オープンマインドな写真家・GABOMI.の波瀾万丈すぎる人生

GABOMI.という不思議な名前のフォトグラファーが『第10回 shiseido art egg』に入選、銀座の資生堂ギャラリーで個展を開催中だ。彼女が世に出たのは、香川県を走る私鉄「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の工員たちと車輛基地を取材した写真集がきっかけ。メカニックなシチュエーションと、職人的な厳しさと雄々しさを併せ持つ男たちを捉えた写真は、ドキュメンタリー写真の新たな才能の登場を伝えてくれた。

それから約4年が経ち、GABOMI.はまったく違った写真の実験をはじめている。具象の力強さから抽象の柔らかさへと移行した新シリーズは、意外な驚きと共に、じつは最初から彼女の奥底にあった、深い精神性を伝えるものなのかもしれない。個展準備真っ最中のGABOMI.に話を聞いた。

8年前に写真家になろうと決めたとき、人生を割り切ることはやめようと思った。

―GABOMI.というお名前はもちろん本名ではないと思うのですが、まずはその由来をうかがってもいいでしょうか?

GABOMI.:友人がつけてくれたあだ名なんですよ。私の口癖が「ガボーン!」で、あと色白だったので。フルネームは「ガンジロガボミ」なんです。

GABOMI.
GABOMI.

―最後の.(ドット)の意味は?

GABOMI.:ドットは2015年から加えたんです。知人からの勧めで、ドットを加えると縁起のよい画数になるらしく。

―アルファベットにも画数ってあるんですね。

GABOMI.:あるらしいんですよ。いまは16画で運勢最強。81とか16とか1がいいらしいんです。おかげで『shiseido art egg』にも入選できたし、効果を感じています(笑)。

―その前になにか悪いことでもあったんですか?

GABOMI.:そういうわけじゃないです(笑)。特に宗教やスピリチュアルなことにハマっているわけでもないですよ。でも、子どものころから人間には理解できない大きな流れみたいなものが宇宙にあるんじゃないかって気がしていて……。小学校低学年くらいの頃、高熱を出して家の布団で寝ながら、ぼーっと天井を眺めていたら、ぐにゃぐにゃと歪み出して、別世界につながっているような風景を見たり。あれ、変な雰囲気になってません?

―大丈夫ですよ(笑)、ぼくも同じような体験をしたことがあります。それがGABOMI.さんの人生観なんですね。

GABOMI.:そうですね。見えない「なにか」がどこかにあって、「いま見えているものがすべてじゃないのかも」と感じながら、それを探し続けているというのが、私の根本的な行動理由です。会社員として働いていると、心のモヤモヤや消化不良になるような疑問を割り切って、ゴミ箱にポイッと捨てないと先に進めないことがあるじゃないですか。でも8年前に写真家になろうと決めたときに、割り切ることはやめようと思ったんです。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―GABOMI.さんは、香川県の私鉄「ことでん」の車輛工場やそこで働く人たちを撮影したシリーズをきっかけに広く知られはじめたと思うのですが、わりと遅咲きのデビューですよね。

GABOMI.:はい。写真家になろうと決めたのが30歳になる頃だったので、正直、大きな挫折をしたり、かなりの紆余曲折はありました。もともと表現することが大好きで、市内の美術展で何度も賞を貰うような中学生で、そのうちいつか画家になりたいと思っていました。地元の高松市には美術・工芸系の高校があって、推薦もほぼ決まっていたのですが、反抗期で「先生の言うことはとにかく全部聞きたくない!」というテンションになっちゃって、結局普通科に進んでしまったり。

『ことでん仏生山工場』2011年
『ことでん仏生山工場』2011年

―ちょっともったいない。

GABOMI.:本当は行きたかったんですけどね。大学進学のときは獣医になるためにセンター試験を受けたのですが、それも人間の医学に活用するために動物実験や解剖をする仕事という側面があることを知って、急に断念してしまったり……。教育熱心な両親だったので、ヘタに受かってしまうとそのまま獣医への道に進むことになると思い、センター試験のテスト用紙は途中から白紙で提出しました。

