□□□(クチロロ)がようやくやる気に?三浦康嗣に真相を訊く

三浦康嗣、村田シゲ、いとうせいこうから成る□□□(クチロロ)。幾度かのメンバーチェンジを経て2009年に現体制となり、気づけば来年で結成20周年を迎える。あらかじめ時代性や特定のジャンルから解放された創造性と方法論をもって、個々人が送る日々の営みにおける千差万別の状態を、新奇なポップスとして浮かび上がらせる□□□の音楽性。それは、1stアルバム『□□□』から独立した存在感を放ち続けてきた。

□□□は昨年、the band apartが主宰するasian gothic labelに移籍。the band apartとのコラボレーション作品のリリースとそれに付随したカップリングツアーが実現した。そして、移籍後初の単独音源となるミニアルバム『LOVE』が完成。音楽的にもストーリーテリングとしても、ラブソングの多様性を映し出すような全6曲は、そもそもフルアルバムを目指して行われた制作の途中経過でもあるという。

□□□の主軸であり唯一のオリジナルメンバーである三浦のソロインタビューは、グループや音楽との距離感を語ることから始まった。

今は音楽でも、「売れたもん勝ち」になっていますよね。そういう状況って僕はあんまり楽しいと思えない。

―□□□は来年で結成20周年なんですよね。

三浦:そんなになるんですね。まあ、大学1年のときに□□□という名前を付けただけで実質的な活動はしてなかったので、結成何年とか考えてなかったです。

―オリジナルメンバーはもう三浦さんしかいないけど、バンドとしての形態は続いていますよね。三浦さんにとって□□□は、あくまで屋号みたいな感じなんですか?

三浦:それも考えたことがなくて。□□□として仕事を頼まれるからやってる、みたいな。むしろ、できるだけやりたくないっちゃやりたくないです。

―そうなんですか(笑)。

三浦:そうですよ。

三浦康嗣(□□□)
三浦康嗣(□□□)

―三浦さんのなかで□□□の活動が能動的じゃないのであれば、個人名義でやる仕事は能動的なんですか?

三浦:いや、僕にとって、音楽はべつに積極的にやることじゃなくて、たまたま音楽が仕事になって十数年経つっていうだけで。単純にお金がほしいんです。とにかく、お金のことを気にせずに、おいしいご飯やお酒を口にしたいんですよ。月20日とか働くのはイヤだから、頼まれた曲を書いたりして、あとは食べて飲んで遊んで暮らすということを続けています。

―なるべく豊かな生活を担保するために音楽制作があると。

三浦:「豊かかつ自堕落」が理想的ですね。僕はもともと飽き性なんですけど、音楽をやっていると、いろんなタイプの仕事が来るから飽きないんですよ。まったく色の違うアーティストの楽曲提供や、舞台音楽やインタラクティブ系の仕事もある。舞台に関しては、なぜか演出までやる仕事もあって。仕事という感覚はあまりない状態でやっているんです。案件によっては割もいいですしね。

□□□の新作『LOVE』収録曲“Japanese Boy”

―飽きず、そして十分にお金を稼ぐ手段というか。

三浦:うん。ムダなことに10万円くらいパッて使うとか、そういうことができたほうが楽しいじゃないですか。ムダって基本的に「祭り」だと思うんですよ。

―「祭り」ですか?

三浦:祭りで神輿がつっこんで家が壊れたり、人が死んだりするじゃないですか。こんなに簡単に炎上するご時世に、それでも誰も祭りをなくそうって言わないですよね。そういう効率の悪さ、ムダこそが祭りだと思っていて。

でも、僕は音楽にムダを求めてはいない。音楽制作で言えば、その時代の流行りに合わせるのってすごく効率的なことなんです。でも、ライターも編集者もミュージシャンも、音楽の「効率」の話をしていることが多いなって思っていて。

三浦康嗣(□□□)

―音楽の「効率」というと?

三浦:それが悪いことではないんですけど、効率的な、つまり流行に合わせた音楽って、基本的にお金の話だと思うんです。今はショウビズ然としていない音楽でも無意識にビジネス的な価値観で動いている感じがするし、「売れたもん勝ち」になっていますよね。そういう状況って僕はあんまり楽しいと思えない。

僕は音楽にビジネスを期待してないから、音楽活動に消極的なんだと思います。昔は、音楽的にイケてるとかイケてないという価値観に、もうちょっと多様性があった気がするんですけどね。

―期待しないほうが純粋な創作ができるということでもありますか?

