写真家・松本美枝子が振返る自身の活動。撮り続けた先には何が?

写真は、瞬間を切り取るもの。輝きも翳りも、そこでとらえられたものは、何かしらのピーク=頂点の一瞬だと感じがちだ。でも、写真家の人生は逡巡を重ね、ときに揺れながらも続いていく。だから「どこかへ向かう途中のような写真」「忘れないための写真」があってもいい。

松本美枝子の撮る写真は、そんなことを思い起こさせる。日本海沿いの営みを訪ねて、東から西へ。そして、誰もあの震災を知らなかった頃から、現在へ。かつて彼女が協働した谷川俊太郎の詩を引くなら、それは〈いま生きているということ〉(谷川俊太郎、松本美枝子『生きる』 / 2008)でもある。

学芸員から写真家に転身した彼女の写真は、私的な日常に生死の気配をとらえた作品から、リサーチに基づいた地域・歴史に関する表現へと発展を遂げた。その最新個展が、彼女の出発点と言える『ひとつぼ展』(現『1_WALL』)の舞台、ガーディアン・ガーデンで実現。その個展タイトルに『ここがどこだか、知っている。』と名付けた松本に、彼女のこれまでとこれからを聞いた。

「快」より「不快」が上回るかもしれないバランスで写真を選んできました。

―今回の個展のタイトル『ここがどこだか、知っている。』は、どんな心境で付けられたものでしょうか?

松本:これは過去の作品名でもあるのですが、私が近年やってきたことをまとめる個展の名前としても良いなと思って。自分たちの生きる場所や、その裏に流れている時間をテーマにしたかったんですね。だから「ここ」は、特定の場所ではなく、誰にとっても存在する普遍的な「ここ」を考えられたら、と思いました。

―松本さんとしては新しい試みですね。活動の初期には、ごく身近で私的な日常をテーマにした写真が多かったと感じます。こうしたスタイルは、カメラをはじめられたときからのものですか?

松本:そうですね。写真と山登りが好きな父の影響で、私も小学生の頃から撮りはじめました。撮っていたのは、犬や猫、家族や友達とかごく身近な存在で、「女の子の写真」という感じ。遠足にカメラを持っていっても、思い出を撮影して友達に配るとかではなく、撮りたいものを勝手に撮っていた(笑)。

―すると、それから高校で写真部に入って……みたいな流れでしょうか?

松本:それが、高校はずっと弓道部で。でも、向いていなくて。じっとこらえるような集中力や我慢強さが、私にはまったくなかったんです(苦笑)。たぶん、もうちょっと動きながらやるもののほうが向いてるのでしょうね。写真も、基本的には動かないと撮れないものですから。

松本美枝子
松本美枝子

―今回の個展でも展示される作品に、『考えながら歩く』というのがありますね。目指す道を一直線というより、紆余曲折しながら進むタイプ?

松本:そうですね。進学も、当時は歴史や考古学がしたくて、でも受かった中で行ける学校は、文学部の美術史学科だけでした。ただ、行ってみたらそこでの勉強が思いのほか面白くて。

それもあって、卒業後は地元(茨城県)にある銀行がメセナ活動として運営する文化センターに勤めました。横山大観(画家、1868年~1958年)など、地域ゆかりの作家や名品に焦点を当てる展示が多いところです。

松本美枝子『考えながら歩く』マルチスライドプロジェクション、音(2017年)
松本美枝子『考えながら歩く』マルチスライドプロジェクション、音(2017年)

―仕事と並行して写真も撮り、第15回、第16回『ひとつぼ展』の連続入賞(2000年)や、『平間至写真賞』大賞を経て、本格的に写真家活動をはじめたと聞きました。

松本:写真はずっと続けていて、でも仕事にできるのかどうかが自分でもわかりませんでした。それで、「何か公募賞を獲れたら会社を辞めようか」と思って。

『ひとつぼ展』では、入選したけれどグランプリは獲れずに悔しかった。それでまた別の賞に応募して、平間さんの賞を頂くことができました。それが写真集『生あたたかい言葉で』(2005年)にもなって。平間さんには「体温を感じる」と言ってもらえたのがうれしかったです。

―その時期は、2000年度の『木村伊兵衛写真賞』を蜷川実花、HIROMIX、長島有里枝の三名が受賞し、さらに活躍していく頃にも重なりそうです。ちなみに蜷川さんはその前に第7回『ひとつぼ展』でもグランプリを受賞していました。

松本:「みなさんすごいな」と思う一方、「今から自分が彼女たちと似たような写真を撮っても既に遅く、意味がないだろう」と感じました。それで自分の写真の持ち味は何かな、といつも考えていました。当初は意識してダサい感じ、田舎臭い写真を撮ろうとしていたところもあります。

