改めて今、楽しく演奏したい 芳垣安洋インタビュー

あなたは芳垣安洋というドラマーの名をご存知だろうか? たとえ名前は知らなくても、彼が生み出すリズムに体を揺らしたことのある人はきっとたくさんいるに違いない。たとえば彼がメンバーとして参加してきたバンドには、ROVO、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN、渋さ知らズといった夏フェスの常連バンドや、日本の即興音楽をリードする大友良英のバンド「ONJT」などがあり、UAや原田郁子といったシンガーのバックでも演奏をしている日本屈指のドラマーだ。一般的にドラマーというと、なかなか名前を記憶されることの少ないポジションではあるが、音楽をやっている人たちからすれば、「芳垣安洋」はドラマーでありながら、もはやひとりの重要な「アーティスト」として尊敬される人物である。

さて、このように音楽業界のなかでは確固たるポジションにいる芳垣が、昨年新たに自身のリーダーバンド「オルケスタ・リブレ」を結成し、今年7月には2枚のアルバムを同時リリース、ヨーロッパツアー、『フジロック』への出演と、かなり活発に活動を展開している。なぜ今このタイミングで新しい活動を始める必要があったのか? その理由を訊きにご自宅へお邪魔をしてきたわけなのだが、これほどまでのキャリアを積んでなお、もう一度初心へ帰ろうとするその姿勢を目の当りにして、僕自身が自分を省みるいい機会を与えてもらうことになった。歳を重ねるほどに人は経験や知識を積んでいく。そのなかでいつの間にか置き去りにしてきてしまったものは無いだろうか。

幅広いジャンルを横断する、日本有数の名ドラマー

早速オルケスタ・リブレの話にいきたいところではあるが、まず芳垣安洋という名ドラマーの歴史を辿りながら、芳垣が育ったひとつの重要な音楽シーンを紹介できればと思う。

芳垣が初めてドラムを叩いたのは高校3年生のとき。友人に誘われ、当時流行していた沢田研二の“時の過ぎゆくままに”をコピーしたのが、ドラマーとしての原体験だった。そこで音を鳴らすことの喜びを覚えた芳垣は、関西学院大学への入学後、軽音部に入部。本格的にドラマーへの道を歩み始める。

芳垣:ちょうど高校を卒業する頃に、WEATHER REPORTの『BLACK MARKET』が出たり、ジャコ・パストリアスの最初のソロアルバムが出て、「こういう音楽がやりたい!」と思って。大学の軽音に入って、そういう音楽をやるにはジャズができないとダメだと先輩にいわれてジャズをやり始めたんだけど、やってみたらすごく面白くて。当時はジャズの歴史を作ってきた、いわゆるジャズ・ジャイアントって呼ばれるような人たちがまだみんな生きてて、毎月のように来日してコンサートをやってくれてたし、すっごくワクワクしたわけ。

軽音時代の写真
軽音時代の写真

こうしてジャズにのめり込んでいった芳垣は、在学中より関西のジャズ・エリアで演奏活動を開始し、卒業後はジャズクラブROYAL HORSEのハコバンのメンバーとなる。本人いわく、「全然なるつもりはなかったんだけど、ズルズルと」プロの世界へ足を踏み入れたそうだが、やがては売れっ子のジャズドラマーとして活躍するようになっていく。もちろんそこにはドラマーとしての確かな腕前と、技術を得るためのドラムに対する強い好奇心があったことは言うまでもない。

ドラム専門誌でも度々表紙を飾っている。画像は『リズム&ドラム・マガジン』2012年8月号
ドラム専門誌でも度々拍子を飾っている。
画像は『リズム&ドラム・マガジン』
2012年8月号

しかし芳垣のその後の活躍から考えるに、芳垣安洋というドラマーの本当の魅力というのは、ジャズドラマーという枠に収まらない、自由で創造性の高いリズムを生み出せるところにあると言っていいのかもしれない。芳垣のドラムが多くの演奏家たちから愛され、演奏に誘われ続ける背景には、そうした演奏家たちと同じ、いやもしかするとそれ以上に、芳垣が幅広い音楽を愛し、興味を持っているという事実があるのだ。


プロとしては「ジャズ」に出自を持つ芳垣ではあるが、中学、高校の頃はロックが好きで、SANTANAを聴いてラテンに興味を持ったり、コステロやTHE SPECIALSを聴いてレゲエに傾倒したりと、様々な音楽を聴き続けていた。だからジャズドラマーとして仕事を得るようになっても、その枠には収まらず、やがては自身でサルサバンドを立ち上げ、関西を中心に精力的な活動を展開するようになっていく。さらには1989年、関西を中心に即興のムーブメントが起きていた最中、現在も活動が続いているアルタード・ステイツを、内橋和久、ナスノミツルと共に結成することになる。

