濱野夏椰(Gateballers)、澄んだ眼の奥の感性と才能に皆が惚れる

Gateballersが、3rdアルバム『Infinity mirror』を9月4日にリリースした。後藤正文主催の音楽賞『APPLE VINEGAR Music Award 2019』にノミネートされた前作『「The all」=「Poem」』も素晴らしかったが、本作もまた素晴らしい作品だ。この音楽をなにかしらにカテゴライズすることに意味はないかもしれないが、もし僕に「バンドミュージックの現在地はどこだ?」と問う人がいれば、僕はこの『Infinity mirror』を、その人の目の前に差し出すだろう。「これが『今』なんだ」と。そのぐらい、今、Gateballersが鳴らす音楽は速く、立体的で、多声的で、普遍的である。

とても澄んだ眼を持つこのバンドのフロントマン・濱野夏椰は、デビュー以降、小山田壮平や下津光史といった才能たちとのつながりのなかで語られることも多かったが、もうそろそろ、彼自身がスポットライトを浴びるべきだろう。そういう気持ちで、今回僕は濱野夏椰の単独インタビューに望んだ。二日酔いで申し訳なさそうに現場に現れた濱野との会話は2時間にも及んだが、本当にいい時間だった。この時間が少しでも伝わればいいと思って、原稿を作った。

どうしても記事に入れ込むことができなかった部分をここで抜粋しておく。アルバムの1曲目“スーフィー”は、「イスラム神秘主義」ともいわれる「スーフィズム」の詩人、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩に、濱野が出会ったことから生まれたという。濱野曰く、スーフィズムとは「簡単に言うと、自分と自分以外のものの境界線を踊ってなくしちまおうっていう思想」だそうだ。こういうことを歌う音楽が今ここにあることを、あなたはどう思うだろうか。実際にその耳で聴いてたしかめてみてほしい。もちろん、そこであなたが感じたことを他の誰かと共有する必要は、特にない。

夏椰(かや)という名前は、ボブ・マーリーの“Kaya”という曲からきている。

―「夏椰(かや)」って、素敵なお名前ですよね。

濱野:この名前は、ボブ・マーリーの“Kaya”という曲からきていて。

―そうなんですね。

濱野:この曲が入っているアルバムのタイトルも『Kaya』(1978年)なんですけど、俺はこのアルバムが、ボブ・マーリーのなかで一番好きなんです。同時期に『Exodus』(1977年)というアルバムも出しているんですけど、そっちは「ふざけんじゃねえ!」っていう感じでブチ切れているんですよ。でも、『Kaya』は愛についてしか歌っていなくて。そっちのほうが、かわいくて好きなんです。

―名は体を表すというか、濱野さんが作る音楽とも非常にマッチするお話ですね。

濱野:そうかもしれないです。俺は本当にシンプルに音楽に安らぎを求めているし、生まれたばかりの赤ん坊が泣くように、音楽を作りたいって思っているんです。

濱野夏椰・Gateballers(げーとぼーらーず)
メンバーは、濱野夏椰(Gt,Vo)、本村拓磨(Ba)、久富奈良(Dr)、内村イタル(Gt,Sam / サポートメンバー)。2013年5月に東京にて結成。2014年11月に濱野は小山田壮平(AL / ex.andymori)らと共にレーベル「Sparkling Records」を設立。濱野は「ポカリスウェット」と『FUJI ROCK FESTIVAL』のコラボCMにてギターを演奏するなど、活動の幅を広げている。2019年9月より開始される『小山田壮平バンドツアー2019』に濱野がGt、久富がDrで参加。Ba.本村はカネコアヤノBANDに参加中。
ボブ・マーリー『Kaya』を聴く(Apple Musicはこちら

―Gateballersがバンドとして目指す音楽は、言語化すると、どんなものだといえますか?

濱野:Gateballersって、メンバーそれぞれの好きな音楽が全然違うんですけど、最初に「どんな音楽をやろうか?」って話したときに、唯一、満場一致で「これはテーマにしたいね」ってなったのがジョン・レノンの『ジョンの魂』(1970年、The Beatles解散後初のソロアルバム)だったんですよね。「あのアルバムが一番ヤバいよね」って。

あれは、完全にプライマルスクリーム療法(原初療法)で、ジョンが裸になったアルバムですよね。音も全然気が利いていないんだけど、それゆえに、生々しすぎるほどの「時間の保存」がされている。そこに、みんながあのアルバムを手に取る理由があるような気がして。

ジョン・レノン『ジョンの魂』を聴く(Apple Musicはこちら

Gateballers

―「時間の保存」というのはとても面白い表現だと思うんですけど、それは濱野さんが音楽に求めるものでもある?

