20世紀の芸術を変えたバレエ・リュスを、桜沢エリカが語る

20世紀初頭に産声をあげ、現代のパフォーマンスアート界のみならず、絵画や音楽、ファッションなどあらゆる芸術運動に影響を与えているというバレエ団「バレエ・リュス」。「ロシアのバレエ団」というそっけない意味の名前に反して、今や、その活動は伝説的に語り継がれています。

プロデューサーであるセルゲイ・ディアギレフを中心に、驚異的な跳躍力を見せた天才ダンサー、ワツラフ・ニジンスキー。さらに美術ではピカソやマティス。デザイナーではココ・シャネル。現代音楽の祖とも言われるエリック・サティやストラヴィンスキーなど、当時最先端の才能とコラボレーションを行ない、総合芸術としてのバレエを築き上げていったバレエ・リュス。

いったい、バレエ・リュスとは何だったのか? その功績を衣裳美術を通して振り返る『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』(国立新美術館)の開催と同時期に、奇遇にも漫画『バレエ・リュス』を『FEEL YOUNG』誌で連載開始した漫画家の桜沢エリカさんにお話をうかがいました。

ピカソやマティス、ココ・シャネルまでが参加した「バレエ・リュス」とは何だったのか?

20世紀初頭、1929年に世界恐慌が訪れるまでの30年間は、アートシーンにとって重要な意味を持つ時代でした。キュビスムやダダイスム、シュルレアリスムといった、新しい美術の潮流。さらにドイツではバウハウスが設立され、ロシアでは「ロシア・アヴァンギャルド運動」が勃発。20世紀以降のアートの基礎となる運動が相次いで花開いていったのが、この時代だったのです。

そんな爛熟の時代、芸術を愛する若きロシア人が、芸術の都・パリでとびきり壮大な野望を実現しようとしていました。彼の名前は、セルゲイ・ディアギレフ。バレエカンパニー「バレエ・リュス」のプロデューサーであり、その「バレエ・リュス」の活動は、現代に至るまで影響力を及ぼしていると言われています。フランスを中心に、ヨーロッパやアメリカ大陸で、センセーショナルな注目を集めたバレエ・リュスは、バレエという枠内にとどまらず、さまざまな芸術ジャンルとコラボレーションを実施。当時、フランスでは「低俗なエンターテイメント」と見なされていたバレエを、あらゆる美が有機的に絡まる最先端の「総合芸術」へと昇華することが、彼の目的だったのです。

ジョゼ=マリア・セール ドレス(『女の手管』より)1920-24年 オーストラリア国立美術館
ジョゼ=マリア・セール ドレス(『女の手管』より)1920-24年 オーストラリア国立美術館

一流の才能がジャンルを超えて集結する磁場となったバレエ・リュス

今回、国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』の開催と偶然にも同時期に、女性向け漫画誌『FEEL YOUNG』において、漫画『バレエ・リュス』の連載を開始した桜沢エリカさんは、その魅力を、多彩なメンバーたちに見だしているそうです。

桜沢:以前からバレエを観に行くのが好きで、自分で習い始めたりもしていたんです。山岸凉子さんや槇村さとるさんといった大御所の方が描いていたバレエ漫画も大好きで、ずっと描いてみたいと機会を狙っていたんですが、ついに『FEEL YOUNG』の編集長から「バレエ・リュスを題材に描いてみない?」とお話をいただいて、実現することになりました。実際に資料を集めていろいろ調べてみると、バレエ・リュスの周辺にはピカソやマティス、ストラヴィンスキーやエリック・サティなど、さまざまなアーティストが存在していたことがわかりました。バレエ・リュスを描くことで、ディアギレフやニジンスキーといったバレエ団の関係者だけではなく、いつか描きたいと思っていたココ・シャネルのことまでも描けてしまうんです!

桜沢エリカ
桜沢エリカ

たとえば、寺山修司の主宰した劇団「天井桟敷」に横尾忠則や美輪明宏らが出入りしたように、あるいはアンディ・ウォーホルの「ファクトリー」にミック・ジャガーやルー・リード、トルーマン・カポーティなどの面々が出入りしたように、バレエ・リュスには、同時代の一流の才能がジャンルを超えて集結する磁場がありました。当時のヨーロッパを代表する芸術家たちは、まるで吸い寄せられるように一人のロシア人プロデューサーのもとに集っていったのです。

「バレエを観るとアガるんですよね(笑)。ダンサーのストイックに鍛え抜かれた、美しい身体の躍動をじっくりと観ることは、非日常的で貴重な体験だと思います」(桜沢)