芳垣:俺らが関西でやってた即興演奏を東京の人たちもすごく関心を持ってくれて、東京にも呼ばれるようになって。その流れで、不破大輔と出会って渋さ知らズに参加したり、大友良英とも一緒にやり始めたんだよね。そうこうしているうちに、引きずり込まれるようにモダンチョキチョキズをやるようにもなって、このバンドは主要メンバーが東京に行っちゃったから、俺も東京に行くことがますます増えて行ったんだよね。

そうして音楽的にも人脈的にも徐々に幅を広げていく中、芳垣にとってひとつの大きな転機となったのが、1995年に起きた阪神・淡路大震災だったそうだ。この震災をきっかけに、2年後の1997年、芳垣は東京へと拠点を移すこととなる。兵庫県出身の芳垣が、この震災で大きなダメージを受けたことは言うまでもないが、しかし、東京へと移ることを決めたのは、決してネガティブな決断だったわけではない。

芳垣:震災によって関西の音楽シーンに元気がなくなったっていうことはなくて、逆に、ソウル・フラワー・ユニオンみたいに、「どこでもいいからやろう」っていう連中が増えたよね。俺が東京に行くことにしたのは、単純に当時ドラムを教えるために使ってた場所が壊れて使えなくなっちゃったりとか、いくつかの仕事がストップしちゃったからで。それに、大友や不破なんかとの活動もあって、東京でも大阪でも変わりなくできるっていう状況もあったからね。

実際に、東京移住後の芳垣の活動ペースは少しも落ちることなく、むしろますます活発になっていった。1999年には自らのリーダーバンド「VINCENT ATMICUS」を始動させた他、大友良英ニュー・ジャズ・クインテット(ONJQ、現ONJT)、菊地成孔率いるDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN(現DCPRG)での活動も始まるなど、これまでに積み重ねた経験が、より大きな舞台で生かされるようになっていったと言えるだろう。ただ、これだけの大きな変化があれば、逆に音楽活動に対する迷いが生じてもおかしくはないような気もするのだが、芳垣は平然とこう答える。

VINCENT ATMICUSライブ写真。バックでは菊地成孔がサックスを演奏している
VINCENT ATMICUSライブ写真。バックでは菊地成孔がサックスを演奏している

芳垣:東京の方が、ジャズをやる人でオリジナルの曲をやる人が多かったから、あんまりバンドが増えちゃうと曲を覚えきれなくて(笑)。そういう面で大変な部分はあったけど、逆に言えばそれぐらいで、東京に来たからといって迷うことは特になかったかな。

ROVO、ONJQ、デートコース…様々な参加バンドへの想い

ミニマルに絡まるサイケやエキゾチカなアンサンブルを志向したVINCENT ATMICUS、大友良英を中心とするジャズコンボのONJQ、菊地成孔を中心とするエレクトリック・マイルス的なビッグバンドのDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN。99年に始まった各バンドはそれぞれ先鋭的な音楽性を持ち、現在に至るまで語り継がれるこれらのバンドを並行して活動するということは、すなわち芳垣のドラマーとしての技量の高さをそのまま示すものだったと言える。そしてもう1組、これらのバンドに先立って95年にスタートし、現在も芳垣の主要バンドのひとつと言えるのが、勝井祐二と山本精一を中心に結成されたROVOである。

ROVOライブ写真
ROVOライブ写真

芳垣:ROVOを最初にやり出したときは、例えば、ドラムンベースであったり、そういうビートを人力でやるってことがまず面白かった。もちろん、そういうビートって時代と共に変わっていくんだけど、ツインドラムの相方の岡部(洋一)はブラジル音楽とかアラビックなものとかからインスパイアされたすごく面白いものを出してくる人間で、ふたりで駆け引きをやっていると、自然に新しいビートというか、これまでにないようなリズムが作れて。それは最初から面白かったし、今は無理に「新しいものを」とか意識せずに、自然にできてると思うな。

VINCENT ATMICUSや、03年に芳垣がスタートさせたOrquesta Nudge! Nudge!、そしてオルケスタ・リブレにも参加しているパーカッショニストの岡部洋一は、今や芳垣にとって一番のパートナーと言える存在だ。ROVO以前からジャズのセッションなどで共演はしていたが、勝井の要請によりROVOでツインドラムを組んだことが、今に至る蜜月の始まりであったとも言え、その点でもROVOは芳垣にとって大きな意味のあるバンドだったと言えるかもしれない。

