ケン・ローチ『家族を想うとき』が見つめる、「搾取」で回る世界

欠勤したら制裁金。病院に通えず、53歳で亡くなった英ドライバーの実話

イギリス南西部ドーセットのクライストチャーチに住む53歳のドン・レーンは、英国最大手の配送会社「DPD」でアパレルメーカー・ネクストやショッピングサイト・エイソスの衣服などの配達員として19年間働いていた。レーンは糖尿病を患っていながらも、あまりに配達スケジュールがタイトなため病院に通うことができず、ある日、運転中に倒れ、糖尿病性昏睡に陥ってしまう。もう限界が近づいていた彼は、糖尿病によって引き起こされた目の症状の治療のため、事前報告して休みを取った上で診察を受けに行った。しかしDPD側は欠勤によって依頼分の配達をこなすことができなかった代償として、彼に150ポンドの罰金を科した。DPDは配達員を業務委託扱いにし、荷物を配達するごとに報酬を加算する方法を採用し、ドライバーが依頼した分の配達を達成することができなければ損害賠償を請求する規約を敷いていたのだ。

もし体調が悪くて働けないならば、配達員たちは、カバーしてくれる代役を予め用意するか、制裁金を支払うかしかない。彼らは、有給休暇や最低賃金を保障された労働者として扱われていなかった。レーンは、罰金制度による請求を恐れていたために以前から何度も予約していた診察を飛ばして勤務に出ていたのである。それ以降、追加の罰金を支払う余裕もない彼は、病院に通えないままクリスマスの配達ラッシュの間も無理をして働き続け、その結果、2018年1月4日に死亡した。

『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

ケン・ローチの最新作は1日14時間、週6日の勤務を強いられる、宅配ドライバーが主人公

イギリスの名匠ケン・ローチの最新作『家族を想うとき』は、この出来事を部分的に基にしている。2008年のリーマンショックの影響でマイホームを所有する夢を打ち砕かれ、職も失ったリッキー(クリス・ヒッチェン)は、家族を養うために地元の運送会社とフランチャイズ契約を結び、宅配ドライバーとして働き始める(映画に登場するほかのドライバーの多くが実際の現役ないしは元ドライバーである)。会社や上司に縛られず、自分の選択と責任でより柔軟な働き方が実現できるかに思えたが、ドン・レーンの場合と同様の規約のもと、リッキーは、設定された配送目標を達成しなければ収入が減り、荷物を待つ顧客のために到着予定時間は厳格に守らなければならない現実に直面する。

1日14時間、週6日の勤務を強いられ、食事を取る時間もなければ、トイレのために立ち止まる時間すらない──彼はそのために備えて空のペットボトルを携帯する──のだ。リッキーは、彼のすべての動きを記録し命令する携帯型電子スキャナーに翻弄される奴隷と化してしまうのである。

『家族を想うとき』予告編

『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

パートタイムの介護福祉士として働く妻。素行不良の息子が放つ「全て自己責任だ」

一方、妻アビー(デビー・ハニーウッド)もパートタイムの介護福祉士として、昼夜、遠く離れた高齢者の家庭をバスで訪問して回っている。そのように両親は毎日起きている時間のほとんどを長時間労働に忙殺されているため、高校生の息子セブ(リス・ストーン)と小学生の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)と一緒に必要な時間を過ごすことができない。

次第にセブは学校をサボって街中の壁にタギング(落書き)することに走るようになり、遂には素行不良で問題を引き起こしてしまう。リッキーが息子が選択の可能性を狭めていることを咎めても、セブは、「どうせいい職になどつけない」「父みたいな負け犬になる」「全て自己責任だ」と言い放つ。将来が望めない世界で若者は野心を殺され、全体に諦念と倦怠感が蔓延しているのだろう。

『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

「ギグ・エコノミー」は「新しい種類の搾取」?『わたしは、ダニエル・ブレイク』での引退を撤回したケン・ローチの怒り

ケン・ローチは、『カンヌ国際映画祭』でパルムドールを受賞した前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)で映画監督からの引退を発表していたが、その際の調査のために訪れたフードバンクでパートタイムやゼロ時間契約(雇用者の呼びかけに応じて従業員が勤務する労働契約)で働く人々の姿を見て、「ギグ・エコノミー」に焦点を当てた映画を作る価値があると考えるようになったことを映画公開時のインタビューで明かしている。

ギグ・エコノミーとは、ウーバーなどインターネットを通して、非正規雇用者が独立業務請負人などの形で、企業から単発または短期の仕事を請ける一時的な労働契約を指す。これは、デジタル革命がそれまでの仕事の方法自体を変化させたことで生まれてきた形態だろう。このようにカジュアル化された労働力をローチは「新しい種類の搾取」だと看破し、ギグ・エコノミーがドン・レーンを死に追いやったのだとBBCの番組内で非難している。リッキーやアビーが途方もなく長い労働時間による極度の疲労と圧力に苦しみ、それが家庭生活や社会的な関係に歪みを及ぼしていってしまう姿を、ローチは本作の中で家族間のユーモアを交えつつ冷静に見つめている。

