ジャズから縄文まで渡り歩く音楽家が語る「戦争」と音楽の起源

土取利行という音楽家を知っているだろうか? ジャズドラマーとしてキャリアを出発し、坂本龍一、デレク・ベイリーなど世界的なミュージシャンと共演している土取は、その一方で、世界中の民族音楽を学び、弥生時代の銅鐸や、縄文土器を使った「縄文鼓」の演奏、フランスでは旧石器時代の洞窟遺跡での演奏といった、普通の「音楽家」の枠を超えた幅広い活動を行なっている。

そんな彼は、演劇界の巨匠、ピーター・ブルックとも長年にわたって交流を深め、20世紀を代表する作品『マハーバーラタ』(1985年)でも音楽監督として重要な役割を担っていた。今秋、ピーター・ブルックと土取は、30年の時を経て、『マハーバーラタ』に再挑戦した作品、『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』を日本で上演する。

世界だけでなく、日本でも身近に感じられるようになった「戦争」の本質を描いた『BATTLEFIELD』。彼はなぜいま、ピーター・ブルックとともにこの作品を手掛けたのだろうか? そして、彼が求めてやまない「音楽の起源」とはなんだろうか? 彼の言葉を聞いていると「音楽」というジャンルの持つ幅広い魅力や、均一化されてゆくグローバリズムの波といった問題が浮かび上がってくる。演劇や音楽にほとんど興味がない読者でも、彼の言葉に耳を傾ければ、必ず「現代」を疑う発見があるはずだ。

音楽の起源を求めるために、さまざまな地域、時代の音楽に興味が湧いてきたんです。

―土取さんは、信じられないほど多彩な音楽活動をされていますが、その飽くなき音楽への探究心の原点にあるものはなんでしょうか?

土取:即興で演奏していると、どこからともなく音が現れ「なんでこう演奏したのか」自分でもわからない瞬間が多々あります。そこで、この不思議な音楽の起源を求めるために、さまざまな地域、時代の音楽に興味が湧いてきたんです。インドではリズムが円環構造なのに、イランでは横流れだし、ペルシャ音楽はインドよりもさらに細かい微分音でメロディーが成り立っています。一方、日本の伝統音楽はリズムではなく「間」をとっているという違いが見えてきます。

土取利行
土取利行

―一言で「音楽」といっても、国によって言語が異なるように、構成要素が異なっているんですね。

土取:一方、近代の西洋音楽は、ギリシャもドイツも、フランスもイギリスも、すべてドレミで統一されていますよね。ユーロ通貨と同じように音楽も標準化されているんです。その音楽文化を深く考えずにそのまま受け入れてしまったのが近代日本の誤り。特に1960年代以降、日本人の音楽的感性はどんどん西洋化され、コード進行のなかですべてを解決しようという価値観に変化してしまったんです。

―日本で音楽といえば西洋音楽のことであり、ドレミで作られたものだけが音楽であるかのように考えるのが一般的です。

土取:明治からの義務教育では、邦楽ではなく西洋音楽を教えるし、戦後の学校の音楽室にはバッハやモーツァルトの肖像画が飾られていますよね。邦楽ですら平均律に置き換えられ、五線譜を使うようになりました。たとえば、本当の「わらべうた」(童謡)はもう日本に残っていません。わらべうたは子どもが自由に歌っていたものなのに、先生がピアノで「正しい音階」に揃えてしまうんです。それは、わらべうたとは大きくかけ離れたものですよね。

―そういった世界各地の民族音楽に対する眼差しと、ピーター・ブルックの舞台音楽の仕事との共通点はありますか?

土取:西洋化された僕らは、演劇と音楽を違うジャンルとして捉えていますが、元来、日本やアジアの芸能の多くは音と演技が分かれずに一体化していました。かたちこそ違えど、音楽と演劇が密につながる可能性をピーターとの仕事のなかに感じています。また、文化を単一化し、音楽を平均律化しようとする世界のなかで、各国の文化を背景とする役者を起用して演劇の真実を追究するピーターの作品は、自分のやってきた仕事と共鳴する部分があります。

ピーター・ブルック(『BATTLEFIELD』パリ初演の翌9月16日、自身のアトリエにて撮影)
ピーター・ブルック(『BATTLEFIELD』パリ初演の翌9月16日、自身のアトリエにて撮影)

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演<
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

―ピーター・ブルックと土取さんのコラボレーションは、40年にわたって続いています。なぜピーターは、土取さんの音楽を必要とするのでしょうか?