濱野:そうですね。レコーディングは「時間の保存」だと思う。俺はレコーディングにおいて、上手に弾けたか下手だったかとか、そういうことを周りが驚くほど気にしていないんです。それよりも、たとえば3日間レコーディングしたなら、その3日間でみんなが笑っていたことのほうが音楽には出ると思う。そのくらい、素敵な曲は、素敵な録られ方をしていたんだろうなって思うんです。

東京で暮らし始めて6年経つんですけど、なにが足りないって、海が足りないんですよね。

―それは、最近気づいたことですか? それとも、昔から変わらずに思い続けていること?

濱野:俺は16歳くらいの頃から曲作りを始めたんですけど、エリック・サティの“Gymnopédies”みたいなのがずっと好きなんです。目的のある音楽というか……目的があるんだけど、その目的ゆえに、場所と人を選ばない音楽。誰がいつ聴いても「その景色」が見える、そこに連れていってくれる。Procol Harumの“青い影”とかもそうですね。オルガンの音がすごくて、絶対に「連れていってくれる」んですよ。

エリック・サティ“Gymnopédies”を聴く(Apple Musicはこちら

Procol Harum“A Whiter Shade of Pale(邦題:青い影)”を聴く(Apple Musicはこちら

―なぜ、音楽によって時間を保存することにそこまで敏感なのだと思います?

濱野:なんでだろう……親父がエンジニアだったのは大きいかもしれないです。子供の頃から親父のレコーディング現場へ遊びに行っていたので、かなり早い段階から、スタジオでやることとライブでやることの違いには敏感でした。ライブは「時間の保存」じゃなくて、お客さんも含めた、もっと大きな「時間の共有」なんだなぁとか、昔から考えていて。

自分の作品は大体全部、地元の伊豆のスタジオで録っているんですけど、たまに東京のスタジオで録ると、「時間の流れ方が全然違うな」って思うんです。伊豆のスタジオは歩いて3分で海に出られるような場所で、めちゃくちゃ静かなんですけど、そこでの1秒と東京での1秒って全然違うんですよね。環境的にすごく恵まれていたからこそ、濃い時間を過ごすことにも、それを保存することにも敏感になったのかも。

濱野:俺、年々、「海が描きたい」っていう気持ちが強くなっているんですよ。

―それは、原風景に回帰していくような感覚なんですかね?

濱野:そうですね、海辺で生まれて、海辺で育ったので。東京で暮らし始めてから6年くらい経つんですけど、なにが足りないって、海が足りないんですよね。最近はずっと、「目指すのは海だな」って思ってます。

インドへ10日間ライブをしに行ったんです。そこから、自分が立つ座標を意識するようになりました。

―新作『Infinity mirror』はどうですか。ご自身のなかで、目指すべき場所に近づけている感覚はありますか?

濱野:今回のアルバムは、まったく意図していなかったことになりました。でも、レコーディング中はずっと笑っていたので、オーケーです(笑)。

―(笑)。前作『「The all」=「Poem」』(2018年)も本当に素晴らしいアルバムでしたけど、今作も最高のアルバムでした。まず、Gateballersは編成としてはプリミティブなロックバンドだけど、音の作り方に関しては、サンプリングも多用されているし、ものすごく緻密に音が構築されていますよね。

Gateballers『Infinity mirror』を聴く(Apple Musicはこちら

濱野:前のアルバムを作っているときに、「ロックバンドだからギターを弾く」みたいなことがよくわからなくなっちゃって。「バンドといえばこういう音だよね」みたいな、パターン化されたものを廃したかったんです。「そんなことよりも、一番偉いのは曲だろう?」って。

それで、右と左のチャンネルみたいな話じゃなくて、もっと奥行きや耳との距離っていう点で「どの音が、どういう色で出るか?」みたいなことを意識しながら、いろんな機材を使ってミックスしていきました。イメージとしては、カンディンスキーの『コンポジション』みたいな感じ。

Gateballers『「The all」=「Poem」』を聴く(Apple Musicはこちら

濱野:そうやって、前のアルバムは米を一粒ずつ洗うように時間をかけて作ったんですけど、今回はどちらかというと、もっとシンプルなものにしたいっていう感じでした。音数も前より減ったし、もっとすごいことができたような気がしています。レコーディング中は、「フレーズに迷ったら、ギターをジャ~ンって弾いて右手を挙げよう!」みたいな感じだったんですよ(笑)。

―その意識の変化は、どのようにして起こったのでしょう?

