村上虹郎×穂村弘×藤田貴大が語る、コンテンツの時代への反骨心

「言葉の錬金術師」の異名をとり、歌人、詩人、劇作家、演出家、映画監督、写真家など数え切れない肩書きで、常に多くの人を煽動し、メディアの寵児として47年の短い生涯を走り抜けた寺山修司。タモリや美輪明宏など、いまだその大きな才能が失われたことを惜しむ声も少なくない。

劇作家としても、死後33年間に1本も戯曲が上演されなかった年はないと言えるほどの人気を保ち続けている寺山。その奔放なイメージが詰め込まれた『書を捨てよ町へ出よう』の舞台化に、マームとジプシーの藤田貴大が、新人俳優・村上虹郎、詩人・穂村弘(映像出演)らと共に挑む。不思議な縁で結ばれた世代の異なる三人が練る作戦、そして寺山修司論とは?

僕は今「村上虹郎という人」に惹かれている部分があって、そういう基準で関わっていくほうがフェアだと思っている。(藤田)

―藤田さんは、今回の「寺山修司の作品を演出しないか」というオファーに対して、候補になかった『書を捨てよ町へ出よう』をご自身から提案されたそうですね。

藤田:『奴婢訓(ぬひくん)』や『レミング』も好きな作品なんですけど、ちょうどその頃、野田秀樹さんの戯曲『小指の思い出』を演出することになって、初めて自分以外の劇作家の言葉と向き合う経験をしたんです。野田さんの言葉はすごく強いので、次はもうちょっと自由に取り組みたいと思って(笑)、寺山さんの中でも自由に取り扱える作品を選びました。

左から:穂村弘、村上虹郎、藤田貴大
左から:穂村弘、村上虹郎、藤田貴大

―寺山さんの戯曲を演出すると決まってすぐ、穂村さんに出演オファーを考えたと聞きました。

藤田:最終的には、又吉(直樹)さんと同じように映像で出演してもらうことになりました。以前、NHKのテレビ番組での園子温さんとの対談で、穂村さんが寺山さんの短歌を解説されていて、それがすごく面白かったんです。出演者全員で穂村さんの授業を受けたいと思っています(笑)。

穂村:『書を捨てよ町へ出よう』の映画は観たし、同名のエッセイを読んだ記憶もあるんだけど、1960年代に舞台にもなっていたんだよね?

藤田:そうなんですよ。手書きの台本しか残ってなくて、詳細がよくわからないんですけど、台本を読んでみたら、ちょっと変わったミュージカルみたいな内容なんです。だから、同じタイトルなんですけど、映画もエッセイも演劇も全部違うんですよ。

穂村:今回はどれをベースにするの?

藤田:映画寄りにしようと思っています。ただ、エッセイ、映画、演劇と、3種類のテキストを参考にして、それらをコラージュするかたちになりますね。

アートディレクション:名久井直子 Photo:江森康之
アートディレクション:名久井直子 Photo:江森康之

穂村:映画は、主人公がいきなり観客に語りかけてくるオープニングシーンがすごく印象的ですよね。あのシーンを虹郎さんにやってもらうの?

藤田:そうです、それは決めています。

―村上さんのキャスティングについても、藤田さんの強い要望ですぐに決まったそうですが、演技はご覧になっていなかったとか?

藤田:写真を一目見たときから、「こいつ、目がヤバいな」と、ずっと気になっていたんです(笑)。でも、これまでも「演技が好き」という理由で声をかけた俳優は1人もいませんでした。俳優としての虹郎くんはこれからだし、もし「俳優」として選ぶなら、虹郎くんじゃなくてもきっとよかった。だけど、僕は今「村上虹郎という人」に惹かれている部分があって、そういう基準で関わっていくほうがフェアだと思っているんです。演出家にとって、演技って、先入観になっちゃうんですよね。そういう意味では、まったく先入観なしに向き合えていると思います。

―村上さんがたとえミュージシャンでも、絵を描いていても、誘っていたということですね。

藤田:そうです。もし虹郎くんに断られていたら、オーディションをしていたんじゃないかな。そのくらい選択肢は絞られていました。

マームとジプシーを観て、すごくセンセーショナルなものに触れた気がした。(村上)