ところで「バレエ」と言っても、チケット代が高かったり、今の日本ではなかなか本物を観る機会も少ない芸術の1つと言えるかもしれません。桜沢さんはバレエにどのような魅力を見出しているのかを聞いてみました。

桜沢:バレエダンサーのストイックに鍛え抜かれた、ある意味人間離れした身体の美しさや一挙一動は観ていて本当に感動しますね。そんな美しい身体の躍動をじっくりと観ることができるというのは、非日常的で貴重な体験だと思います。たとえば、バレエを観た後にミュージカルや演劇を観に行くと、演じている人の体つき、容姿……ぜんぜん違うなあと思ってしまうんです。バレエは言葉がないからこそ、身体だけで表現しなければいけない。だから、音楽や物語にも集中できるというのもありますね。

国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景
国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景

じつは数々の漫画作品において、特に身体にはこだわりを持って描き続けてきたという桜沢さん。バレエ鑑賞はそういった部分のクリエイティビティーにも影響を及ぼしているそうです。

桜沢:結婚するくらいまでは、漫画で一番力を入れて描いていたのは裸のシーンだったんです。身体の線を描くのが大好きだったんですね。結婚して子どもが生まれてからは、あまり裸のシーンを描くことがなくなったのですが、でもバレエを観るとアガるんですよね(笑)。だから今回の漫画『バレエ・リュス』でも、中性的な魅力が特徴であるニジンスキーをより筋肉質に描いてみたり、いろいろ工夫をこらしています。

一度は「低俗なエンターテイメント」と呼ばれたバレエの地位を引き上げようとした、芸術の目利き・ディアギレフ

バレエ・リュスを主催し、すべての公演をプロデュースしていた、セルゲイ・ディアギレフ。では、なぜディアギレフは、ジャンルを超えた超一流のアーティストたちをバレエ・リュスに参加させ、また一度は「低俗なエンターテイメント」と呼ばれたフランスでのバレエの地位を、現在のような位置にまで引き上げることができたのでしょうか。

国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景
国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景

ディアギレフは1872年、ロシア生まれ。音楽や文学イベントを定期的に開催する両親のもとで、芸術文化のエリート教育を受けて育ちました。20代には、印象派など当時の前衛美術を紹介する展覧会をキュレーションしたり、ロシア初の芸術雑誌『芸術世界』を創刊し、編集長をつとめるなど、「芸術の目利き」としてその頭角を現していきます。1906年、当時の芸術の中心地・パリに向かい、展覧会やコンサート、オペラなどの興行を開始。彼がバレエ・リュスの実質的な旗揚げ公演を敢行し、大成功を収めたのは、それから3年を経た1909年でした。

桜沢:バレエ・リュスの歴史を語る上で、ディアギレフは「裏方の役割=プロデューサー」だったというのもあり、どちらかと言うとニジンスキーやストラヴィンスキーといったスターの影に隠れていたそうです。しかし、彼がいなければバレエ・リュスは絶対に始まらなかったし、最終的には彼が亡くなったことでバレエ・リュスも消滅してしまいました。つまり、バレエ・リュスとは彼自身でもあったと思うんです。

桜沢エリカ

世界三大バレエ団の1つと称されるロイヤル・バレエ団(イギリス王立バレエ団)の発祥は、ディアギレフに見出されたバレエ・リュス出身のダンサー、ニネット・ド・ヴァロアが設立したバレエ団。さらに、バレエ・リュスの立ち上げにも参加した振付家、ミハイル・フォーキンは、モダンバレエのオリジネイターと言われており、その後、モダンバレエからコンテンポラリーダンスが派生したことを考えると、もし「ディアギレフ=バレエ・リュス」が存在しなかったら……現在のアートシーンはまったく違ったものになっていたかもしれません。『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』の担当研究員、国立新美術館の本橋弥生さんは、ディアギレフの才能に、こう注目しています。

本橋:ディアギレフは芸術に対する愛情が深く、さらに審美眼がとても優れており、埋もれた才能を発掘する力が非常に高かった人なのではないかと思います。さらに一流のアーティストでも、ディアギレフと交流して意見交換を行うことで、芸術家として別の才能を開花させることもありました。だからこそ、カリスマプロデューサーとして多くのアーティストから支持を集めたのではないでしょうか。

