死ぬ気で不真面目をやり続けたい 桜井圭介&三浦康嗣(□□□)

チェルフィッチュにマームとジプシーに飴屋法水。空前の演劇ブームと呼んでもいいかもしれない昨今。ヒップホップの手法やポップミュージックを利用する新しい感覚の作品は、若者を中心に強い支持を集めている。だが、ふと考える。演劇と音楽は、本当はどんな相互作用を持っているのか? 今っぽい音楽をのせれば、それはイケてる演劇になるのか?

『あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014』で上演される、地点の『コリオレイナス』と、三浦直之(ロロ)の『ロミオとジュリエットのこどもたち』。前者には桜井圭介が、後者には□□□の三浦康嗣が音楽制作として参加しているが、彼らは演劇と音楽の関係をどのように捉えているのだろう。上演を控えた二人にインタビューしてわかってきたのは、一筋縄ではいかない音楽の有り様についてだった。そして、そこには音楽家として、いや人間としての生き方までもが反映しているのだった。

芝居を観ていて「音楽がなければいいのに」と思うことが多くて。そもそも僕は「BGM」という概念が好きじゃないんですよ。(三浦)

―今日は音楽家の二人に、自分の音楽ではなく、他人の舞台に音楽を提供することについて伺いたいと思っています。『あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014』で、三浦(康嗣)さんはロロを主宰する三浦直之さん演出の『ロミオとジュリエットのこどもたち』、桜井さんは地点による『コリオレイナス』の再演にそれぞれ参加されています。

『コリオレイナス』チラシ
『コリオレイナス』チラシ

桜井:『コリオレイナス』は、ロンドンのグローブ座が初演(2012年)で、その後、モスクワ、サンクトペテルブルク、京都、フィンランドあたりを回って……今回の東京公演が8か所目です。

―『吾妻橋ダンスクロッシング』のキュレーターやダンス・演劇の批評家として桜井さんを認知している世代が今や多いのではないかと思いますが、じつを言えば僕もその1人です。なので、音楽家として活動する桜井さんにちょっと驚きました。

桜井:1990年代はずっと宮沢章夫さんの遊園地再生事業団の音楽を作っていて、その後はミクニヤナイハラプロジェクトの『青ノ鳥』とか。舞台音楽は好きな仕事ですけど、たしかに『コリオレイナス』は久しぶりでしたね。

―YouTubeにグローブ座公演の動画がアップされていましたが、桜井さんも舞台上で演奏されていました。


桜井:その動画見てもらえばわかるんだけど、グローブ座って音響設備とか照明とかないんですよ。青天井。16世紀シェイクスピアの時代だから。それで、三浦くんが……三浦くんは地点の三浦くんですが。

三浦:三浦が多すぎで、ややこしいな(苦笑)。

―地点の三浦基さんに、ロロの三浦直之さんに、□□□の三浦康嗣さんで、トリプル三浦ですね(笑)。

桜井:地点の(三浦)基くんからも「生演奏でお願いします」と言われて。初演の評判がけっこう良くて、ロシアとかフィンランドとかからも公演依頼が続いたんですが、そうするともれなく僕もツアーについて回るという(笑)。

桜井圭介
桜井圭介

―世界各国で大好評につき、昨年の京都公演に続いて再度日本に戻ってくる、と。そして□□□の三浦さんは、今回はロロの三浦さんと新作『ロミオとジュリエットのこどもたち』を上演するわけですね。

桜井:紛らわしいよ(笑)。

―すみません(笑)。でも、今作はどういう流れで制作が始まったんでしょう? 三浦さん同士の二人はこれまで交流があったんですか?

三浦:どこかで一度紹介されたことはありましたが、ちゃんと話したことは全然なくて。で、ロロの制作をされている方からオファーの連絡をもらって、「いいよー」って答えただけですね。

―チラシも、ロロの三浦直之さんと□□□の三浦康嗣さんの名前が並んでデザインされていて、さすがに目を惹きますよね(笑)。

『ロミオとジュリエットのこどもたち』チラシ
『ロミオとジュリエットのこどもたち』チラシ

三浦:そういえば、何で僕に依頼したのかは聞かなかったですね。

桜井:『ロミオとジュリエットのこどもたち』はどういう内容になりそうなの?

三浦:まだ全然決まってなくて、ワークショップを2回やっただけなんですけど、一応3部構成になるみたいです。第1幕で『ロミオとジュリエット』の大元のバージョンをダイジェストで一気にやって。第2幕は、古今東西に作られた『ロミオ~』のオマージュみたいな作品をたくさんやって。それで、第3幕は『ロミオ~』に触発された新作のオリジナル戯曲をやる、ということになっていますね。

桜井:音楽の基本的なアプローチは?