―村上さんは、最初に藤田さんの舞台を観たとき、じつはあまり惹かれなかったというか、よくわからなかったとお聞きしましたが。

村上:ちょうど去年の今頃、事務所の社長から「これから舞台を観に行くぞ」と連れていかれたのが『小指の思い出』だったんですけど、正直よくわからなくて。(藤田演出の特徴である)繰り返しや、早いセリフ廻しはなぜなんだろう? って。自分が出演すると聞いたときは、あの早口のセリフが言えるのか、とか単純に疑問が湧きました。ただ、後でよくよく考えてみたら、あの世界観は他にはない独自のものだと思えてきたんです。その後も、マームとジプシーの作品を何度か観させてもらって、1番面白かったのは『カタチノチガウ』(2015年)っていう三人芝居。藤田さんは男性なのに、なんでこんなに女性的なセリフを書けるんだ? と衝撃だったんです。

藤田:そうなんだ?(笑)

藤田貴大

村上:僕には女子の考えはわからないけど、なぜかいつも学校や人間関係で、ガールズトークの中に1人混じって聞かされる男子、という立ち位置にいるんですよ。たぶん中性的な部分があるから。そういう意味で共通する部分も感じたし、それ以上に、濃くて深い、シャープなものを作品に感じました。ちょうど僕も役者になったばかりで、自分が発する言葉をあらためて意識し始めた時期でもあったので、すごくセンセーショナルなものに触れたっていう記憶がありますね。

藤田さんと、同じジャンルや、同世代じゃなくて本当によかったって思う。(穂村)

―村上さんが『小指の思い出』を観に行かれたときは、事前に社長さんから「この演出家からオファーが……」という話は聞いていらしたんですか?

村上:全然ないです(笑)。でもそういうときって、なにかしら次があるんじゃないか? って思うわけじゃないですか。で、舞台を観終わって、楽屋に行って、藤田さんに「はじめまして、こんばんは」って挨拶したら、「あ、こんばんは。じゃ、またごはんでも」とか言って、一瞬で終わったんです。この後、打ち上げに呼ばれるのかなと思っていたら、まったくなかった(笑)。

藤田:(笑)。そういうの絶対ないんです、僕。

村上:ただ、なにか不思議なつながりがあるんですよね。去年12月に母(UA)が恵比寿でライブをしたとき、マームとジプシーの役者さんやスタッフさんが挨拶にきてくれたんですよ。なんでだろう? と思っていたら、後から知ったんですが、じつは沖縄の家にもみなさんきてくれていたんですよね。僕は留学中でいなかったんですけど。

村上虹郎

藤田:川上未映子さんとの共作『まえのひ』のリーディング公演で全国ツアーをしたときですね。那覇市の桜坂劇場で上演した際、音響やサウンドエンジニアとして参加してくれていたzAkさんのつながりでUAさんが観にきてくれて、自宅まで招待してくれたんです。僕はひと足早く帰ったので、行けなかったんだけど……。不思議なつながりは他にもあって、僕が初めて一般の方を対象にワークショップをしたのが、2011年、神奈川県の相模原だったんです。で、その前の年に会場を探しに行ったとき、虹郎くんを目撃しているんですよね。学校でフェスティバルみたいなのをやっていて。

村上:僕はシュタイナー学園という私立の学校に行っていて、当時、学校があった相模原市に住んでいたんです。

藤田:すごく遠目だったけど、UAさんがいて、一緒に歩いていたのが虹郎くんでした。そのあと2011年3月にワークショップやったんですけど、ちょうど東日本大震災と重なって、途中まで行ったけど電車が動かなくて中止になった……。穂村さんと初めて会ったのもその頃でした。震災直後の4月1日から4日まで上演した『あ、ストレンジャー』という作品を観にきてくれた。

穂村:震災のショックが、まだ生々しい頃でしたね。当時の『ユリイカ』の編集長・山本充さんから「すごい劇団がいる」と誘われて行ったんです。40分ぐらいの短い作品だったけど衝撃的でした。一緒に行った友人たちも皆、こんな表現があったんだ……と驚いていましたね。

穂村弘

―どのあたりに衝撃を受けたんですか?