三浦:いや、僕はすべての物事に対して「純粋」というものは存在しないと思ってます。僕自身、メジャーにいたときも今も、基本的に人からディレクションされることはなくて、勝手に自由に制作しているんです。でも、それが「純粋」だとはまったく思わない。そもそも、純粋か、そうじゃないかっていうのが、1つの暗黙の基準みたいになっているのもイヤだなぁと思います。

20代前半までは「いろんな音楽を聴いてる自分、すげぇ」みたいな、美大生的自意識があった。

―先ほどの祭りの話で言えば、祭りがなくならないのは何らかの文化を継承するというストーリーが背後にあるからだと思うんです。音楽においても文化の継承が重要視される側面がありますけど、それに対して三浦さんはどういうスタンスですか?

三浦:音楽が好きな人って、音楽をやっていることや音楽に詳しいこと、何枚レコードを持っていて、どんなレア盤を持っているかということを自分のアイデンティティーにしがちじゃないですか。

僕も若いときはそういうところがあって。20代前半くらいまでは「いろんな音楽を聴いてる自分、すげぇ」みたいな、いわゆる美大生的自意識があったと思います。

三浦康嗣(□□□)

―そういうところにアイデンティティーを見い出さなくなったのはいつごろですか?

三浦:□□□の1stアルバム(『□□□』2004年)をリリースする前ですね。それまでやっていたノイズとか変なアンダーグラウンドな音楽よりも、自分の母親や親戚のおばちゃんが聴いても理解できて、「康嗣は音楽をやってるのね」って言われるほうがいいなと思ったんです。だから、歌ったこともなかったけど歌モノを作るようになって。でも、そうするといわゆるメジャー的な人たちと同じ括りのなかに入れられることを実感しました。

―それは、音楽の像としてポップスを作っているからですよね。

三浦:そうですね。1stアルバムのとき、今までやってこなかった、普通っぽい音楽を作ったことが自分にとってすごく実験だったんです。それから今でも、もっとダサい、普通っぽいことができるようになりたいって思っています。

―制作に対して、そういう欲はあると。

三浦:どうせやるならそういうところにモチベーションを持ってないとつまらないなっていう。昔はダサさだけをすごく求めていましたけど、ダサい音楽って自分が思っているよりも「すごくいい」ってウケたりするんですよね。そもそも自分がポップスを作れているのかわからないですけど。

なんで、テレビで学校のクラスの再生産をやってるんだろうなと思って。

―三浦さんがダサいと思っていても、□□□の曲を新奇であり洗練されたポップスとして受け止めている人は多いと思います。三浦さんにとってのダサい感覚ってどういうニュアンスですか?

三浦:単純にキャッチーだからダサいって言っただけなんですけど、本来の自分があんまり好きじゃないことという感じなのかな。

―勝手に自由に制作しているとおっしゃっていたのに、あまり好きじゃないことをやるんですか?

三浦:そうです。たとえば学校に苦手な同級生がいるとしますよね。苦手だと思っても、とりあえず好きになる設定でその人のことを見るんです。そうすると好きになれるかもしれないし、嫌いな人が減って好きな人が増えるから得なんです。そういう感覚に近いというか。

だいたい嫌いなものって同族嫌悪だったりもするんですよね。本当に無関心ではなくて、何か引っかかるから好きじゃないと思ってしまう。わざわざ嫌いって思うなら、好きになってみようと。で、そういう曲を作ってみる。最初は抵抗あるんですけど、盤がリリースされるころには僕はそういう曲を作る人間だって思えるんです。

三浦康嗣(□□□)

―今の話もそうだけど、曲を聴いていても、音楽的な多様性を包括できるのが三浦さんにとってのポップスなのかなって思うんです。

三浦:多様性は重要だと思っていますね。フェスとかもユースカルチャーに端を発するもので、若いことに価値があるという前提がある。でも、おじさんにも居場所を作れということではなくて、僕は単純に多様性の余地がないことがすごくイヤなんです。