―この写真集は、ふつうの日常の中で生や死が行き来する印象があります。1枚1枚は断片的な写真が詩的な流れを生むような構成も、この頃から強いように感じました。

松本:写真の組み合わせでいうと、「快」と「不快」で分けるなら、少し不快が上回るかもしれないバランスで考えています。そういう区別の仕方が良いのかわかりませんが、日常の中の快や美の部分って、自分が撮ると典型的なストゥディウムな(一般的関心の)写真になりやすい感じがして。そうでない部分でも、「いろんな感覚を刺激できるものにできたら」という感覚があって。

松本美枝子

『ここがどこだか、知っている。』展示風景 撮影:矢吹健巳
『ここがどこだか、知っている。』展示風景 撮影:矢吹健巳

―その後、水戸芸術館での若手個展『クリテリオム』への抜擢(2006年)、また谷川俊太郎さんの詩と写真を組み合わせた共作本『生きる』(2008年)など、順調に活躍の場が広がっていったようにも見えます。

松本:でも、「身の回りの風景や情景を発展させて写真を撮り続ける」というのが、段々としんどくなってきたんですね。それを続けられる人もいるけど、私にとっては「別の手法があるだろうか」と悩むようになって。どう進んでいけば良いのか、自分の写真の幅は広げられるのか。そうした悩みを抱えた時期に、あの震災が起こりました。

私は一緒に東北に行こうと誘われても、行けなかった。

―2000年の第15回『ひとつぼ展』に入選した松本さんの『美しき町』は、東海村JCO臨界事故(1999年、核燃料加工施設での原子力事故)と、すぐ近くに実家のあるご自身たちの生活がテーマでした。そして東日本大震災では、松本さんの拠点の水戸市も大きな被害を受けました。やはりこのときも、そこにカメラを向けることに?

松本:東海村の事故のときも本当に怖かったのですが、発表された限りでは収束は早く、そうした状況で撮影したものです。一方、東北の震災直後は、しばらく何も作れなくなりました。アーティストたちが各々で支援を始めましたが、仲のいい、特に東北出身のアーティストたちに一緒に行こうと誘われても、私は行けなかった。東北ゆかりの人たちならともかくも、写真家やアーティストが仕事や仕事以外で被災地を訪ねること、また自分が茨城を離れてまで被災地に行くことに、どうしても現実味が持てなくて。

―当時はどんな心境だったのでしょう。

松本:まず、「自分が何をやったらいいのか全くわからない」というのが一つ。それと水戸自体も、東北の被害の甚大さとは比べられませんが、あちこちで道路や家屋が崩れ、電気や水道が止まる被害もありました。加えて放射能の不安もあり、誰かを支援する気持ちの余裕が持てなかったんですね。だから実家の屋根を修復する職人さんなどを見かけると、「自分は何の役にも立たないんだな」と落ち込んでしまったり。誰が見てもわかるように大きく傷ついてはいないけど、みんな胸の内では疲れている。そんな雰囲気は確かにあった。

松本美枝子

―『考えながら歩く』松本さんが、動けなくなってしまった。

松本:ただ、毎年関わっていた水戸芸術館の「高校生ウィーク 写真部」のワークショップは、形を変えながら続けて、それが私にとってリハビリのようなものになりました。震災の年は高校生を館に招けない状況だったのですが、近くで自分や仲間のアーティストたちで運営するアートスペース「水戸のキワマリ荘」に場所を移し、「大人を集めてやってみよう」となって。

―そこでは、どんなかたと、どんな活動をしたのですか?

松本:ほとんどが会社員と少し大学生がいて、活動内容は、1~2週間のスパンで写真を持ち寄り、みんなでディスカッションするというものです。皆の写真を囲んで「私はこう思う、みんなはどう?」というのを震災直後、毎週やっていました。それだけといえばそうなのですが、これがとても面白くて。そこから、「ぼちぼち自分の写真をまた撮るかな」と思えるようになったんです。

―みんなで同じ場所を共有して、話し合う。そういうシンプルなことが、松本さんも含めて参加者それぞれに何かをもたらした?

