90分の世界地図

甘くほろ苦い難民の日常をカウリスマキ的に描く『フォーチュンクッキー』【連載:90分の世界地図】

メイン画像:© 2023 Fremont The Movie LLC

いっときのあいだ、ここではない、でもたしかに私たちとつながっている場所に飛び立てる。スクリーンに縁取られた世界は、どこかの誰かが見ていた世界でもあるのだろう——。映画批評家、常川拓也が映画作品を通して社会を見つめる連載コラム「90分の世界地図」。こけら落としの第一回目は、アメリカのインディペンデント映画『フォーチュンクッキー』にスポットを当てる。

本作は、タリバン政権から逃れたアフガニスタン難民の日常を、ユーモアを交えながら描いた物語。監督ババク・ジャラリは、自身の作品に通底するテーマを「故郷から追放された感覚」の探求だと話し、ガザ侵攻が続くパレスチナ問題にも強い関心を寄せて声を上げる。社会の周縁に追いやられてきた人々を、監督はどんなふうに見つめているのだろう。オンラインインタビューでの言葉を交えながら、本作から見える「世界」を考えてみたい。

「故郷から追放された感覚」の探求——パレスチナ問題との結びつき

2024年の『インディペンデント・スピリット賞』の授賞式が行われている最中。その外では、パレスチナ支持者たちがガザ解放と即時停戦を訴える、抗議デモのシュプレヒコールが鳴り響いていた。式典に混乱をきたしたり、彼らを揶揄したりする者もいるなか、『ジョン・カサヴェテス賞』(100万ドル未満で制作された映画が対象となる)に輝いた『フォーチュンクッキー』の監督ババク・ジャラリは、自身の受賞の言葉よりも抗議の声のほうがはるかに大切だとスピーチした。紛争地帯から避難したアフガニスタン難民を描く本作には、この彼の社会的姿勢が貫かれているだろう。

あらすじ:カリフォルニア州フリーモントにあるフォーチュンクッキー工場で働くドニヤは、アパートと工場を往復する単調な生活を送っている。母国アフガニスタンの米軍基地で通訳として働いていた彼女は、基地での経験から、慢性的な不眠症に悩まされている。ある日、クッキーのメッセージを書く仕事を任されたドニヤは、新たな出会いを求めて、その中の一つに自分の電話番号を書いたものをこっそり紛れ込ませる。すると間もなく1人の男性から、会いたいとメッセージが届き…。

オンラインインタビューでジャラリに尋ねると、彼は「私にとって、パレスチナ問題はとても重要なこと。以前からずっと抗議活動に参加していましたし、彼らが解放されるまで声を上げ続けたい」と即答した。「実際にガザでは、映画とは比べ物にならないぐらい恐ろしい現実がある。私が自作について、あるいはそれが何を表しているかについて語るよりも、パレスチナ解放について述べたかった。そのほうが、はるかに重要なメッセージだと考えたのです」

カリフォルニア州フリーモントの小さなフォーチュンクッキー工場で働く主人公ドニヤは、かつてアフガニスタンの米軍基地で通訳を務めていたが、タリバンの脅威からアメリカに逃れてきた若い女性である。彼女は、基地での経験のトラウマだけでなく、家族を未だ危険な地域に残してきたことの罪悪感、アメリカのために働いたことで故郷で裏切り者と見なされている葛藤を抱えているため、慢性的な不眠症に苦しんでいる。戦争で祖国と敵対した地で安全に暮らしている自分を許すことができず、夜も眠れない状況にいるのだ。映画は、白黒と狭い画面のスタンダードサイズを採用することで、寡黙な彼女の窮屈感や孤立感を強調している。

この設定には、歴史的背景が反映されている。2021年8月、アフガニスタン政権崩壊後、米軍を支援したアフガニスタン民間人などを避難させる活動「同盟者歓迎作戦」が行われ、約8万9000人のアフガニスタン人が米国に移住、そのうち約3000人が北カリフォルニアの都市に定住したと言われる。原題にもなっている「フリーモント(Fremont)」は、その一都市であり、北米最大のアフガニスタン人コミュニティが存在する地域である。ドニヤを演じる映画初出演のアナイタ・ワリ・ザダは、アフガニスタンでテレビ司会者兼ジャーナリストとして活動していたが、タリバンによるカブール陥落後、姉とともに国外逃亡を余儀なくされた。

隣国イラン出身のジャラリは、自作に通底する主題を「故郷から追放された感覚」の探求にあると説明する。「本来住んでいるべき場所から追い出された感覚、故郷やアウトサイダーという概念、そしてどこにいても人間は自由であるという考え方にずっと関心を抱いてきました。なので、私の映画では、避難を強いられた人々、あるいは社会の周縁で暮らす人々の問題が重要になっているのです。まさに、長いあいだ周縁で生きることを強いられてきたパレスチナの方々に、特に当てはまる問題だと思います」