穂村:以前、マームとジプシーのパンフレットにも寄稿したんですけど、舞台が始まる前は、なんとなく面白くないような予感がしていたんです(笑)。で、始まってしばらくは、これはつまらないと。なぜそう思ったかというと、役者が意識的に不思議な話し方をするんですよね。特有のイントネーションだったり、くり返しとか、「これは効いてないよ」と思ったんです。どれも効き目の薄いレトリックに見えて、これなら普通に話したほうがいいし、繰り返さなくてもいいだろうと、かなり反発しながら観ていました。

―村上さんの反応とも重なりますね。

穂村:ただ、それが観ているうちに完全に覆されて。そういうこと、滅多にないんですよ。本を読んでいて、最初につまらないと思った本が途中から面白くなることなんてなくて。もしかしたら……と思いながら、最後までやっぱりつまらないことのほうが多いんですけど、マームは例外だったんです。見たことがないもの、というんですかね。僕が知っている物差しではかれるようなものではなかった。同じジャンルや、同世代じゃなくて本当によかったって思う(笑)。もしそうだったらとても仲良くできないぐらいの圧倒的な感じがしました。

寺山の本質はすごく都会的、コラージュ的で、人工的なものだと思うんですよね。(穂村)

―内容について、以前に藤田さんは、映画『書を捨てよ町へ出よう』を俳優と一緒に観て、そこで出た感想の言葉をテキストに取り込みたいとおっしゃっていましたが。

藤田:ええ。穂村さんとは、もう一緒に観たんですけど。

藤田貴大

穂村:さっきも言ったように、映画でとにかく印象的だったのは、主人公がすごい訛り(津軽弁)で鑑賞者に語りかけてくるオープニングのシーン。そのとき思ったんだけど、藤田くんは北海道出身なのに、訛っていないよね。

藤田:うちはお母さんが強いんですけど、北海道弁を喋る僕が嫌いだったんです。同級生はみんな北海道弁だから、つい喋ってしまうんだけど、母が「家に帰ったら、そういう言葉で喋らないで」って(苦笑)。

穂村:寺山修司もお母さんとの関係が深いし、「母が強いつながり」なんだね、寺山と藤田くんは。

村上:それでいえば、うちも強いです。

藤田:(笑)。寺山さんって、この映画では津軽弁を全面的に出しているけど、短歌とか詩ではあまり使っていないですよね?

穂村:寺山の本質はすごく都会的、コラージュ的で、人工的なものだと思うんですよね。だけど「訛り」は彼の素でもある。「気取ってんじゃねえよ」みたいな身振りが彼の作品にはあるんだけど、実際には寺山ほど気取ってる人はいなくて(笑)。つまりみんなフェイクなんだよね。『家出のすすめ』なんて本を書いているけど、寺山自身は、お母さんと最後までべったりだったし、『書を捨てよ町へ出よう』も、よく考えてみれば、本と町は排他関係にないから、みんな普通に本をカバンに入れて町へ出るよね?

藤田村上:たしかに!(笑)

穂村:「書を捨てないと町へ出られない」と思わせるところに魅力的な詐術があって。それが寺山的だと思うけど、同時に今の感じじゃないんですよね。そのアジテーションの仕方って。

穂村弘

やっぱり、かっこつけていますよね、寺山って。(藤田)

穂村:映画『書を捨てよ町へ出よう』のインパクトの1つは「メタ構造」だったと思うんです。最初と最後で、スクリーンの向こう側と鑑賞者側との関係性を明かしていて。でも、あの時代にはインパクトがあった手法かもしれないけど、今の観客はメタ的表現に慣れていて、同じことをやっても「だから?」という感じになってしまう。そういう意味でも楽しみなんです。藤田くんがそこをどうするのか。

藤田:2013年に穂村さんと共作したじゃないですか(「マームと誰かさん」シリーズ『穂村弘さん(歌人)とジプシー』)。あの作品は、僕の中で一番メタっぽい感じを目指したんです。穂村弘っぽい格好をした女子が舞台にいて、言動も穂村さんっぽいんだけど、映像には本当の穂村弘がいるという。そういう微妙な、半分フィクション、半分ノンフィクションみたいな世界が、あのときはすごくうまくいったような気がしていて。それをまたやりたいなと思っているんですけど。

穂村:虹郎くんの世代だと、「メタがかっこいい」みたいな感覚はもうないでしょう?

