サリンジャー『ライ麦畑』はなぜ伝説に? 曽我部恵一と考える

アーティストにとっての幸福な創作活動の形とは? 不朽の名作として、いまもなお世界中の若者たちから愛される小説『ライ麦畑でつかまえて』の著者、J.D.サリンジャーは幸福な作家だったと言えるだろうか?

1919年1月1日、ニューヨークのマンハッタンで生まれたサリンジャー。それから100年を経た今年、謎に満ちた彼の半生を描いた映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』が1月18日に日本公開される。

ここでは、CINRA主催のイベント『NEWTOWN』で行われた先行試写会の際の、ミュージシャン曽我部恵一によるアフタートークの模様をお届けする。読書家であり、“苺畑でつかまえて”など、サリンジャーを意識した楽曲も作る彼は、この映画をどう見たのだろうか? 『ライ麦畑でつかまえて』を初めて読んだ頃の思い出や、文学はもちろん音楽や映画などジャンルを越え、クリエイティブ全般にとっての理想などを語ってもらった。

まず『ライ麦畑でつかまえて』っていうタイトルが持つ素晴らしさがあったんです。

—まず、映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を見て、曽我部さんは率直にどんな感想を持ちましたか?

曽我部:サリンジャーの恩師ウィット・バーネット役のケヴィン・スペイシーがすごいよかったですね。それと比べると、サリンジャー役には、そんなに入り込めなかった。

なぜなら、アーネスト・ヘミングウェイ(アメリカの小説家、代表作に『老人と海』『武器よさらば』など)とかF・スコット・フィッツジェラルド(アメリカの小説家、代表作に『グレート・ギャツビー』など)だったら、「こういう人だったんだろうな」っていう想像がつくけど、サリンジャーの場合はそれがないから、誰が演じても「はたしてこういう人だったんだろうか?」みたいな思いが残ってしまうというか。それは、この映画の作り手たちもきっと同じだったんじゃないかな。

曽我部恵一

—サリンジャーの場合、そもそも本人に関する情報が極めて少ないですからね。

曽我部:少なくとも僕は、彼個人の経歴はこの映画を見るまでほとんど知らなかったです。だから、サリンジャーを描いた映画としてよりも、純粋にひとつの映画として楽しみました。

左からウィット・バーネット役のケヴィン・スペイシー、サリンジャー役のニコラス・ホルト / 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』 ©2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

—ちなみに曽我部さんがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を初めて読んだのは、何歳のときでしたか?

曽我部:1980年代の半ばくらい……中学か高校のときだったと思います。たしかその頃、ちょっとしたブームがあったんですよね。

—小泉今日子さんがラジオ番組で『ライ麦畑でつかまえて』を紹介して、それをきっかけに日本でもブームになったという説もありますが。

曽我部:ああ、ありましたね。そのあと、「実は読んでなかった」って雑誌で発言したっていう(笑)。ただ、『ライ麦畑でつかまえて』のブーム自体はその前からあったような気がするんだよなあ。

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』場面写真 / 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』 ©2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

—1980年にジョン・レノンを路上で射殺したマーク・チャップマンが犯行時に持っていたという話があって……そこからまた再注目されていったのかもしれないですね。実際読んでみて、曽我部さんはどんな感想を持ちましたか?

曽我部:まずその『ライ麦畑でつかまえて』っていうタイトルが持つ素敵さ、素晴らしさがあったんですよね。そんなタイトルの小説は、もういいに決まっているじゃないかと思って。

—わかります(笑)。

曽我部:ただ、正直なところ、僕は読んでみてなぜこれほど人気なのかよくわかんないなあと思ったんですよね。この小説の、どこがセンセーショナルなんだろうって。『ライ麦畑でつかまえて』って、先ほど言ったマーク・チャップマンの話もあったし、それこそアメリカでは過激な青春小説で反社会的な作品とされているっていう触れ込みで、日本に紹介されていた。あるいは、若者のエバーグリーンな感性を捉えた青春小説の傑作であるとか。でも、そういうものとしては、僕はまったくピンとこなかったんです。

—私も正直、最初はよくわからなかった気がします。

曽我部:ですよね? 当時、僕が好きだったボリス・ヴィアンの『日々の泡』(1947年)とかフィッツジェラルドの短編……あとジャック・ケルアックの『路上』(1951年)とか、わかりやすい時代背景みたいなものが見える小説とはちょっと違うと感じて。だから、当時は読んでも、釈然としない気持ちが残ったんですよね。

—時代背景がはっきりしないんですね。

曽我部:とにかく抽象的な心象風景が延々と続くようで……そういうものって、あんまり成立しなさそうな気がしたんですよね。サリンジャーの短編……たとえば、『バナナフィッシュにうってつけの日』とかは、もうちょっとわかりやすい物語じゃないですか。アメリカ人特有の虚無感があるんですよ。