濱野:去年の年末に、インドへ10日間ライブをしに行ったんです。そこでの経験がよかったのかなって思います。前よりも、自分のいる座標を意識するようになりました。

前は、もうちょっと背伸びした場所で曲を作っていたんだけど、「俺は今ここにいるんだから、ここでやるよ」っていう感じになれたかなって思います。それが、「ギターをジャ~ンって弾こう」という意識につながっていった気がする。

―「今ここにいる自分」を意識するようになったというのは、インドでなにがあったんですか?

濱野:本当に、いろいろありました。僕らがライブをしたのは、バラナシというシヴァ神の聖地だったんですけど、そこは火葬場のために作られたような街で、1日中、死体が燃やされているんですよ。そこで、たまたま僕らが川をクルーズしているときに、妊婦の死体が流れてきたんですよね。聞いた話だと、どうやら妊婦と、小さい子供と、蛇に噛まれた人は火葬してもらえないらしくて。

あと、物乞いが「お前のカルマを清算したければ、俺に金を渡せ」っていう感じでくるんですよ。「そうすることで、お前は善人になれるから」って。それに対して、最初は「No」って言っていたんですけど、それだと話が噛み合わないんですよね。「嫌ってどういう意味だ? 払ったほうがいいに決まっているじゃないか」ってなる。でも、「No, thank you」っていうと、「あぁ、お前はそっち側の人間ね」っていう感じになるんですよね。

―物乞いの人は、「お金をください」っていう感じじゃないんですね。

濱野:そう、「もらってやるよ」っていう感じです。

濱野:インドって、本当に人が多いんですよね。バイク屋さんひとつ取っても、ハンドルを売る人、ハンドルのネジを売る人、ガソリンを売る人……って分業されていて。人が多すぎるから、仕事をわけないといけないらしいんです。それにカーストもあるから、おでん屋さんの子供はおでん屋さんにしかなれない、とかもあるし。

―日本ではなかなか得ることができない視角から、人を見る経験になりそうですね。

濱野:そうなんですよね。俺、インドではずっと、うんこを踏まないように下を向いて歩いていたんです。なので日本に帰ってきたとき、空港で空を見上げられることすら衝撃だったんですよ。「10日間ぶりに空を見たね」とか、みんなで言っていて。上を向いて歩けることすら恵まれているだなって気づいて。そこで思うのは……結局みんな、生まれてくる環境は選べないじゃないですか。

―はい。

濱野:でも、そのうえで、めちゃくちゃ選びながら生きているわけですよね。「どっちから靴を履くか?」とか、そういう潜在意識的な部分でも、日々、人はめちゃくちゃ選択している。だとしたら、自分がなにかを選択をするときに、その選択がコンプレックスとかで変な方向に捻じ曲がってしまってはいけないなって思ったんです。そうじゃないと、申し訳が立たない。

そういうところから、自分が立つ座標みたいなものを意識するようになったんだと思います。「自分のやることを、軽くやったらダメだな」って思った。俺は今回のインドが初の海外旅行だったので、この経験は必ずアルバムに落とし込めたらなって思っていたんですけど、結果として、今までで一番、ラブリーで優しいアルバムになったと思っています。

団塊の人たちって、「ルール」がひとつしかない感じがしたんですよね。でも、ルールは、たくさんあったほうがいい。

―「ラブリーで優しいアルバム」というのは、意図してそうなった?

濱野:そうですね。「誰も傷つけないようにしよう」って思ったんです。でも、「傷つけちゃいけない」ということではなくて。動いてもしゃべっても、人は人を絶対に傷つけてしまうから。傷つく人は勝手に傷つくし、傷つけちゃうときは傷つけちゃうんだけど……。

でも、なるべく楽しいものにしたかったし、特に詞はかなり気をつけました。最初に何行もかけて自分が言いたいことを全部書いて、そこから偶数の行を削る、みたいな作り方をしたんです。そうすれば、自分が言いたいことは残したままで、どうとでも受け取れるようになるから。今回のアルバム、攻撃的な曲はあんまりないと思うんですよ。

―たしかに、攻撃性は感じないアルバムだと思います。裏を返すと、これまでのGateballersの曲には、なにかに攻撃する部分もあったと思いますか?