―高校も大学も進学のたびに、直情的で反抗的な選択をしているような……。

GABOMI.:もう両親は大泣きで。結局、私には絵描きの才能があるから大丈夫という甘えがあったんですね。でも18歳のときにはじめて個展をひらいて、展示された自分の絵を客観的に見た瞬間、画家として大成できるような才能がないことを痛感してしまったんです。友だちは褒めてくれるし、賞を貰えるような絵は描けるけど、才能がないことがはっきりわかってしまった。

―思わぬところで挫折が訪れたんですね。

GABOMI.:高校推薦やセンター試験は自ら選んで辞めたので、そんなに悔しくはなかったのですが、本当に道が断たれたという経験ははじめてでした。絵を失って、自分は思ったより価値のない、大した人間じゃないという現実に直面した。頭もよくないし、なにも達成できない中途半端。就職もできないし、勉強にも身が入らない。後々考えてみるとうつ状態だったと思うんですよ。

一度どん底を経験したからこそ、先入観で決めつけず、あらためて世界をちゃんと見てみようという気持ちになれたんです。

―気がついたら、自分で自分を追い込んでしまっていた。

GABOMI.:暗黒時代です。勝手に涙が出てくるし、なにもやる気がしないし、本当につらいんですよ。ありがちですが、死ぬことすらも頭をよぎったんですけど、ピアスを開けるのも怖いくらいの性格だから当然そんなこともできない。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―思っていたほど、簡単なことではなかった。

GABOMI.:そんなことを本気で悩んでいるときに、ふと気づいたんです。これだけどん底の精神状態でも私は生きているし、そもそも自分で自分を殺すなんて、膨大な手間とパワーがいる大変なことなんですよ。そんなことを考えられるくらいなら、逆になんだってできるんじゃないか? と。

―なるほど……!

GABOMI.:そこから一気にV字回復ですよ。一度どん底を経験したからこそなんだってできる。じゃあ、まず自分が一番忌み嫌っていたOLの仕事をしてみようと思って就職しました。

―突然の急展開ばかりの人生ですね(笑)。でもなぜそのタイミングで、一番嫌いなことをしようと?

GABOMI.:結局、最後に信じられるのは自分の感覚ですが、先入観で決めつけず、あらためて世界をちゃんと見てみようという気持ちになれたんです。実際、とんでもなく嫌なこともありましたが(笑)、そのおかげで何事も決めつけずにやってみる勇気を持てるようになりました。飛び込み営業、ネットショップの開業、デイトレーダー、そしてIT系の広告営業と転職を重ねながら、それなりによい成績もあげられて「私、やっていけるじゃん!」と自信にもなっていったんです。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―絵というプライドを失ったGABOMI.さんが、自分の可能性や社会的価値を再発見していくための作業でもあったわけですね。以前、とあるインタビューでウェブメディアの仕事をしているときに写真の楽しさと出会ったと語られていました。

GABOMI.:もともと写真には全然興味なかったんですよ。高松で生活していても、ヴォルフガング・ティルマンス(ドイツの現代写真家)のような写真の動向はなかなか伝わってきませんし、おじさんたちの趣味、写真クラブ的なものが主流なので。たまたまバイトではじめたウェブメディアの職場で、上司から「カメラマンがいないからお前撮ってこい」といきなり言われて。

―へえ。

GABOMI.:「簡単だから大丈夫」と言われて、1時間くらい一眼レフカメラのレクチャーを受けて、焼き鳥屋の店内を撮ってきたんですけど、できあがった写真はピンぼけばかり。上司からも「ありえなくない……?」って心底呆れられて。それが、もう悔しくて悔しくて。密かに自主練習を重ねて、次のチャンスを窺っていたんですね。

―その反骨心と根性がすごいです。

GABOMI.:そうしたら意外と早く汚名返上のチャンスが訪れて。ただ、その仕事が鍋料理の撮影だったんです……! 人生2回目の撮影が料理写真って、難易度上がりすぎですよ。照明も必要だし、美味しそうに見せるには温かいうちに手早く撮影しないといけない。まったく勝手のわからないまま、酒瓶を起こしたり倒してみたり、野菜に霧吹きでシュッシュしたり。店の人からも「もうすぐ開店なんですけど……」とせっつかれて。でも、そこで奇跡のようなカットを撮ることができたんです。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―奇跡ですか?