音楽の世界でも、伝説の1枚を作ったら、もう勝ちなんですよ。

—『ライ麦畑でつかまえて』は「どんな話なの?」って聞かれても、ちょっと説明に困るところがありますよね。

曽我部:だから、いまでも不思議なんですよね。多分いま読み返しても同じ感覚になるんじゃないかな。ただ、その「わからなさ」みたいなものが結局いいのかなあと思うんです。ケルアックの『路上』って、その小説の時代背景だったり、「ビートニク」っていう文脈もあるからわかりやすい説明ができちゃうじゃないですか。サリンジャーの本には、そういうものがない気がするんですよね。

—ケルアックとサリンジャーは3歳違いだから、実はほぼ同世代なんですけどね。

曽我部:同世代と言っても、その内容は全然違いますよね。『路上』はほとんど古典的と言ってもいいくらいの物語がある。だからサリンジャーっていうのは、音楽で言ったらエイフェックス・ツイン(イギリスのミュージシャン、DJ)みたいな感じなんじゃないですか? 「これはどういいんだろう?」っていうのが誰にも言えないっていう(笑)。でも、すごくいいんですよね。

いつの時代に読んでも、同じようなわからなさが、『ライ麦畑でつかまえて』の場合、きっと残る気がします。この小説のどこか面白いのかって、いまだに誰にも言い当てられないじゃないですか。芸術の場合、それがとても大事だと思うんですよね。

—わかりやすいだけではない部分があるということですね。

曽我部:あと、やっぱり「伝説だから」っていうのもあるんじゃないですかね。僕らがやっている音楽の世界でも、「伝説の1枚」を作ったらもう勝ちなんですよ。もちろん、その伝説の1枚を作るのがものすごく難しいんですけど(笑)。

どうしたって10年ぐらい経ったら古い感じになってしまうから。それは小説も同じですよね。いま、ケルアックの『路上』を読んでも、「ああ、1950年代のやつね」ってなるじゃないですか。それが移り変わる時代の中でずっと抽象的なものとして捉えられ続けるのってなかなか難しいことだと思う。ロックのアルバムでもそういうものは数枚しかないんじゃないかな?

—The Beatlesとかですか?

曽我部:いや、The Beatlesは、もうかなり消化されていると思いますよ。むしろ、ヴァン・モリソンの『Astral Weeks』(1968年)とか。あの作品はわかりづらくて当時はそんなに売れてなかったけど、ずーっと売れ続けているんですよね。たとえ理解できなくても、伝説の作品として「これは読まなきゃ」とか「買ってみよう」とかが大切なんだと思います。

—たしかに、どちらも「泣いた!」とか、そういうわかりやすいものではないですよね。

曽我部:そうですよね。「感動した!」っていうのも違う気がするし。物語ってみんなが同じ感動体験をするように書いていくところがあるじゃないですか。でも、サリンジャーはそうじゃない。だからこそ、いま読んでも、面白かったという人もいれば、正直そうでもなかったという人もいるんだと思います。

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』場面写真/ 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』 ©2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

すごい傑作だけではなく、しょうも無い三文小説を書きまくるような人生もいいじゃないですか。

—あと、『ライ麦畑でつかまえて』の場合、ひとつの固定された評価だけではなく、1980年代のキョンキョンしかり、2003年に新訳を出した村上春樹しかり、その時代ごとに新たな評価を受けている点も、極めて特殊かもしれないです。

曽我部:そうそう。それによって、伝説にまた拍車がかかるわけですよ(笑)。でも、今回の映画を見ていても思ったけど、サリンジャーはその「伝説」に負けちゃいましたよね。最終的には、そこがやっぱりかわいそうだなと。

みんな、「そんなの過去の小説だよ」って自分の現在を示す作品を書いていくわけじゃないですか。そうやって自分の「生」を刻み続けながら死んでいく。読者としては、それを辿っていくのが楽しかったりするんですよね。でもサリンジャーの場合、ほとんど「点」に近いから、誰も触れられない領域を自分で作っちゃったところがありますよね。

—晩年のことは、ほとんどわからないですからね。

曽我部:そもそも、作家として作品を発表してないですからね。だから、こっちとしても不安になります。でも、それが伝説ってことなんだろうなあ。

—情報が少ないからこそ、神格化もされる(笑)。

曽我部:でも、この映画を見ていても最後のほうはつらそうでしたね。夫婦関係もあんまりうまくいってなかったみたいだし、結局捌け口がなかったわけですよね。だから、どうしてたのかなあと思って。みんな多分、自分の中にあるものを、外に出さないとやっていけないから書くわけじゃないですか。だからサリンジャーも本当は書きたかったんだろうなあとは思っちゃいました。すごい傑作だけではなく、しょうもない三文小説を書きまくるような人生もいいと思うんです。

—どういうことでしょう?