「パトロンから莫大なお金を集めて、私腹を肥やすのではなく、みんなに素敵なものを観せたいという気持ちで作品を作っていた。だから人々も彼を純粋に応援したくなったんだと思います」(桜沢)

尚、バレエ団といえば、国家や王室の庇護を受けて運営されるイメージがありますが、バレエ・リュスは非常に珍しい、自主興行で運営されたバレエ団でもあります。ディアギレフ自身、ロシアの富裕層出身でしたが、一流アーティストがコラボレーションする総合芸術を目指したバレエ・リュスを運営するには自身の財産ではまったく足りませんでした。バレエ・リュスが活動した約20年間、60回以上にわたる公演を支えたのは、ディアギレフによる莫大な借金、そして彼を支えたパトロンたちだったのです。

レオン・バクスト「女王タマールの友人」、「女王タマール」、「レズギン人」の衣裳(『タマール』より)1912年頃 オーストラリア国立美術館
レオン・バクスト「女王タマールの友人」、「女王タマール」、「レズギン人」の衣裳(『タマール』より)
1912年頃 オーストラリア国立美術館

桜沢:ディアギレフは総合芸術としてのバレエのクオリティーに妥協することはなく、美術や衣裳など、採算を度外視してでも完成度を追究する人だったそうです。じつはバレエ・リュスのことを調べていて一番共感したのは、ミシアというパトロンの女性でした。ココ・シャネルの親友でもあった人なんですが、芸術やバレエ・リュスのことが大好きで、次は何を観せてくれるのかしらと、ディアギレフたちに惜しみない援助を続けた。ディアギレフのプロデュースする作品を一番楽しんでいたお客さんでもあります。ダンサーではなく、あくまでもお客さん視点というところが、私にとってしっくり来るのかもしれません。

バレエ・リュスの公演は、アートや音楽、ファッション業界をも巻き込み、パリで最先端の舞台としてその地位を確立します。しかし大成功を収めたにもかかわらず、ディアギレフは大借金を背負い、あるときは私物や舞台セット、衣裳までも差し押さえられる結果に……。しかし、それでもパトロンたちは彼に惜しみない支援を続けました。そこには、ディアギレフという人物に対する絶大な信頼があったのかもしれません。

レオン・バクスト「ニンフ」の衣裳(『牧神の午後』より)1912年頃 オーストラリア国立美術館
レオン・バクスト「ニンフ」の衣裳(『牧神の午後』より)1912年頃 オーストラリア国立美術館

桜沢:今の世の中では、なかなかこういう人っていないですよね。パトロンから莫大なお金を集めていても、それで私腹を肥やすのではなく、みんなに素敵なものを観せたい、提供したいという気持ちで作品を作っていた。だからパトロンの人たちも純粋に応援したくなったんだと思います。

ニジンスキーとの同性愛。芸術への愛情と、嫉妬に狂う恋心の狭間で

そして、そのディアギレフが才能を発掘し、最も愛したと言われるバレエダンサーが、かの有名なワツラフ・ニジンスキーでした。

10歳の頃からサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場付属舞踊学校でバレエを学んだニジンスキー。彼の魅力は「空中に止まっているように見える」と称されるほどの高い身体能力、そして中性的な存在感でした。当時のバレエダンサーの主流は女性でしたが、『青神』『ペトルーシュカ』『薔薇の精』などの演目でニジンスキーが見せる、力強く、官能的なダンスは、パリの人々を次々に魅了していきます。そんな彼のセクシャリティもまた、観客を魅了する一因となったのかもしれません。

オーギュスト・ベール『「薔薇の精」─ニジンスキー』1913年 オーストラリア国立美術館
オーギュスト・ベール『「薔薇の精」─ニジンスキー』1913年 オーストラリア国立美術館

桜沢:ディアギレフは芸術も含めて、本当にただ美しいものが好きだったんだと思います。でも、ニジンスキーの写真を見たときに、現代の人と比べると意外にもスタイルが良いとは言えないところもありました。漫画『バレエ・リュス』の次回では、ディアギレフとニジンスキーの関係について描くのですが、ニジンスキーの身体は少し誇張して、ムキムキだけどかわいい感じに、そしてスタイリッシュに描こうと思っています(笑)。

今ではバレエ・リュスの代名詞となっているニジンスキーですが、じつは在籍した期間は意外なほど短く、バレエ・リュスが設立されて4年後の1913年にはバレエ団を離れてしまいます。原因は、バレエ・リュス南米公演の途中にハンガリーの富豪の娘でダンサーのロモラ・デ・プルスキと恋仲になり、結婚式をあげてしまったこと。ツアーに帯同しなかったディアギレフは「恋人」の裏切りに激怒。彼を即座に解雇してしまったのです。芸術を心から愛するディアギレフをもってしても、嫉妬に狂う恋心は芸術への愛情を凌駕するものだったのかもしれません。

