文化が衰える前に公共でできること 佐藤直樹×岸野雄一×出口亮太

公共空間に必要な、文化のかたちとは何だろう? 地域コミュニティの形成や、老朽化した施設の再利用など、社会における文化の役割が広がる昨今。そんな疑問を、現場で活躍する当事者たちが話し合った。

2000年代初頭からまちを舞台にした活動を始め、「アーツ千代田 3331」や「オガール紫波」といった多くの成功事例にデザイナーとして関わってきた佐藤直樹。各地の盆踊り会場に現代的なクラブミュージックを接続し、人々の内側から新しい文化への能動性を引き出してきた音楽家の岸野雄一。そして、公共ホールの独創的な運営により、地方における文化の多様性を目指してきた「長崎市チトセピアホール」館長の出口亮太。

それぞれの経験に基づく鼎談では、失敗を受け入れてくれる地元のキーマンの存在や、新旧の文化をつなぐグラデーションのあり方、経済合理性に抵抗する「貫通する言葉」の必要性など、これからの公共と文化を考えるうえで大切な、いくつものヒントが浮かび上がった。

公共ホールでただ単に尖ったことをやるのではなく、尖ったこと「も」ある環境を維持したい。(出口)

—出口さんが館長を務める「長崎市チトセピアホール」(以下、チトセピア)は、全国に多くある公共ホールのなかでも珍しく、先鋭的で多様な企画と、自治体予算や助成金に頼らない運営で注目を集める存在です。その試みについては、過去にCINRA.NETでも何度かお話を伺っていますが(参考記事:地方都市文化の鍵を握るのは公共ホール? 岸野雄一×出口亮太)、その背景にある考えをあらためて聞かせてください。

出口:一番大きいのは、地方都市における文化の多様性を担保したいという思いです。たとえば、地方の公共ホールで行われるコンサートというと、クラシックや演歌などが定番ですが、同じ地域にある複数のホールでそうした音楽の公演しかなければ、そこに住む人たちが触れられる文化の幅は狭くなってしまう。はたしてそれでいいのかと。

岸野:公共ホールの公演は、既存の企画を買っていることが多いんですよね。「某有名歌手の公演=何十万円」みたいな企画がファックスで回ってきて、それを買う。そうした公演を年間でいくつか行えば、公共ホールの体裁は保たれるわけだけど、多様性は生まれないわけです。クラシックコンサートの公演も当然あっていいけど、そこにクラブミュージックの公演もあれば、その土地に未来のDJが育つかもしれない。多様性の担保とはそういうことだよね。

出口:そうですね。ただ単に尖ったことをやるのではなく、尖ったこと「も」ある環境を維持したいと考えています。地方のホールには、どうしても、すでに評価が定まったものを確認しに行くという傾向があるのですが、まだ未知数のものこそ取り上げたい。落語なら真打ではなく二ツ目、映画ならハリウッド映画ではなく単館系の映画というように。

左から:岸野雄一、出口亮太、佐藤直樹

出口:同じように、音楽でも新しい世代を取り上げたいという意図で、今年5月にceroのサポートメンバーでも知られる角銅真実さんのBaby TACO Mansion Orchestra Trioの公演を行いました。彼女と、同トリオの光永渉さんはともに長崎出身なんです。音楽家の里帰り公演というよくある公演の形式を援用して、自然に地方でも新しい文化を紹介する場は作れると思うんです。

長崎にあるMusic Bar ParanoiaでのBaby TACO Mansion Orchestra Trioの公演の様子

ただシンプルに、「この場所で何かができる」という高揚感があったんです。(佐藤)

—岸野さんはそんなチトセピアの常連出演者でもありますが、いっぽう佐藤さんは、デザイナーとして公共施設の設立や、建物の再利用の動きに早くから関わってきました。2003年から東東京の空きビルなどを舞台に行われたイベント『セントラルイースト・トーキョー(CET)』や、2010年に廃校を再利用して生まれた施設「アーツ千代田 3331」はその代表例です。こうした領域に関わり始めたきっかけは何だったのでしょう?

