インタビュー

歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来

歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来

インタビュー・テキスト
大石始
写真提供:久保田麻琴 編集:山元翔一(CINRA.NET編集部)

英語派と日本語派でロック界が対立するなか、久保田が日本語で歌うことを選んだ理由

―1970年、久保田さんはサンフランシスコを中心にアメリカを7か月ほど旅し、現地で数多くのライブを体験しています。アメリカに渡るきっかけは何だったんですか。

久保田:強いきっかけはサンフランシスコロックですよ。ラリーズの水谷が私のサイケデリックロックの先生みたいなもんだったので、「これを聴け」といろいろ教えてくれたわけですよ。

私は実家が映画館だったので音楽と近いところで育ったし、いつか外国に行くという意識は中学生のころからあった。でも、サンフランシスコのロックを聴いたときに、「ここに行かないとダメだろう」と思ったんです。両耳だけでは聴き取れないものがあるんじゃないかと。

―行ってみて、いかがでした?

久保田:なにせヒッチハイクをしながらひたすらコンサートを観て、レコードを買う。それだけの旅ですから。向こうに行ったころ、ちょうど(Grateful Deadのアルバム)『American Beauty』が発売になったんですよ。

それまでシスコのローカルバンドだったのが、一気にアメリカ全国区の存在になった。チケットもほとんどソールドアウトしている状態で、観れないかなと思ってたんですけど、ちょうどブラックパンサーの資金調達を目的としたコンサートにデッドが出るということを聞きつけて入ることができた。会場は高校の小さな体育館でした。

Grateful Dead『American Beauty』(1970年)を聴く(Apple Musicはこちら
編註:久保田は「70年代のロックに何を求めていたかは人それぞれ違っていたと思うけど、私にとってグレイトフル・デッドと同じ地平線に『ハイサイおじさん』が並んだんだな」と、『STUDIO VOICE Vol.361』のインタビューで語っている

―帰国後は旅の成果を踏まえた音楽をやろうと考えていたんですか。

久保田:当時、「音楽をやる」という意識はあまりなかった。普通に就職して、ひとりの音楽好きとして生きていければいいと思っていました。ミュージシャンになろうだなんて、これっぽっちも考えてなかった。結果なっただけで、目指していたわけじゃなかったんですよ。ただ、音楽が好きというのはずっと変わらない。

アメリカから帰ってみると、ますます大学は荒れているし、どうしたもんかと。私は私でアメリカを旅したことでヒッピーの世界に入団してしまったような感覚があって、価値観が全部変わってしまった。

あと、帰ってきてから半年で捕まって、半月ほど拘置所に入ってたんですよ。それまではほとんど自分の曲をつくったことがなかったんだけど、そのときに歌詞を書き始めた。

―拘置所で歌詞を書き始めたのはなぜだったんでしょうか。もちろん、時間がたっぷりあったということはあるんでしょうけど……。

久保田:そうだね、そうだね、時間だけはたっぷりあったけど、それ以上に最も瞑想的な場所だった。VIPルームだし(笑)。

―アメリカから帰国してから、歌詞を書きたいという欲求が湧き上がってきたということなんでしょうか。

久保田:欲求というか、自然にそんなことになったんだね。本を読んだり、(ヘルマン・)ヘッセの『デミアン』(1919年)や『荒野のおおかみ』(1927年)を読んでやたらハイになったり……なので言葉は自然に出てきた。

久保田麻琴

―歌詞は最初から日本語で書いていたわけですよね。

久保田:そうですね。

―サンフランシスコで生のサイケデリックロックに触れて帰ってきたあと、英語で歌詞を書いたり、それを歌うという選択肢は久保田さんのなかになかったんですか。

久保田:なかったかな。日本に帰ってきたあと、ひとりで歌うようになったんですけど、そのときは英語の曲のカバーばっかりでした。

―当時、英語詞で歌うロックバンドの流れがありましたよね。たとえばフラワー・トラベリン・バンドやザ・モップスだったり。一方では、はっぴいえんどのように日本語詞を歌うバンドがいた。よく言われる英語詞と日本語詞のどちらでロックを歌うべきかという論争があったわけですけど、当時、久保田さんはどんなことを考えていたんですか。

久保田:いやあ、なにも考えてなかったよね(笑)。なんでそんなことを論争してるのかなとは思ってたけど。どっちだっていいじゃんと思ってました。

フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』(1971年)を聴く(Apple Musicはこちら

はっぴいえんど『風街ろまん』(1971年)を聴く(Apple Musicはこちら

―日本語にこだわっていたわけでもなかったと。

久保田:そうそう。だって、第一言語が日本語だから、自然に日本語にはなるだろうけど。それぐらいの感覚です。

だからね、そんなに力んでたわけじゃなかったと思いますよ。当時の感覚でいうと、英語で歌うというのは営業バンドっぽいというか、言い方は悪いけど、外国のバンドのサブスティテュート(代用品)みたいな感覚があった。かといって、日本語じゃないとダメなんだという強い意志があったわけでもなかったんです。

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リリース情報

久保田麻琴
『まちぼうけ』(LP)

2021年4月21日(水)発売
価格:4,180円(税込)
PROT7103

[SIDE-A]
1. あさの光
2. かわいいお前
3. 汽車
4. ひとごみ
5. 山田氏の場合
6. 丸山神社

[SIDE-B]
1. まちぼうけ
2. 休みの風
3. Make Love Co.
4. 時は近ずいて
5. Poor Boy
6 .挽歌

プロフィール

久保田麻琴(くぼた まこと)

1949年、京都府生まれ、石川県小松市出身。同志社大学経済学部在学中の1970年、URCより『アナポッカリマックロケ』でデビュー。同年、軽音楽部の1学年上だった水谷孝らと「裸のラリーズ」を結成しベースを担当。大学を1年休学して渡米後、松任谷正隆プロデュースのソロアルバム『まちぼうけ』を発表。その後、夕焼け楽団およびザ・サンセッツとして、ヒッピーカルチャー、アロハ、琉球・沖縄音楽などを独自のグルーブで融合させ、ワールドミュージックブームの先駆けとなる。細野晴臣と親交が深く、ユニットHarry & Macとして『Road to Louisiana』(1999年)を発表するなど、作品にゲストミュージシャンとしても参加している。ライ・クーダー、レボン・ヘルムとも作品で共演している。阿波踊り、岐阜県郡上白鳥の盆踊りなど日本の伝統音楽の録音 / CD制作も行うほか、宮古島の古謡を題材とした映画『スケッチ・オブ・ミャーク』(2011年)の原案・整音・出演を担当。著書に『世界の音を訪ねる―音の錬金術師の旅日記』(2006年、岩波新書刊)がある。

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