土取:僕のような即興演奏で役者と共同作業のできる人が希有だからでしょう。ピーターの作品でも、一昨年に来日公演を行なった『スーツ』のような作品は、いわゆる一般的な楽曲なので、僕は必要ありません。僕が音楽に関わるのは、役者の演技と同時に音楽に緻密な即興性が必要とされる作品のときなんです。ピーターは、役者と音楽が対等に渡り合う演奏を僕に要求してきます。

―「演劇と対等に渡り合う」とはどういうことでしょうか?

土取:ピーターの作品で即興演奏をする場合は、たとえばいま会話しているのと同じような感覚で、セリフを喋るように楽器を演奏しています。フリージャズの即興とは異なり、演劇は物語を伝えるための脚本があり、話はあらかじめ決められている。その決まりのなかで、役者が自由に演技をするように、僕も即興演奏をしているんです。

―フリージャズよりも、さらに繊細な感覚を必要とするんですね。

土取:また、それを演者の間だけで完結するのではなく、観客とともに共有する段階まで行かなければなりません。そのために、長い作業を通して無駄な音を一切そぎ落としています。僕は日本人ということもあり、「間」や「沈黙」を尊重します。ピーターが演出でもっとも大事にする「Silence」ですね。沈黙を感知すると、役者の指がすっと動く瞬間、セリフとセリフの微妙な「間」など、音を出す必要があるところが必ず見えてくるんです。

小さいころから叩いていた祭太鼓のリズムが原点。1950年代の香川は、アフリカやバリ島にも通じるような、生活と自然が乖離していない世界だった。

―土取さんが、即興演奏家になられたきっかけはなんだったんでしょうか?

土取:僕は香川県の出身なのですが、小さいころから叩いていた祭太鼓の演奏が原点だと思っています。1950年代の香川は、瀬戸大橋も海岸工業地帯もなく、麦と米の二毛作を行う段々畑が広がっていて、お遍路さんの姿を毎日見ていた。アフリカやバリ島にも通じるような、生活と自然が乖離していない世界だったんですよ。

―そこから、どうしてフリージャズの世界へ?

土取:中学生のころ大阪に引っ越して、高校生になってThe Beatlesが来日し、日本中がロックとフォーク一色になりました。僕は祭太鼓がルーツなので、ロックの単調なエイトビートには興味がなかったのですが、同級生に誘われてドラムを叩いていたロックバンドでデビュー直前までいったんです。だけど、メンバーの進学だったりいろいろあって、結局その話は頓挫してしまった。

土取利行

―そのころから、ミュージシャンとして食べていきたいと思っていたのですか?

土取:そうです。そこで知り合いに「プロになりたい」と相談して、はじめてジャズ喫茶に連れて行ってもらい、ジャズの洗礼を浴びたんです。ジョン・コルトレーンの音楽に見られるような躍動感のあるジャズのリズムは、ロックとは全然違って衝撃的でした。クラブでの演奏やジャズ喫茶でアルバイトをしながら、即興の演奏力を鍛え、当時大学生だったトランペッターの近藤等則と出会い、ジャズ演奏に明け暮れ、一緒に上京しました。1970年代は、オーネット・コールマンが来日し、エリック・ドルフィー、アルバート・アイラーなど、フリージャズの巨匠と呼ばれるミュージシャンたちが活躍していた時期。上京後は、渋谷で住み込みの新聞配達をしながら、いろんなライブハウスで演奏しましたよ。

―とはいえ、新聞配達をしていた青年と、世界的なミュージシャンや、ピーター・ブルックの世界の間には、相当な距離がある気がします。

土取:1975年に、ピーター・ブルックの劇団に所属する役者、笈田(おいだ)ヨシさんが、自分の作品で音楽家を探しているということで、僕に話が回ってきたんです。当時、演劇のことはまったく知らなかったのですが、その公演はニューヨーク、パリ、アムステルダム……、偶然にもフリージャズの本場をすべて回る計画で(笑)。当時、新聞配達をやっていた僕にとって、外国なんて絶対に行けなかった時代。それがなんであれ、憧れのニューヨークに行けるというのですから、そこに骨を埋める覚悟で参加しました。

―笈田さんの演劇は、どのような作品だったのでしょうか?