佐藤:公共の面白さを本当に感じたのは、『CET』の準備で馬喰町周辺を回ったときでした。最近はあの辺りも洗練されてきていますが、当時は非常に寂れていて文化的廃墟状態だった。とはいえ、この場所の価値を上げようなどと考えたわけではなく、ただシンプルに、「この場所で何かができる」という高揚感があったんです。

佐藤直樹
『セントラルイースト・トーキョー(CET)』記録:シミズヨシユキ

出口:僕のような博物館学出身で演劇や音楽を実際にやっていたわけでもない人間が、公共ホールで文化事業をコーディネートすることは、一種のスクワッティング(本来は放置空き家の不法占拠の意味だったが、近年ヨーロッパを中心とした空き家をアートプロジェクトに有効活用する活動にも使われる)だと思っています。その点、『CET』はまさに「合法的スクワッティング」と名乗っていましたよね。

出口亮太
『セントラルイースト・トーキョー(CET)』記録:シミズヨシユキ

出口:非プロパーが既存の施設や空間を転用する例は最近では増えていて、僕の周囲だと、岡山市の廃校を会場にした音楽イベント『マチノブンカサイ』や佐賀のリノベーションビル「ON THE ROOF」、また佐世保のDJチーム「桃源郷」の活動は面白いです。これらに共通するのは、廃校や空きビルやスナックなどを本来とは異なる使い方をしている点ですが、佐藤さんの関われてきた活動はその走りでしたね。

岡山市の廃校となった旧内山下小学校の校舎を会場に開催された音楽イベント『マチノブンカサイ』
「ON THE ROOF」ではリノベーション工事期間中からトークイベントやDIYワークショップなどが開催された
佐世保のスナックで開催された桃源郷主催の都築響一トークショー

佐藤:当時は「リノベーション」という言葉もまったく理解されていなかったんですよ。そんな状況で『CET』がある程度うまくいったのは、結局、そのエリアの人が文化の力を活用しようとしたからだと思います。地元のキーマンがいるんです。CETの場合はタオル屋のご主人なのですが、理屈ぬきで行動する人がいたのが大きかった。

出口:走りながら考えるということですよね。

佐藤:そうですね。エリアへの愛があり、「このままだとヤバイ」と思っている人の存在が一番の原動力なんです。振り返るとけっこう無茶なこともやっていたのですが(笑)、つねに尻拭いをしてくれる誰かがいた。失敗を勘定に入れてくれていた人がいたからできたことで、全員の理解を得ようと思ってやっていたら何も起こらなかったと思います。

岸野:いわゆる「お祭り男」ですよね。「なんかあったら俺がなんとかするよ」みたいな人がいる土地は強い。その結果、馬喰町はいまでは自力で回っていますよね。あと大事なのは海外からの視点。東京駅にも成田にも羽田にも行きやすい馬喰町は、外国人旅行者にはかなり利便性の高い場所で、問屋街という特化された街の魅力もある。海外だと、韓国の乙支路3街の問屋街とか、立地をうまく利用した例が多いけど、日本にはあまりなかったよね。

岸野雄一

地域の人からモチベーションが出てこないと始まらない。大切なのは本当に「人」なんだと感じます。(佐藤)

—いっぽう「3331」では、佐藤さんはどのように地元との関係を作ったのでしょうか?

佐藤:「3331」は統括ディレクターの中村政人や、運営するコマンドA(展覧会や催事、各種普及活動をアートな視点から企画、制作を行っている会社)の力が大きいのですが、彼らは地域のお祭りに参加するなど、本当に地道に関係作りをしていましたね。

佐藤直樹
「アーツ千代田 3331」外観 ©3331 Arts Chiyoda

岸野:「3331」の場合、施設の入口にあたる部分に門を付けていないことが大きいですよね。敷地内の公園の部分はどんな人でも使える。それは地元の人にとって嬉しいことで、あの公園が無くなっては困る人がいる。だから、施設全体のことも肯定的に見ることができるんだと思う。

佐藤:文化施設というと敷居が高いけど、公園で遊ぶ人、建物の入口にある階段でご飯を食べる人、建物内に目的がある人という感じで、グラデーションがあるのが良いですよね。

