。多彩な出演者の中、志らく師匠と柳家喬太郎師匠が廓噺「品川心中」を上演されますね。

志らく:喬太郎がどこまでやるかわからないけれど、私は「上」「下」を通してやります。「品川心中」はたいてい、真ん中で切って「上」だけで終わらせてしまうのが主流で、「下」は噺が陰惨でオチもわかりづらいので、高座にかける人がほとんどいないんです。

でも『幕末太陽傳』には「下」のパートも出てくるので、触れる必要があると思ったし、従来のオチとは違うのを考えました。こういうイベントだからこそ、「通し」でお聞かせしたい。それから「品川心中」を選んだのは、『幕末太陽傳』に出ている役者の中でフランキー堺に匹敵するほど秀逸なのが、左幸子(富山県出身の大女優)だからなんですよ。

「品川心中」を聞いていて、遊女のお染を脳裏に思い浮かべたとき、落語ファンの誰もがイメージするのが『幕末太陽傳』の左幸子なんです。「よくぞ!」というくらい、ドンピシャな配役で、私の演じるお染も相当意識しています。

—せっかくなのでここで『幕末太陽傳』を通して、「品川心中」について簡単にご説明していただいてもよろしいですか。

志らく:廓に出入りしている貸本屋の金蔵という男が登場するんですね。で、左幸子演じるお染にこの金蔵が心中をふっかけられるんです。客が減り、いろいろと金の工面もできなくなったという理由で。でも死ぬにしてもひとりきりではみっともなく、やはり道連れがいたほうがいい。ところがなかなか相手が見つからないから、いちばんバカな奴を連れてきて、「こんなヤツ、殺してしまってもいいだろう」って。

ここが落語のすごいところですよ。「バカなヤツは殺しちまってもいいや」なんて人間の業(ごう)を肯定する。それでいざ、心中をしようとするんだけど、お染は金蔵を先に桟橋から突き落としたあと、金の目当てがついたことがわかって、金蔵を助けずに逃げちゃう。幸い、死ななかった金蔵は、幽霊になってお染を脅かす、っていうのが『幕末太陽傳』の中の、「品川心中」の概略ですね。これに「居残り佐平次」をうまくリンクさせているんですよね。

—イベントでは春風亭一之輔師匠だけが「居残り佐平次」を上演されますが、「品川心中」とどちらにするか、悩まれなかったのですか?

志らく:「居残り佐平次」はね、私もやるネタなんだけども、難しいんです。正直、一之輔に対して「よくやるな」と思った。本当に濃い落語ファン対象にならできるんですよ。でも、今度のような不特定多数のお客さん相手だと、「居残り佐平次」は到底できない。なぜならば落語を聞きこんだ人が、演じ手の解釈も込みで「面白えな」って感じる噺だから。その点、「品川心中」はマニアな人も、落語をあまり聞いたことのない人も、楽しめる落語です。

ましてや川島雄三をリスペクトしながら「居残り佐平次」を、「映画はすごいでしょ、落語も面白いでしょう」っていうのはできないですよ。どうやってもフランキー堺の佐平次には勝てないですから。談志や古今亭志ん朝師匠が出てくれば勝てるんだけども、現存の落語家で、この映画に勝てる佐平次を演じられる者はいない。だから一之輔、ものすごい冒険をしていると思います。もしくはなにも考えていないか、だな(笑)。

—とすると、落語の映画化というのは、親和性があるようでいて……。

志らく:ええ、すごく遠くて、難しいものですね。落語を本当に理解し、愛している人が『幕末太陽傳』のやり方をベースにして作れば、名作が生まれる可能性はありますが。落語っていうのはストーリーの面白さではないんですね。ナンセンスで非常識なキャラクターだとか、出てくる人間の面白さであって、ストーリーはどうでもいいようなものなわけですよ。

『幕末太陽傳』の場合は、「居残り佐平次」を中心に「品川心中」、「文七元結」「三枚起請」「お見立て」など、センス良くいくつかの古典落語、遊郭の噺を紡ぐことによって、ストーリーができあがっている。端々に落語の匂いをちゃんと残しつつ、映画として成立させた。それが『幕末太陽傳』の最大の成功のポイントなんですよね。

『幕末太陽傳』場面写真
イベント情報
『お江戸@ハート 幕末太陽傳の巻』

2018年10月29日(月)~11月4日(日)
会場:東京都 六本木俳優座
出演:
立川志らく
柳家喬太郎
桃月庵白酒
春風亭一之輔
高田文夫
松村邦洋
神田松之丞
立川志らら
寒空はだか
坂本頼光
料金:全席指定4,800円
主催:日活、ADKアーツ

プロフィール
立川志らく (たてかわ しらく)

落語家、映画監督(日本映画監督協会所属)、映画評論家、劇団主宰、TVコメンテーターなどバラエティー豊かに活躍。1963年、東京都生。1985年に立川談志に入門。1995年に真打昇進。また、寅さん博士、昭和歌謡曲博士の異名も持つ。



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