土取:『般若心経』というタイトルで、音と動きだけのパフォーマンスでした。仏教、神道、真言宗、大本教、合気道、能楽の動きと即興音楽だけで『チベット死者の書』(チベット仏教の経典で、死後の世界を描いた書物)の世界観を表現する前衛的な作品です。ニューヨーク公演はラ・ママ実験劇場で、ワークショップも行なったのですが、そこで知り合った青年に「ミルフォード・グレイブスは、日本の動きや武術に興味があるし、会ってみないか?」といきなり誘われたんです。ミルフォードは、一番尊敬するフリージャズドラマーだったんですね(笑)。

―いきなり奇跡的な出会いが舞い込んできた。

土取:それだけでなく、パリ公演はピーターが芸術監督をつとめるブッフ・ドュ・ノール劇場で行なわれたんですが、偶然同じ時期に、小さなカフェでデレク・ベイリーがソロライブをやっていて、会場に行くとスティーブ・レイシー(フリージャズのソプラノサックス奏者)がいた。そこで彼から「デレクを紹介してやろう」といわれ、彼らと演奏を重ねていくことになったんですよ(笑)。

―ドラマのように次々とチャンスが舞い込んできます(笑)。土取さんにとっては、文字通り人生を変えるツアーだったんですね。

土取:もちろんパリでは、ピーターともはじめて出会ったのですが、演劇にはまったく興味がなかったので、ジーンズをはいたおじさんから「ベリーグッド!」と言われて握手した印象しかありません(笑)。今度の作品『BATTLEFIELD』でも語られていますが、人との出会いは思いもよらない運命的ともいえるものです。そういった不思議な出会いが結ばれて、僕のキャリアが形成されていったんです。

『BATTLEFIELD』は、戦争という、人間にとって一番悲惨で、考えるべき、深い問題を描いています。

―土取さんが音楽に関わったピーターの作品のなかでも、代表作である『マハーバーラタ』は、30種類以上の楽器を使用していましたが、今回の『BATTLEFIELD』では、ジャンベ1種類のみを使っているそうですね。ここまでシンプルになったのはどうしてですか?

土取:最初は7つくらいの楽器を使う予定で、稽古場に持ち込んでいました。インドの希有な弦楽器であるエスラジのほかに、笛や歌も入れていたんです。しかしある日の公開稽古で、役者はなにも小道具を使用せず、僕もジャンベだけで演奏したところ、あまりにも好感触だったため、ジャンベのソロになり、役者も小道具を使わない演出になったんです。

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

―素朴な疑問なのですが、『マハーバーラタ』や『BATTLEFIELD』はインドの物語なのに、どうして西アフリカの楽器であるジャンベを使用するのでしょうか?

土取:『マハーバーラタ』のときから、インド風のコピー音楽にはしないようにと、ピーターと話し合っていたんです。だから当時から、タブラもシタールも使っていませんでした。『マハーバーラタ』で使っていたのは、トルコのネイという笛、イランのケマンチェという弦楽器、そして、インドでも稀なエスラジや、パカワジという太鼓でした。重要なのはそれらの楽器を使いながらも、インド音楽の風合いを残すということだったんです。

―誰もが知っているインド楽器を使わずに、『マハーバーラタ』に相応しい音楽を生み出すということでしょうか。

土取:役者も、いろんな国の人が参加する多国籍な作品でしたが、全然違和感はありませんでした。つまり、『マハーバーラタ』で目指したのは、インドの神話をもとにしながらも、現代の世界各国の演劇人に通じる作品を作ることだったんです。

―あらゆる国々の人が演じ、あらゆる国々の楽器が鳴らされている舞台が、「世界全体」の暗喩であった。

土取:特にいま、日本では外国人排斥の運動が盛んになり、政治的にも単一民族主義のような発言が見られますが、それとは正反対の思想でしょうね。『BATTLEFIELD』では、仙人がミミズに「お前はなにを楽しみに生きてるのか? 味もわからないし、目も耳もない、死んだほうがマシなのではないか」とからかうシーンがあります。それでも、ミミズは「生きがいはある」と抗弁するんです。小さな生き物や花も、世界のなかの1つの存在であり、無数の小さな命です。それと同様に、人間にもいろいろな文化があり、芸術があり、言語があるんです。

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』パリ初演

―『BATTLEFIELD』は、100億人の死が描かれた神話のエピソードから翻案されているそうですが、土取さんから見てどのような意味を持った作品になりそうですか?

