
五木田智央のスタジオを訪問。苦悩と葛藤と格闘の創作活動を語る
東京オペラシティ アートギャラリー『五木田智央 PEEKABOO』- インタビュー・テキスト
- 内田伸一
- 撮影:豊島望 編集:宮原朋之
その部屋に入るとまず目についたのは、年代物の『インカ帝国とミイラ展』図録や、赤塚不二夫の『天才バカボン』全巻、さらにカセット式のMTR(マルチトラックレコーダー)や、メキシコのプロレス雑誌、文庫版のピカソ論などなど。どれも雑然と置かれたようでいて、それぞれにぴったりな居場所を得ている。BGMはジョン・ゾーン。そして年季の入った座布団の前に、ついさっきまで筆を加えていたかのような不穏な佇まいの女性の絵と、画材が散らばっている。
五木田智央のスタジオは、東京郊外、かつて紡績会社が使っていたプレハブ建築。取り壊し予定だったのを縁あって借り受けて以来、彼はここを使って絵を描き続けている。雑誌などに寄せるイラストレーションを出発点とし、やがて絵画を中心に国内外の美術館、ギャラリーで発表の機会が増えていった。そんな彼のなかで、変わったこと、変わらないこととは? 待望となる都内での大型個展『PEEKABOO』を前に、五木田の制作現場を訪ねた。
自分が「これはいい!」と思ったものが、周囲には全くダメなときもある。続けていくなかでは色々あります。
—僕が五木田さんの絵に初めてふれたのは雑誌でのイラストレーションのお仕事だと思うのですが、強く記憶に残っているのはドローイング集『ランジェリー・レスリング』(2000年)です。今だとZINEはポピュラーになっていますが、当時漫画雑誌のようなザラザラした作りの本で絵を人々に届けるのが、すごく格好いいなと感じました。
五木田:あれはラフな安い紙で作りましたからね。『少年ジャンプ』みたいなのがいいって僕から頼んだんです。誰に言われるでもなく描いていたドローイングが、トントン拍子で出版と個展まで決まって。それが29歳だから、もう20年前になりますね。
五木田智央『ランジェリー・レスリング』(2000年、リトルモア出版)
—五木田さんは、人間は29歳で全盛期を迎えるという「29歳ブレイク説」を唱えているとか。
五木田:はい(笑)。でも本当に、僕の周りもそれを裏付けるような知り合いが多くて、今でも実際そうだと思っていますよ。
—「29歳ブレイク説」が本当だとして、五木田さんの場合はその後も大きな変化があったと言えるでしょうか。現代美術の世界で注目を浴び、国内外のギャラリーや美術館での発表が多くなりました。その経緯は前回のCINRA.NETのインタビューでもお話がありましたね。(特集:ヘタウマを超える、ヘタヘタ画家への道 五木田智央インタビュー)
五木田:まあ結局、自分はイラストレーターには向いてなかったんでしょうね……。もちろん、どちらが上か下かという話じゃないですよ。プロフェッショナルにイラストレーターをやるのって、生半可じゃ務まりませんから。
—画家として描きたいものを描く、という現状は充実していますか?
五木田:そう感じます。やっぱり「この前のアノ感じでこれを」みたいなリクエストに応え続けるのは、苦しいことも多かったから。今のように描きたいものを描くのが性に合うというか。
ただ、続けていくなかでは色々あります。自分が「これはいい!」と思ったものが、周囲にも評価されることもあれば、全くダメなときもありますね。
「この世界には色彩が多すぎる……」なんつって。本当のことを言うとそんなことまでは考えてません(笑)。
—ニューヨークのメアリー・ブーン・ギャラリーの個展で全作品が初日で完売するなど、ご活躍の様子は見聞きしますが、「ダメなとき」の話は伺ったことがありませんでした。
五木田:たとえば、ここしばらく描いてきた「モノクロームの顔のない人物画」みたいなものと別に、青を基調にしたペインティングをロサンゼルスの個展で出したことがあるんです。これが全く売れなくて。オープニングが終わった途端、ギャラリーオーナーに呼び出されましたよ(苦笑)。
「トモ、ホワイ⁉ ホワイ、ブルー⁉」ってえらい剣幕で詰め寄られて。いや、先に画像で見せたじゃん、とも思ったんだけど(苦笑)。やっぱり自分が良いと思っても周囲はそうでないときってあります。ステンシル(文字や模様の部分を切り抜いた型紙で描く手法)のテクスチャーが好きで新たな作品を出してみたときも、これまた売れなくて……。
—またギャラリストに呼び出された?