出口:いきなり新しいものを押し付けるのではなくて、古くからあるものも混ぜながら「軟着陸」を目指すという発想は、岸野さんの『DJ盆踊り』にもつながります。

岸野:そうですね。東京の中央区で盆踊りの会場を借りて『中洲ブロックパーティ』というイベントをやったのですが、使える時間が6時間あったんです。6時間をクラブミュージックのDJで埋められたんだけど、あえてそれをしなかった。でないと「今年から若い人たちが別なことをし始めた」となってしまい、ご年配の方やお子さんが帰ってしまう。そこで、2時間は新しいダンスミュージックをやるけれど、4時間は既存の盆踊りをやりました。そうしたら、盆踊りの手ほどきを受けた子供たちが、MOODMANのDJでめちゃくちゃ踊り始めたんですよ。何の仕掛けも仕込みもしていないから驚きましたが、その自然発生的な空気にとても感動しました。

岸野雄一

—参加者の内側に、自然に動機が生まれたわけですね。チトセピアも移動式の客席やロビーをうまく利用して、空間に多様な価値や住民との接点を生み出しています。

出口:たとえば、チトセピアは客席をすべてなくすと体育館のようになるのですが、ならば利用の少ない平日の午前中は本当に体育館として、園庭が狭くて困っている地域のこども園に使ってもらったり。空間の見方や席の組み方を変えることで、ライブハウスにも、円形劇場にも、トークライブ会場にも、寄席にもなる。公共施設の使い方はどの自治体でも今後の課題ですが、運営しながら新しい用途を増やしていくことで、地域内でのプライオリティを高めようとしています。

佐藤:面白いですね。地元の人の視点に立ったとき、若い人たちがやってきて文化的なことをやっても、それが一時的な盛り上がりにしかならないものなら、不安を感じますよね。地域の人からモチベーションが出てこないと始まらない。ベタだと言われるかもしれないけど、大切なのは本当に「人」なんだと感じます。

岸野:本当にそう思います。最終的には「人×場所」だよね。

大事なのは、SNSより趣味の違う身近な他者の方で、そこを何とかしたい。(岸野)

出口:他にもチトセピアでは、公共ホールはただ上映や鑑賞の場所であるだけでなくて、意思を持って企画運営を行う事業主体でもあっていいという考えから、ホールの外でも積極的に企画を行なっています。先日、佐世保市で行われた『桃源郷の秋祭り』もそのひとつ。

これは佐世保市主催の公募事業『させぼ文化マンス』の一環で、さきほどのDJチーム「桃源郷」のDJイベントに、岸野さんとチトセピアで肉付けをしました。具体的には『DJ盆踊り』と新しい公共空間を考える岸野さんのレクチャー、レコードコンサート、蚤の市の4つのイベントを行いました。蚤の市とDJ盆踊りを行ったことには、会場である公共ホール「アルカスSASEBO」前の広場という公共空間をより魅力的に活用するための社会実験という意図があります。

『させぼ文化マンス』アルカス広場には、雑貨、陶器、古本、焼菓子などのお店が立ち並んだ

岸野:レコードコンサートでは、ご当地モノのレコードをかけました。歌詞に「長崎」が出てくる曲とかね。

佐藤:それは喜ばれそう(笑)。

出口:岸野さんのレクチャーには多くの行政マンが参加してくれました。地方では珍しい光景ですよ(笑)。

岸野:それに、『させぼ文化マンス』全体がバラエティーに富んでいて面白かったですね。『空の大怪獣ラドン』みたいな現地で撮影された映画の上映や、ビブリオバトルもあった。

させぼ文化マンス参加事業である『桃源郷の秋祭り』での一コマ

佐藤:「見たいものが一個はある」くらいに複合的な方がいいのかもしれないですね。

岸野:「これが見たいから行く」でいいんですよ。あとは、その後の動線をどう描いてあげるか。『DJ盆踊り』には、当日別会場で行われていたヒップホップダンスのイベントに来ていた子供たちも参加してくれました。

出口:市民文化祭にありがちなのは、参加者のマンネリ化だと思うんです。また、ジャンルごとの横のつながりの不足もある。そこをどう広げるのかはいつも考えます。

出口亮太

岸野:僕が公共空間でイベントをやるうえで大切にしているのは、全員の居場所を作るということなんです。だけど、だからと言って「音楽はすべての人をつなぐ」なんて考えてはいない。黒人が独自に生み出したジャズにせよ、大人に理解されない大音量のエレキギターによるロックにせよ、音楽は一種の排他性によって成り立つ部分があるから。

でも、「今回は僕の好きな音楽をやるけど、次回はあなたの好きな音楽をやります」という、継続的な機会における保証があればいいんですよね。そうしたいろんなものがある場所で、どう全員が楽しめる状況を作るのか。最近はSNSで、音楽の趣味の合う人だけつながることができるでしょう。だけど、それではやっぱりダメなんです。

佐藤:そういう考えに至ったきっかけはなんだったんですか?

