大塚愛が15年の変化を語る「昔の曲に敬意を表せるようになった」

大塚愛が、初のピアノ弾き語りアルバム『aio piano』をリリースした。初期の代表曲から最近の楽曲まで、「ピアノと歌」のみのアレンジで生まれ変わった全7曲(そのうちの1曲はインストゥルメンタル)を聴くと、彼女の持つコンポーザーとしての非凡な才能と、味わい深い声の魅力を改めて思い知らされる。孤独に寄り添い、自分自身と向き合うようなその内容に驚かされるだろう。

今年でデビュー15年を迎える大塚愛。ただひたすら「売れたい」と考えていた彼女は、早い段階でその目標を達成した後、どのような紆余曲折を辿ってきたのだろうか。“さくらんぼ”の制作秘話やパブリックイメージとのギャップ、出産が彼女に与えた感覚など、ときおりジョークを交えながら、たっぷりと語ってくれた。

“さくらんぼ”のイメージでピンクのセットを組まれたり、フワフワなボールが出てきたり(笑)、それで窮屈な思いをしました。

—今年はデビュー15周年ということで、これまでの活動を振り返ってみたいのですが……。

大塚:おお……大丈夫かな。私、脳のメモリ容量が昨日分くらいまでしかないんですよ。

—(笑)。元々大塚さんは、「売れること」を一番の目標として掲げていたんですよね。「母親になったときに、一人でも子どもを育てられる経済力がほしい」と。その自立心って、どこから生まれたんでしょう?

大塚:ねえ?(笑) 私も不思議なんです。どちらかというと、小学生の頃は「過保護だよね」って言われてたので。東京へ出てきて「売れたい」「自立したい」という話を人にするたびに、「なんてしっかりしてるの!」と驚かれて、それで自分は人より自立心が強いらしいということに気づいたんですよ。

大塚愛
大塚愛

—子どもの頃に「過保護」って言われたことへの反動や、反抗心みたいなものもあったのでしょうか。

大塚:なんなんでしょうね。前世が貧乏人だったのか(笑)、昔から無駄なお金を使うのが嫌だったんですよね。上京したときも、すでに事務所とは契約していたし、「自分で東京へ行くって決めたんだから」と思って、親からの仕送りはもらわずに生活していました。自分でなんとかしなきゃなって。

—しっかりしてる……。

大塚:ほぼ無一文で東京まで来ちゃったものだから、売れないと生きていけないわけですよ(笑)。一刻も早く音楽で稼いで、親には今までかかったお金を返していきたいって考えていました。

—「他の仕事をやりながら音楽を続ける」という選択肢はなかったですか?

大塚:「音楽をやる」って言って上京して来たわけじゃないですか。それなのに、売れなかったらどんな顔して大阪に帰ったらいいんだ? って思ったんです。「戻る場所はないんだ」って思っていましたね。

大塚愛

—それで最初は「売れるための曲を作ろう」と。作曲には自信があったのですか?

大塚:そのつもりだったんですけど、最初に作った曲を友人に聴かせたら、「古いね」って言われてすごく落ち込みました。「ああ、やっぱダメだ。私、曲作りイケてない」って。

その後も、結構いろんな人にダメ出しされたんですよ。「声がよくないよね」「暗いよね」って。でも、かなり心が折れたはずなのに、気づいたらまた曲作りを始めてるんですよね。なぜ諦めなかったんだろうって思うくらい。

—悔しくて、逆に燃えるとかでもなく?

大塚:そのときは「やっぱりそうだよな」って思っちゃうんです。「そっか、暗いのがよくないんだ」って。当時は小室サウンドからモー娘。を代表するアイドルブームへ、時代が大きくシフトしている頃で、アッパーな楽曲が流行ってたんですよね。これじゃあ、自分の暗い歌声は時代に合わないなと。「だったら、自分が歌わなくてもいいから明るい曲を作ろう」と思って作ったのが、“さくらんぼ”(2003年)なんです。

—そうだったんですか!

