仕事は「プレイ」に過ぎない。『無能の鷹』に見るビジネスの本質

昔から、日本人は働き過ぎと言われてきた。過酷な長時間労働こそ忌避されるようになったものの、「仕事に無我夢中で向き合う」姿勢そのものは、日本社会においていまも礼賛される傾向にある。SNSやビジネス系メディアには熱い仕事論があふれ、たくさんの「いいね」がつく。

もちろん、仕事にバリバリ向き合う人がいてもいい。ただ、それが「正解」であるかのような空気は、少し息苦しい。仕事至上主義の社会は、デキる人にとっては天国だが、デキない人には肩身が狭い。誰もが、自分のやれる範囲でマイペースに仕事をする。そんなおおらかさがあってもいい。

漫画『無能の鷹』(講談社)を読んでいると、そんな気持ちにさせられる。ITコンサル会社に勤める主人公の鷹野ツメ子は、いかにも仕事がデキそうなオーラを醸し出しているが、実際はまったくの無能。しかし、無能な自分を恥じることなくつねに堂々としていて、成長しようという気概もない。鷹野を見ていると、仕事のことで悩んだり落ち込んだりするのがなんだかバカバカしく思えてくる。

今回は『無能の鷹』作者のはんざき朝未さんと、SF作家であり、外資系コンサルタントファームにてITコンサルタントも務める樋口恭介さんのオンライン対談を実施。「やる気もなければ不満があるわけでもないので、ずっと(いまの会社に)居座っている」と語る樋口さんの考え方は、どこか鷹野ツメ子と重なるところも。お二人の、過度にがんばりすぎない仕事観についてうかがった。

「ラップアップのファシリテーター」。IT業界の横文字使いすぎ問題

―樋口さんは『無能の鷹』を全巻読まれたそうですね。

樋口:はい、めっちゃ面白かったです。

はんざき:ありがとうございます。

樋口:ぼくも主人公の鷹野さんたちと同じITコンサルティングの仕事をしていますけど、業界にいる人間から見ても実態が超リアルに描かれているなって思いました。

SF作家兼コンサルタントの樋口恭介さん

はんざき:本当ですか? 私自身はコンサル会社で働いたことはないので、リサーチはしたものの、想像で描いている部分もあって……。だから、本職の人と話すとすごく緊張するんです。

樋口:いや、めちゃめちゃリアルですよ。例えば1巻に出てくる、やたら横文字で喋るベンチャー企業の社長。「ビッグデータがサジェストしたカスタマーインサイトをデザインドリブンでフレームワーク化して……」みたいなセリフがあって、これガチだなって思いました。

協力会社の社長との打ち合わせにて、流暢な発音で相手の横文字を繰り返す鷹野(第3話より) ©はんざき朝未 / 講談社

はんざき:誇張しすぎって怒られるかなと思ったんですけど、本当にこんなに横文字だらけなんですか?

樋口:横文字、使いますね。実際には、「弊社独自のフレームワークを用いて、ビッグデータ解析の結果得られたカスタマーインサイトをデザインドリブンでUX改善につなげます」みたいな感じですかね。あと、作中の「ラップアップのファシリテーター」もめっちゃ言います。もうちょっとリアルに言うと、「次のミーティングではラップアップするだけだから、ファシリテーターお願いできる?」みたいな感じですかね。

はんざき:これは、会社員時代の取引先の人が言っていて、すごく耳に残っていたんです。やっぱり業界では一般用語なんですね。

樋口:あとは、面白いだけじゃなく、物書きとしても勉強になりました。『無能の鷹』って、基本的にミステリーの構造になっていて、伏線の貼り方と、ラストのどんでん返しの持っていき方がすごく上手ですよね。特に、さっきの横文字の回とTwitterの回(2巻、第8話)。鷹野さんを中心にいろんなすれ違いを巻き起こしながら、最後はいい感じで着地するのがすごいなと。

自社で開発した経費精算アプリのPRとして、Twitter運用を任された鶸田。鷹野に投稿をお願いしてみるが……(第8話より) ©はんざき朝未 / 講談社

はんざき:うれしいです。私も樋口さんが書かれたSF小説『構造素子』を読みました。すごく面白かったです。

樋口:ありがとうございます。SFお好きなんですか?

