片桐仁×中屋敷法仁対談 現代の不寛容さに「コメディー」で対抗

「コント」と「コメディー」は違う。前者が、観客を笑わせることに特化して作られた世界である一方、後者は笑わせるだけでなく、そこに複雑な人間心理や関係性を描き、人が生きる姿を表現している。

もちろん、どちらに優劣があるという話ではない。ただ、わざわざ「喜劇」と銘打たれたチェーホフの『桜の園』や『かもめ』を読めば、一見すると悲劇にしか捉えられない物語の中に、劇作家の人間に対する愛しい視線を感じることができるだろう。

『サクラパパオー』は、NHK朝の連続テレビ小説『あすか』や『瞳』の脚本も務めた劇作家・鈴木聡が1993年に執筆したコメディーで、今回、「柿食う客」主宰の中屋敷法仁が演出、片桐仁らを出演に配して上演される。競馬場を舞台にさまざまな人々の思惑が交錯する本作は、これまで3回にわたって上演され成功を収めてきた。しかし、20年以上前に描かれたこの作品を、いま上演する理由はどこにあるのだろうか? そして、この作品で描き出される人間の姿とはどのようなものだろうか? エキセントリックな気鋭の演出家・中屋敷と片桐にこの作品の魅力を語ってもらったところ、「笑い」にとどまらず、ギリシャ悲劇に通じる(!)この作品の魅力が語られた。

稽古中、正面の演出席を見ると中屋敷さんがよくいなくなっています。(片桐)

―片桐さんは中屋敷さんの作品に出演するのは初めてですが、演出家として中屋敷さんはいかがでしょうか?

片桐:衝撃的でした……。

―えっ?

片桐:だってこんなにナルシストはいませんよ! 先日、キャストと演出助手と中屋敷さんの10人で飲みに行ったとき、中屋敷さんは、向かいに座っていた女優さんと喋っていたんです。女優さんは鏡を背にして座っていたんですけど、どうも中屋敷さんと目があわない……。そしたら、中屋敷さんは鏡に映った自分の姿を見て喋っていたんです。

左から:中屋敷法仁、片桐仁
左から:中屋敷法仁、片桐仁

中屋敷:あんなに失礼なことないですよね……。

片桐:思わず「鏡見てるでしょっ!」って言ったら、「はい、ナルシストです」って認めました。それで、中屋敷さんが鏡を背にした席に代わってもらったんです。そしたら、途端に呂律が回らなくなってしまった(笑)。

―鏡の中の自分を見なきゃ喋れないんですね(笑)。稽古場の中屋敷さんはいかがでしょうか?

片桐:稽古中、正面の演出席を見ると中屋敷さんがよくいなくなっています。いつの間にか俳優の後ろや舞台の端にいるんです。こんな演出家は初めてですよ!

―いったいなぜそんなに動くんですか!?

中屋敷:前から芝居を見ていると、普通に楽しくて何も考えられないんです。こんなに面白いのに、何をダメだしすればいいんだろう……、と思ってしまう。さすがにそれでは演出できないので、横に後ろに動き回って見ているんです。

中屋敷法仁

片桐:それに、稽古中に「あっ!」とか「ハッ!」とか、役者と同じ感情の顔をしてるんです。

中屋敷:あ~、昨日の稽古で、やめてくれって言われたから絶対やらないように決めたのに……。もう、台詞は完全に暗記しているので、没頭しちゃうとつい俳優さんと一緒に演技をしてしまうんです。

片桐:変わってるなあ。

―では、中屋敷さんから見て、片桐さんはどんな俳優ですか?

中屋敷:以前からいろいろな舞台で拝見していたんですが、サービス精神がとても旺盛なんです。そのサービス精神も、作っているものではなく、本当にお客さんに楽しんでほしいという気持ちから出ているもので。

片桐:そうですか?

片桐仁

中屋敷:そう思いますよ。どんな瞬間でも、楽しんでほしい、笑ってほしい、泣いてほしいという気持ちに溢れてる。ひとつの芝居の中でも、ここは絶対に面白くしなきゃいけないというシーンもあれば、そうでもないシーンもありますよね。でも、どんな何気ないシーンでも、片桐さんは絶対に手を抜かない。どのシーンもしっかり自分の出番であり、自分の芝居をしているんです。

―見せ場であるなし関係なく、常に楽しんでもらおうと意識されているんですね。

片桐:お客さんは1回しか見ないですからね。でも、休演日明けなんかは身体と心が一致しなくてダメな日も多いんです(笑)。

ダメな人やマヌケな人を嘲りながら笑うだけじゃなく、その背景には憧れがあるんです。(中屋敷)

―1993年に初演された『サクラパパオー』は、競馬場を舞台にしたコメディーです。お二人は、この脚本を読んでどのように感じたのでしょうか?