松本:参加者は半分が地元のかたで、あとは県外から転勤などで街に移り住んでいた人たちでした。あの震災がなければ、数年仕事をして、元いた場所に帰るだけだったのかもしれません。でも彼らも知り合いの少ない土地であの震災に遭って、当時は色々きつかったのではと思う。写真を通してみんながお互いに支え合っているようで、「写真家もそんなにムダな仕事というわけじゃないよね」と思えるようになった経験でした。

松本美枝子

震災に関わる表現をする「資格」や「当事者性」をめぐる議論で、距離感や断絶が見えるのも辛かった。

―今回の個展では、2011年の震災直後から現在までを中心に、各地で撮影した写真をいくつかの連作で展示するものですね。

松本:地震後の2、3年は、やっぱり自分の周りの心象風景や、ごちゃごちゃになった町や家族・友人の写真が多かったですね。「私と周囲の人々以外、誰が共感できるんだろう」と思いながら、でもそれしか撮れなかった。そのうち世の中も少しずつ落ち着いてきて、震災で休館中だった美術館などで、展覧会のアーカイブ撮影の仕事などを再開するようになりました。

水戸を含めた被災地で様々なアプローチをして作品を作る国内外のアーティストたちの制作を間近で見られて、とても勉強になったし、すごいなと思うと同時に、地元の人間としては複雑な思いもありました。もちろん特定の場所の人々だけに向けた展覧会ではなかったわけですが、震災に関わる支援や表現は、本当にナーバスになりますよね。

それをする「資格」や「当事者性」の有無の議論で、距離感や断絶が見えるのも私は辛かった。でも私自身、自分の地元の中だけで、「正しい」「正しくない」を判断してしまう部分はありました。

松本美枝子『船と船の間を歩く』(2014年)
松本美枝子『船と船の間を歩く』(2014年)

『ここがどこだか、知っている。』展示風景 撮影:矢吹健巳
『ここがどこだか、知っている。』展示風景 撮影:矢吹健巳

―ただ、見方を変えれば、異なる立場や考え方の存在をより意識し、より広い対象にカメラを向けるようになった?

松本:そうですね。その後に大阪で滞在して作品を制作する機会を得たり、『鳥取藝住祭2014』で公式写真集を撮らせてもらえたり、自分も外に出ていく機会があって。

鳥取では海岸線を東から西へ辿る撮影旅行になりました。海がすごくきれいで、放射能事故後の不安から遠く離れて、気兼ねなく海で泳げるのは「いいなあ」と思ったり、反面、震災や事故はどこでも起こり得ることで、「絶対安全という場所は存在しないのだ」と改めて気づいたり。振り返ると、そうしたことが重なった時期かもしれません。

地震もただ「恐ろしいだけのもの」というわけじゃない、そんな見方ができるようになりました。

―これまでの揺らぎや試行錯誤を経て、最新の個展があると思います。今回はどう作品に向き合ったのかお聞かせください。

松本:ここ1、2年は各地域の地質についてリサーチしながら、地形を撮ることを続けています。茨城県の日立市にはかつて銅の鉱山があり、そこから大企業が発展しました。でも鉱物というのはどこでも100年あれば人間の技術で採り尽くしてしまうようで、日立も鉱山は既に閉まっている。

一方で、同じ日立では日本最古の地層が近年発見されていて、その研究者と山に入って撮影しています。それらを通して、数年モヤモヤしていたこともだいぶはっきりしてきて。

―それはどんなことでしょう?

松本:山の中には、5億年前の海底の「波の跡が化石になったもの」があったりするんですね。一方、日立は震災で地形がかなり変わったのも事実で、みんなに愛された砂浜が陥没して海になってしまったところもある。その光景をみて、私たちはいつも目の前の現象に右往左往するけれど、人間の歴史だけにとらわれず地球規模の歴史で考えると、また違う視点が得られると感じたんです。

地震もただ「恐ろしいだけのもの」というわけじゃない、そんな見方もできるようになりました。そうした場を知る体験は、何か安心するところと、気を引き締める感覚になるところと、両面があります。

松本美枝子『海は移動する』(1:古生代ゴンドワナ超大陸の海底あるいは高鈴山)(2017年)
松本美枝子『海は移動する』(1:古生代ゴンドワナ超大陸の海底あるいは高鈴山)(2017年)

―それは、引きずるのでも、忘れるのでもない視線で写真を撮るということ?