はんざき:はい。昔、就職活動に失敗してヒマだった時期に、ハヤカワSF文庫を一気に読んだんです。特に、ウィリアム・ギブスンが好きでした。簡単には読みこなせないんですけど、だからこそ本質を書こうとしているのが伝わってくるというか。樋口さんの『構造素子』にも同じものを感じて、すごく好きな作品です。

樋口:ありがたいです。ぼくもウィリアム・ギブスンは大好きです。そしてギブスンの文体はたしかに簡単には読みこなせないですね。ひたすらかっこよくはあるのですが、いま読んでもよくわからない(笑)。

「ホワイトカラーの仕事のほとんどは、無意味だと思うんです」

―『無能の鷹』の主人公・鷹野ツメ子さんはめちゃくちゃ仕事ができそうな風貌なのに、実際はまったくできず、先輩からは「シンプルにアホすぎる」とまで言われる始末です。でも、そのことをまるで意に介さないし、別に成長しようともしない。この鷹野というキャラクターに対して、樋口さんはどんな印象を持ちましたか?

樋口:鷹野さんは、「イメージに生きてる人」だと思いました。基本的に「デキる人」のイメージを、ただ単になぞっているだけ。働くことに対してやる気も使命感もないから「仕事ができない自分」に悩んだりもしないし、成長しようとも思わない。単に、その場その場のイメージで、なんとなく仕事をしている。

―たしかに、『無能の鷹』の第1話で、同僚の鶸田(ひわだ)くんから会社を志望した理由を問われた鷹野さんは「丸の内のオフィス街をパリッとした服でカツカツ歩いて、受付を社員証でピッしたかったの」と答えています。仕事を表面的な見栄えのイメージでしか捉えていない、その「何もなさ」には驚愕しました。

樋口:でも、そんなふうに雰囲気だけで仕事をしている鷹野さんが、最終的にはビジネスをいい感じに運んでいってしまうじゃないですか。これって、現代のホワイトカラーのビジネスの、わりと本質っぽいところをついているんじゃないかなって気がするんですよ。

ビル群を眺めながら入社の動機を語る鷹野(第1話より) ©はんざき朝未 / 講談社

―どういうことでしょうか?

樋口:生活必需品やインフラに携わっている労働者、それから医療従事者などのエッセンシャルワーカーは別として、後期資本主義において生まれてきたサービス業とかのホワイトカラーの仕事って、ほとんどが無意味だと思うんです。あってもなくても困らない、いわば「余剰の価値」をどんどん再生産して経済を回していこう、みたいなことをずっとしている。自分で言っててつらくなってきますが、コンサルティングなんて、まさにそういう仕事ですよね。

『無能の鷹』では、そういうコンサルの仕事を、(雰囲気だけ)なんか凄そうな鷹野さんが結果的にうまいことまとめてしまう。これって、ホワイトカラーワークの虚構性みたいなものを浮き彫りにしているような気がします。ようは、みんな自分が意味のある仕事をしていると思い込んでいるだけで、本当はクソどうでもいい仕事だったりする。去年『ブルシット・ジョブ』(著・デヴィッド・グレーバー)っていう本が話題になりましたけど、『無能の鷹』にもそういう批評性を感じるんですよね。

はんざき:ありがとうございます。実際には、そこまで深く考えられてはいなかったんですけど……(笑)。ただ、樋口さんがおっしゃるとおり、意味のある仕事、本当に必要な仕事って、そもそも減っているような気がしています。特に、コロナ禍で「不要不急の仕事」みたいなことを言われるようになり、余計にそう感じるようになりました。

私の(漫画家の)仕事もその一つだと思うんですけど、べつにそれを言われても気にならないというか、個人的にはまあそうだよねと思います。不要不急の仕事がいっぱいあるのは、それだけ文化的に豊かな証拠だと思うので。もちろん、お金を稼ぐ手段を禁じられてしまうことに対して怒るのは妥当だと思うんですけど、たしかに多くの仕事は不要不急だよなって。