五木田:いや、飲みの席で静かに「トモ……、もう普通のモノクロームの絵は描かないのかい?」って寂しそう聞いてきました(笑)。
—「ホワイ、ブルー⁉」の人よりちょっと優しい。
五木田:(笑)。でもこのときのステンシルの作品は、その後に売れ始めて、最終的には完売したんです。だから本当、わからないものですよね。
同じような作品を期待され続けると「これって前に自分が苦しんだ状況と似てきちゃってないか?」と感じたりもして。今は常にそうならないようにやっています。
225枚のレコードからなる『Gokita Records』(2002-18年) ©Tomoo Gokita / courtesy of Taka Ishii Gallery / photo:Kenji Takahashi
インタビュー中はジョン・ゾーンの自由奔放なサックスが静かに流れていた
—モノクロームで描く理由はあるのですか?
五木田:現代美術の世界で注目してもらえるようになったのが、モノクロームの絵画だったんですよね。だからインタビューなんかを受けると、「この世界には色彩が多すぎる……」なんつって、もっともらしく答えたこともあるんですけど。本当のことを言うとそんなことまでは考えてません(笑)。
—周囲の評価や変化とは別に、自分のなかでの葛藤や、創作の浮き沈みがありますか?
五木田:それはずっとありますね。前の日に自分が描いた絵を見て「古い、消そう!」なんて思うことがある。実際、一度描いたものを全て塗りつぶしてイチからやり直すこともあります。本当は破り捨てたい気持ちなんだけど、またキャンバス貼り直すのも大変なんで(笑)。最近は朝7時半くらいに自宅を出て、自転車でこのスタジオに来て、夕方まで描くというのを続けています。結構規則正しいんですよ。
—僕らが見ている五木田作品も、見えないレイヤーにそうした格闘が存在しているかもしれないわけですね。
五木田:正直、同じ傾向のものをしばらく描いていくと、その気になればもうパパッと描けちゃうんです。でも自分がそれに飽きてしまう。だから何か新しいものを探そうとするけど、それがうまくいったり、いかなかったり。
そういうことはもう、何度経験しても変わらず訪れるし、解決策はわからないですね。とにかく描き続けるしかない。
イベント情報

- 東京オペラシティ アートギャラリー『五木田智央 PEEKABOO』
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2018年4月14日(土)~6月24日(日)
会場:東京都 初台 東京オペラシティ アートギャラリー
プロフィール

- 五木田智央(ごきた ともお)
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1969年東京生まれ。90年代後半に、大量に描かれたドローイング作品により注目を集める。近年は白と黒の色彩で描く人物画など、具体的なモチーフを見せつつも抽象的なペインティング作品を手がけている。日本国内での広範囲にわたる出版・展示活動に加え、ニューヨーク、ロサンゼルス、ベルリンなど海外の個展・グループ展にも参加し、高い評価を受けている。2008、2012、2017年にタカ・イシイギャラリーにて個展を開催。2012年にDIC川村記念美術館の「抽象と形態:何処までも顕れないもの」展に参加し、2014年同館にて個展「THE GREAT CIRCUS」を開催。作品集に『ランジェリー・レスリング』リトルモア刊(2000年)、『シャッフル鉄道唱歌』天然文庫刊(2010年)『777』888ブックス刊(2015年)など。