松本:以前はずっと身近な人や生活を撮ってきたけれど、リサーチを通じた撮影を続ける中で、何か「希望」とか「楽観」みたいなものを探していくことに関心が強くなっています。自分の周りを自分の気持ちで撮っていたそのやり方を使って、より広い物事を撮ってくるような……。それができるようになったことはうれしいです。

また今回の個展では新作として、今年に入って撮影した写真を2つのプロジェクターからスライド投影し、撮影現場の周辺で、音楽家の白丸たくトさんに協力してもらってフィールドレコーディングした音も加えたインスタレーションを出展します。茨城で震災を過ごした何人かの人たちと当時の様子や現在の気持ちを語り合って、その人たちの心象風景を空間におこしてみようかな、と思って作りました。

松本美枝子『山のまぼろし』マルチスライドプロジェクション、音、ラムダプリント 茨城県北芸術祭2016(2016年)
松本美枝子『山のまぼろし』マルチスライドプロジェクション、音、ラムダプリント 茨城県北芸術祭2016(2016年)

そこには、希望もあれば、変わらないもの、変わってしまったものもある。でも、必ずしも「すべてに一喜一憂し続けることはない」と思えたらいい。

―今回の個展は、ガーディアン・ガーデンが主催する『ひとつぼ展』入選者たちのその後の活躍を紹介する「The Second Stage at GG」シリーズであり、松本さんの写真のそうした変遷も感じられます。さらに、展示作品が「震災後の写真」なのは確かですが、そこに縛られない世界だと感じました。

松本:確かに、「ああ、被災地だね」という感じのものはそんなに写っているわけでもない。でも、丁寧に見てもらえれば、「いろんな場所でいろんなことがあって」というのは伝わるかなと思っています。そこには、希望もあれば、変わらないもの、変わってしまったものもある。でも、必ずしも「すべてに一喜一憂し続けることはない」と思えたらいい。今回の展覧会も、そうしたものになっていればと考えています。

松本美枝子

『ここがどこだか、知っている。』展示風景 撮影:矢吹健巳
『ここがどこだか、知っている。』展示風景 撮影:矢吹健巳

―松本さんの写真には「どこかへ向かう途中」という気配がありますが、「ここがどこだか、知っている。」という言葉には、何かを受け入れる強さも感じます。

松本:私のいる茨城について言えば、県北県南の差はあれど、今では以前と同じように落ち着きました。それでも、あの震災が起こる以前とはやはり違う、その後の世界だという事実は当然あります。そしていつかまた、何かがどこでも起こり得る。だから結局「ここ」というのは一人ひとり、「その人にとっての場所」だと思うんですね。

暮らす場所によって何かに対する当事者意識に差があるというよりも、すべての場所が海と土とでつながっているわけで、それを考えると今回の写真は、特定の「ここ」で起こったことのドキュメンタリーではなく、どんな場所でも起こり得る光景なんです。何が起きても、起こらなくても、人々は自分たちなりに懸命に生きている。そういうことについての写真を撮りたいな、と思っています。

松本美枝子『考えながら歩く』マルチスライドプロジェクション、音(2017年)
松本美枝子『考えながら歩く』マルチスライドプロジェクション、音(2017年)

イベント情報
『ここがどこだか、知っている。』

2017年9月5日(火)~9月29日(金)
会場:東京都 銀座 ガーディアン・ガーデン
時間:11:00~19:00
休館日:日曜・祝日(18日、23日は祝日のため休館)
料金:入場無料

『写真が物語れることとは何か』

2017月9月14日(木)
会場:東京都 銀座 ガーディアン・ガーデン
時間:19:10~20:40
出演:
増田玲(東京国立近代美術館主任研究員)
松本美枝子
料金:無料(要予約)

『アート・ビオトープ~芸術環境としての水戸のこと~』

2017月9月21日(木)
会場:東京都 銀座 ガーディアン・ガーデン
時間:19:10~20:40
出演:
中崎透(美術家)
森山純子(水戸芸術館現代美術センター教育プログラムコーディネーター)
松本美枝子
料金:無料(要予約)

『土地と時間を考える~写真とフィールドワーク~』

2017月9月26日(火)
会場:東京都 銀座 ガーディアン・ガーデン
時間:19:10~20:40
出演:
港千尋(写真家・著述家)
松本美枝子
料金:無料(要予約)

プロフィール
松本美枝子 (まつもと みえこ)

1974年茨城県生まれ。1998年実践女子大学文学部美学美術史学科卒業。2005年写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)で平間至写真賞受賞。生と死や、日常をテーマに写真とテキストにより作品を発表。主な展覧会に個展「クリテリオム68 松本美枝子」(2006年水戸芸術館)、「森英恵と仲間たち」(2010年表参道ハナヱモリビル)、「影像2013」(2013年世田谷美術館区民ギャラリー)、「原点を、永遠に。」(2014年東京都写真美術館)など。このほか、2014年中房総国際芸術祭、いちはら×アートミックス、烏取藝住祭、2016年茨城県北芸術祭、2017年Saga Dish & Craftに参加。2017年7月より「Reborn-Art Festival 2017」(石巻)に参加。主な箸書に写真詩集『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)。



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