型破りな水野しず、資生堂『花椿』を読む。躊躇しないネット論

資生堂の顔とも言える月刊誌『花椿』。約80年に及ぶ歴史の中で、同誌は時代の風と相同しながら、少しずつ姿を改め、そのときを生きる女性たちに必要なメッセージを発信し続けてきた。2016年6月、そんな『花椿』が大きな変化の瞬間を迎えた。ウェブ版の内容を一新し、月刊誌は季刊誌へ。紙とウェブを組み合わせたクロスメディアに生まれ変わったのだ。

そんな節目の季節に『花椿』に想いを寄せる若き表現者を招いた。『ミスiD2015』のグランプリを獲得し、イラストや漫画のほか、展覧会の企画にモデルまで、幅広く活躍する水野しず。ときにネット界隈を騒がせもする型破りな言動と、独自の美学に貫かれた表現は、多くの人の支持を集めている。そんな水野の目に、『花椿』はどのようなメディアとして映っているのだろうか?

「消費されていくものとは違う何かがここにはある」と思いました。

―水野さん、『花椿』はご存知でしたか?

水野:学生時代から読んでいました。東京に出てくるまでは見たことがなかったんですけど、熱心にコレクションしている友だちがいて。

―武蔵野美術大学の同級生ですか? 水野さんは映像学科に在学してらっしゃいましたよね。

水野:そうです。写真をやっている子だったんですけど、家にたくさんバックナンバーがあって、表紙を見た瞬間にビックリしたのを覚えています。化粧品メーカーの出しているカタログや冊子って、ビジュアル的に訴求力の強い表紙が多いじゃないですか。『花椿』ももちろんそうなんですけど、目に見えるビジュアルだけじゃなくて、目に見えないものをビジュアライズして伝えてくる感じがありました。それってあんまり見たことないから「あ、すごい。これは何をやろうとしているんだろう……!」って、ちょっとゾクっとする感じがあった。

水野しず
水野しず

―ゾクっとする感じ。

水野:ただ美しいだけじゃなくて、そこに怖さだとか、生と死だとか、一面的じゃないものを感じました。言葉にするなら、花が咲いて枯れていく過程というか……日常生活ではなかなか口に出さないデリケートな部分をなんのてらいもなく含んで表現しているところに鋭さを感じて。「自分の身に溢れている、消費されていくものとは違う何かがここにはある」と最初に思いました。

―もともと、雑誌や紙メディアには親しみを持っていたのでしょうか? 水野さんくらいの年齢だと、もうネットがスタンダードになっていたのかな、と。

水野:雑誌はそこまで読んでいませんでしたけど、ネットよりも古書で漫画や文芸書をとことん読み進めていくような10代でしたね。だから『花椿』も雑誌という感覚ではなく、特別な本として触れていました。たしか2015年の号で、女の子の顔の真ん中が青くなっている表紙があるんですけど、すごく象徴的な感じがしたんですよね。

『花椿』2015年4月号
『花椿』2015年4月号

「わかりやすさ」とは別の次元にあるものが、「違う世界」に連れていってくれると思うんです。

―美しいビジュアルですけど、同時にちょっと不気味さもあって、一面的ではないですよね。

水野:最近、ウェブ版が始まったじゃないですか? 『花椿』が紙からウェブ版に移行すると聞いたときはちょっと不安だったんですよ。普段からインターネット全般に対して、わかりやすいもの、心の浅いところで共感するものばかりが残って、人間のコミュニケーションの、ある大切な部分が失われてしまうのかなっていう不安があって、『花椿』もそうなってしまうかもしれないと。最近の世の中の動きも、その不安が具体化しているし。でも、実際にウェブ版に掲載されているコンテンツを見ると、『花椿』が持っていた「質」のよさが感じられてホッとしました。

資生堂『花椿』より
資生堂『花椿』より

「空想ガストロノミー」 資生堂『花椿』より
「空想ガストロノミー」 資生堂『花椿』より

―『花椿』の「質」って、どういうものでしょう?