濱野:うん……ちょっとはあったかもしれないです。

―たとえば、最初期の楽曲に“1992”という曲があるじゃないですか。あの曲にはどこか濱野さんの世代感とか、それゆえに感じる社会との軋轢が込められているように思えたんですよね。当時の感覚を、いま言葉にしてもらうことはできますか?

濱野:“1992”は18歳くらいの頃に書いた曲だったんですけど、当時は、見えないルールとか、「暗黙の了解」みたいなものが嫌だったんですよね。その頃、いわゆる「団塊」と呼ばれる人たちの考え方が怖かったんです。毎日、バイト先のおじさんと喧嘩していて、「あの世代の人たちとは絶対にわかり合えないんだな」と思ってゾッとしていて。だから“1992”は、「わかってくれ」って歌っていたんです。

―当時の濱野さんが感じていた団塊世代への違和感って、どのようなものだったのでしょう?

濱野:団塊の人たちって、「ルール」がひとつしかない感じがしたんですよね。「成り上がれ!」みたいな。でも俺らの世代は、「ルールはたくさんあったほうがいい」と思っている人が多いと思う。

あと、歳下っていうだけで舐められたり。そもそも、幼稚園児でも包丁を持っていたら俺のことは殺せるじゃないですか。だから、幼稚園児にすら俺たちはリスペクトを忘れちゃいけないと思うんです。

そういうのが本当の人間のルールだと思うけど、そういう当たり前のことが、団塊の世代の人たちには無視されてしまっている感覚があったんですよね。そういう当たり前のことよりも人間を下に置かなきゃ、ここまで経済とかが成長できなかったのは理解できるし、もちろん、誰かが悪いっていうわけでもないんだけど……。でも、自分は絶対にそこには入れないから。だから怖かったんですよね。

ずっと思っているんですよね、「体は入れ物」だって。

―今のお話、すごくよくわかります。そういう意識を持っていたところから、今作はどのように変化したんだと思いますか?

濱野:今回は、もっともっと、集合的無意識に向かおうとしたアルバムだと思います。政治も、愛も、入り込む余地がないくらいの集合的無意識。

濱野:たとえば、最後の“wedding dress”の歌詞とか、<ウェディングドレス脱げたまま / 雨上がりの匂いをずっと隠していた>というラインがなければ、本当にただ、集合的無意識との対話だけだと思う。会えない人に会おうとしている感じ、というか。なんでこんな歌詞になったかというと……夜の海って潜ったことありますか?

―ないですね。

濱野:夜の海に目を瞑って潜ると、めちゃくちゃ怖いんですよ。本当にただただ、温度を持つ虚無だけが広がっている感じで、本当にヤバくて。目の見えない人が海に入るとそうなるっていう話を聞いたことがあって、やってみようと思ったんですけど、その経験から“wedding dress”の歌詞は書いたんです。

Gateballers“wedding dress”を聴く(Apple Musicはこちら

―“wedding dress”には、<体は入れ物>というフレーズも出てきますね。

濱野:……ずっと思っているんですよね、「体は入れ物」だって。自分の大きさもよくわからない。俺は、体が嫌いなんだろうと思うんですけど(笑)。

―「濱野さんは体、嫌いそうだな」って、歌詞を見て思いました(笑)。たとえば、インターネットの世界に居場所を作ってしまえば、そこでは体を無化できるじゃないですか。でも濱野さんは、そっちには興味なさそうですよね。

濱野:そうですね。そっちに向かっていく人の気持ちは、めちゃくちゃよくわかりますけどね。今はもう、「ネットとリアル、どっちが現実か?」なんて誰も考えないと思うし、リアルが夢の世界になる可能性だって大いにあると思う。

でもネットって、情報が入ってくるのが目と頭だけだから、あまり好きじゃないんですよね。俺にとっては(肌を触りながら)こっちのほうが大事というか……あれ? 体、嫌いだったはずなんですけどね(笑)。好きな部分もあるのかな……。