大塚:だからあの曲は、自分が歌うイメージでは作ってないんです。アイドルとか他のシンガーのために「こんな感じで歌ってみてください」というガイドのつもりで入れた仮歌が、「聴けないこともないな」ということになり(笑)。それでとりあえずレコーディングを進めていくうちに、気がついたら自分が歌うことになっていたんです。

—その“さくらんぼ”がロングヒットとなり、着うたが史上初の100万件ダウンロードを記録しました。当初の目的通りに売れてからは、順調でしたか?

大塚:音楽活動以外の部分で、「あれ?」って思うことは多くなっていきましたね。テレビや雑誌の取材を受けるときに、いつまでも“さくらんぼ”のイメージでピンクのセットを組まれたり、フワフワの毛がついたボールを出してこられたりして(笑)、すごく窮屈な思いをしました。

どんな曲を書いても、ちゃんと聴いてもらえず「あなたはこうでしょ?」みたいにされているわけじゃないですか。「なんでこうなっちゃったんだろう」って。そんな状況でコンスタントに作品を作るのがしんどかったですね。

大塚愛

—でも、ファンは大塚さんの音楽性を理解してくれていたわけですよね?

大塚:そうですね。自分が本当にやりたかったことは、アルバムやシングルのカップリングに忍ばせていたんです。ファンの人たちはちゃんと聴き込んでライブに来てくれるし、「カップリング曲の方が好きです」という声も結構あって。「そうだよね、聴き込めばわかってくれるよね!」と思えたのは嬉しかったですね。

以前の私は、音楽家というより商売人みたいな感じだったのかもしれないですね(笑)

—2008年にリリースした5枚目のアルバム『LOVE LETTER』のとき、「最終章であり、最初の章のアルバム」とおっしゃっていましたが、今もこのアルバムが大塚さんの音楽性におけるターニングポイントだったと思いますか?

大塚:そうですね。やっぱり、お金って大事だなと(笑)。初期はお金がない状態で、「ここで転ぶわけにはいかない……」と思いながら作っていたわけじゃないですか。でもある程度売れて、生活の余裕が出てきたら、音楽的にやりたいことをやって転んだとしても、「次のアルバムで挽回しよう」って思える。その違いはものすごく大きいですよね。そういう意味では、いろいろ挑戦できた作品だったと思います。

大塚愛

大塚愛

—商業的成功を収めたことで、少しずつ自分が本当にやりたい方向性へとシフトしていったわけですね。2011年には出産を経験されるわけですが、それでなにか変わったことはありましたか?

大塚:音楽に向かうスタンスそのものは変わっていないんですけど、今まで自分が「愛」だと思っていたことが、「すっごい狭い!」って思うようになりました(笑)。「子どもへの愛に勝るものはないな」って。

そう思ったら、恋愛ってある意味「ごっこ」というか。子どもへの愛はもうレベルが全然違っていて、それを体験したことで、「今までの自分の感情や考え方って、チープだったのかも」と思ったりもしましたね。

—子どもへの愛を通して、他の人やものへの接し方も変わってきたということでしょうか?

大塚:子どもと関わることで、自分がどんどんピュアになってきていると思います。人ってピュアな状態で生まれて、だんだんトンガっていって、いろいろ雑念も増え(笑)、それで子どもと出会ってまたピュアに戻っていくんじゃないかなって。

だから今は、デビューしたときに思っていた「売れたい!」という欲望よりも、「音楽をもっと大事にしたい」というピュアな気持ちの方が、強くなってきた気がしますね。やっと自分は音楽家になろうとしてきているのかなって。以前の私は、音楽家というより商売人みたいな感じだったのかもしれないですね(笑)。

やっと昔の曲にも敬意を表することができるようになったと思います。

—産休を経て、STUDIO APARTMENTの阿部登さんをサウンドクリエイターに迎えて制作した2015年のアルバム『LOVE TRiCKY』が、音楽的にはひとつの到達点だったのではないかと思うのですが。

大塚:阿部くんとの出会いによって、それまでずっとやりたかった「自分をぶっ壊す」ということが本格的にできたと思いますね。それまではどこかで自分自身に飽きていて、今までの自分をアンチ的に見ることが続いていたので、それを早く壊したい、リセットしたいという思いがあったんです。

大塚愛

大塚:阿部くんとの共同作業によって、等身大の自分のサウンドがようやく作れるようになりました。そのおかげで、やっと昔の曲にも敬意を表することができるようになったと思います。デビューしてからずっと、「楽曲のイメージと、会ったときの印象が全然違いますよね」って言われてきたんですけど、「イメージ通りの人ですね」って早く言われたくて仕方なかったんですよ。

—今の自分の見え方については、満足していますか?

