前田敦子の映画評は、ちょっと稚拙だからこその中毒性がある

アイドルの卒業理由は「女優さんになりたい」が多い

女性アイドルがグループを脱退する時、芸能界から足を洗うわけではない限り、その多くが「女優さんになりたい」「お芝居の勉強をしたい」と述べる。裏事情はさておき、既に知名度のあるグループの場合、在籍しているほうが演技の場を与えられることは明らかなのだが、そう申し出る当人だけでなく、外野もその判断にひとまず頷いてみせる。そこには「本格的な」という枕詞が隠されていることを双方が理解しているのだ。本格的な女優さんになりたいからアイドルを辞める、という判断を理解し合っている。巨大なAKBグループを先頭で引っ張ってきた前田敦子も大島優子もその他のメンバーも、直接的か間接的かに差こそあれ、卒業理由には「女優への道」を用意する。先月卒業を発表した川栄李奈も「私の夢は女優さんになることです」とコメントを残していた。

ものすごく直情的に映画の感想を並べる前田敦子

前田敦子は映画人に愛される、という風説は、具体的な作品として提出されてもなかなか世間的には定説に変わらない。演技力云々ではなく、それだけアイドルとしての活動が象徴的なまま、薄らがないということなのだろうか。この度、雑誌『AERA』で2013年5月から1年半続いた映画エッセイ連載「前田敦子@試写室」が書籍化された。多い時には1日5本も映画を観ていたという前田を、映画監督の山下敦弘は「こんなに映画を見てる女優はいない」と絶賛している。雑誌連載時から読んでいたが、こうして本としてまとめて読むと、ある特徴に気付く。

女優が好きな映画を語るエッセイは、そんなに珍しいものではない。その文章はおおよそ、女優である自分自身が培ってきた映画観とはいかなるものかを発露させながら、対象の映画をどのように受け取ったかを記すもの。だが、前田敦子の映画紹介は自分の映画観がほとんど出てこない。つまり、演じる側としてのスタンスを表明するために映画紹介を使わない。ものすごく直情的な感想が並ぶ。

スクリーンやテレビの前に座って得た感触だけを伝える

戦争が絡んでくる映画についての感想を並べてみる。

「戦争のお話ですから、馬がかわいそうな目に遭う場面もあります。ある馬が死ぬ場面は本当に悲しくなりました。ジョーイが有刺鉄線に絡まってしまうところは、あまりにかわいそうで痛そうで、私も泣いちゃいました」(『戦火の馬』)
「戦争の悲惨さ、というのが本当に印象に残る作品です。私は戦争映画をあまり見ることがないので、とても勉強になりました」(『ひまわり』)

と、あまりにもひねりがない。良く言えば気取らないテキストだし、良く言わなければ稚拙なテキストである。とにかく見たことを見たまま書き、感じたことを感じたまま書いている。でもこの直情的な感想が、演技者としての私感を伝えるのがデフォルトになっている、いわゆる「女優が記す映画エッセイ」とは一線を画し、新しい触感を持って読めるのは確か。前田敦子の映画レビューは、スクリーンやテレビの前に座って得た感想だけを伝えてくる。

前田敦子の映画評は「逆毒舌」である

例えばNHK・Eテレ『岩井俊二のMOVIEラボ』に出演した蒼井優のように、女優として得てきた体感を存分に踏まえた上で感覚的な論評を披露することがない。二階堂ふみのように、好きなドキュメンタリー映画を問われて、ナチスのプロパガンダ映画であるレニ・リーフェンシュタール監督『意志の勝利』を挙げ、「歴史の変わり目はいつも戦争なんですよね。ヒトラーも時代の不安定なときに現れて、みんなの支持を得て、狂った方向に行っちゃったんでしょうね」(『観ずに死ねるか!傑作ドキュメンタリー88』鉄人社)と突っ込んだ分析をすることもない。

「ミーハーかも知れませんが、例えばアカデミー賞の作品賞にノミネートされた作品をすべて見ていく、というのも私はありだと思っています。だって、絶対に外れがないから(笑)」と言い切る前田敦子は、女優になりたいという進路を選びながら、実にアイドル的な感覚で映画を論評し続ける。本稿は別にどこかからプロモーションを頼まれているわけでもないのだが、彼女のテキストを丁寧に読み進めていくと、その薄味が妙な中毒性を帯びてくるから面白い。時折、すっと入り込んでくる文章がある。テレビの世界では相変わらず、端的に人を攻撃する毒舌ブームだが、前田敦子の映画評って、その逆。つまり、「えっ、褒めるのにこの一言だけでいいの?」という「逆毒舌」で映画を讃えていく。詳しく語らない。その淡々さは斬新だ。

この本を、文章が稚拙と片付けたら負けだと思う

無論、前後に少々の説明があるとはいえ、「かっこいい中にかわいさがある」(『探偵物語』)、「なにかとてもぐっと来るんです」(『ホットロード』)、「子どものころは、共感ポイントがよくわかりませんでした。でも少し年を重ねたら、キキの気持ちが理解できるようになってきた」(『魔女の宅急便』)、「よく考えるとすごい設定なんですが、それなのに恋愛映画として成立しているんです」(『her/世界でひとつの彼女』)とは、なかなか書けない。ここには蒼井や二階堂とは別口の映画観がある。

この本を、文章が稚拙と片付けたら負けだと思う。だって、本人は、これをテクニカルなものとして提出していないんだから。お決まりの「どうせゴーストライターだろ?」という突っ込みには、ゴーストがいるとすればもうちょっと使われる言葉のグレードが上がるはず、と勝手に代弁しておく。「この本を読んでくださった皆さんが、映画館に行きたくなる、DVDを買ったり借りたりしたくなる――。そういう変化が起きたら、私の狙い通りです(笑)」と前田。ふむ、確かにそんな気にはなってくる。アイドルからただただ女優へ脱皮するのではなく、アイドル的な言葉のセンスを残しながら女優へ移行していく話法がここにはあって、なかなかの手練が隠されている。

イベント情報
『前田敦子の映画手帖』

2015年4月20日(月)発売
著者:前田敦子
価格:1,080円(税込)
発行:朝日新聞出版

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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