中屋敷:僕は劇作家オタクなんですが、鈴木聡さんがこのような形のファンタジー性の高いコメディーを書いていたのは意外でした。キャラメルボックスの成井豊さんや扉座の横内謙介さんなど、鈴木さんと同世代の劇作家たちは、いろいろなファンタジーを書いていますが、鈴木聡さんが率いる「ラッパ屋」は、リアルな話を作ってきた劇団です。ただ、『サクラパパオー』はファンタジーなのに泥臭くてみみっちい(笑)。このみみっちさが、リアルな人間模様の基礎となっているんです。

「こんなやついねえよ」って思いつつ、「いや、いてほしい」と思ってしまう。「こんな展開ありえない!」と思いながらも、「ありえてほしい」と思ってしまいます。鈴木さん本人も「こんな大勝負してみたい」と思っているのかもしれませんね。

―片桐さんはいかがでしょうか?

片桐:「ダメな人たちを許してほしい」という作品じゃないかと思います。特に、僕の演じる的場博美という役がいちばんダメな人間なんですよね。

―片桐さん演じる的場は、外務省のエリート官僚でありながら、女性のために800万円もの公金を使い込み、競馬で挽回しようとする役ですね。

片桐:愛すべきダメな人です(笑)。近年、そういう人を描く物語は少なくなっていると思います。この作品が書かれたのはバブルの直後。まだみんな、心に余裕があったのかもしれないですね。競馬場という磁場が、そんなダメな人たちの生み出す関係性をより面白く見せています。

『サクラパパオー』メインビジュアル
『サクラパパオー』メインビジュアル

―婚約者がいるのに浮気をしてしまったり、予想屋に簡単に騙されてしまったり、優柔不断だったり、登場人物はみな「ダメな人」ですからね……。

片桐:コメディーの基本ですが、ダメの当事者である本人たちはすごく真面目なんです。彼らなりのストーリーがちゃんとあるんだけど、傍から見ると「何を考えているんだ」ということをしてしまう。そういう生理が違和感なく台本に表現されています。

中屋敷:今作で、僕がすごい好きな台詞が「すこしうらやましいな」っていう台詞。ダメな人やマヌケな人を嘲りながら笑うだけじゃなく、その背景には「あんな人生を送ってみたい」「あんな大博打を打ててかっこいい」っていう憧れがあるんです。

学校では「ダメな大人になってはいけない」と教えるけど、芸術は「大人はみんなダメなんだ」と伝えることができるものなんです。(中屋敷)

―『サクラパパオー』を演出する上で、中屋敷さんはどんな部分を見せたいと考えていますか?

中屋敷:今作は、誰にも悪意がないのがとても面白く、そこがまた難しいところでもあります。シニカルな笑いではなく、絶対的に人間を信じているからこそ生まれる笑い。

これをやりきる俳優さんは大変ですが、やりきったら、単純な大爆笑ではなく、「ふふっ」っと細胞レベルで人間を愛して笑ってあげるような気持ちになると思う。「人間を愛する」「人間って楽しいな」という、深くてスケールの大きな笑いになるといいなと思っています。

―さきほどの片桐さんのお話とも共通しますが、近年の作品には見られないような「人間賛歌」を感じますね。

片桐:なんか、最近は世間が切羽詰まっていますよね。僕は、1996年に大学を卒業しましたが、別に就職しなくても、バイトしながら面白おかしく暮らしていけるだろうって思っていました。

でも、いま、美大生ですら、みんな就職するらしくて。みんなちゃんとしていて、将来の不安を露骨に意識していますよね。もちろん個人の自由ですけど、世の中がシビアになって、人間関係がせせこましくなっていんじゃないかな。

片桐仁

―的場のような人物がいたら、Twitterで大炎上でしょうね(笑)。

中屋敷:いま、不倫だなんだと騒がれる世の中ですが、的場のように「好きなんだからしょうがない!」「好きな人にお金を使い込んじゃったんだからしょうがない!」っていう人間らしい気持ちは肯定したいですね。

―中屋敷さんは、以前、CINRA.NETのインタビュー(「悲惨な演劇の状況をぶっ飛ばしたい」中屋敷法仁インタビュー)で「芸術の役割の1つは『人間は愚かで、くだらなくて、なんの意味もないヤツらだよ。でも絶望する必要はないんだよ。それが人間なんだ!』と伝えること」と仰っていましたが、『サクラパパオー』という物語は、まさにその芸術観に通底するものがあるのではないでしょうか?