「ひとりの人間として見てほしい」からこその描き方。不条理でクレイジーな世界で

劇中でドニヤは、工場、難民の仲間たちに囲まれた集合住宅、行きつけの食堂、睡眠薬を得るための精神科を行き来する単調な生活を送っているが、その穏やかなトーンの陰に、アフガニスタンとアメリカの引き裂かれた複雑な関係があることを滲ませる。本作は大袈裟に物語を展開させず、難民を哀れむべき犠牲者として描くことを避けている。「ただ同情されるだけの移民の物語は描きたくなかった」とジャラリはその意図を語る。

「難民の悲劇的な面ばかりに焦点を当ててしまうと、観客はどこか他人事として、自分とは違う人々だと哀れむ見方をする恐れがある。ひとりの人間として見てほしいんです。だから、そのような描き方は有害だと感じます。私は、差別や偏見のもとになる人種的・文化的違いによる「脅威」というものは、想像からつくり出されてしまうものだと考えています。例えば、私が住んでいるイギリスでは6年前、ブレグジット(※、イギリスのEU離脱)がありましたが、あのとき政治家や一部のメディアは、『移民はあなたとは違う存在だ』と恐怖を掻き立てた。その結果、それまで隣り合って暮らし、一緒に働いてきたはずの人々に対して、想像上の恐怖心を植え付けられてしまったのです。

私はフィルムメイカーとして、人と人の違いを見せたり、他者性を強調したりすることに一切関心がありません。むしろ普遍的な類似点に目を向け、架空の差異や恐怖心を取り除くような映画を目指しています。だから、工場にはアフガニスタン人、中国人、白人が働いていますが、彼らのあいだに大きな違いはない。私は、劇中の移民や労働者たちを見た観客が、彼らとのつながりを感じられるような映画をつくりたかったのです」

※イギリスが欧州連合(EU)を離脱したことを指す造語。「Britain(イギリス)」と 「Exit(離脱)」を組み合わせた言葉。

ドニヤと観客に感情的なつながりを築くために、ドライなユーモアを用いている。突飛で気まずいシチュエーションをドニヤが無表情に切り抜ける姿に笑いを見出すのだ。この手法について、ジャラリは3人の巨匠からの影響を認める。

「14~15歳のときに初めてアキ・カウリスマキ(※1)の作品を観てから、大好きな映画作家のひとりで、彼のように物語ることに憧れてきました。少しダークで重いテーマでも、不条理なユーモアで対処できることを教えてくれたのです。それ以来、私にとって不条理を描くことが重要であり続けています。なぜなら毎日、ニュースを見ているだけでも実感するように、私たちの世界自体が不条理でクレイジーなものだから。カウリスマキはアルコール中毒者や失業者をよく描きますが、超現実的に描写するよりも、そういった語り口のほうがその人間に対して思い入れが深くなると感じています。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)、『ダウン・バイ・ロー』(1986年)、『ミステリー・トレイン』(1989年)など、ジム・ジャームッシュ(※2)の初期の作品、そしてスウェーデンのロイ・アンダーソン(※3)の作品の独特のトーンからも強い影響を受けています」

※1 フィンランドを代表する映画監督。『パラダイスの夕暮れ』(1986年)、『真夜中の虹』(1988年)、『マッチ工場の少女』(1990年)からなる「労働者3部作」、『浮き雲』(1996年)、『過去のない男』(2002年)、『街のあかり』(2006年)で構成される「敗者3部作」などで知られる。

※2 米オハイオ州アクロン出身の映画監督、脚本家。最近の作品に『パターソン』(2016年)、『デッド・ドント・ダイ』(2019年)など。

※3 スウェーデン出身の映画監督。『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』(1969年)で長編デビュー。ほか、『散歩する惑星』(2000年)、『愛おしき隣人』(2007年)、『さよなら、人類』(2014年)は、「リビング・トリロジー(人間についての3部作)」とされる。

アキ・カウリスマキ監督作品『枯葉』(2023年)予告編

本作は、同様に不眠症や倦怠感に悩まされている、大学卒業後のモラトリアムな若い女性を白黒で描いたケベック映画『まどろみのニコール』(2014年)を思い起こさせる。その監督ステファヌ・ラフルールは、アメリカ独立系映画には白黒と無表情喜劇の長い伝統があると言ったが、『フォーチュンクッキー』はまさにその正統な継承と言える。

『まどろみのニコール』予告編

私たちは、不条理な世界をドニヤの目を通して見る(ドニヤはダリー語で「世界」を意味する。ジャラリが本作の脚本を書き始めた頃に、交通事故で亡くなったイランに住むいとこの名前から採ったのだという)。時折、彼女がカメラを見つめる瞬間は、ジャラリが言う通り、まるで観客に「何が起こっているのか見て」と無言の主張をしているかのようだ。