大塚:イメージを変えるというのは難しいことですよね。でも、そういう挑戦ができるのは昔のヒットがあったからこそだし、過去は過去で大事にしたいなって、今は思えるようになってきています。

もちろん、「今はこういうことをやりたい!」という感覚は大切にしたいし、そこもちゃんと伝わるような音楽家でありたいと思っていますね。まだまだ全然、納得のいくレベルまでいけてないですけど、いつかそうなれるよう明日に希望を託して頑張っているところです(笑)。

—そこまでストイックだと、なんだか、アスリートみたいですよね(笑)。

大塚:私も最近、ミュージシャンってアスリートに近いんじゃないかって思ってたんですよ。だから冬季オリンピックが楽しくて仕方ないです。選手インタビューを見ながら「わかる! わかるよ!」って(笑)。他人事とは思えなくなっちゃうんですよね。

大塚愛

うまくいったときは「私は天才か?」ってなるんですけど、ダメなときは「もうこの仕事辞めよう」って本気で思うんです。

—ピアノ弾き語りによる初のアルバム『aio piano』がリリースされました。こちら、今年5回目を迎える同名のライブツアーがそもそもの発端だと思うのですが、このライブはどんな経緯で始まったものですか?

大塚:昔からライブでは弾き語りを2、3曲挟んでいたのですが、来てくださったお客さんの感想や意見などを耳にすると、「弾き語りがよかった」という声が、以前からすごく多かったんです。それで調子に乗ってしまって(笑)、「弾き語りだけのライブをやろう」とつい言ってしまったのが全ての始まりですね。

『aio piano』
『aio piano』(Amazonで見る

—最初にお話しいただいたように、大塚さんは自分の声にコンプレックスがあったわけじゃないですか。「声とピアノ」だけのコンサートをやることに、プレッシャーはなかったですか?

大塚:ですよね……。でも、オケがある中での声の出し方と、ピアノだけのときのそれとでは、ちょっと違う気がするんです。それに、オケの中では消えてしまう声もあるんだなっていうのに、弾き語りをやっていて気づいたんですよね。

—歌うときの細かなニュアンスや、ブレスのリズムなど、大塚さんのボーカリゼーション、微妙なアーティキュレーションを、聴く側もよりじっくりと楽しむことができますよね。もちろん、楽曲の素晴らしさに改めて気づくのも弾き語りの魅力だと思います。

大塚:だと嬉しいですね。確かに自分の楽曲でも、「あ、こんな風に聴こえるのか」「この曲って、こんなに感動的だったっけ?」とか、「この曲はそんなによくなかったかな?」とか(笑)……いや、もちろんアレンジ込みで成り立つメロディーというのもあるので、必ずしも弾き語りにして映える曲ばかりとは限らないですからね。そういうことに気づかせてくれるのも、弾き語りの楽しさですね。

—ピアノの弾き語りは、普段のライブとはどう違いますか?

大塚:自分のスキルの低さ、至らなさを常に思い知らされ、反省させられるところですかね(笑)。その日に向けてどれだけ練習しても、演奏中になにか気になることがあったりすると、途端に演奏に集中できなくなったり、その日たまたま「この曲、あんまり好きじゃない!」ってモードになってしまったり、そういうのがダイレクトに左右されてしまうのが弾き語りだと思うんですよ。気持ちが全て出てしまうのが、シンプルであることの恐ろしさなのかなと。自分の気持ちをコントロールすることの大切さと難しさを、最近はひしひしと感じていますね。

大塚愛

—どうやってコントロールしているのですか?

大塚:小さい頃、ピアノの先生に、「あなたはピアノが下手くそなんだから、まずはそれを受け入れること」って言われたんですよ(笑)。「下手なのに背伸びしようとするのではなく、下手は下手なりに頑張ればいい」って。

それと、「もし本番中にミスタッチをしても、決して顔に出さないこと。涼しい顔をしていなさい」と言われたことも印象に残っていて。それを思い出すようにしたら、随分緊張しなくなりましたね。

—じゃあ、バンドの中で歌うのと、ピアノ弾き語りでは、どちらが楽しいですか?