水野:「質がいい」ものというのは、あって当たり前のもの。だってそのほうが気持ちいいし、心地いいですよね。例えば「好きな食べ物は何ですか?」って聞かれると、私「質の高いものです!」って答えちゃうんですけど(笑)、前提として食べ物ってみんな好きだし、その中で特に好きなものって「これは質がいいな!」と率直に思えるものだと思うんです。美味しさは食べて感じるものだけど、「質」のよさも同じように、目には見えないものですよね。そういう「わかりやすさ」とは別の次元にあるものが、「違う世界」に連れていってくれると思うんです。そういうのが私は好きです。

水野しず

―わかるようなわからないような(笑)。

水野:そうですか?

―でも、簡単には「わからない」ものが大切だっていうのはわかります。

水野:「わからないもの」が世界からなくなることは絶対ないと思うけど、これからの人生で、それがどんどん少なくなっていったら本当にイヤなんです。だから「質が高いものがいいのが当たり前じゃん!」っていうのをみんなに忘れないでほしい。『花椿』の佇まいって、私が言うよりももっと謙虚な感じの姿勢ではあると思うんですけど、ごく普通な感じで、質の高さに対する感覚を持ち続けている。そこが、『花椿』のいちばん好きなところですね。

自分を見る人が変わることによって、自分も変わるだろうっていう予感がありました。

―「目に見えないもの」「わからないもの」に価値があって、それがある「質の高さ」を担保しているというのは理解できます。ただ、確信を持ってそれを宣言するためには感性の芯の強さが必要でもある気がしていて、水野さんがその確信に至った理由を知りたいと思うのですが……。

水野:はい。

―僕にとってのファーストインパクトは、『ミスiD2015』のプレゼン動画で、「ウルトラ水野しずクイズ」の破壊力が印象的でした。

水野:あー、あれは何をすればいいかわからなかったための苦肉の策ですね(笑)。

―苦肉の策感はありますけど、ある意味では異常な完成度の高さもあって。子どもの頃から、ああいう感じの人だったんですか?

水野:言うまでもなくって感じです。私の実家は岐阜の造り酒屋で、姉弟3人のうち誰が跡を継ぐかという問題を小さい頃から意識する環境だったんですけど、私の場合は、親から「あなたは自分の内面の悩みを表現しないとダメだから」と言われて育ったんです(笑)。

水野しず

―じゃあ、子どもの頃から一貫していた。

水野:表現する方向に進むということが当たり前で、それ以外あんまり考えたことがなかったです。私は武蔵野美術大学を中退していますけど、美大に進学する必要もあまり感じていなくて、落ちたら調理学校に行って食べ物を作ろうとか思っていました。

―それは料理が好きだからですか?

水野:自分はどこに行っても何をやっても、表現しちゃうことには変わりはないって確信があったからです。むしろ東京に生活を移すことのほうが重要でした。

―東京に来たかったんですね。

水野:うっすらとなんですけど、自分を見る人が変わることによって自分も変わるだろうっていう予感がありました。今日もインタビューの前に参議院選挙に立候補しているマック赤坂さんを見かけましたけど、街頭に頭に電球を巻いて踊っているおじさんがいても、東京の人は無視するんじゃなくて面白がってくれるでしょう。そういう環境に自分を置くべきだってことを無意識に思っていたんでしょうね。

自分自身がもったいない状況に置かれていることに鬱屈を感じたんです。

―でも、寛容なご両親の影響もあって、のびのび育つことのできた10代を過ごしていたように思いました。

水野:みんな面白がってくれていたとは思うんですけど、普通にヤバいヤツでしたからね(苦笑)。まったく記憶にないんですけど、中高時代の友だちに教えてもらったエピソードがあって。私が高校の国語の授業中にしゃぼん玉をやっていて、教室がしゃぼん玉まみれになっちゃって。で、先生がさすがに「水野さん、ちょっとこれは……どうしたらいいでしょう」って聞いたらしいんです。それで私は「あ、シャボン玉が窓から勝手に入ってきたんです」って答えたらしく。