『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』が失業者を取り上げ、彼らに対する福利厚生や給付制度の悪化を描いていたのに対し、『家族を想うとき』ではギグ・エコノミー下で働く家族のプレッシャーや感情的な混乱に焦点を当てている。ともにニューカッスルを舞台とする両作は姉妹作のような関係にあり、どちらにおいても根がよくて実直な人々こそが、不利な立場に置かれて割りを食う世界の現状を詳らかにしている。

真面目な庶民が代償を払わされ、ワークライフ・バランスを考える余裕など露ほどもない状況に対して、ケン・ローチは激しく憤っているのだ。前作で表明した引退を撤回したのはそのためだ。『家族を想うとき』の根底には、搾取で回っている世界への怒りが満ちているのである。

ケン・ローチ監督の前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』。2016年『カンヌ国際映画祭』パルムドール受賞

労働者階級の擁護者として、不正と搾取の現実を訴えてきた

ケン・ローチと、彼と長年タッグを組む脚本家ポール・ラヴァティは、巨大な産業システムがいかにして労働者を搾取しているかに一貫して注意を払ってきた。ローチが初めてアメリカで手掛けた『ブレッド&ローズ』(2000)では、中南米の移民労働者たちの多くが低賃金で不当に悪用され、健康保険の権利すらも奪われている状況を扱った。『この自由な世界で』(2007)では、移民労働者のための職業紹介所を作った雇用者の視点から、東ヨーロッパの移民労働者が搾取される過程を探った。

ローチとラヴァティは、この頃からすでに、労働者の契約が安定した雇用、時間が確保された仕事から、日雇いや派遣など短期的なものへと移行しつつあり、その中で働く貧困層が安価な労働力として扱われている不条理に目を向けてきたのだ。本作の主題や問題意識は、そのような彼らの長期的な関心と結び付いていると言える。労働者階級の擁護者として、彼らは映画を通して、常に世の中の中心にある不正と搾取を訴えてきたのである。

『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

『万引き家族』や『パラサイト』との共通点。格差の拡大と構造的な不平等

また、『家族を想うとき』で描かれている問題は、もちろんイギリスないしは欧州だけに留まる話ではない。是枝裕和が、血縁でつながっていない疑似家族が年金の不正受給と万引きで生計を立てる姿を描いた日本映画『万引き家族』(2018)や、ポン・ジュノが全員失業中の低所得層の家族が新興富裕層の家族に徐々に寄生していく姿を描いた韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(2019)などと明らかに通じている(前者は2018年、後者は2019年のパルムドール受賞作品である)。あるいは、香港映画『ファストフード店の住人たち』(2019)では24時間営業のバーガーショップに集う人々で形成される疑似家族が描かれていた。

これら同時代の作品で示されているのは、国家や大企業が人々の自由や生活の質よりもコストカットに血道をあげて経済成長を優先した結果、世界的に富裕層と貧困層の二極化が進み、構造的な不平等によって破滅に追い込まれている家族の姿、緊縮財政でセーフティネットも機能していない現代のスナップショットであるだろう。ただ平凡な生活を望んでいるだけなのに、それすらも叶えることができない庶民の姿である。国が豊かになればなるほど、貧富の相対的な格差が大きくなっているだけでなく、心理的あるいは感情的な格差も広がっているのだ。これらすべての話はつながっているのである。

ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』予告編。日本では2020年1月10日全国公開

誰にとっても他人事ではない物語。ケン・ローチが世界に向けた「鏡」

『家族を想うとき』の劇中、穏やかなアビーが、リッキーを限界まで働かせた上司に電話口でとうとう怒りを露わにする場面がある。ドン・レーンの妻ルースもまた、食事を取る間もない夫を見かねてオフィスに押しかけ、彼の上司を非難した経験が実際にあるという。

ケン・ローチにとって、映画は「私たちが住んでいる世界に向けた鏡」である。おそらく、本当の意味でケン・ローチが映画監督を引退することはないだろう。世界で起こる問題に対して、私たちは無関係ではなく責任があるからだ。故に、彼の映画の結末には一切の妥協がない。「残念ながらご不在でした」という顧客への不在連絡票を表す原題「Sorry We Missed You」は、映画を観終える頃には別の意味を帯びてくるだろう。『家族を想うとき』は、ローチのこれまでの作品より一層悲観的に見えるかもしれないが、しかしそれはあくまでも現実的なのだ(ドン・レーンの実話の方がむしろより破滅的だろう)。

ローチのフィルモグラフィーを辿ったドキュメンタリー『ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生』(2016)の中で、彼の舞台に出演経験のある俳優ガブリエル・バーンは、彼の作品を次のように評している──「救いのない人々、声なき人々を代弁している。映画を観終わった後に思う。『近所の誰かの話みたいだった』と」。そう、インターネットであらゆるものを買える時代に生きている誰にとってもこれは全く他人事ではない。ローチが灯した怒りの松明は、私たちの手に委ねられている。

『家族を想うとき』 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
作品情報
『家族を想うとき』

2019年12月13日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で順次公開

監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
出演:
クリス・ヒッチェン
デビー・ハニーウッド
リス・ストーン
ケイティ・プロクター
上映時間:100分
配給:ロングライド



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