中屋敷:これから、道徳が正式な教科となり、きっと、子どもたちは立派な大人の話しか耳にしなくなると思うんです。学校では「ダメな大人になってはいけない」と教えますよね。けど、芸術は「こんなにダメな大人がいる」「大人はみんなダメなんだ」と伝えることができるものなんです。

『サクラパパオー』は、きっと学校公演には呼ばれないと思いますが(笑)、子どもたちこそこういう作品を観るべきだと思いますよ。そうしないと、どんどんと人間の器が小さくなっていっちゃうんじゃないかな。

中屋敷法仁

片桐:この作品にあるような「まあいいか」っていう気持ちは、すごく大事ですよね。

中屋敷:そうですね。ダメな人間ばかりですが、お互いに対してとても寛容ですよ。

片桐:登場人物たちはけっこうヒドいことをしているけど、みんなそれぞれの正義を振りかざさないんです。いま、みんな平気で正義を説くじゃないですか。でも、正義ほどタチが悪く、信用できないものはない。正義を振りかざす人に対しては、「お前はそんなにできた人間なのか?」と、疑問を持ってしまいます。

演劇は、いまや数少なくなった枷のない表現のひとつで、タブーなく自由に世界を表現することができる。(片桐)

―『サクラパパオー』に描かれる寛容さは、現代を生きる我々にとって、忘れがちなものです。その意味でも、この作品がいま上演される価値がありそうですね。

片桐:どんどんと不寛容になってきていますからね。演劇は、いまや数少なくなった枷のない表現のひとつで、タブーなく自由に世界を表現することができる。演劇に政治などが介入してきたら、本当に嫌ですよ……。

―そんな、枷のない自由さを味わうのは演劇を観る醍醐味のひとつですね。

片桐:それに、演劇を観に行ったらスマホもいじれないし、お客さんはとても集中力の高い空間で舞台を観ることになる。俳優としても、僕らの一挙手一投足へのお客さんの反応をひしひしと感じます。そんな素晴らしい空間なのに、多くの人は演劇を観ないからもったいないなあ……。

片桐仁

中屋敷:僕は、演劇がめちゃくちゃ面白いと思っているから、来ない人の気持ちがわからないんですよね(笑)。毎日でも演劇を観ていたいんですよ。今年、お休みをもらって俳優さんを見ない時期があったのですが、とてもつらかった。俳優が見たくて、身体が震えていました(笑)。語弊がある言い方ですが、普通の人って、見ていても面白くないじゃないですか。

―普通の人は、面白さを重視してないですから(笑)

中屋敷:舞台上の俳優さんは、お客さんに面白く感じてもらうために行動し、喋っていますよね。けど、普通の人間って、人前でつい立派になろうとしたり、失敗しないようにしたり、失礼なことをしないようにします。犯罪も犯さないですしね。

片桐:俳優だって犯罪はダメだよ!(笑)

中屋敷:でも、役者さんは舞台に上がったらルールが変わるじゃないですか? 舞台のセットに上がれば、ある程度、社会の常識は守らなくてもよくなる。そこで、いきいきと動いている姿が僕にとっての面白さなんです。

それに、演劇の本番中は誰も邪魔しませんよね。お客さんの誰ひとりとして「引っ込め!」と言いません。そんな約束事の中で、演劇の時間が流れる。こういう、普段の空間では味わえない素敵な時間が演劇なんです。

笑いを取らなければいけませんが、それだけでなく「祈り」が込められているのがコメディー。(中屋敷)

―片桐さんは、お笑いというフィールドを主戦場にしていますが、お笑いと演劇とはどのように違うと感じますか?

片桐:お笑いは「笑い声」という目的が定まっているので、お客さんに向けてエネルギーを発します。お客さんのほうに僕らが入っていくというイメージです。でも、演劇は、お客さんがこちらに入ってくるように感じるんです。

お笑いは顔が見えるか見えないかで笑いの量が違いますから、芝居ではお客さんに背中を向けることに最初は違和感がありました。だけど、芝居の世界に集中力を持ってお客さんは入ってきてくれる。芝居の世界に、お客さんを混ぜ込んでいる感じがするんです。

片桐仁

―お客さんとのコミュニケーションの違いですね。では、中屋敷さんにとって、コメディーとはどのようなものでしょうか?

中屋敷:コメディーは祈りだと思っています。

―「祈り」とは?

中屋敷:もちろん笑いを取らなければいけませんが、それだけでなく「こういう人に会いたい」「こうなってほしい」という祈りが込められているのがコメディーです。今作も、笑いがふんだんに散りばめられつつ、劇作家が書いているのは「こんな人に会いたい」「こんな世界を生きたい」という飽くなき祈りなんです。

―たしかに、ありえないからこそ羨望してしまう世界が広がっていますね。

中屋敷:こういう作品をやっていると、自分のせせこましさが身につまされます。「なんで自分はこんなに不寛容なんだろう……」「なんで自分はこのように生きられないんだろう……」って。この作品を通して、ただ笑えるだけじゃなく、もっと大きなところまでたどり着きたいんです。

現代人は、何事も自分の力でなんとかなると思いすぎですよ。(中屋敷)

―「もっと大きなところ」とは?