―バレバレの嘘じゃないですか(笑)。

水野:悪気があったとか、学級崩壊させたかったとかじゃなくて、国語の時間にそういう詩みたいな状況があれば豊かじゃないかなって考えたんだと思うんですよ。

水野しず

―以前、別のインタビューで地元の岐阜や、中高時代を過ごした名古屋に鬱屈を感じていたと答えていましたね。

水野:でもだんだん、「こいつは変わり者だから」ってレッテルを貼られちゃうと、伝わることも伝わらなくなっちゃうから、すごくもったいないと思うようになりました。最近「コスパ」っていう感覚がめちゃくちゃ一般的になったじゃないですか。

―コストパフォーマンスですか?

水野:そうそう。物を選ぶときの基準をコスパで考えるのって今らしい感覚だなと思うし、ある面では面白いとも思うんですけど、コスパに見合わないと、対象物が本来持っているかもしれない面白さを受け取れなくなるのはすごくもったいないと思うんですよ。それは名古屋時代も感じていたことで、自分自身がもったいない状況に置かれていることに鬱屈を感じたんです。だから、もう少し心の広い、多様性を認める東京に行きたいと思ったんです。

―水野さん、けっこう冷静ですよね。

水野:私、じつは冷静だし客観的なんですよ(笑)。もちろん思春期特有の、混沌そのものが空から降ってくるような感覚もありましたけど、常に俯瞰して状況を把握している。だから高校の教室でしゃぼん玉を作ったのも「そのほうがいいじゃん!」っていう判断の元でやったことです。悪気はない。私、世界のことも好きですから。

社会ってすごくサイレント。でも普通なら言葉にするのをためらってしまうことを、大きい声で言ってしまうことがクールだと思うんです。

―先ほど、質の高さ=別の次元に連れていってくれること、という風に話されていたのが印象に残っています。最近のメディアで紹介されやすい「質の高さ」って、食やインテリア、あるいは自己啓発的活動など、とにかく自分自身への内向きな癒しを追求するものが多いと思います。でも、水野さんは、「外」へ向かって開かれている多様性こそが、質の高さだと考えているわけですよね。

水野:もちろん自分が心地よく感じることだって大切な基準ですけど、もっと当たり前にいろんなドアがあっていいと思うんです。ちょっと前に展覧会のキュレーションをしたのですが、作家さんが『引っ越しする絵画』っていう作品を展示していて。凍らせた絵具を壁に設置して、それが下に置いたキャンバスに溶け落ちてく様子を「引っ越し」に例えたんですけど、ある人が「絵具を垂らすやつなら僕もやったよ」って感想を言っていたんですね。

―ジャクソン・ポロック(20世紀アメリカの抽象絵画を代表する作家。絵具をキャンバス上にしたたり落とす「ドリッピング」などの技法を使い、即興から生まれる作品を数多く手がけた)とかのことを言っているんでしょうね。

水野:たぶんそうですね。でも、その作品をみんなが楽しんでいるのは、美術史や絵画技法の視点ではなくて、絵具が溶けて落ちていくことを「絵画の引っ越し」に見立てた、作家個人の表現のほうなんですよね。 私自身は美術教育の中で生まれる表現を信じたい気持ちがあるから、指摘をした人の視点も理解できるんだけど、目の前で起きていることを自分の価値観だけで理解してしまうのは豊かじゃないと思うんです。つまり何が言いたいかっていうと、表現っていうものへのドアがたくさんあることが「質の高さ」なんじゃないか、ってことなんですけど。

水野しず

―ある枠組みが、自由や多様性を抑圧してしまうことはざらにありますしね。

水野:社会ってすごくサイレントじゃないですか。みんながオフィスで仕事しているときもサイレントだし、電車に乗っているときだって騒音は聞こえていてもサイレントだし、コンビニや舗装された道路も駅前も、みんなサイレント。