村上:そもそも「メタ」がよくわかってない。メタって言葉をふだん使わないですね。

村上虹郎

穂村:その概念がもうないというか、それがもう普通になっているんだね。

藤田:やっぱり、かっこつけていますよね、寺山って。「これはフィクションです」と最初に言っちゃうとか、その表現が成り立つまでのギミックをお客さんに見せちゃうとか。でも、その要素は今回の演出にも入れなきゃいけないと思っているんです。「村上虹郎という人」に惹かれているから出てほしいというのは、そこなんですよね。俳優ではなく、村上虹郎としてまず舞台にいてほしい。映像ではありますけど、穂村さんも又吉さんもそう。そういう人たちがゴロンゴロン出ていて、観ている人に「これは本当なの? 物語の中の人なの?」みたいなあやふやに映ればいいなと思っているんですけれども。

穂村:映画とお芝居の違いはどう考えているの? たとえば、虹郎くんの目の話をしていたけど、お芝居だと僕なんか眼鏡をかけてても、役者の顔もわからないんです。映画でクローズアップされれば、目がすごい役者だってことはわかるけれども。

藤田:僕の言う「目ヂカラ」って、ビジュアルとしての目ヂカラというより、その人そのものというか……。あの、まったくロマンチックなことを言うつもりはないんですけど、結構、目に出ると思うんですよね、その人の生き方そのものが。今、蜷川幸雄さんとの作業をしているので、余計にそういうことを感じるのかもしれないけれど。

―来年2月に、彩の国さいたま芸術劇場で上演する『蜷の綿』ですね。

藤田:はい。蜷川さんの半生を戯曲に書くにあたって、本人にインタビューしたんです。そうしたら、小さい頃のことを思い出しているときの目とか、めちゃくちゃ綺麗なんですよ。そのときに思ったんですけど、普段から僕は、その人が話している内容よりも、息遣いとかに反応している気がする。だから虹郎くんの目も、客席から見える見えないというより、その人の姿勢がちゃんと見えればいいのではないかと思っています。でも、僕のそういうスタンスは、観る人たちにも伝わっていないといけない話で。それができなければ、僕は演出家じゃなくてもいいと思うんですよね。

穂村:じゃあ藤田くんが、虹郎くんの目を増幅して客席に伝えてくれるんだ。

藤田:はい。

母(UA)も、寺山修司にすべて身を預けたみたいな時期があったそうなんですよ。(村上)

―この中で一番世代の離れている村上さんにとって、寺山修司はどういう距離感にいる人ですか?

村上:いくつか作品は読んだんですけど、まだあんまり身に入っていないですね。それはこの後でもいいかなって思っています。ただ、役者の友人と別のオーディションで一緒になったときに、僕のすぐ前の順番で自己紹介をしたんですよ。そしたら「寺山修司が好きです」と言っていて、「へー、寺山修司かー」と思いながら聞いていたんですね。その直後に僕が寺山修司をやると決まったので、そいつも驚いていましたけど。母親にも「寺山修司やるよ」って言ったら、「ほんまに!?」って驚いていました。

藤田:どうして驚いたの?

村上:あの人も寺山修司にすべて身を預けたみたいな時期があったそうなんですよ。だから僕も、今かどうかはわからないけど、いつかくるのかもしれないなって思いました。ガチで自分のすべてを預ける時期が。

左奥:村上虹郎、右:藤田貴大

藤田:UAさんの「ほんまに!?」は、いい意味だったのかな?

村上:「カルマやな、業やな」って。

藤田:カルマ!(笑)

村上:うちの家族のまとめ言葉なんです。何かというと「カルマの仕業や」って。

社会の枠組みの中で、僕らは死ぬまで外には出られず、コンテンツとして優良かどうかみたいな判断で測られる。そのことへの根本的な残念さ、悔しさみたいなものがある。(穂村)

―穂村さんは同じ歌人として、寺山についてどう考えていらっしゃるのでしょうか。

穂村:彼の短歌や俳句は、とても緻密に作られているんですよ。でもこの映画はとてもそうは思えない(笑)。そのへんの不思議さもあるし、ジャンルにこだわらずに言えば、寺山が活動した頃までは、表現が社会に変革を起こす可能性を信じられた世代なんです。三島由紀夫が典型ですけど、彼は本当に死んじゃったから、ある意味で表現を超えてしまった。でも、三島の自決の感想を聞かれた寺山が「拡声器をうまく使わないとダメだったね」と言ったというエピソードがありますけど、あれは三島の行為をあくまでも表現として捉えて、演劇的に見た意見だと思います。三島は最後の舞台に命を懸けたけれども、そういう意味では失敗しているという見解でしょう。

―なるほど。

穂村:逆に言うと、寺山自身は腹を斬ることなく、最後まで表現だけで革命を完遂するイメージで生きていたし、そこに強く惹きつけられる感じはありました。でも今はほとんどの人にとって、表現による革命の可能性なんて、細胞レベルで信じることができなくなっていますよね。どのジャンルでも、表現はすべて「コンテンツ」ってことになってしまう。