岸野:やはり東日本大震災は大きくて、地縁の重要さに気づいたんです。よく話すエピソードなんですが、友人が震災のとき、趣味のDVDや本に埋もれてしまった。そこで彼は、「俺はいままで散々これらの話をSNSでしてきたけど、いま助けてくれるのは、一階にある中華屋の、自分は嫌いだけどJoy DivisionのTシャツを着ているあの兄ちゃんだ」と気がついた。

佐藤:音楽の趣味が違う人こそ、いま助けてくれる存在だと(笑)。

岸野:そうなんです。いまは、近所の人をあまりに知らなすぎる。いざというときに「我々」というフレームを築けない状況はとてもまずいと思います。私ごとですが、道路拡張で実家の立ち退きがあった時に痛感しました。そこで大事なのは、SNSより趣味の違う身近な他者の方で、そこを何とかしたいという思いはありますね。

経済を無視せずに、「僕らも経済を考えている。むしろ経済に返していきましょう」と言える覚悟を、文化側も持たないといけない。(佐藤)

出口:公共の意識をいかに作るのか。その点で言えば、佐藤さんはデザイナーとして、岩手県紫波町の「オガール紫波」にも関わられています。これは図書館やマルシェなどが一体化した施設ですが、地方創生の成功例として知られています。運営資金的にも自立性が高く、市民と文化のプロが丁寧に対話して作られた場所ですよね。

佐藤:オガール柴波では、まず「オガールデザイン会議」という場を作って、デザインのガイドラインを一緒に作ることから始めました。なかに入って強く感じたのは、図書館やマルシェ、子育てセンターなどの担当者が、それぞれの施設の必要なあり方や価値を強烈に欲している、ということでした。

佐藤直樹

佐藤:「図書館にはこんな魅力がないといけない」という地元の声を受けて、そこからリサーチをしてロゴやエプロンやサイン計画ができています。つまり、結果的にデザインになっているのであって、全員がデザインの当事者なんです。そのことで、図書館で普通ではやらないようなイベントが行われたり、地元の特徴に合った個性的な棚が生まれていきました。

岸野:当事者意識が強いのは理想的なあり方ですね。

—いわば、「ユーザーの欲」が最初にきちんとあったわけですね。

佐藤:そうですね。僕らはその「しもべ」になっている。ただ、大切にしたのは、アウトプットに関しては緊張感を持つということ。グダグタにしてはいけないし、僕らはプロとして求められたもの以上のジャンプを起こす必要がある。みんなが参加してルールや方向性を定めたら、きちんとそれを高めないといけない。

出口:外部的な視点からデザインの筋を通す場として、デザイン会議があったわけですね。またそのプロセスが、つねに市民の方との交流のなかで進められたことも重要だった。でも、経済性と文化の質が衝突することはなかったですか?

佐藤:そこで重要なのは、オガールデザイン会議のメンバーが文化から経済、ハードからソフトという風に、複数の領域を貫通する言葉を持っていることだったと思います。経済を無視せずに、「僕らも経済を考えている。むしろ経済に返していきましょう」と言える覚悟を、文化側も持たないといけない。

芸術文化の役割は広がりつつある。問題は、その重要性を語る言葉が足りていないということです。(出口)

—これからの公共空間を面白くするうえで、みなさんがより大切になってくると考えることをあらためて聞かせてください。

出口:地域で文化事業をしている立場にとっては、その活動に「公共心」があるのかどうかが一番大事なことなのかなと思います。公共心とは、そこにいない、見えない人たちのことを思える想像力。例えば自分が企画するイベントであれば、そこに来てくれる文化に理解のある人たちだけでなく、何らかの事情があって来たくても来れない人やそもそもそういうイベントに関心がない人、持てない人たちのことを思う気持ちのことです。公共ホールを運営すると言っても、代理店でも入れてただイベントをしていれば公共的と呼べるのか? そうではないだろうと思っています。