でも、本当はみんな心の中にいろんな声や現象が起こっているんですよね。そういう、普通なら言葉にすることをためらってしまうものを、大きい声で言ってしまうことがクールだと思うんです。サイレントであることに慣れ過ぎちゃうと、大きい声を出す発声法すら忘れちゃうじゃないですか。その方法を思い出すことが大切なんですよね。私の場合は、声を出すっていうよりも、どうしても大きな声が出ちゃうって感じですけど(笑)。

水野しず

―たしかに(笑)。

水野:さらに深く思っていることは、声や言葉の先にあるもので。私、言葉っていうのは末端で、本質はイメージだと思っているんです。本人がイメージを持っていなかったら、どんな言葉を使っても伝わらないと思う。イメージの質をどれだけ下げずにコミュニケーションが取れるかっていうことが豊かさだと思う。これから先、インターネットが世の中のほとんどを埋め尽くすようになっても、私は絶対それを失いたくないんです。

ネットだと、感じの悪いネタやニュースのほうが数字を稼げちゃったりしますけど、私は積極的に感じのいいことをしていきたい。

―最後にまた『花椿』に話を戻しますが、資生堂は「一瞬も 一生も 美しく」をコーポレートメッセージとしています。これは、化粧やファッションで着飾る美しさと、心の中にある美しさを同じ高さで見ているということだと思います。水野さんが言う言葉とイメージの関係に当てはめると、言葉は「一瞬」で、イメージは「一生」なのかもしれません。確かなイメージを持つことで、言葉も力を持ちうる。美しくあれる。

水野:私の名刺の裏に、導火線に火がついたダイナマイトを持っている自画像を載せているんですけど、「生と死」とか、「笑いと悲しみ」とか、遠いようで近いものが紙一重にある緊張感が好きなんですね。うまく言葉にできないけれど、その緊張感が張りつめている瞬間の美みたいなものがある気がします。

名詞の裏に描かれているイラスト
名詞の裏に描かれているイラスト

―しかもその自画像、「気さく」って言葉が添えられているんですよね。謎めいている(笑)。

水野:気さくな人って、「感じがいい」じゃないですか。私、自分が言われていちばん嬉しいのが「感じがいいですね」って言葉なんですけど、それってけっこう大事だと思うんです。

―黒か白かではっきり断言できる人物にも人は惹かれるし、ネットなんかだと露悪的なくらいに決断する人がもてはやされますけど、「感じがいい」には勝てない気がします。

水野:ネットだと、感じの悪いネタやニュースのほうが数字を稼げちゃったりしますけど、それは本当に嫌だなって思います。私は本当に積極的に感じのいいことをしていきたいし、『花椿』さんが「感じのよさ」を保っていてくれるのは、本当に心の支えになっています。

水野しず

―なるほど(笑)。

水野:資生堂の「感じのよさ」は絶対変わらないと思いますね。もしもある日突然、資生堂の感じが悪くなってたら、その頃には日本っていう国はもうなくなっているでしょうね!

サイト情報
『花椿』

『花椿』は、1937年に創刊、その前身である『資生堂月報』(1924年創刊、1933年に『資生堂グラフ』に改題)を含むと、90年以上にわたって刊行を続けてきました。「美しい生活文化の創造」の実現を目指し、人々が美しく生きるためのさまざまなヒントをお届けすることを目的に、時代に先駆けた新しい女性像や欧米風のライフスタイルなどを提唱してきました。昨今のインターネットやスマートフォンの急速な普及に伴い、2011年にはウェブ版の配信をスタートさせ、新たな読者の獲得を目指しました。その後もメディア環境は一層激しく変化しています。今回のリニューアルで若い世代と親和性の高いウェブ版に軸足を移すことによって、新たな読者層との出会いを広げていきます。

プロフィール
水野しず (みずの しず)

1988年12月19日生まれ、岐阜県多治見市出身、東京都在住。2007年に美大進学のため上京。大学時代は自主制作アニメーションと演劇に没頭。卒業制作として「最悪の事態」(60分)を制作後中退。その後、ネット上で話題になり『ミスiD2015』グランプリ(講談社)に選出。選出後も事務所には所属せずフリーで主にイラスト、漫画、ライター、モデル等の仕事をしている。



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