中屋敷:これは初めて言うのですが、この作品は、ギリシャ悲劇に似ていると思うんですよ。

―『オイディプス王』や『エレクトラ』と『サクラパパオー』が似ている!?

中屋敷:ギリシャ悲劇って、人間が何もできないんです。いろいろなことを考えて行動するのに、結局運命には逆らえない。『サクラパパオー』も、人間の運命を馬に託すという物語です。こちらが祈っても馬には届きませんよね。運命に抗おうとしつつ、抗えない人々の物語なんです。

中屋敷法仁

片桐:確かにレースのときも祈ることしかできません。今作の登場人物たちは、みんな勝手な思惑を持っていますが、レース中は何の手出しもできないんです。

中屋敷:そうそう。そんな部分が、この作品のファンタジー性を高めています。人間は何もできないけど、それでも何かできるのではないかと思ってしまう。鈴木聡さんがおっしゃっていたんですけど、レースを見ても見なくても結果は変わらないんですよね。

それなのに、人はわざわざ競馬場に来て見てしまう。自分が見ていると何かが起こるかもしれない、自分が見ていないとダメなんじゃないか……、そんな気持ちを掻き立てられるんです。

―その意味では、究極的にいまの時代と逆行する作品ですね。

中屋敷:現代人は、何事も自分の力でなんとかなると思いすぎですよ。能や歌舞伎、あるいはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を見ても、人間の力ってたいしたことないんだって気付かされます。人間よりもはるかに巨大な、運命のような大きな力があるんですよね。

運命に翻弄される人々を描いた作品を現代の観客が観ると、「予定調和」「こんな展開ありえない」と感じてしまうかもしれません。だけど、人生ってありえないことが起こるんですよ! そんな物語を肯定していかないと、リアルな人生も肯定できないと思うんです。

左から:片桐仁、中屋敷法仁

―まさか、競馬場を舞台にしたコメディーが、そこまで大きな話につながるとは思いませんでした。

中屋敷:コメディーという響きからスケールの小さい作品だと思われるのが嫌なんです。笑うだけでなく、これを見て「人間って素晴らしい!」って思ってほしいですね。

片桐:笑わせようとばかりしてました、すいません!

中屋敷:それは大いにやってください!

イベント情報
『サクラパパオー』

作:鈴木聡
演出:中屋敷法仁
出演:
塚田僚一(A.B.C-Z)
中島亜梨沙
黒川智花
伊藤正之
広岡由里子
木村靖司
市川しんぺー
永島敬三
片桐仁

埼玉公演
2017年4月26日(水)~4月30日(日)全6公演
会場:埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
料金:8,000円

東京公演
2017年5月10日(水)~5月14日(日)全6公演
会場:東京都 東京国際フォーラム ホールC
料金:S席9,000円 A席7,000円

仙台公演
2017年5月16日(火)全1公演
会場:宮城県 仙台 電力ホール
料金:9,000円

愛知公演
2017年5月19日(金)全1公演
会場:愛知県 豊橋 穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
料金:9,000円

大阪公演 2017年5月25日(木)、5月26日(金)全3公演
会場:大阪府 サンケイホールブリーゼ
料金:9,000円

プロフィール
片桐仁 (かたぎり じん)

1973年生まれ。コメディアン、俳優、彫刻家。多摩美術大学卒業。在学中に小林賢太郎とラーメンズを結成、現在『エレ片のコント太郎』(TBSラジオ)、『シャキーン!』(NHK教育)、『車あるんですけど・・・?』(テレビ東京)、『最上級のひらめき人間を目指せ!金の正解!銀の正解!』などに出演中。

中屋敷法仁 (なかやしき のりひと)

柿喰う客・代表。独特の感性と高い演劇教養を武器に、幅広い舞台作品を手掛ける演劇家。柿喰う客全作品の脚本・構成・演出を担う。2004年、柿喰う客の活動を開始。2006年、柿喰う客の劇団化にともない代表に就任。新作はもちろん、古典戯曲や短編、一人芝居など様々なジャンルの作品に挑戦し続けている。外部の脚本・演出も多い。桜美林大学文学部総合文化学科演劇コース卒。末っ子長男。



フィードバック 2

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Stage
  • 片桐仁×中屋敷法仁対談 現代の不寛容さに「コメディー」で対抗

Special Feature

Crossing??

CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?

詳しくみる

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて