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『この人に、この人生あり!』 第5回:半径3mの世界から始まった「マンガ研究」浅野いにお(漫画家)

等身大の目線から始まる創作と、避け難い「闇」の描写

浅野さんの転換点となった初連載『素晴らしい世界』は、少年、女子高生、老人など様々な境遇にある人々の物語が、各回ごとにゆるやかにつながっていく連作短編。それは、大仰なドラマやパターン化した勝負もの、ファンタジーものが溢れる同時代マンガの中で、新世代の表現として注目されます。登場人物のリアルな人間描写も、浅野さんの視点の変化が反映されたものかもしれません。同時に、乾いた絶望や言い知れぬ不安など、タイトルと裏腹の闇が顔をのぞかせるのも、後の作品に続いていく特徴でしょうか。

浅野いにおさん

浅野:やっぱり自分の見てきた世界を元にしたいし、それしかできないというのはありました。マンガでしか成立しない表現や世界観には興味がなかった。影や闇の部分については、もう僕の性格で(苦笑)、どうしてもそこを描いてしまいます。編集部に「読後感だけは良くして」と口をすっぱく助言されて調整したところもあります。今思えばバランス的にそれが正しかったとは思う。ただ、今でもそういう暗い部分を描かずにはいられない自分がいます。

迷いの中で選んだ大学生活が、紆余曲折を経て、浅野さんマンガの血肉になったとも言えそうです。読み手に求められるような作風を模索しつつ、同時に自身の内面から出てくるものを正直に出していく、というこだわりは捨てなかった浅野さん。自らと外界との向き合い方は、続く連載作品にも色濃く反映されていきます。

浅野:『ひかりのまち』(『サンデーGX』)の制作時は、今でこそ笑い話かもしれませんが「汚れた大人たちとどう向き合えばいいのか?」みたいなことを真剣に考えていました。その悩みと、さらにこのころ病気をして体調を崩したことも重なり、作るのがとても苦しかった時期。『虹ヶ原ホログラフ』(『QuickJapan』)も、そのあたりから続く闇の描写がてんこもりですね。

苦労しながらも実績と実力を積み重ねていく日々。やがて、メジャーマンガ誌での連載のチャンスが飛び込んできました。後に映画化もされた人気作品『ソラニン』のスタートです。

大ヒット作の舞台裏にあった決意とは?

人気マンガ誌『ヤングサンデー』での初連載『ソラニン』。それは、玄人受けするマンガ誌やカルチャー誌を連載の場にしてきた浅野さんにとって、従来とはまったく異なる挑戦であり、同時にこれまで自らが描いてきたものの真価を試す場でもありました。

浅野いにおさん

浅野:自分はサブカルチャー的なシーンでコツコツ描いていくのが合っていると思っていたんです。ただ、そういうマンガ誌もすでに年々減っていく傾向にありました。そんな中この話をもらって、それなら、あえて作風を変えずにメジャー誌で連載する、という挑戦をしようと思ったんです。自分の作品をもっと多くの人に読んでもらいたいという「欲」も当然ありました。

『ソラニン』は、当時読んでいた小説がヒントになったそうです。それは、男女の恋人同士が、いわば共依存関係(互いに過剰に依存し合い、その人間関係にとらわれてしまう状態)にある物語。「そのうち何か起こるのだろうな、と読み進めていたら、そのまま終わってしまい驚いた(笑)」という浅野さんは、ならば、恋人のどちらかが不意に消えてしまったら、他方はどうするのかを自分の作品として描いてみようと考えました。

浅野:作風を変えずにといっても、掲載誌に合わせたチューニングは色々やりました。スタートは、明るくポップな感じ。ただしこれまで同様、自分の現実と接点がなければ描けないと思った。バンドものという設定もそこからですね。世間的にはモラトリアムというか、あまり良く思われない世代の物語でもあります。でも、そこにも何か大切な瞬間はあるのでは、という思いがありました。このころの僕は、周囲に対して誠実でありたいという気持ちが強くて、今思えばちょっと潔癖すぎるぐらいでしたが(苦笑)、主人公にはそんな自分の想いも反映されたと思います。所々にギャグもあるのは、マジメな話をするときの照れ隠しのようなものでした。

『ソラニン』のビビッドな物語世界はこの作品を大ヒットに導き、続く映画化も含めて、俊英漫画家・浅野いにおの名を世に広く知らしめます。ただ、本人はその結果にも悩むことになるのでした。

作業風景と猫

賛否両論の中、次なる挑戦のステップへ

『ソラニン』大ヒット後のある日、浅野さんはネット上での自作の評判を読み、ファンからの熱い声援のいっぽうで、否定的な意見も多いことを知りました。たとえば、登場人物たちに対し「もっと苦労してる人はいるよ」「甘えている」などの厳しい声。浅野さん持ち前の繊細な世界観は、ここでは諸刃の剣的な面もあったのでしょうか。単に「バンド活動に夢を見出そうとする主人公と、その不慮の死を描く物語」として読まれてしまうと、まさに浅野さんが避けてきた「マンガっぽいマンガ」ととられる可能性も孕んでいたといえます。

本棚

浅野:広く知られるほど、アンチな意見も出てくるのはわかっていましたが……それまでネットは見ていなかったので耐性もないぶん、当時はやっぱりきつかったですね。読んでくれた人の半分くらいは俺のこと嫌いなんだな、と思ってしまって(苦笑)。ただ、落ち込みはしたけど、自分が間違っているとも思えませんでした。確かにもっと辛い境遇を描くことだってできるけど、先ほど話した通り、あの作品でやりたかったのはそういうものじゃないからです。

そんな葛藤を経て始まったのが、現在連載中の『おやすみプンプン』(『ヤングサンデー』、後に『ビッグコミックスピリッツ』に移籍)。ここで浅野さんは前作とは対照的とも言える挑戦に踏み切ります。普通の男の子であるはずの主人公は棒人間のようなシュールな姿で登場し、彼だけに見える「神様」が現れるなど、実験性を大胆に折り込んだ描写。そこに得意の群像劇を持ち込みつつ、悩める少年を取り巻く、純粋さと残酷さにあふれた日々を描いたのです。

浅野:最初、これらの設定を伝えたら担当編集はア然としていたので、この表現が必要な理由をこんこんと説明しました。最後は編集長が来て「うちは面白いマンガは載せるし、面白くないのは載せない。で、どっちかわからないのは……とりあえず載せる!」となって(笑)。

物語は主人公の小学校時代から始まり、中・高時代を経ていま、まさに佳境へ。途中、1巻ぶんのページを割いてひたすら主人公の孤独を描いたり、彼の親戚が延々と自分の物語を語り尽くすシーンがあったり、読者がついてこれるかどうかを挑発するような描写も印象的です。

浅野:不遜な言い方をすれば、そういうシーンごとに、読者をふるいにかけているような意図もあります。「ここから先の物語を面白いと思ってもらえるには、ここが分かれ道です」みたいな。スタート当初は「もう『ソラニン』みたいな『いい話』は描きませんよ」っていう気持ちもありましたが、前作の評判への単なる反発ともまた違う。一回りして、別な形でのいい話になる可能性もあります。ラストはもう最初から決めてあるんですけどね。

浅野マンガの中でも最長編となるこの問題作がどんな結末を迎えるのか、いま注目が集まります。

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『この人に、この人生あり!』

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