芳垣:岡部とはいろんなことを一緒にやってるけど、実はリズムがどうこうっていう話はほとんどせずにやってきてて、そういう意味ではホントに楽な相手ではあるね。基本的な音楽に対する向き合い方が似てて、彼も相当幅広くいろんなものを聴いてるから、そういうところでも話が早い。もちろん、今までいろんな素晴らしいプレイヤーと共演してきたけど、同一の人と様々なリズムを自在に組もうと考えると、自分が満足するぐらいの許容量を持った人間っていうのは、岡部だったんだよね。

Orquesta Nudge! Nudge!のメンバーたち。芳垣の右隣にいるのが岡部洋一
Orquesta Nudge! Nudge!のメンバーたち。芳垣の右隣にいるのが岡部洋一

ONJQとデートコースに関しては、まず両バンドの主要人物でもある大友良英が90年に立ち上げたプロジェクトGROUND-ZEROのことから書いておく必要があるだろう。GROUND-ZEROの後期には芳垣と菊地成孔が共に参加していたが、98年に解散。翌99年にスタートしたONJQの初期には菊地が、デートコースの初期には大友が、それぞれ参加していたのである(菊地は初期のVINCENT ATMICUSにも参加)。そしてそのすべてに関わってきた芳垣だからこそ、冷静な視点でこれらのバンドを語ることができる。

芳垣:大友がやってることも、菊地がやってることも、ジョン・ゾーン(90年代には高円寺に住んでいたこともある、ニューヨーク出身の音楽プロデューサー/サックス奏者。95年にTZADIK RECORDSを設立し、GROUND-ZERO、ROVO、ONJQをはじめ、多くの日本人の作品をリリースしている)がやってることもそうだけど、根本的な考え方とか方法は、一昔前の現代音楽やフリージャズ、民族音楽などにも同じような形のものがあったりして、それを今の時代に、どういう音楽にしていくかっていうことを、彼らはそれぞれ自分の方法でやってきたんだよね。即興とコンダクション(指揮)とか、そういったさじ加減の違いが、それぞれの音楽につながってるんだと思う。だから、音楽をやる方法論としては、大きな流れで見ると昔から共通してたのかなって。

DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENのライブ
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENのライブ

自らが率いるバンドと、誰かがリーダーを務めるバンドへの参加を、常に複数並行させながら、キャリアを重ねてきた芳垣。そこには常に自らを成長させていこうとする、音楽に対する真摯な想いがあったことは、言うまでもないだろう。

芳垣:自分が興味を持てる人に誘われた場合でも、そこで自分が普段あんまりやってない方法論とかスタイルのものをやらなくちゃいけないことはあるよね。でも、それはそれで自分にとってプラスになることなわけ。どこに行っても自分の方法でしかやらないって人ももちろんいると思うけど、その音楽にとって一番大切なものは何かを考えて、その上で自分ができること、可能性があることを提供するっていう、自分はそれをずっとやってきたつもり。それは結果的に自分自身をどんどん膨らませていくことにつながったと思うんだよね。

意味のある音楽を鳴らす、オルケスタ・リブレ

こうして日本屈指のドラマーとなっていった芳垣が現在最も力を入れている最新プロジェクトが、2011年にスタートしたオルケスタ・リブレである。ロック、ポップス、ミュージカル、映画音楽からアフリカやラテンアメリカの音楽まで、芳垣の考えるスタンダードナンバーをジャンル問わずピックアップし、まったく新しい解釈・アレンジによって演奏するミニオーケストラだ。

芳垣:東京の僕ら周りのバンドってみんなオリジナルをやるんだけど、単純に自分が好きな曲っていうのもやってみたいんだよね。でも、ただその曲を譜面に合わせてセッションするんじゃなくて、自分がその曲をやることの意味合い、「僕らがやるからこの曲がこうなるんだ」っていうのをやっぱりやらないとね。長年音楽やってきて、「好きな曲をやってるだけじゃん!」って言われたくはないから(笑)。