アメリカンドリームはナンセンス。エンドクレジット「WOMAN, LIFE, FREEDOM…」の真意

シンプルな標語や運勢が書かれたおみくじの入ったフォーチュンクッキー。主にアメリカでは中華料理店で提供されるが、最近の作品では、青春恋愛ドラマ『私たちの青い夏』(2022年~)シーズン2第1話で、クッキーのなかから「幸せとは行為である」と出てきたのが印象的だった。本作『フォーチュンクッキー』では、小さなクッキーを作り、そのなかに幸運のメッセージをしたためるというその仕組み、あるいはそこで生み出される楽天的なイメージを支えているのが、さまざまな国からの移民たちである実態を浮き彫りにする。フォーチュンクッキーは希望の言葉を並べ立てるが、工場で働く同僚が言うように、彼女たちには「ナンセンス」な言葉として響くのだ。本作は、モノクロームのなかでアメリカンドリームを検証する映画でもある。

『私たちの青い夏(The Summer)』シーズン2オフィシャルトレーラー

「個人的にはアメリカンドリームなんて、信じていません。まさにナンセンスだと思う。劇中でドニヤは『ただアフガニスタンから逃げ出したかっただけ。アメリカじゃなくても、エルサルバドルでもドイツでもフランスでもどこでもよかった』と言います。主人公がアメリカに渡って、何でも好きなことができ、何でもほしいものが手に入るような映画をつくる気は一切なかった。本作をつくるにあたって、実際に特別なビザのもとアメリカで暮らす元アフガニスタン通訳者たちと会いましたが、彼女たちの状況を見ても、まったくアメリカンドリームなんかないとわかります」

ただ夜に眠れること──ドニヤにとって、それすらも崇高な夢なのだ。本作は、自責の念に囚われた彼女の人生に、無償の優しさを示す自動車整備士(ジェレミー・アレン・ホワイト)を出現させる。彼だけがコーヒーを無料でドニヤに差し出すのであり、そのほんの小さな親切に彼女は新鮮な感動を覚えるようだ。彼女に支えとなるような存在が必要だと思ったかを問うと、ジャラリは「いい質問ですね」と述べ、少し逡巡した後に返答した。

「必要かどうかはわからないけど、ドニヤはある意味で仲間を求めているのだと思う。アウトサイダーには他者からジャッジされることへの恐怖がつねに存在しますが、彼はドニヤがアフガニスタン出身だと知っても決して否定的に見ない。無条件の愛というのは、ありのままの自分でいさせてくれるもの。それは、愛おしくて魅力的なことだと思います」

映画のエンドクレジットの最後にジャラリが、「WOMAN, LIFE, FREEDOM…」と添えたことも見逃せない。これは、2022年、彼の故郷イランでヒジャブを着用しなかったために道徳警察に拘束されたマフサ・アミニの死後、イラン全土で広がった抗議運動のスローガンである。

「本作の編集中に、イランで女性の自由を求めたその運動が起こりました。編集作業をしている以外は、故郷で何が起こっているのか、ニュースを追ったり、知人に電話で連絡を取ったりしていたほど、すっかり私はその運動の経過に頭がいっぱいになっていました。イランでは前例のない出来事で、何か本当に大きなことにつながるような気がしたのです。当時のイラン女性たちの行動に心から畏敬の念を抱きました。もし人生で一番誇りに思っていることは何ですか? と聞かれたら、私はイラン人女性の息子であり、そして兄弟であることだと答えるでしょう。小さなかたちではありますが、彼女たちの勇敢さに敬意を表したいと思ったのです」

今回、インタビューをしたなかで、ジャラリが最も長考して出した回答が、身寄りのない孤独なドニヤは「コンパニオンシップを切望している」ということだった。故郷から追われた夢なき世界で、幸福を夢見ることにすら罪悪感を抱いてしまう彼女も優しさを享受すべき存在であると『フォーチュンクッキー』はさりげなく描く。現実的でありながらも、迷える魂に仲間意識や連帯感を示すことは、ジャラリが参画する社会運動と確かに結びついた表現なのである。

作品情報
『フォーチュンクッキー』

2025年6月27日(金)よりシネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷ホワイトシネクイント、アップリンク吉祥寺ほか全国公開

監督:ババク・ジャラリ
脚本:カロリーナ・カヴァリ、ババク・ジャラリ
プロフィール
ババク・ジャラリ

1978年、イラン北部のゴルガーン生まれ。主にイギリス、ロンドンで育ち、東欧研究の学位と政治学の修士号を取得した後、ロンドン・フィルム・スクールで映画制作を学ぶ。2010年に長編デビュー作『Frontier Blues(原題)』(2009年)が、『サンフランシスコ国際映画祭』で『審査員特別賞』を受賞し、脚光を浴びる。続いて、長編2作目の『Radio Dreams(原題)(2016年)が、『ロッテルダム国際映画祭』で『タイガー・アワード(最優秀作品賞)』、『シアトル国際映画祭』で『審査員特別賞』を受賞。さらにロシアの『アンドレイ・タルコフスキー映画祭』では『最優秀監督賞』を受賞するなど、数々の映画祭で高く評価される。3作目の『Land(原題)』(2018年)は、ベルリン国際映画祭でプレミア上映され、本作『フォーチュンクッキー』は4作目の長編監督作品。



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