みんなが「無能」になれば、仕事ができるとかできないとか、誰も気にしなくなる

―仕事の大半が不要不急だとすると、私たちはなぜそんなものを必死に頑張ったり、うまくいかずに悩んだりしてしまうのでしょうか。

はんざき:そもそも、社会が仕事というものに対して重きを置きすぎているように感じます。例えば、数年前のAIブームのときにテレビのニュースで「AIに仕事を奪われたら、人間の存在価値はどうなるんだ」みたいなことをよく言っていましたよね。そのとき、私は無職だったので、ちょっとイラっとしてしまって。「だったら、いまこの時点で無職の私は何なんだ! 仕事をしているだけで、そんなに偉いのか!」って(笑)。

そんなこともあって、『無能の鷹』を描こうと思ったところもあります。どうせ数十年後にはAIに仕事を奪われて、みんなが無能になるかもしれない。じゃあ、しょうがないよね、みたいな気持ちがありました。みんなが無能になれば価値観も変わってきて、仕事ができるとかできないとか、誰も気にしなくなるんじゃないかって。いつかそうなるなら、いまの時点でその価値観や考え方を持ったキャラクターがいてもいいんじゃないかと思い、ある意味、時代の先駆者として鷹野さんを描いています。

樋口:『無能の鷹』にもそういうエピソードありますよね。AIの大波に乗れずに淘汰される側になることに不安を覚えた先輩社員が、役立たずでも意に介さない鷹野さんを見て「鷹野を先輩と思おう……」ってなる話。

きたるべきAIの波に備え、仕事ができなくても会社に居座る覚悟を持とうと考える鷹野の先輩・雉谷(第5話より) ©はんざき朝未 / 講談社

―たしかに、堂々と無能を貫く鷹野さんを見ていると、仕事のことで思い悩んでいるのがバカバカしくなってきます。鷹野さんは時代の先駆者であり、彼女のスタンスはストレスフルな現代人にとっても見習うべきものかもしれません。

はんざき:ただ、私は仕事のことで悩んでいる人に対して、「鷹野さんみたいに生きればいいよ」と言うつもりはありません。そもそも、描いている私自身が正解をわかっていないですし、価値観のジャッジはしたくないんです。

だから鷹野さんの存在を肯定も否定もしませんが、個人的には鷹野さんの図太さというか、開き直りっぷりみたいなものには少し憧れます。彼女は、他人に認められたいと思ってないし、「自分の価値」みたいなことも深く考えない。仕事で自分の存在価値を示したり、自己承認を得たりする必要がない人なんですよね。

樋口:はんざきさん自身は、仕事で悩んだりするタイプですか?

はんざき:私自身は、鶸田くんに近いタイプだと思います。彼は仕事のなかに自分の存在価値を求めていて、うまくいかずにウジウジと悩むことも多い。私も自己肯定感は低いほうなので、わりと似ているかなと。

ただ、自分で描いているから当然なんですが、どのキャラクターにも私が少しずつ反映されていると思います。鶸田くんがいちばん近いけど、たまに鷹野さんのように「もう知らん」みたいな感じでヤケクソになることもあるし。人も社会もいろんなタイプがいるからこそ、全体的なバランスがとれるんじゃないでしょうか。

仕事なんて、それぞれの役割のなかで演じるただのプレイでしかない

―樋口さんは作家業のほか、外資系コンサルティングファームでも働いています。以前、CINRA.JOBのインタビューでは会社員の仕事を「やる気もなければ不満があるわけでもない」とおっしゃっていました。会社の仕事に生きがいや自分の存在意義を求めないという点では、鷹野さんに通じるものがあると感じるのですが。

樋口:そう、コンサルタントの仕事にやりがいとか満足感とか、何にも求めてないんですよね。でも、べつに仕事がつまらないとかイヤってわけじゃなくて、むしろ好きですよ。さっき「鷹野さんはイメージに生きてる」って言いましたけど、ぼくもわりとそんな感じで、その瞬間瞬間を楽しみながら仕事をしている気がします。

―特に楽しいと感じる瞬間は?