芳垣安洋
芳垣安洋

かつて阪神・淡路大震災をきっかけに東京に移ってきた芳垣だが、オルケスタ・リブレのスタートにあたっては、昨年の東日本大震災がひとつの契機となっている。

芳垣:あの時期ってホントにいろんなことが停滞しちゃってたじゃない? 自分の仕事も、大きなイベントがどんどんなくなっちゃったし、日本国中が停滞してるような感じだった。そんな時期に、僕は毎年6月末に新宿ピットインで4日間の企画をやってるんだけど、そのラインナップを決めなきゃいけなくて。毎日暗い話しかなくて、みんな元気がないし、自分自身も気持ちが落ちてたから、「とりあえず楽しくて、元気が出るようなことをしたい」って、ホントそれだけの気持ちでカバーをやることにして。自分がやりたい曲をやればもちろん自分は元気が出るし、今の若い人も昔のポップスをもう1回取り上げたりしてるから、きっと聴いてる人も楽しくなるんじゃないかなって思って。スタンダードになり得た曲っていうのは、やっぱり何かエネルギーを持ってるから。

この日をきっかけにスタートしたオルケスタ・リブレは、今年の7月に2枚のアルバムを同時に発表している。柳原陽一郎とおおはた雄一の参加した2枚組のボーカルアルバム『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』と、インストの『Can’t Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』だ。

左:Orquesta Libre『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』ジャケット、右:Orquesta Libre『Can't Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』ジャケット
左:Orquesta Libre『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』ジャケット
右:Orquesta Libre『Can't Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』ジャケット

ここで注目すべきは、やはり『うたのかたち』だろう。これまでの参加バンドや、ドラマー/打楽器奏者としての芳垣のイメージからすると、言葉のある音楽というのはすぐには結び付かないが、演劇や映画の音楽制作も手掛け、文学座などの劇団の役者や演出家とも交流のある芳垣にとって、言葉はサウンドと同様にとても大事なものなのである。芳垣がドラマー/打楽器奏者の枠を超え、アーティストであり表現者と呼ばれることが多いのは、ここに理由がある。

芳垣:今回おおはたと柳原には日本語で意訳をしてもらったんだけど、もともと彼らの書く歌詞って、今のポップスとかJ-POPにありがちな私小説的な歌詞じゃないんだよね。みんなにメッセージを伝えてて、それはすごく大きいことだと思う。今のポップスに一番足りないのがそういうことだと思うから。音楽だけでなくいろんな分野で、表現する人がみんな私小説的に完結してしまって、「僕はこう思うんだ、君も同じだよね?」っていうところまでで終わっちゃってるものが多い気がする。そんな意味合いで考えると、昔の曲はメロディーはもちろん、言葉の持ってる力もすごく大きい訳で、そういうことも含めて歌ってもらったし、インストに関しては、言葉の意味合いもサウンドの中に溶け込ませてアレンジしていって。そうやって僕らが音楽に憧れた気持ちをもう1回引きずり出して、いろんな人に伝えたかった。

この私小説的な表現に対する違和感というのは、いわゆるTwitter型のコミュニケーションが蔓延する現代に対する的確な批評になっていると言えるかもしれない。また、かつて自らが憧れた音楽にもう1回向き合うということは、震災によって落ち込んだ気持ちを、初期衝動を思い出すことによって奮い立たせようとしたことに他ならないだろう。そして、かつての音楽に対する真っ直ぐな愛情は、様々な経験を経て、自らの作り出す音楽・表現に対する熱量へと変わっていた。そう、芳垣は今再び、熱く燃えているのだ。

芳垣:「人間の本質はこうでなくちゃいけない」っていうようなことばかりを歌うつもりはないけど、でも本当に心を揺さぶる、感動できる言葉を伝えるっていうのは、表現者にとってすごく大切なことだと思う。一方、言葉を使わない表現でも、人の想像力を膨らませられるものじゃないと面白くないから、ただ表現するだけじゃなくて、その音楽にいろんなものを感じられるような、そのぐらいの気持ちで表現していかなきゃいけないと思ってる。せっかく何年も音楽をやってきたんだからさ、そのくらいしないとダメでしょ(笑)。いろいろ失敗も繰り返して、今までやってきてできたことできなかったことがあって、そういうのを全部受け入れて、その上で自分が今やれることのひとつの形がこれなんだと思うんだよね。

自由というのは、自分で責任を持つということ

今年の『フジロック』では、3日目のオレンジコートに出演したオルケスタ・リブレ。残念ながら僕は見ることができなかったのだが、見た人の話いわく、そこには非常にハッピーな時間が流れていたという。