土取:戦争という、人間にとって一番悲惨で、絶えることのない深刻な問題を描いています。戦場の最前線に来訪したクリシュナ神(インド神話に登場する英雄)が、敵味方に分かれた兄弟戦士たちを前に挫折するアルジュナ(『マハーバーラタ』に登場する英雄)に「戦え」と教えるシーンがあります。そもそも生と死はこの世にはなく、殺すことも殺されることもない。それは、ヒンドゥー教の最高神であるブラフマーとヴィシュヌ、シヴァの3神の教えであると同時に、すべてのものに神や仏が宿るという日本の大乗仏教の教えにもつながるもの。突き詰めれば「存在とはなにか?」を問う思想でもあるのです。戦争の背後にある人間存在の深みにまで『マハーバーラタ』は到達し、語っています。それを、観客一人ひとりと演劇を通して分かち合えれば幸いです。

土取利行

―およそ3千年前に描かれた神話であるにも関わらず、現代に通じる普遍性を持った内容ですね。

土取:パリ初演のブッフ・デュ・ノール劇場の周辺には、シリアからの難民も暮らしているし、1980年代に内戦から逃れるためにスリランカからやってきたタミル人たちが移民街を形成しています。現在のヨーロッパでは難民の存在を通じて、戦争を肌で感じるようになっているんです。

―『BATTLEFIELD』で、ここを観てほしいという部分はありますか?

土取:僕らは観客に対して、作品を「こう観てほしい」という一方的な関係ではなく、「シェア」することを目指しています。逆にいえば「観てやる」というつもりで客席に座っていても、なにも「観る」ことはできないでしょうね。『BATTLEFIELD』では、四人の役者と僕を含めた五人が一体となり、一人の語り部としてこの大切な物語を伝えます。これをシェアできれば、あとは、観客一人ひとりがそれぞれの考えで『BATTLEFIELD』を分かち合ってくれるでしょう。『BATTLEFIELD』の冒頭は、「The War is Over」というセリフからはじまります。これは、インドの神話やヒンドゥー教の教えを描いただけでなく、世界中でいまも止むことのない「戦争」とはなにか? を問う作品でもあるからなんです。

イベント情報
『BATTLEFIELD-戦い終わった戦場で-「マハーバーラタ」より』

2015年11月25日(水)~11月29日(日)
会場:東京都 初台 新国立劇場 中劇場
脚本:ピーター・ブルック、ジャン=クロード・カリエール、マリ―=エレ―ヌ・エティエンヌ
演出:ピーター・ブルック、マリ―=エレ―ヌ・エティエンヌ
音楽:土取利行
出演:
キャロル・カルメーラ
ジャレッド・マクニ―ル
エリ・ザラムンバ
ショーン・オカラハン
※英語上演、日本語字幕付き
料金:一般7,000円 U-25チケット3,500円

プロフィール
土取利行 (つちとり としゆき)

1950年、香川県生まれ。幼少時から祭り太鼓を叩く。1970年代から、ミルフォード・グレイブス、スティーブ・レイシー、デレク・ベイリーといったフリージャズの演奏家たちと共演を重ねる。1976年、ピーター・ブルックの劇団との仕事をはじめ、以降、『Ubu』『鳥の会議』『マハーバーラタ』『テンペスト』『ハムレットの悲劇』『驚愕の谷』などの音楽を手掛ける。世界中で民族音楽を学び、1980年代に桃山晴衣と岐阜の郡上八幡に拠点「立光学舎」を創立、日本の伝統文化再生にも取り組む。10年以上に渡り、日本音楽の古層を調査し、その成果を『銅鐸』『磬石(サヌカイト)』『縄文鼓』などのCDアルバムとしてリリース。最近では、フランスの洞窟壁画の音楽調査と演奏を行っている他、近代の流行歌の元祖、添田唖蝉坊演歌の研究・継承者としても活躍。



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