樋口:例えば、謝罪とかめっちゃ好きなんですよ。とんでもないキレ方をしているクライアントがいらっしゃったとして、そのときぼくが矢面に立たされて、「ヤバイ!」と焦りながらも可能な限り落ち着いて考え、頭のなかで組み立てたシナリオどおりに完璧な謝罪を実行して、コトをおさめるのが最高に気持ちいい。「すげえヤバかったけど、冷静沈着に対処する俺、マジでかっけぇ……」みたいな感じで、一人でドヤ顔してますね。

「今回の事象における原因は3つあると分析しておりまして、最初の防止策はこうで……」みたいな感じでシャキっと説明して、先方から「次から期待してますよ」みたいに言われ、最終的にいい感じで着地する。そうすると、「ああ、めっちゃ仕事したな」って、すごい満足感があるんです。やりがいとはまた違うかもしれませんが、謎のやりきった感がみなぎってきますね。まあ、それもまた無意味なことに仕事という活動を仮託しているという点で、ブルシット・ジョブ感がハンパないのですが……。

はんざき:それって、「謝罪する役を演じる」みたいな感覚なんですか?

樋口:そうですね。「地獄のミサワ」みたいなテンションで「それじゃあ、いっちょ土下座でもかましてきますか!」って感じですね。

「地獄のミサワ」はぼくにとってブルシット・ジョブを生き抜くための聖典です。大切なことがいろいろ書いてあると思います。メンツがつぶれちゃうとかどうでもいいことで不安になったり、プライドが高くて意地になったりして、謝罪できない人がたくさんいると思うのですが、どうせブルシット・ジョブなので軽く考えればいいと思います。最近の政治家はやらかしても全然謝罪しませんが、ぜひ「地獄のミサワ」を読んで、「ここで冷静にゲザれる俺、あまりにもクール……」みたいなマインドを身につけてほしいですね。

―しかし、謝罪にまで発展するトラブルってけっこう一大事だと思いますが……。

樋口:いや、じつはそういうことでもないと思います。まあ、たしかに線引きは自分のなかで持っておく必要があると思いますが、多くの場合はそんなに大したことじゃないです。人が死んだりとか路頭に迷ったりとか、そういうエッセンシャルなレベルでヤバイことが起きるってめったにない。たぶんクライアントも、ある程度はポーズで怒っているところもあるんですよ。ここでかましておかないと舐められるとか、さらに上のお客さんに対して示しがつかないとか、そういう儀礼的な理由でキレてるだけだと思います。それはたぶん、代々受け継がれて醸成されてきた文化的なものだと思いますが。

ようは、みんな「仕事っぽさ」を出すためにキレたり謝罪したりしているだけなんですよ。各々の役割のなかで、「こういうところはキレておくところ」みたいなイメージをなぞりながら、なんかやった感を醸し出すためのプレイですよね。多くのホワイトカラーの仕事は、そんな感じだと思いますね。

はんざき:とてもリアルな話ですね。参考になります……。

樋口:ぼくはいわば、「闇落ちコンサル」みたいな感じなんで、特にそう思います。昔はもっと意識が高かったのですが、いろいろあってこんな人間になってしまった……。

―仕事なんて「プレイ」に過ぎない。そう考えると、少し肩の力を抜いて楽しむ余裕も生まれてきそうです。

樋口:そうそう。コンサルに限らず、顧客の心理に働きかけて報酬を得る「感情労働」みたいなものって、仕事における意識とか心構えみたいなものをいろんな人が説いてきて、自分を侵食してくる感覚がすごくあるんですよね。それに潰されないためにも、プレイとして割り切ることは大事だと思います。

特に、さっき話したような「仕事してる感」を醸し出したいだけの厄介ごとに巻き込まれてしまったときには、「これはプレイとしてやっている」という感覚で、楽しむくらいの気持ちでいてもいいんじゃないでしょうか。

まるで仕事の深刻な話をしているかのように、「自分が仕事ができないこと」を訥々と語る鷹野(第1話より) ©はんざき朝未 / 講談社

強い言葉も、自分にメリットがあれば都合よくインストールすればいい

―先ほど樋口さんがおっしゃったように、仕事に対する意識や心構えを説いてくる人たちがいます。会社の先輩や上司だけでなく、SNSなどからも漏れ伝わる「仕事とはこうあるべき」という言葉に追い立てられ、焦りを覚えてしまう人もいるのではないかと思いますが、そうした強い言葉に惑わされず自分のペースで働くにはどうすればいいでしょうか?