GABOMI.:お猪口の位置をちょっと動かした瞬間に「え!!」ってくらい構図がバシッと決まって。「これや! きた!」っていう写真がいきなり撮れたんですよ。一気に興奮状態になって、後頭部から血が頭に駆け上る感じ。その瞬間に「写真が自分の天職や!」って思ったんです。

―撮影したのは2回目でしたよね(笑)。

GABOMI.:これをやるために生まれてきたと確信したんです。それまでに感じたことのない体験。まさか鍋料理の写真でそれが訪れるとは思ってもいませんでした。居酒屋さんで。3,980円の鍋コースで。

―人生わからないものですね。それが写真家になる転機だった。

GABOMI.:そうです。その後もチャンスがあれば撮影させてもらって、カメラマン見習いにさせてもらって、本当に幸せな時期でしたね。じつは、その直後に母親が病気をして、看病のために半ば不義理するような恰好で会社を辞めてしまうんですが、写真への情熱は消えませんでした。本当にいろんな方の助力で写真家になることができたと思います。

いつか私もこの世から去っていく。それは自然で当然のこと。それを冷静に受け止めたい。

―GABOMI.さんが知られるようになった、「ことでん」のシリーズについても教えてください。広告ポスターや写真集『ことでん仏生山工場』(赤々舎)にも展開するなど、この作品を見たことがある人は多いかもしれません。

GABOMI.:「ことでん」の車輛工場は、地元高松のバンドのアーティスト写真のロケではじめて訪れたんです。ことでんって、全国の私鉄で廃車になった古い車輛を再利用して使っているんですよ。だから部品もなるべく自分たちで加工して作る。そのDIYマインドに驚かされて、個人的な撮影取材をお願いしたのが最初です。そして撮影初日にノックアウトされちゃうんですね。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―それはどんな理由で?

GABOMI.:全部が素晴らしい被写体に見えて、パニック状態になっちゃったんです。この頃、目標や目的のはっきりした商業写真の手法から離れて、完全にフラットなドキュメンタリー写真を撮れないかと考えていました。他人からの期待はもちろんのこと、自分の目というフィルター、こうあってほしいという願望も全部白紙にして「あるがまま」に撮ることを試したかった。それを「ことでん」で挑戦しようと思ったのですが、あまりにも場と人のパワーが強くて、感情的な撮影を行いそうになってしまった。だから当初は2、3日で切り上げるつもりだった撮影期間が、結果的に8か月という長期に及んでしまいました。撮影期間は工員の方とも最低限の挨拶以外はコミュニケーションを断って、気配を消して撮影したんです。

―写真から作為や主体の意思は必要ないという発想は、森山大道、中平卓馬など、1960、70年代にかけて勃興した前衛的な写真の実験にもつながりますね。作家性を退けて、写真そのもののメディア性を問うというのは、きわめてモダニスティックな姿勢です。

GABOMI.:写真というメディアに対する問いもありましたが、同時に、写真と私との対話を純粋化したいという気持ちもあった気がします。私の人生のなかで、写真との出会いは特別なものでした。私はオープンな性格ですし、みんなとお喋りするのも好きだけど、写真と私の関係だけはもっと純化して、研ぎすませていきたい。その想いは年々強くなっています。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―今回の『shiseido art egg』での展示プランは、「ことでん」のようなドキュメンタリースタイルの写真ではなく、「手レンズ」や「ノーレンズ」といった抽象的な写真シリーズがメインになっていますね。そこにも「あるがまま」の写真、写真の純粋性に対する意識を感じます。

GABOMI.:「手レンズ」は、自分の手を筒状にぎゅっと丸めて、それをレンズ代わりにして撮影したシリーズ。「ノーレンズ」は、そもそもレンズをつけずに被写体を接写したもので、写真に現れるのは花びらの赤や葉の緑など、色彩だけです。手をレンズの代用品にしてしまう、あるいはレンズそのものを使わないことで、写真の性質を特徴づけるレンズから解放されたいという気持ちからはじめたものです。それが結果的に抽象的なイメージになっていくのは面白い発見でした。