映像ではなく、衣裳として現代まで残されたバレエ・リュスのクオリティー

ディアギレフが夢見て、達成したバレエ・リュスという名の「総合芸術」。しかし、ディアギレフは作品を映像に残すことを嫌ったため、現在バレエ・リュスの活躍を映像で観ることはできません。それだけに『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』に展示される、オーストラリア国立美術館に所蔵されたバレエ・リュスの舞台衣裳は、保存修復されながら、彼らが歩んだ当時の空気を伝える貴重な証言者となっています。

国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景
国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景

バレエの衣裳といえば、真っ白なチュチュとタイツというイメージが強くありますが、そんな先入観を持っていると『バレエ・リュス展』の展示作品は意外なものばかりに見えそう。そこには、青や黄色、ピンクなど、鮮やかな色彩やモチーフが多用された衣裳の数々が目に飛び込んでくるからです。

桜沢:残されていた写真資料は白黒のものばかりだったので、まさかここまで豪華で、細かい作りになっているとは思いませんでした。バレエ・リュスの初期の衣裳に携わったレオン・バクストによるオリエンタルなデザインも素敵だし、その後の衣裳もブルーやピンクがとてもビビッドですよね。当時のフランスにはなかったセンスだと思うし、ロシア出身のディアギレフならではのセンスも反映されているのではないでしょうか。

 

レオン・バクスト≪シェエラザード≫の衣裳のためのデザイン画『バレエ・リュス 公式プログラム』(『コメディア・イリュストレ』別冊 1910年6月15日)pp.11-12 オーストラリア国立美術館
レオン・バクスト≪シェエラザード≫の衣裳のためのデザイン画『バレエ・リュス 公式プログラム』(『コメディア・イリュストレ』別冊 1910年6月15日)pp.11-12 オーストラリア国立美術館

と、感嘆の声を上げる桜沢さん。また、担当研究員の本橋さんによれば、色彩以外にもさまざまな特徴が見いだせると言います。

本橋:レオン・バクストの衣裳は、色彩が鮮やかなだけではなく、当時では最先端となるアセテートやナイロンなどの化学繊維も多用しており、24金の糸やオコジョの毛皮などが使われているゴージャスなもの。バクスト以外のデザイナーでも、ゴンチャローワはロシアの土着的なデザインを衣裳に取り入れているし、ラリオーノフの衣裳は「ロシア構成主義(1910年代の芸術運動)が立体化するとこうなるのか!」という驚きを与えてくれます。

国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景
国立新美術館『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』展示風景

桜沢:本物の金や真珠が惜しみなく使われて、裁縫も凝りまくった衣裳の数々を見ていると、たしかに、ディアギレフが破産寸前に追い込まれてしまったというのも無理はないですよね……(笑)。

ニジンスキーの汗やドーランがしみ込んだ『青神』の衣裳も展示

プロデューサーという立場でありながら、予算をかけて徹底的に美に対してこだわりぬき、クオリティーに手を抜くことがなかったディアギレフ。その意識の高さは当然、関わったアーティストやデザイナーたちにとっても刺激となり、それぞれのクリエイティビティーがより発揮される結果となりました。バレエ・リュス32演目の衣裳が展示されている本展で、桜沢さんが最も注目するのは、ジャン・コクトーが台本を執筆し、バクストが手がけた『青神』の衣裳だそうです。

レオン・バクスト「青神」の衣裳(『青神』より)1912年頃 オーストラリア国立美術館
レオン・バクスト「青神」の衣裳(『青神』より)1912年頃 オーストラリア国立美術館

桜沢:今回展示される『青神』の衣裳は、ニジンスキーが実際に着ていたそうなんです。首元に青いドーランが残されているらしいのですが、それはまさにニジンスキーの汗が滲んだもの。また、注目したいのが、スカートの裾の部分。現在、映像などは残されておらず、どのような振付が行われていたかは定かではないのですが、スカートの裾の部分にビーズが破損している箇所があるため、足を強く踏む振付があったのではないかと考えられているんです。