三浦:テーマになるメロディーはすごくシンプルなもので、それが全てのシーンに通底してればいいだろうな、と思っていて。で、今日思いついたんですけど、ユニコーンの“大迷惑”って曲に、<僕がロミオ、君がジュリエット~>っていう歌詞がありますよね。アメリカのヒップホップでも『ロミオ~』を含む歌詞がたくさんあるんですけど、第2幕のコンセプトにも合うと思うので、そういった「ロミオ~」と歌っている部分だけを集めて使う。そしてとにかく全体として、できるだけ俳優に歌わせたくない、シーンに音楽を当てたくない、っていうのはありますね。

三浦康嗣
三浦康嗣

―それは、ロロの三浦さんの意向ですか?

三浦:いや、僕の意向です。たまにしか芝居を観ないんですけど「音楽がなければいいのに」と思うことが多くて。そもそも僕は「BGM」という概念が好きじゃないんですよ。

とにかく劇伴みたいなのがすごく嫌いで。だったらもっと演劇だけで頑張れよ、って思う。(三浦)

―今、「BGM」という概念が好きじゃないとのお話でしたが、三浦さんが音楽で参加し、『第54回 岸田國士戯曲賞』も受賞した、ままごと『わが星』は、脚本・台詞と音楽が見事に絡み合った作品でしたね。

三浦:テーマ曲みたいなものを作って提供するだけだと面白くないと思って。ままごとの柴(幸男)くんは、そもそも構造的な芝居の作り方をする人だったし、「Live」という音楽アプリケーションを多少使えたので、“00:00:00”という曲の素材データをまるごと渡して、それありきで戯曲を書いてみたら? って提案したんです。とにかく劇伴みたいなのがすごく嫌いで。だったらもっと演劇だけで頑張れよ、って思う。

―BGM的にシーンに音楽を当てていく作り方ですね。

三浦:悲しいシーンに悲しい曲を流すとか、どうでもいいじゃないですか。それは映画でやればいい。だから、曲をバラした素材を柴くんに渡して、最終的な曲の構成を僕が決めないっていうのは、すごくいいと思った。音ありきで戯曲を書いてもらって、その戯曲によって曲が再構築されていく。そのくらいの深さのところで一緒に作っていかないと面白くないと思うんです。

桜井:BGMはダメだよね。

三浦:いらないですよ。どんどん減らしていったらいい。

桜井:演劇って今この瞬間に、いろんな物語や会話が展開していって何かが成立するわけでしょ。なのに、後ろのほうから場面を雰囲気づけるような悲しいメロディーが聴こえてくるのは不自然。そもそもどうして舞台にスピーカーが置いてあるわけ? リアリズムで考えたらBGMがかかるとか、ありえないですよ。物語では公園のベンチで2人がひっそり話していたりするのに。

音の支配力ってすごく強いんですよ。それを演劇に求めるならライブに行けばいい。(三浦)

―とはいえ作品の構造上、その場に音響機器があらざるをえない状況もあるわけですよね。とすると、それを見ないように観客が自分自身に暗示をかけるか、あるいは、あったとしたらどうすればいいかを演出でカバーしていく必要があります。

桜井:そこから考えるしかないよね。こないだ20年ぶりに遊園地再生事業団の『ヒネミの商人』を宮沢さんと再演したんですよ。結局初演とほぼ同じ内容でやったんだけど、1995年当時の僕らの共通認識は「劇伴はダサイ!」ってことだった。ヒネミという街の話なので、ヒネミの商店街ミュージックか何かわからないけど、通りの向こうから「プゥ~」って音が聴こえてくるっていうのをやった。しかもそれが芝居の内容とまったく関係ない、どうでもいいところでかかる。場面転換でも、これから物語が大変なことになるかもと予感させる系の悲劇的な曲をかける。でもやっぱり何も起こらないっていう。

左:桜井圭介

―徹底的に、ナンセンスに外していく。

桜井:そうそう。だから演劇における音楽の問題は、ずっと前からみんなが考えてきたことではある。でも、ボーッとしているとだんだんと保守化していって、音楽の扱いもテキトーになってしまう。それは今でも感じます。

―それは演劇全般においてですか?