出口亮太

岸野:僕がやっている『DJ盆踊り』も『コンビニDJ』も、公共空間を舞台に、普段とは異なる振る舞いが許される場の創出ですが、最後にはみんなきちんと片付けていく。じゃあ、渋谷のハロウィンとは何が違うのか。あれも、ハロウィンを口実にして、自由に振舞ってもいい機会だとされますが、散らかし放題、騒ぎ放題で帰っていくわけですよね。公共の場を使うことに変わりはないのに、その差はなぜできるのかをよく考えます。

『札幌国際芸術祭2017』での『DJ盆踊り』 撮影:小牧寿里
『コンビニDJ』

佐藤:最近、渋谷を歩く機会があったんですけど、とくに中心部は、完全にお金を回すためだけの街になっていますよね。転換期の接続の仕方がうまくいっていなくて、そこに持ち込まれているカルチャーが、どこか空々しいものに感じられてしまっている気がします。

出口:もともと地形的に、ヒューマンスケールで用途が築かれていたのが、企業が主導して文脈なく開発されていますよね。ただ、そうした経済合理性による選択と集中は、これから『東京オリンピック』に向けてえげつないことになると思います。それは、東京と地方のあいだでより鮮明になる。選択や集中の外にある場所は、政策的にも無視される未来が来るんじゃないか。

ただ、いっぽうで近年は「アートによる心のケア」も謳われている時代で、芸術文化の役割は広がりつつある。問題は、その重要性を語る言葉が足りていないということです。

岸野:市場を築地に残した方が、どれだけ文化的価値があるのかは数値化できないわけだよね。豊洲に移す方が数値化しやすくて、だから文化が経済合理性に負けてしまう。

岸野雄一

出口:そこで、今後重要になると思うのは、アートマネジメント職の存在です。さきほどの佐藤さんがおっしゃっていたオガールデザイン会議での「貫通する言葉」ともつながりますが、つまり、自治体と文化芸術と市民を結ぶための言葉を持っている存在。文化って、みんな「好き」から入るから、説明が後になることが多いと思っています。でも、「大事だから大事」というトートロジーでは、外の人との対話の機会を閉じてしまう。そうやって説明をサボってきたところに、いまの社会における文化の立ち位置があるような気がしています。

佐藤:アートマネジメント職の必要性は、たしかに感じますね。岸野さんのように自分で何でもできるアーティストもいるけど、多くの人はそこまで意識を持つのが難しい。

佐藤直樹

岸野:いや自分一人では何もできません。SNSによってできるようになったことも多いですけどね。だからインターネットを全否定しているわけではない。メディアでは、よく「アーティスト自身がジャケットを描いた」とか書かれますよね。僕なんか自分でフライヤーも撒くけど、「アーティスト自身がフライヤーを撒いている」とは言われない(笑)。そうしたマネジメントの部分がどれだけ軽視されているのか、とよく思っています。

文化は無駄金か否かという地点を超えた言葉を、多方面から醸造していく必要がありますね。(佐藤)

出口:近所のおじさんやおばさんにも、「この文化にはこんな意味がある」と翻訳して言えるようにならないといけない。それがないと、財布が乏しくなったとき、真っ先に削られるのは文化ですよね。選択と集中のぶり返しが2020年以降に起こることはかなり現実的です。

そこから逆算して、いまから市民が自分たちの手で、平熱で続けられることをやっていくことが大切だと思う。とくに地方では、「ないこと」や「失ったこと」を嘆かず、既存の公共空間や公共施設を有効活用する知恵と行動力がシビアに求められると思います。

出口亮太

佐藤:最近、アートの教養はビジネスに役立つという言説が流行っていますよね。これまでの日本のアートシーンにはそうした視点があまりに欠けていたから、その言説にも一定の意味があるのはわかるのですが、やっぱりモヤモヤするわけです。というのも、アートは経済に役立つから大切というのと同じ論理で、反対のことも言えてしまうんですよね。本当はその中間に曖昧な部分があって、それこそを言葉にしていかないといけない。文化は無駄金か否かという地点を超えた言葉を、多方面から醸造していく必要がありますね。

岸野:そこで大事なのは、能動性を引き出すためのOS(オペレーティングシステム)をいかに仕込むのかということですね。自発的に人々が、こうすればうまくいくはずだ、と考え始める機会だけを作り出すというか。昨今、地域のコミュティ作りみたいなことが盛んに言われますが、コミュニティというのは結果だと思うんです。仕掛けてできるものではない。『DJ盆踊り』のときにMOODMANのDJで踊り出した人たちのように、適切なOSを仕込むことで人の振る舞い方は自然と変わると思います。