「青神」の衣裳(内側部分)写真提供:国立新美術館
「青神」の衣裳(内側部分)写真提供:国立新美術館

本橋:今から100年も前に、当時最先端の音楽、舞踊、美術が見事な形で融合した舞台があったということは、私たちに驚きを与えてくれます。映像資料は、ほぼ残されていないに等しいですが、衣裳からもその偉大さを感じ取ることができます。近年では芸術の範囲がボーダレスになり、より日常に近いものになっています。けれども、あえて非日常的で豪華絢爛なバレエ・リュスの活動を振り返ることは、これからの新しい表現にも役立つのではないでしょうか。

ゲオルギー・ヤクーロフ 「女性労働者」の衣裳(《鋼鉄の踊り》より)1927年頃 オーストラリア国立美術館
ゲオルギー・ヤクーロフ 「女性労働者」の衣裳(《鋼鉄の踊り》より)
1927年頃 オーストラリア国立美術館

ディアギレフは芸術と美しさのために、その生涯のあらゆるものを投げ出し、57年という生涯を終えました。美に取り憑かれた男・ディアギレフ、そしてバレエ・リュスが残した衣裳作品を手がかりに、20世紀初頭のヨーロッパ人たちを魅了したバレエ・リュスの足跡をたどると、そこには「総合芸術」という壮大な美の片鱗が見えてきます。

ちなみに桜沢さんの描く漫画『バレエ・リュス』は『FEEL YOUNG』誌でも読むことができますが、展覧会図録を購入するともれなく第1話を収録した小冊子を手に入れられるとのこと。数多くのアーティストが関わったバレエ・リュスの世界。今回のインタビュー記事だけでなく、さまざまな角度から楽しんでみることで、より多くのことが見えてくるかもしれません。

イベント情報
『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』

2014年6月18日(水)~9月1日(月)
会場:東京都 六本木 国立新美術館 企画展示室1E
時間:10:00~18:00(金曜と8月16日、23日、30日は20:00閉館、入場は閉館の30分前まで)
休館日:毎週火曜(ただし8月12日は開館)
料金:
当日 一般1,500円 大学生1,200円 高校生600円
団体 一般1,300円 大学生1,000円 高校生400円
※中学生以下および障害者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料
※7月25日、7月26日、7月27日は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)
※団体券は国立新美術館でのみ販売(団体料金の適用は20名以上)

講演会
『ディアギレフ——美を追い続けた男』

2014年7月6日(日)14:00~15:30
会場:東京都 六本木 国立新美術館 3階講堂
講師:鈴木晶(舞踊評論家、法政大学教授、早稲田大学大学院客員教授)
定員:250名(先着順)
料金:無料(要展覧会入場券)

講演会
『バレエ・リュスの功績』

2014年7月13日(日)14:00~15:30
会場:東京都 六本木 国立新美術館 3階講堂
講師:薄井憲二(公益社団法人日本バレエ協会会長)
定員:250名(先着順)
料金:無料(要展覧会入場券)

上映会
『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』

2014年8月16日(土)10:30、13:00、15:30
会場:東京都 六本木 国立新美術館 3階講堂
定員:250名(先着順、各上映回の入れ替えなし、整理券配布なし)
料金:無料(要展覧会入場券)
※字幕あり

解説会
2014年7月11日(金)、8月15日(金)18:30~19:00
会場:東京都 六本木 国立新美術館 3階講堂
講師:本展担当研究員
定員:250名(先着順)
料金:無料(要展覧会入場券)

書籍情報
『my dear life 素晴らしきかな女人生』

2014年5月8日(木)発売
著者:桜沢エリカ
価格:864円(税込)
発行:祥伝社

プロフィール
桜沢エリカ(さくらざわ えりか)

10代でデビューして以来、コミック誌やファッション誌、WEBなど多方面で活躍。女性の心情をリアルに描写した漫画やイラストを多く手掛けるほか、そのファッションセンスも注目を集める。1991~93年、名作『メイキン・ハッピィ』(祥伝社コミック文庫)で人気が不動に。常にその時々のオシャレでカワイイものや場所に敏感で、軽やかで洗練された画風もその魅力を最大限に生かしている。粋なストーリー漫画を描く一方で『シッポがともだち』(集英社YOU漫画文庫)のようなエッセイ漫画にも定評があり、自身の出産体験は『贅沢なお産』(新潮文庫)、『今日もお天気』シリーズ(祥伝社)に詳しい。趣味は健康道追求、バレエ鑑賞、お買い物。最新刊は、これまでにハマったモノや経験を紹介した『my dear life 素晴らしきかな女人生』(祥伝社刊)。



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