桜井:どうなんだろう? 音楽と芝居の関係に必然性があればいいけど、うまくいかないとただのBGMになってしまうし、音楽でなんとか逃げ切ろうという演出家の意図が透けて見えちゃう。構造がちゃんとした芝居であれば、音楽が大音量でかかっていても拮抗できるんだけど、そうじゃないと音楽に引きずられてしまって本末転倒なことになる。良さげな曲がかかれば、人は簡単に泣きますから。

三浦:音の場の支配力ってすごく強いんですよ。だから、それを求めているならライブに行けよ、って。なんで演劇を観に来ているのにそんなの聴かなきゃいけないの、って思う。

―桜井さんが音楽をつけた地点の舞台も、音の扱い方が独特ですよね。

桜井:地点の場合、もともと音楽的にセリフを扱うじゃない。不自然なアクセントをつけたり、単語の途中で切ったり、声の抑揚やスピードを変化させたり。すでに演出の中に音楽ができているんですよ。だから僕がやったのは、その隙間に音を入れていくという感じで。

―歌や曲とかではなくて、BGMとサウンドエフェクトのあいだというか。

桜井:まあ、サウンドエフェクトですね。登場人物の心情を音楽で増幅するようなことは全然やっていないです。だから、『コリオレイナス』は、三浦基作曲の音楽作品で、その一部に僕の音楽が入っている。地点の作品解釈では、主役であるコリオレイナスは非常に幼児性のある男なんですね。だからトイピアノやおもちゃのラッパ、フライパンとか、ほとんど楽器と言えないようなもので構成しようと。

地点『コリオレイナス』(2012年)ロンドン・グローブ座/撮影:Simon Annand
地点『コリオレイナス』(2012年)ロンドン・グローブ座/撮影:Simon Annand

―観る人によっては、演劇というよりライブを観ているような楽しみ方もできますね。

桜井:地点は台詞をものすごく解体して、声も含めて全部音響みたいになっていくじゃないですか。だから、地点の作品は音響作品というか、現代音楽のいわゆる「シアターピース」に近いと思っています。

三浦くんがやった『F/Tモブ』は演劇だと思ったし、すごく感動した。あれが本当のモブだと思う。ちょっとした仕込みがあって、そこに偶然居合わせたみんなが群がるのがモブ。(桜井)

桜井:でも、音楽とパフォーマンスの話で言うと、三浦くんが去年やった『フェスティバル/トーキョー13』のフラッシュモブは良かったよ。山下達郎の(笑)。

三浦:あ、観てました? あれ、すげーくだらなかったですよね(笑)。

桜井:達郎は超感動した。演劇だと思ったよ。あの日のモブはスペシャルバージョンだったよね? 山下達郎の“クリスマス・イブ”が大音量で流れたらさ、もう日本人なら歌わざるをえないよ(笑)。あれが本当のモブだと思う。仕込み主体じゃなくて、ちょっとした仕込みがあって、そこに偶然居合わせたみんなが群がるのがモブ。

左から:桜井圭介、三浦康嗣

―歌わざるをえないシチュエーションというのも、音の必然性を帯びていますよね。

三浦:去年の『F/Tモブ』は、最初ちょっと真面目にやりすぎたと反省して、最後にできるだけフザけたことをやりたくなったんです。クリスマス前のデート中にカップルがケンカしていて、そこにサンタが仲裁に入る。それで袋からプレゼントを出して、そのへんの人たちに配って。そのタイミングで山下達郎の“クリスマス・イブ”がかかる(笑)。

桜井:サンタが出てくるまでは「あー、こんな小芝居やりやがってー」とか思ってたけど、やっぱり達郎が流れるとね!

三浦:やっぱり曲がいいんですよ。あれは音楽の力を使いましたね。それで、(東京芸術劇場ロビー)3階のエスカレーターからギター弾きとトランペット吹きが演奏しながら降りて来る。“クリスマス・イブ”って間奏に「パッパラパッパラ~」ってカノンのコーラスが入るんですけど、そのタイミングで、2階部分からバッとコーラス隊が出てきて歌うとか。ここまでアホなことやんねーだろ!? っていうのを全部やりました(笑)。

桜井:でも、『F/Tオープニング・イベント』のフラッシュモブもグダグダで良かったよ(笑)。ジョン・ケージがやってたことってああいうことじゃん。


三浦:僕個人はああいう感じが好きなんですけど、なんかその後にちゃんとしなくちゃ、って思っちゃったんですよね……。いや、それもスタッフや参加者の人たちを喜ばそう、っていう欲だったんですけど。

―ちゃんとしなきゃ、は罠ですか?