芳垣:今演奏するときに大切にしているのは、自分が楽しく演奏したいっていうこと。やっぱりいつも楽しかったかっていうとそうじゃないときもあって、「何で今演奏してるんだろう?」とか、「今日は左足が重いな」とか、しょうもないことを考えて演奏しちゃうときもあって。でもそうじゃなくて、音楽をやりたいと思った初期衝動であり楽しさを今も感じて、その上で演奏しないと、お客さんに本当の意味では伝わらない気がして。だから、自分が音楽をやるのがホントに楽しいんだって思ってステージに向かっていけたらいいと思うし、そう思うようになってる自分の気持ちと、今一番リンクしてるのがオルケスタ・リブレなんだと思う。

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意味のある音楽を、あくまで楽しく鳴らすことを目的に作られたプロジェクトに、芳垣はオルケスタ・リブレ(スペイン語で、「自由楽団」)という名前を付けた。それはどこか、ソウル・フラワー・ユニオンの代表曲のひとつ“うたは自由をめざす!”にも似た、様々な困難を前向きな気持ちで乗り越えようとする、強い決意を感じさせるものである。そして、この「自由」の捉え方が実に芳垣らしく、様々な人やバンドに関わってきた彼のこれまでのキャリアを裏打ちするような考え方だったので、最後にその言葉を紹介しておきたい。

芳垣:ホントは何にも束縛されなくあれたらいいんだけど、ひとりきりならそれでよくても、バンドをやって、メンバーはもちろん、お客さんとかレーベルの人とかいろんな人が関わってくれてるから、ホントの意味で「何でもいい」とはなれないよね。だから…自由っていうのは、自分で責任を持つことじゃないかな。自分がちゃんと立ってることに責任を持つことができれば、人と人との関わり方っていうのは、いい意味で自由になっていくと思う。すごく難しいけど、人に律されないと責任を持てないっていうのではダメで、みんながそういう意識をちゃんと持って、そういう人たちが集まったら、お互いにいろんなものが共有できると思うんだよね。

リリース情報
Orquesta Libre
『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』(2CD)

2012年7月4日発売
価格:3,000円(税込)
EWGL-0013/14

[DISC1]
『オルケスタ・リブレと柳原陽一郎』
1. アラバマ・ソング
2. ジゴロのバラード
3. モリタート(live ver.)
4. 「人間はどうやって生きてきたのか?」(『三文オペラ』第2のフィナーレ)
5. いつもさよならを
6. アルフィーのテーマ
7. スマイル
[DISC2]
『オルケスタ・リブレとおおはた雄一』
1. いとしのセシリア
2. ゴロワーズを吸ったことがあるかい
3. リリー・マルレーン〜青い旅団
4. オー・シャンゼリゼ
5. パープル・ヘイズ
6. アイ・シャル・ビー・リリースト

Orquesta Libre
『うたのかたち〜UTA NO KA・TA・TI』[MP3]

価格:1,950円(税込)
こんなに楽しくてスリリングなジミヘンやバカラック聴いたことないっ!

Orquesta Libre
『Can't Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』(CD)

2012年7月4日発売
価格:2,500円(税込)
EWGL-0015

1. 首の差
2. ハッシュ
3. パープル・ヘイズ
4. 小さな願い
5. 遥かなる影
6. ハロー・ドーリー
7. シシリアンのテーマ
8. 砂の岬
9. 好きにならずにいられない

Orquesta Libre
『Can't Help Falling In Love〜好きにならずにいられない』[MP3]

価格:1,800円(税込)
緻密にアヴァンギャルド!コミカルでドラマチック!

プロフィール
芳垣安洋

1959年生まれ。関西のジャズエリアでキャリアをスタートさせ、モダン・チョキチョキズ、ベツニ・ナンモ・クレズマー・オーケストラ、渋さ知らズなどに参加後上京。山下洋輔、坂田明、梅津和時、巻上公一、菊地成孔、オオヤユウスケ、高田漣、小島真由実、浜田真理子、カヒミ・カリィ、UA、原田郁子、Jhon Zorn、Bill Laswellなど様々なミュージシャンと共演。現在、ROVO、大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ、南博GO THERE、アルタード・ステイツや自己のバンドVincent Atmicus、Emergency!、Orquesta Nudge!Nudge!等のライブ活動の他、蜷川幸雄や文学座などの演劇や、映画の音楽制作も手掛ける。メールスジャズフェスを始めとする欧米のジャズや現代音楽のフェスティバルへの出演や、来日するミュージシャンとの共演も多く、海外ではインプロヴァイザーとしての評価も高い。レーベル「Glamorous」を主宰する。



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