樋口:ぼく自身は、そういう言葉に心を動かされることがあまりないんですよね。なぜなら、言葉はただの物質だと思っているから。文学部出身で文学理論を学んできたこともあって、言葉のレトリック(物ごとを伝える言い回しを工夫し、相手の感情に訴えかける方法)としての構造みたいなところばかりに目がいくんです。

たとえば「死ぬこと以外はかすり傷」みたいな言葉があったとしたら、こんなふうに分析します。まず、みんなが忌避したい「死」というインパクトの大きな言葉を使ってアテンションを集め、それを、「かすり傷」という多くの人が経験していて、かつ直感的に大したことないということが身体的に理解できる共感性の高い言葉と結びつける構造になってるんだ、と。別にそれに対して心が動いたりはせず、ただ、「なるほど、そういうキャッチコピーなんだな」って思うだけです。

―言葉の仕組みというか仕掛けを分析することで、冷静に捉えられるということでしょうか?

樋口:そうですね。特に、いまの世の中でもてはやされている「強い言葉」ってロジックが存在せず、ほぼレトリックだけなんですよね。だから、「ああ、この言葉はこういう効果を想定しているんだな」ってわかると、冷静に見られるし、それに引っ張られ得ることもなくなると思います。言葉の構造を知るには、文学理論や修辞学、詩学などを勉強するといい気がしますね。

―はんざきさんはいかがですか?

はんざき:私はけっこう惑わされちゃうほうなんですよね。ちょっと前に「筋肉はすべてを解決する」みたいな言葉が流行ったじゃないですか。それにめっちゃ惑わされて、筋トレを始めました。まあ、それはべつに悪いことじゃないし、自分にとって都合のいい言葉だったら惑わされてもいいんじゃないかと思います。

逆に、「若いうちは脇目もふらずに仕事をするべき」とかは、なるべく仕事をしないで生きていきたい私にとってはイヤな言葉なので、気にしないというか、疑うようにしています。

樋口:自分の都合のいい言葉だけインストールするのは、とてもいいと思います。ぼくも就活している時はビジネス書や自己啓発本をめっちゃ読んでて、面接官が喜びそうな「オッサンの思考」みたいなものをひたすらインストールしてましたよ。それはそれで、面接で役に立ちましたから。

はんざき:私も一時期、自己啓発本をすごく読んでいました。次の日には内容を忘れているんですけど、その日だけはやる気が出るんです。だから、必要なときに必要な言葉を自分で選べるといいですよね。

樋口:そう。自己啓発的な強い言葉って、アルコールみたいなもんだと思うんですよ。就活のとき、ぼくは自己啓発本を読んで気合いを入れてましたけど、500mlの缶ビールを飲んでから面接に行く友達もいました。アルコールを飲んだあとって物理的に声がでかくなるから、そいつにとっては自己啓発本と同じなんですよ。

世間にあふれる「強い言葉」だって、所詮はその程度のものです。だから、自分にとって都合よく便利に使ったらいいんじゃないでしょうか。

プロフィール
はんざき朝未 (はんざき あさみ)

漫画家。『ハツキス』(講談社)10号(2019年3月刊)でデビュー。現在『Kiss』(講談社)で『無能の鷹』を隔月連載している。同作の単行本は現在3巻まで発売中。

樋口恭介 (ひぐち きょうすけ)

SF作家、コンサルタント。外資系コンサルティングファームに勤務する傍ら、スタートアップ企業Anon Inc. にてCSFO(Chief Sci-Fi Officer)を務め、多くのSFプロトタイピング案件を手がける。単著に長篇『構造素子』 (早川書房)、評論集『すべて名もなき未来』(晶文社)、『未来は予測するものではなく創造するものである』(筑摩書房)。その他文芸誌等で短編小説・批評・エッセイの執筆など。



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