『Inland Sea 2015 / TELENS』2015年
『Inland Sea 2015 / TELENS』2015年

―それらのシリーズは、どのように展示されるのでしょう。

GABOMI.:資生堂ギャラリーの巨大な壁面に、手レンズで撮影した太陽の写真を可能なかぎり大きく引き延ばして展示します。そしてその反対側に木々の木漏れ日を撮影した写真を配置して、光合成的なエネルギーの循環を表現したいと思っています。ノーレンズのほうも、椿など、植物を撮った作品を発表するつもりです。

『宝生院の真柏, 小豆島 2016 / 神光』2016年
『宝生院の真柏, 小豆島 2016 / 神光』2016年

―インタビューの最初で、目に見えない宇宙的な大きな流れという話がありましたが、世界をある循環性のなかで捉える視点をGABOMI.さんは持っているのではないかと思います。太陽の写真を目一杯大きくしたいというのも、自分の体感として実感できるサイズを選んだ結果なのではないでしょうか?

GABOMI.:写真の構図だけでなく、基本的には世界のすべてを引いたところから見てみたいんです。それは時間についても一緒で、「1000年後、いま見えている風景がどうなっているんだろう?」とよく考えます。物質そのものは消えないけれど、原子や分子の結合は緩くボロボロになっていって、また別のものになっている可能性はある。金属のサビを撮るのが好きなんですけど、朽ちていくもの、経年するものが気になります。今回の展示では、最近実験中の「分解写真」という新シリーズもお見せしたいと思っています。セルラーゼという酵素を使って、写真を半溶けの状態で提示するシリーズで、写真の記録性について考えたものです。

資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景

―記録性ですか。

GABOMI.:私たちは特定のある瞬間の記録を残したくてシャッターを切るけれど、実際にはその記録すら残せないんじゃないかと思うんです。写真に収められた記録もまた絶対じゃないんだ、全部去っていくんだというイメージです。

―椎名林檎は“ギブス”という曲で、<だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない>と歌っていましたが、写真には過ぎ去るものの無常がありますね。

GABOMI.:最初の頃は、さみしい、悲しい、切ないって気持ちがあったんですけど、いまはただ、そういう事実を受け入れているって感じです。いつか私もこの世から去っていく。それは自然で当然のこと。それを冷静に受け止めたいし、展示でそれを表現できたらいいなと模索しています。

イベント情報
『第10回 shiseido art egg GABOMI.展』

2016年3月2日(水)~3月25日(金)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:火~土曜11:00~19:00、日曜・祝日11:00~18:00
休館日:月曜
料金:無料

ギャラリートーク
2016年3月5日(土)14:00~14:30
出演:GABOMI.

『第10回 shiseido art egg 七搦綾乃展』

2016年3月30日(水)~4月22日(金)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:火~土曜11:00~19:00、日曜・祝日11:00~18:00
休館日:月曜
料金:無料

ギャラリートーク
2016年4月2日(土)14:00~14:30
出演:七搦綾乃

プロフィール
GABOMI. (がぼみ)

1978年高知県生まれ。私鉄「ことでん」の車輌工場を撮影したドキュメンタリー作品による『ことでん百年目の写真展』(2011年)が反響を呼び、写真をメインビジュアルに使用した広告ポスターは、2012年『全広連鈴木三郎助地域賞優秀賞』『香川広告協会広告賞』印刷部門、新聞部門で各優秀賞を受賞。写真集『ことでん 仏生山工場』(赤々舎出版)を発刊。高松市立美術館『高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.02』(2012年)、水戸芸術館が若手作家を紹介するプロジェクト『クリテリオム』第89回目の招聘作家。近年は「見る」ということの本質を問う、実験的なコンテポラリー写真を多く制作している。自らの手をレンズの代わりに使って撮影する独自の技法「手レンズ」や、レンズを外して完全に形を壊す「ノーレンズ」など、従来の写真の概念にとらわれず自由に国内外で制作中。デジタル加工はしない。



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