―体を通して得ることができる実感も濱野さんは捨てきれないし、そこにあるたしかさも、すごく信じているんでしょうね。濱野さんの作る音楽には、「体」とか「言葉」とか、そういう人間を雁字搦めにして苦しめるものから解き放たれてしまいたいっていう大きな理想と、「そんなことは絶対にできっこないんだ」っていうリアルな感覚がせめぎ合って刻まれていると思うし、そこがなによりも魅力的だと思うんです。解脱しきれないからこそ、聴き手に寄り添うことができるというか。

濱野:うん、そうかもしれないです。神の視点になっちゃったら危険だなって思う。

これまでの世の中の多くがうまくいかなかった理由って、「人間は常に1対1なんだ」ということを忘れてしまっていたからだと思うんです。

―濱野さんのような感性って、たとえば1960年代だったら、「ヒッピー」とか、「サイケデリック」とか、そういう言葉に象徴されるような大きなムーブメントの一部になっていたかもしれないですよね。でも、今の時代はもう、音楽がそういう大きな動きを生み出すことに関しては、ほとんどなにも期待できない状態でもある。

濱野:俺も、そういうムーブメントみたいなものには、なにも期待していないです。

―うん。

濱野:これまでのムーブメントとか、世の中の「ルール」や「暗黙の了解」の多くがうまくいかなかった理由って、結局、「人間は常に、絶対的に1対1なんだ」ということを、そこにいる人たちが忘れてしまっていたからだと思うんです。俺は「1対1」ということを忘れたくないし、そのために絶対に無理はしないし、嘘はつかないです。

このアルバムも、歌っていることはヒッピーっぽいことだったりもするけど、「幻覚を見よう」とか「トぼう」みたいなことじゃなくて。「このアルバムの曲を聴いたから、その人の人生が変わる」ということはないと思うけど、日常生活のなかで、横断歩道を待っているときとかにちょっとでも、この音楽のことを思い出してくれたらいいじゃんっていう……そんなくらいの感じなんですよね。

―見る景色や感じるものを聴き手に強要する音楽ではないっていうことですよね。

濱野:1曲目の“スーフィー”の歌詞に<ピンクレモネードの夕陽この目で見たけれど 言葉にできないから変わって行く俺を見て>って書きましたけど、実際にインドで、ピンクレモネードの夕日を見ることができたんです。でも、俺が見たあの夕陽の綺麗さを誰かに説明したところで、それは全然意味がないんですよね。そもそも、みんなで綺麗な景色を見ることに、本当は意味なんてないと思うし、綺麗な景色が綺麗であることにも意味はなくて。

「それ」がそこにあって、「それ」を見た俺が変わっていく。それだけに価値があると思うんです。最近はみんな、ご飯や景色の写真をバンバン撮って見せてくるけど、「そうじゃないんだけどなぁ」って思う。

―自分が見たものや感じたものを他者と共有できないことを、さも、人は悲しいことのように言うけど……。

濱野:それは普通のことだと思います。「これが綺麗なんです」って言われて、「わー、綺麗」で終われるんだったら、音楽や写真なんていらなくなっちゃう。わからなくていいんですよ。俺もわからないから、自分の音楽のことが。

太宰治の『人間失格』を読んだときに「なんで俺のことが書いてあるんだろう?」って思うような、あの感覚で聴き手とつながることができたらいいですよね。

―さっきおっしゃっていた、最初に全部書いて、そこから削っていくという歌詞の書き方は面白いなと思うんですけど、そうやって抽象性を高めていくやり方は、この先も突き詰めたい部分ですか?

濱野:そうですね。今回のアルバムでいうと、“Summer surrender”とか、“All miracle”みたいな曲は理想形に近いですね。このへんの曲は、非常に詞が少ないじゃないですか。本当はもっと短くしたくて、2行の詞で、3分くらいの尺の曲が成立する音楽をやりたいなって思う。

―詩人で好きな人はいますか?