その意味では、渋谷のハロウィンも僕はそこまで否定的ではなくて、あそこに集まった若者が新しい文化を生み出す可能性もあるとは思っています。最近は初めから問題を避けがちだけど、そのせいであまりに人同士の関係がなくなっている。対面して話し合って解決できる問題や失敗はむしろ随所に起こしていくべきで、そこから生まれる文化や公共もあるのではないかと思います。すり合わせの技術を学ぶ、つまり民主主義の演習です。

イベント情報
『平成30年度 全国劇場・音楽堂等職員 アートマネジメント・舞台技術研修会2019』

日本国内の劇場・音楽堂等の活性化と地域の文化芸術の振興を目的とした、アートマネジメントに関する専門的研修会。2月6日(水)に出口亮太が講師として登壇。

2019年2月6日(水)、7日(木)、8日(金)
会場:東京都 代々木 国立オリンピック記念青少年総合センター

プロフィール
佐藤直樹 (さとう なおき)

1961年東京都生まれ。北海道教育大学卒業後、信州大学で教育社会学・言語社会学を学ぶ。美学校菊畑茂久馬絵画教場修了。1994年、『WIRED』日本版創刊にあたりアートディレクターに就任。 1998年、アジール・デザイン(現アジール)設立。2003~10年、アート・デザイン・建築の複合イベント『セントラルイースト東京(CET)』をプロデュース。2010年、アートセンター「アーツ千代田 3331」の立ち上げに参画。サンフランシスコ近代美術館パーマネントコレクションほか国内外で受賞多数。アートプロジェクト「トランスアーツ東京(TAT)」(2012~17年)を機に絵画制作へと重心を移す。3331デザインディレクター。美学校講師。多摩美術大学教授。

岸野雄一 (きしの ゆういち)

1963年、東京都生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科、美学校等で教鞭をとる。「ヒゲの未亡人」「ワッツタワーズ」などの音楽ユニットをはじめとした多岐に渡る活動を包括する名称としてスタディスト(勉強家)を名乗る。銭湯やコンビニ、盆踊り会場でDJイベントを行うなど常に革新的な場を創出している。2015年、『正しい数の数え方』で第19回文化庁メディア芸術際エンターテインメント部門の大賞を受賞。2017年、さっぽろ雪まつり×札幌国際芸術祭2017「トット商店街」に芸術監督として参加。

出口亮太 (いでぐち りょうた)

1979年長崎市生まれ。東京学芸大学で博物館学を学ぶ。表参道・桃林堂画廊の運営、長崎歴史文化博物館の教育普及研究員を経て公共ホール管理会社・ステージサービス入社。2015年に若干35歳で長崎市チトセピアホール館長に就任、60本あまりの自主事業を実施。先鋭的な企画を外部資金に頼らず独立採算で実施する事業計画が、指定管理者制度下の地方中小規模館の先進的な運営スタイルとして注目を集める。近年では大学や医療福祉機関、NPOなど他ジャンルとの協働事業を展開しつつ、現場の知見をもとにホール運営についての講演を各地の大学、文化施設協議会等で行う。また、近隣の施設・団体と連携した事業巡回のネットワークづくりも行っている。

長崎市チトセピアホール

長崎市千歳町に1991年に開館した500席を擁する多目的ホール。平成27年度より自主事業を本格的にスタートさせ、先鋭的な企画と助成金に頼らない運営スタイルで注目を集める。これまでの出演者は伊藤ゴロー、神田松之丞、岸野雄一、スガダイロー、高浪慶太郎、瀧川鯉八、立川吉笑、玉川太福、内藤廣、中島ノブユキ、中村達也、二階堂和美、柳亭小痴楽、渡辺航など。また、既存の「舞台 / 客席」の関係性にとらわれず、「公共ホールでブロックパーティ」をテーマに、客席内に舞台を仮設したり、ロビースペースを寄席やダンスフロアに転用するなど、オルタナティブスペース的発想に基づいた公共空間の新たな活用法と利用価値を模索している。事業内容は舞台芸術の分野だけでなく、まちづくり、建築、福祉、医療、食育分野とのコラボレーション企画も多く、公共ホールの可能性を拡張する活動を続けている。



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