―画一的な価値観や枠組みが無意識のうちにできあがってしまっているんでしょうかね。

三浦:僕は家にテレビがないんですけど、居酒屋とか定食屋でテレビがついてると、よくひな壇的なバラエティー番組をやっていて。なんで、テレビで学校のクラスの再生産をやってるんだろうなと思って。学校のクラスって多様性があるように見えて逆じゃないですか。

―いわゆるスクールカーストという暗黙の了解がそこにあって。

三浦:そうそう。面白いキャラに設定されるとそいつが何を言っても面白いってことになっちゃうし、教室の隅のほうにいるキャラに設定されるやつもいる。でも、人間ってそんな一面的じゃないですよね。一般的な会社の話を聞くと、大人になっても同じことをやってるなと思うし、音楽の世界も一緒だと思います。

もしかしたらそれはタグ付けという話にもつながるかもしれないけど、僕がthe band apartと仲よくなったのって、あの人たちはそういうキャラ設定をしないんですよね。そういう意味で僕にとってすごくラクだったんです。

―the band apartの音楽性もまた多様ですしね。

三浦:多様なのかな? 僕は未だにバンアパの音楽性をよく知らないんですよ。でも、今回僕らの新作と同時発売されたバンアパのアルバム(『Memories to Go』)のマスタリングにたまたま遊びに行ったんですけど、そのときに初めて音源をちゃんと聴いて単純にこの人たちってすごいんだな、面白いんだなって思いました。

the band apartの新作『Memories to Go』収録曲“ZION TOWN”

―一緒にやるようになってから気づくというのがいいですね。

三浦:僕はだいたいそんな感じですけどね。音楽にあまり興味がないんですかね。うん、あんまりないんだと思います。もう10年以上、流行りとされている音楽を知らないから。

サンプリングするなら、音楽的価値が低い10円とかのレコードを使わないと面白くない。

―最近はまったく音楽に興味がないんですか?

三浦:全然聴いてないですね。居酒屋とかで有線で流れてくる曲を聴いて「これが流行ってるのかな?」って思うくらいで。

―では、三浦さんの音楽的な原風景はどういうものなんでしょう?

三浦:音楽を意識して聴くようになったのは『ドラゴンクエスト』のサントラです。ただ、あれは物語のバックグラウンドミュージックだから、音楽単体でいいと思っていたわけではないと思います。

三浦康嗣(□□□)

―RPGって特にストーリーに自己投影しますしね。音楽もそこに紐付いてくる。

三浦:そうそう。子どもながらにそういう陶酔感がよかったんでしょうね。あと、ニューヨークの小中学校に通っていたんですけど、向こうではヒップホップが流行ってたから聴いていました。Snoop DoggとかDr. DreとかNaughty By Natureとか。で、日本に帰ってきたら『さんピンCAMP』があったり、ヒップホップが盛り上がっていて。

―やっぱり音楽的な方法論として、三浦さんのなかでヒップホップは大きいですか? もっと言うと、多種多様な音楽からオイシイところをピックアップして新しい曲を作るサンプリングという方法論が。

三浦:そんなに意識してないけど、あるんじゃないですかね。でも、ヒップホップって、それまでいいところとされていなかったものを、サンプリングでピックアップしてきたんですよ。本来、音楽的に一番の箸休めであるドラムブレイクをあえてループしてメインとして使って、これまであった音楽よりかっこよく聴こえるようにしたっていう。

一時期、サンプリングしまくってたころは100円以下のレコードからしかやらないようにしてたんです。せっかくサンプリングするなら、音楽的価値が低いとされる10円とかのレコードを使って曲を作らないと面白くないなと思って。かっこいい曲のかっこいい部分をサンプリングしたら、そりゃかっこいいでしょって話だし、それって過去に自分がいいと思った基準の枠組みを超えないですよね。

せいこうさんは、たまにラップ的なことをしてくれるおじさんという感じです。

―改めて、□□□についてもう少し聞かせてください。村田(シゲ)さんは□□□に対してどういうスタンスなんですか?

三浦:あいつがちょこちょこ「□□□やろうよ」って言ってくるから続いてるんですよ。□□□ feat. the band apartにしても、「バンアパのメンバー全員をボーカルにして歌わせたらちょっと楽しいから三浦も乗り気になるだろう」とシゲは思ったはずで。

今、シゲが□□□のスケジュールもお金の管理も全部やってるから、ベースが弾けるマネージャーみたいな感じです。でも、今回のアルバムでは2曲も作ってくれてボーカルもやってるから、歌も歌えてベースも弾けるマネージャーになって(笑)。

―マネージャーって(笑)。では、□□□におけるいとうせいこうさんはどういう存在ですか?