穂村弘

藤田:そうなんですよね(深く同意)。

穂村:社会の枠組みは、資本主義のこういう感じで……って固まっていて、僕らは死ぬまでこの外には出られず、その中でコンテンツとして優良かどうかみたいな判断で測られて、お金と人気が動くだけという……。でも、そのことへの根本的な残念さ、悔しさみたいなのが、今の表現する人にはある。この逆風の中で、あるいは、それこそ虹郎くんが言ったように「メタって言葉はない」という時代の表現はどういうものになるのか? その関心はすごくありますね。

藤田:やっぱり穂村さんの話は勉強になるなあ……。今、蜷川さんの舞台の脚本を書いていても、あの時代ってやっぱりヤバいなと思います。だって楽屋にヘルメットとバットを置いておいて、終演後はそれを持ってデモに行ったっていう。それも役者の仕事だったし、観客も学生運動に行くか、演劇を観るかみたいな感覚で、すべてが等価だったんですよね。そんな時代に寺山さんがいて、蜷川さんや唐十郎さんもいた。今そういう人たちと仕事ができるのは、すごく刺激的で面白いです。たしかに今は表現者にとって不利かもしれないけど、逆にそれをちゃんと打破していきたいなって思います。

イベント情報
寺山修司生誕80年記念 RooTS Vol.3
『書を捨てよ町へ出よう』

2015年12月5日(土)~12月27日(日)
作:寺山修司
上演台本・演出:藤田貴大
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 シアターイースト
出演:
村上虹郎
青柳いづみ
川崎ゆり子
斎藤章子
召田実子
吉田聡子
石井亮介
尾野島慎太朗
中島広隆
波佐谷聡
船津健太
山本達久(ドラマー)
映像出演:
穂村弘(歌人)
又吉直樹(芸人)
料金: 一般 前売4,800円 当日5,300円
65歳以上4,300円 25歳以下3,800円 高校生割引1,000円

芸劇+トーク 異世代リーディング『<第13回>「自作自演」』

2015年12月13日(日)18:00~
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 シアターイースト
出演:
穂村弘(歌人)
又吉直樹(芸人)
トーク司会:徳永京子
料金:一般3,000円 高校生1,000円 25歳以下2,000円 65歳以上2,500円

プロフィール
藤田貴大 (ふじた たかひろ)

マームとジプシー主宰・演劇作家。1985年生まれ。2007年にマームとジプシーを旗揚げ。全作品の作・演出を担当する。2012年『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で『第56回岸田國士戯曲賞』を受賞。その独特な手法は演劇のみならず、様々なジャンルの作家や批評家から評価を得る。2013年と2015年に、今日マチ子(漫画家)原作『cocoon』を舞台化。演劇以外の活動としては、今日マチ子との共作漫画『mina-mo-no-gram』(秋田書店)や短編小説の発表など、その活動は多岐にわたる。2014年には、野田秀樹作『小指の思い出』の演出を行う。

村上虹郎(むらかみ にじろう)

1997年、東京都出身。2014年『第67回カンヌ国際映画祭』コンペティション部門出品 『2つ目の窓』(河瀬直美監督)主演で俳優デビュー。スクリーンで見せた鮮烈な存在感が世界中から賞賛を集める。その後も『神様の言うとおり』(三池崇史監督)、TVCF『JR SKISKI』、ドラマ『天使のナイフ」(WOWOW)などに出演。現在TVCF『三井住友VISAカード』O.A中。フジテレビ系スペシャルドラマ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』でドラマ初主演を果たす。

穂村弘(ほむら ひろし)

歌人。1962年札幌生まれ。上智大学文学部英文学科卒。歌集『シンジケート』でデビュー。詩歌、評論、エッセイなど幅広いジャンルで活躍。近刊に『恋人たち』(絵:宇野亜喜良)、『にょにょにょっ記』(絵:フジモトマサル)など。『短歌の友人』で『第19回伊藤整文学賞』、「楽しい一日」で『第44回短歌研究賞』、『あかにんじゃ』(絵・木内達朗)で『第4回ようちえん絵本大賞』を受賞。また石井陽子とのメディアアート作品『「火よ、さわれるの」』で『アルス・エレクトロニカ・インタラクティブ部門栄誉賞』を受賞。



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