三浦:罠ですよね。でも、あまりグダグダで参加者が不安になってしまうのも悪いなと思って。結局、一緒にやっている人たちが満足してくれるとか、締切を守るとか、そういうのもすごく大事なんですよ。僕はあんまり自分の中で、作品のこれが良かった悪かったっていう基準はないんです。明確な基準があるのは面白くないし、もし基準どおりに行かなかったらストレスじゃないですか。

不景気になると、何かやるからには、何かの役に立たなきゃいけないって思ってしまう。でも、それが表現や芸術の一番良くないところです。(三浦)

―三浦さんが、柴さんと再びタッグを組んだ舞台『ファンファーレ』(2012年)では、音楽だけでなく共同演出まで手がけていましたよね。これまでのお話でもそうですが、三浦さんの舞台への関わり方ってかなり特殊ですし、そういう意味では今回のロロの三浦さんは、どういう期待をして依頼されたのか、すごく気になります。

三浦直之(ロロ)
三浦直之(ロロ)

三浦:『ファンファーレ』は、役者に脚本やダンス、音楽まで作ってもらいましたね。そうするとどうなるんだろう? という興味もあって。でも、人とやるってそういうことですからね。全部自分でコントロールしたいなら、人とやらなきゃいいわけで。それが普通だし、単純に自分もびっくりしたいだけなんです。

―たとえば、それで方向性が合わなかったり、コラボレーションを断ったりしたことってあるんですか?

三浦:基本的にどういう種類のものでもオファーは断らないんです。しょうもないのがこないですし。ケンカ別れしたとか、ダメだったとか、そういう記憶もないんですよね。僕は自分から「これが絶対いい!」みたいなのが一切ないんですよ。

―三浦さんは、これまでのインタビューを読んでいても、自分の作品に対するはっきりした基準や良し悪し、主張を持たないようにしている印象があります。それってなぜでしょう?

三浦:自分だけの音楽を表現して、それを人前で聴いてもらいたいとか、そういうことに興味がないんですよ。自分でいいと思っているものを作るのって、僕はすごくつまらないと思っていて。今も音楽や演劇より、食べ物とか酒のほうに興味があるんです。べつに音楽家だから音楽に興味を持ってないといけない、というのもおかしな話で。昔はいろんなレコ屋を渡り歩いていたけれど、いまはスーパーマーケットを見て回るのが好きで。

三浦康嗣

―海外のスーパーに行くと、お国柄がわかって楽しいですよね。

三浦:いや、東京にある普通のスーパー。面白いですよ。たとえば演劇もたくさん観ている人はちょっとした違いでも「なるほど、こういうことね」ってわかるじゃないですか。レコードの場合も、ずっとレコード屋に通っているとわからないことが感覚的にわかるようになるんです。ちょっとしたビートの違いやスネアの音一発で、元ネタはこれとこれだってわかるんですよ。スーパーや食い物も同じで、流通の見えない文脈が見えるようになる。

―じゃあ、今スーパーについて語らせたら三浦さんは凄い?

三浦:人に語りたいとか、世間に認められたいからやっているわけじゃない。音楽だって依頼があるからやっているだけで、そういう意味では大滝詠一さんの感じが最近すごくわかる気がするんです。あの人も、発表するために音楽を研究していたわけじゃないと思う。本当の意味での学者っぽいタイプなんだと思います。不景気になると、何かやるからには、何かの役に立たなきゃいけないって思ってしまう。でも、それが表現や芸術の一番良くないところです。

僕も(アーティストとして)不真面目に生きていきたいわけです。でもやっぱり東日本大震災以降の自分の中に、100%全開でふざけるのがやりづらいという気持ちがある。(桜井)

桜井:だから、三浦くんはウルトラなポストモダン主義者だと思うんだよね。

三浦:「ウルトラ」って……雰囲気だけなんじゃないですか(笑)。

桜井:いやいやいや。間違いなくそうだよ。今は厳しいご時世ですから、僕も含めてみんな日和ってますからね。ポストモダン的な観点から見れば、社会について考えるのは日和見主義だよ。結局モダニストになってしまうわけで。

左から:桜井圭介、三浦康嗣

三浦:その観点はよくわからないですけど、危機感はたしかにあります。僕は1990年代に思春期を過ごした世代で、あの時代から不景気だって言われていましたけど、今に比べればまだ景気良かったんですよね。だから、どんなものでも流通できて、豊かな多様性があったように思えた。でも、多様性とか自由っていうものは、この国では不景気になってお金が儲からなくなると消えていくんですよ。

桜井:うん。

三浦:でも、そういう必然の流れみたいなものに抗いたい。その抵抗のために、微力ながら何かできないかな、って昔は思っていました。それは今もかな……?

桜井:僕も(アーティストとして)そういうふうに生きていきたいわけです。でも年をとると真面目になりがちだよね。自分がふざけ続けたいと思って『吾妻橋ダンスクロッシング』を続けてきたんだけど、やっぱり東日本大震災以降の自分の中に、100%全開でふざけるのがやりづらいという気持ちがある。もっと自分をアゲていかないとふざけられないんだけど。

―自分に対して、「真面目であらねば!」と厳しくなってしまうということですか?