濱野:ずっと谷川俊太郎が好きですね。あとは、ビートニク系の詩人も好きです。でもやっぱり、谷川俊太郎が一番ヤバいと思う。あの人が17歳のときに書いた『二十億光年の孤独』(1952年)の詩とか、カメラワークがヤバいんですよ。斬新すぎる。どれくらい意識してやっていたのかわからないけど、「ここで女の人がしゃべっていたのに、なんで急におじさんになるんだろう?」みたいな、唐突に切り替わっていくカメラワークがものすごく刺激的で、好きですね。

―そういう部分って、濱野さんの場合、音楽にも表れていますよね。先ほど「今作はシンプルに作った」と意っていましたけど、とはいえ今作の楽曲も、相当いろんな音が立体的に積み上げられることで構築されているじゃないですか。サンプリングも多用されていますけど、それこそサンプリングって、その音楽のなかにある「声」や「視点」を増やすことができる手法だと思うんです。それは、今言ってくださった谷川俊太郎のカメラワークの話にも通じる気がします。

濱野:たしかに、サンプリングは好きです。今回のアルバムだと、たとえば“Summer surrender”には自分の彼女の声がサンプリングされているし、“スーフィー”の冒頭部分にはGarageBandでグチャグチャにして作った音を入れていたり、あとはインドで俺がiPhoneで録った音もこのアルバムにはかなり入っています。

Gateballers“Summer surrender”を聴く(Apple Musicはこちら

濱野:知り合いの画家で、1枚のキャンバスのなかに、全然違う道具を使った、全然違う画風の絵を、全部つなげて描く人がいて。そういう感じで、まったく質感が違うものを並べて置く、みたいなことが音楽でやりたいんですよね。そうすることによって、インナーな質感のものになるというか、精神世界に入れるような気がする。きっと、人がそこに意味を求めるからだと思うんですけど。

―わかります。ビートニク文学におけるカットアップの手法とか、シュルレアリスムの作品なんかも、同じような効能がありますよね。一見なんのつながりも持たないものが並んでいて、違和感があるんだけど、その違和感が不思議と見ている者の精神に接着していくような感覚がある。

濱野:まさにそうですね。そういう意味でも、サンプリングはかなり使っています。でも、なるべく自分で録った音を使いたいっていうのは前提にあるので、俺の音楽は、ものすごく個人的なものになっているんだろうなって思います。

でも、そのうえで、この音楽を聴いた人が「これは私の歌だ」って思ってくれたらいいなという気持ちも、ずっとあるんです。太宰治の『人間失格』を初めて読んだときに、「なんで俺のことが書いてあるんだろう?」って思うような、あの感覚。ああいう感覚で聴き手とつながることができたら、すごくいいですよね。そのための言葉を探している感じがします。

リリース情報
Gateballers
『Infinity mirror』(CD)

2019年9月4日(水)発売
価格:2,484円(税込)
PSCM002

1. スーフィー
2. 愛の速度
3. 船底
4. Summer surrender
5. Rooftop
6. neji
7. All miracles
8. Moon river
9. 光のふもと
10. wedding dress

イベント情報
『Gateballers 3rd ALBUM「Infinity mirror」レコ発ツアー』

2019年10月4日(金)
会場:大阪府 梅田 Shangri-La
出演:
Gateballers
ベランダ
ARSKN
Newdums(Opening Act)

2019年10月11日(金)
会場:福岡県 Kieth Flack
出演:
Gateballers
HAPPY
the perfect me

2019年10月13日(日)
会場:広島県 4.14
出演:
Gateballers
愛はズボーン
ARSKN

2019年10月17日(木)
会場:宮城県 仙台 LIVE HOUSE enn 3rd
出演:
Gateballers
キイチビール&ザ・ホーリーティッツ

2019年10月20日(日)
会場:愛知県 名古屋 CLUB ROCK'N'ROLL
出演:
Gateballers
HAPPY

2019年11月7日(木)
会場:東京都 代官山 UNIT
出演:
Gateballers

Helsinki Lambda Club

プロフィール
Gateballers
Gateballers (げーとぼーらーず)

メンバーは、濱野夏椰(Gt,Vo)、本村拓磨(Ba)、久富奈良(Dr)、内村イタル(Gt,Sam / サポートメンバー)。2013年5月に東京にて結成。2014年11月に濱野が小山田壮平(AL / ex.andymori)らと共にレーベル「Sparkling Records」を設立。2016年3月に1stアルバム『Lemon songs』、2018年2月に2ndアルバム『「The all」=「Poem」』をリリース。ASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文主催『APPLE VINEGAR -Music Award- 2019』に『「The all」=「Poem」』がノミネートされた。濱野は「ポカリスウェット」と『FUJI ROCK FESTIVAL』のコラボCMにてギターを演奏するなど、活動の幅を広げている。2019年9月より開始される『小山田壮平バンドツアー2019』に濱野がGt、久富がDrで参加。Ba.本村はカネコアヤノBANDに参加中。



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