三浦:たまにラップ的なことをしてくれるおじさんという感じですね。

―よき理解者という感じではない?

三浦:全然。僕もせいこうさんもお互いを理解しようとしてないし。そうじゃないと一緒のグループにいられないと思います。□□□で音楽の話とか全然しないですから。まず打ち合わせもしないし、レコーディングも基本的にほとんどの工程を僕が自宅の作業場でやっているので。

生ベースが必要なときはシゲに来てもらって録って、せいこうさんは1日空けてもらって外のスタジオでボーカルを録る。意思疎通とかは全然してないんです。

□□□アーティスト写真。左から村田シゲ、三浦康嗣、いとうせいこう
□□□アーティスト写真。左から村田シゲ、三浦康嗣、いとうせいこう(オフィシャルサイトを見る

―じゃあメンバーがそれぞれ□□□に対して思っていることっていうのは、1つの方向に向いているわけではない?

三浦:せいこうさんが「□□□はもういいかな」と思って脱退する可能性は常にあるし、それでいいと思います。メンバーに誰がいようがいまいが関係ない。シゲが辞めると言っても「あ、そうか。お疲れ」って感じで。

―でも、今の話だとシゲさんが辞めたら□□□がなくなる可能性が大きいんじゃないですか?

三浦:ああ、そうですね。でも、僕がいなくなってもシゲが□□□を続けるって言ったらそれでいいし。でも、シゲが抜ければ□□□を終われるのか(笑)。それは考えてなかったな。

三浦康嗣(□□□)

―でも、今作の紙資料には「1stアルバムを作る時のような新鮮な気持ちで、制作に取り組めている」「年内には『フルアルバムを作りたい』と三浦さんが口にしていた」という文言がありました。

三浦:数か月前に音楽をちゃんとやろうって、ちょっと意欲が湧いてきたんですよね。もともと今回はフルアルバムをリリースする予定だったんですよ。でも、3回締め切りを飛ばして、挙句、曲ができないからミニアルバムを出すことになって。

デモはいっぱいあったんですけどね。そういう意味でも悔しいから「絶対に年内までにフルアルバムを作る」って言ったんですけど、今は目先の仕事に追われすぎて無理です(笑)。

―発言を撤回すると。

三浦:撤回ですね。今、めっちゃ忙しいんですよ。だから□□□のアルバムのことを考える余裕がなくて。でも、やる気はあるような気がする……そんなこと言われても知らねえよって感じですよね(笑)。

―いや、期待したいですね。

三浦:やる気が芽生えたのも含め、『LOVE』は次のフルアルバムのプレリュード的な一枚になったと思っていて。年内は無理かもしれないけど、どうせフルアルバムを作るなら、一回くらいちゃんとした作品を作りたいと思っています。

□□□『LOVE』ジャケット
□□□『LOVE』ジャケット(Amazonで見る

リリース情報
□□□
『LOVE』(CD)

2017年7月20日(水)発売
価格:2,916円(税込)
VITO-127

1. Japanese Boy
2. Good So Good
3. できないままで
4. 踊り
5. もめんちゃん
6. 良い愛

プロフィール
□□□
□□□ (くちろろ)

1998年に三浦康嗣を中心にブレイクビーツユニットとして結成。以降、徐々にポップス中心のスタイルへと移行。現在のメンバーは村田シゲ、いとうせいこうを含めた計3名。2004年にHEADZ内のWEATHERより1stアルバム『□□□』をリリース。2006年には坂本龍一らが設立したcommmonsへ移籍、2007年にブレイクビーツアルバム『GOLDEN LOVE』をリリースする。2009年にはフィールドレコーディングオーケストラと銘打った『everyday is a symphony』、声のみで構成した『マンパワー』など作品毎にさまざまなコンセプトを提示している。2016年、the band apart主宰のasian gothic labelに移籍。the band apartのメンバー全員をボーカリストに迎えたコラボレーション作品『前へ』をリリース、2017年7月に移籍後初の単独音源『LOVE』を発表した。



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