大塚:絶対バンド!(笑) 弾き語りの方はメンタル的にも消耗するというか……終わるとグッタリします。

—(笑)。それでも5回も続けているのはどうしてなのでしょう?

大塚:何故なんでしょう……(笑)。確かに、うまくいったときは調子に乗って、「なんて楽しいんだ! 私は天才か?」ってなるんですけど、うまくいかないときは「もうこの仕事辞めよう」って本気で思うんです。その落差が激しくて。

先日のライブでは、最初のステージが絶不調で、メチャクチャ落ち込んだ気持ちのまま次のステージに立ったら、今度は自分的な最高点を出せたんです。1日の中での気持ちの落差が大きすぎて大変でしたね。

自分の視野が広がった分、自分の立ち位置の脆さにも気づき始めたというか。

—現在、ライブツアー『AIO PIANO vol.5』の真っ最中なんですよね。今回はどんな内容ですか?

大塚:以前の『AIO PIANO vol.4』では、「ピアノの弾き語り」と言いつついろんな要素を入れたりしてきたんですけど、今回はついに最初から最後までピアノと私だけになったんです。演出的な要素を一切なくして、本当に一人だけでステージにいるんですよね。だから、いつも以上に緊張しています。

大塚愛

—「売れたい」という気持ちでデビューして、ポップシーンで大成功を収めてから徐々にエッジーな方向へとシフトし、ようやくたどり着いたのが「ピアノの弾き語り」という、素顔の大塚愛さんを表現する場であり、ここからまた新たな展開を迎えていくのかなと思いました。

大塚:デビューした頃の自分は、すごく視野が狭かったと思うんです。その頃は経験も音楽の知識もなかったけど、いろんな人と出会い音楽を知っていく中で徐々に視野が広がっていって、自分の立ち位置の脆さにも気づき始めたというか。

—それは、自分自身が豊かになったからこそ気づけたということでもありますよね。

大塚:そうですよね。階段をどんどん登って見える景色がどんどん高くなると、怖くもなってくるんです。「ここで転んだらシャレになんないぞ」って(笑)。

—新しい課題も増えてきますけど、でもとっても充実しているように感じます。最後に、今後の抱負を教えてもらえますか?

大塚:(即答で)儲けたい! あははは(笑)。

—また最初に戻っちゃいましたね(笑)。

大塚:今、すごく老後のことを考えてて。終活を始めだしたんですよ。親への貯蓄、私の老後、娘の老後を考えたときに、まだまだお金要るなあ、みたいな(笑)。だから頑張って働きます!

リリース情報
大塚愛
『aio piano』

2018年2月7日(水)発売
価格:1,944円(税込)
AVCD-93802

1.星 -せい-(Instrumental)
2.ユメクイ
3.HEY!BEAR
4.金魚花火
5.日々、生きていれば
6.恋愛写真
7.ネコに風船

イベント情報
『LOVE IS BORN ~15th Anniversary 2018~』

2018年9月9日(日)
会場:東京 日比谷野外音楽堂

プロフィール
大塚愛
大塚愛 (おおつか あい)

1982年9月9日生まれ、大阪府出身。O型。15歳から作詞・作曲を始め、2003年9月10日に、シングル「桃ノ花ビラ」でメジャーデビュー。同年12月17日にリリースした2ndシングル「さくらんぼ」が大ヒット。2017年4月に8枚目のオリジナルアルバム「LOVE HONEY」をリリース。同年9月9日の誕生日に行われた、デビュー14周年を記念したライブ「LOVE IS BORN ~ 14th Anniversary ~」の模様を納めた作品を12月20日にリリース。2018年2月からはピアノツアー「AIO PIANO vol.5」の開催も決定、初日は10日名古屋ブルーノートにて開催。シンガーソングライターとしての活動のほか、イラストレーター、絵本作家、楽曲提供など、クリエイターとしてマルチな才能を発揮し活動中。



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