曽我部:たとえば音楽だったら、シングルのB面にそのときパッと思いついて、ちょっと適当に書いたみたいな曲を入れてもいいわけですよ。むしろそういう曲のほうに、その人のパーソナリティーが出てたりとかして愛おしいものになったりするわけで。でもサリンジャーの場合、そういうものがいっさいないですからね。

作家本人のドキュメンタリーが入ってなくて全然いいと僕は思うし、それが本来のアートの形なのかもしれない。

—やはり、相当ストイックな人だったんですかね。

曽我部:完璧主義ではあったんでしょうね。でも逆に言うと、やっぱり『ライ麦畑でつかまえて』にそれぐらい力があったということなのかもしれないですね。さっき言ったように、「これはこういう小説なんだ」って、結局誰も説明できないわけですから。「こんなのインチキだ」とも言えないし、「これが青春小説の金字塔だ」と言い切ることもできないわけで。

ただ、この小説の「ホールデン・コールフィールド」という主人公は、間違いなく心の中に残りますよね。この人物はいまも、確固として存在しているじゃないですか。で、今回の映画を見て、それは必ずしもサリンジャーとイコールではなかったなっていうのは改めて思いました。

—たしかに、サリンジャー自身とは違う人物像ですね。

曽我部:そこがほかの作家と違うところだと思います。フィッツジェラルドやケルアックって、その主人公が本人に近いというか、本人の残像のようなものが小説の中に残っている。そういう意味で、サリンジャーの小説は、ドキュメンタリーじゃなんですよ。

—サリンジャー自身を反映している作品ではない。

曽我部:それは今回の映画を見ていても思ったけど、とにかく粘り強く、自分の心の中にあるものをじっと見つめながらひたすら物語ができあがるのを待つような人だったんじゃないかな。それは、芸術家の姿勢としてとても素晴らしいことだと思うんです。

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』場面写真/ 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』 ©2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

—音楽もそういうところがあるんじゃないですか?

曽我部:いや、ミュージシャンはドキュメンタリーで、「その人の生きざまを見せてナンボ」ですよね。自分でガーッて楽器を鳴らして歌っていれば、それを誰が聴こうと関係ない、「好きにやってます」って言える。でも小説は出版物にして誰かに読んでもらうためのものにしないとなかなか難しいのかなって。まあ、それが醍醐味だし、作家本人のドキュメンタリーが入ってなくて全然いい。それが本来のアートの形なのかもしれないですよね。

それはこの映画を見ていて感じました。サリンジャー自身は、もう容器みたいなものなのかもなって。ホールデン・コールフィールドという人物とサリンジャー自身の心の中にあるものは、ひょっとするとなにも繋がってないのかもしれない。

—必ずしも直結しているとは限らないと。

曽我部:そう考えると、すごいドラマチックですよね。「この作品は、あなたのこの部分から生まれてきたわけですよね?」っていう解釈では捉えられない。たとえば大昔の宮廷画家たちも同じじゃないですか。その人が描いたものなんだけど、作品がその人自身を反映しているかというと、必ずしもそうじゃない。でも、傑作は傑作なんですよ。サリンジャーもそういう存在のように僕には思えました。

—インタビュー嫌いだったというのも、そういう無意識の部分を言語化して説明するのが嫌だったのかもしれないですね。

曽我部:そうかもしれない。最初に「入り込めなかった」と言いましたけど、そう考えるとこの配役はいいですね。サリンジャーの役がもっとわかりやすく悩める青年みたいな感じだったら、「やっぱりこの人自身がホールデン・コールフィールドなのか」ってなるけど、そうは描いてなかった。そこが僕はすごいよかったし、そこにこの映画の作り手たちの誠実さを感じました。

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』場面写真/ 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』 ©2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
リリース情報
『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』

2019年1月18日(金)からTOHOシネマズ シャンテほか全国で公開
監督・脚本:ダニー・ストロング
原作:ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー ――生涯91年の真実』(晶文社)
出演:
ニコラス・ホルト
ケヴィン・スペイシー
ゾーイ・ドゥイッチ
ホープ・デイヴィス
サラ・ポールソン
上映時間:109分
配給:ファントム・フィルム

プロフィール
曽我部恵一 (そかべ けいいち)

1971年生まれ、香川県出身。1994年、サニーデイ・サービスのボーカリスト・ギタリストとしてメジャーデビュー。2001年よりソロとしての活動をスタート。2004年、メジャーレコード会社から独立し、東京・下北沢に「ローズ・レコーズ」を設立。精力的なライブ活動と作品リリースを続け、執筆、CM・映画音楽制作、プロデュースワーク、DJなど、多岐にわたって活動を展開中。2018年3月、サニーデイ・サービスのニューアルバム『the CITY』をリリースし、そのアルバム全曲を総勢18組のアーティストが解体・再構築していくプロジェクト『the SEA』をSpotifyのプレイリストで公開し話題に。2018年12月、曽我部恵一4年ぶりのソロアルバムで全編ラップの『ヘブン』をリリース。そのわずか2週間後の12月21日に突如、ヒップホップ、ロック、フォーク...すべてを呑み込んだ異形のPOPアルバム『There is no place like Tokyo today!』もリリース。



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