桜井:いや、むしろその逆で、不真面目を貫き通すことが、自分に対して厳しくするということだと思う。

三浦:厳しいほうが不真面目になるわけですね、つまり。

桜井:そうそう。自分を貫き通すためには、死ぬ気で不真面目をやらなきゃいけない。だから三浦くんを尊敬するよ。

左から:桜井圭介、三浦康嗣

三浦:なんかすみません……。自分の生き方を言葉にすればそうなりますけど、でもまったくそれだけがいいなんて思ってないですからね。良いも悪いもなくて、なんだっていいんです。結局「こうであらねば」っていうのが嫌いなんですよ。音楽家ってこうでなきゃ、役者ってこうでなきゃ、っていうのが。「じゃあ、どうしたいんだ?」ってもし聞かれたら、「どっちでもない自然な状態にしておいて」ってことですかね。

時代的にフォーマットどおりの演劇ばかりじゃなくなっているのは、すごくいいと思う。10年前に比べたら今の演劇シーンには、面白いものがポコポコ生まれている。(桜井)

―桜井さんは長く演劇シーンと関わってこられていて、外側から演劇を見る機会も多いと思うのですが、今日お話していただいたようなことや、三浦さんのようなアーティストが登場してきたこと、シーン全体の変化について、どう感じられていますか?

桜井:今、いろんな新しい演劇のかたちということで、『わが星』みたいな不思議で違う作り方っていうのが、いっぱい起こっていると思います。でも、少し前まではそうじゃなくて、「普通の芝居」がメインだった。地点も最初に出てきたときはかなりヘンなことやってるなーっていう印象で、それが10年くらい前の記憶なような気がしていて。それ以前のことを自分で思い返してみても、僕はずっと遊園地再生事業団をやっていたけれど、よく考えてみると2000年代になってから、いろんな新しい実験をする劇団になっていったわけですよ。

―それはポジティブな変化だと思いますか?

桜井:ポジティブでしょう。フォーマットどおりに作って一丁上がりっていうことが、時代的にそうでなくなっているのは、すごくいいと思います。今は10年前に比べたら演劇は面白いですね。いや、面白いものがいろんなところにポコポコあるなと思っています。

―そんな二人が演劇の神様・シェイクスピアの作品と、どうコラボレーションしていくのか、楽しみにしています。

イベント情報
『あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014』
あうるすぽっとプロデュース
地点
『コリオレイナス』

2014年8月28日(木)~8月31日(日)
会場:東京都 池袋 あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
原作:ウィリアム・シェイクスピア
演出:三浦基
訳:福田恆存
音楽監督:桜井圭介
出演:
安部聡子
石田大
小河原康二
窪田史恵
河野早紀
小林洋平
演奏:桜井圭介、Norico
料金:全席指定 一般3,500円 豊島区民割引3,000円 学生2,500円 障がい者割引2,000円

『あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014』
あうるすぽっとプロデュース
『ロミオとジュリエットのこどもたち』

2014年10月2日(木)~10月5日(日)
会場:東京都 池袋 あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
原作:ウィリアム・シェイクスピア
脚本・演出:三浦直之(ロロ)
訳:松岡和子
音楽:三浦康嗣(□□□)
出演:
後藤まりこ
永井秀樹
長田奈麻
日高啓介
伊東沙保
田中佑弥
北村恵
重岡漠
島田桃子
板橋駿谷
亀島一徳
篠崎大悟
望月綾乃
料金:全席指定 一般3,500円 豊島区民割引3,000円 学生2,500円 障がい者割引2,000円 ロミジュリ割引6,000円(ペア券)

プロフィール
桜井圭介 (さくらい けいすけ)

音楽家、ダンス批評。『吾妻橋ダンスクロッシング』オーガナイザー。

三浦康嗣(みうら こうし)

主宰する□□□(クチロロ)は1998年に結成。2004年にHEADZ内のWEATHERより1stアルバム『□□□』をリリース。2006年に坂本龍一らが設立したcommmonsへ移籍、いとうせいこうらも参加したブレイクビーツアルバム『GOLDEN LOVE』(2007年)をリリース。ままごと『わが星』で使用された“0:00:00”を収録した『everyday is a symphony』(2009年)、声のみで構成した『マンパワー』(2012年)など作品毎にさまざまなコンセプトを提示している。また、2014年3月にはこれまでに三浦が手掛けたリミックスや、CM音楽などを集めた2枚組CD『WORK』をリリースした。



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