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80年の時を経て公開される写真黎明期のヒーロー塩谷定好の全貌

島根県立美術館『愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988』
テキスト
島貫泰介
編集:宮原朋之
80年の時を経て公開される写真黎明期のヒーロー塩谷定好の全貌

「神様にちかい存在」とまで言われた写真家・塩谷定好の独自の眼差し

日本人はとりわけ写真を撮るのが好きな人々だ。Instagram、Twitterの流行はいわずもがな、『アサヒカメラ』『日本カメラ』といった老舗のカメラ雑誌だけでなく、最近では『女子カメラ』『PHaT PHOTO』などの女性向け雑誌が人気を集め、その多くで読者投稿と選評のコーナーが連綿と続いている。

20世紀初頭に活躍した写真家・塩谷定好(しおたに ていこう)は、写真の黎明期にヒーロー的存在だった人物である。1899年に鳥取県の廻船問屋(船を所有し物資輸送を業とした海運業者)の長男として生まれ、芸術・文化の空気に親しんで育った。13歳の頃、父親から小型カメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」を買い与えられた定好は、「ヴェス単」の愛称で親しまれた小箱のような愛機を携えて、山陰地方を歩き回り、撮影を続けた。

『浴場小景』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵
『浴場小景』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵

『雪日』1925(大正14)年 横浜美術館蔵
『雪日』1925(大正14)年 横浜美術館蔵

定好の作風は、当時隆盛だった「芸術写真」に属するものだ。写真プリントに油絵の具やロウソクの油煙を使って加筆を行う芸術写真は、その技術特性上、絵画に近づいていく。線ではなく面で対象をとらえる絵画デッサン的な柔らかさは、独特の叙情や詩情を作品に与えてくれる。

その名が知られることとなった作品『漁村』(1925年)は、『アサヒカメラ』創刊号で募集された『第一回月例懸賞』で一等を獲得。その後も意欲的に制作と投稿を続け、定好は常連投稿者として広く尊敬を集めるようになる。鳥取の砂浜や砂丘で幻想的な写真を撮り続けた植田正治は「神様にちかい存在であった」と当時を振り返っている。

『漁村』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵
『漁村』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵

『漁村』に代表される、島根半島沖泊(おきどまり)の家屋を主題とした一連のシリーズには、それ以降の写真家の芸術観のすべてが詰まっているようだ。崖をよじのぼって撮影したという鳥瞰の風景において、茅葺き屋根の家も、瓦屋根の家も、小人の家のような愛らしさで描写されている。

『村の鳥瞰』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵
『村の鳥瞰』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵

ある種の擬人化にも通じるやさしい眼差しは、その家々に住む人たちにも注がれていたはずだ。カメラを介して、個人と個人が出会うことのかけがえのなさ。それこそ、私が塩谷定好の作品から最も強く感じた印象だ。

『海岸小景』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵
『海岸小景』1925(大正14)年 島根県立美術館蔵

時代は映画『この世界の片隅に』とほぼ同時期。撮られた写真作品から感じる品のよいたたずまい

島根県立美術館で開催中の回顧展『愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988』を訪ねる前、広島県尾道に2日間滞在していた。それはまったく偶然の連続ではあるのだが、定好の写真を見ながら思い出していたのは、広島を舞台にしたアニメーション映画『この世界の片隅に』(2016年)だった。

広島で生まれ、軍港の街、呉(くれ)に嫁いだ浦野すず(結婚後は北條すず)が見た、1934年から46年までの地方都市での家族の暮らしを丹念に追った同作には、比較的豊かだった戦前と、アメリカ軍の本土空襲によって窮地にたたされていく戦中の文化風俗が描かれている。主に1920年代から30年代の山陰地方の写真で構成された『愛しきものへ』展では、『この世界の片隅に』とほぼ同じ時代、近い土地の情景を見ることができる。

まず驚くのは、遺族によって大切に保管されていたという写真の保存状態のよさだ。展示の3章「小坊主座像」、4章「家族の肖像」は、特に瑞々しい。定好の菩提寺(先祖の位牌を納めてある寺)であった曹洞宗海蔵寺の和尚と小坊主らを被写体にした前者は、無理に気負うところのない自然な佇まいが印象的だ。しかし同時に、自分と縁近い人たちをできるかぎり素敵に、規則正しく撮ろうとする美意識の高さも感じられる。

『二人の小坊主』1930(昭和5)年 島根県立美術館蔵
『二人の小坊主』1930(昭和5)年 島根県立美術館蔵

自身の家族を撮影した4章には、3章よりももう少しプライベートな空気がある。にこやかに笑う夫人の安堵に満ちた写真や、Kと書かれた帽子をかぶって気取る長男や、スイカや扇風機と並んだ長女のちょっとした実験感のある写真は、家族だからこそ撮れたものだろう。タイトルで自分の妻を「Sさん」と呼んだり、屋外で撮った娘の写真を「新緑少女」と名付けたりする茶目っ気もいい。

『Sさんの肖像』1925(大正14) 島根県立美術館蔵
『Sさんの肖像』1925(大正14) 島根県立美術館蔵

『新緑少女』1935(昭和10)年 島根県立美術館蔵
『新緑少女』1935(昭和10)年 島根県立美術館蔵

『この世界の片隅に』が終戦に近づくにつれ時代の不穏な空気が描かれるのと同じように、戦争が本格化して物資不足が深刻化していった40年代の写真はほとんど残っていない(定好を支援していた父と祖父が、数か月の間に相次いで亡くなり、家長として家業の運輸業に専念しなければならなかったこともその理由と思われる)。日本の戦前・戦中史を語ろうとすると、どうしても自省的な空気に囚われてしまいがちだが、そのわずか10年前にも文化的で豊かな暮らしが土地土地にはあったのだ。

定好の写真には、そんな穏やかな時代のなかで培われていった品のよいたたずまいがある。それは『この世界の片隅に』で、主人公のすずが見せる柔軟さやタフさにも通じるだろう。

大きな時代の流れのなか、写真家と街の切っても切れない関係は続く

本展を企画した島根県立美術館の主席学芸員、蔦谷典子によると、定好の作品展開においてもっとも強い軸になっているのは、次男・玲二の写真であるという。展覧会には、1926年11月24日に生まれたばかりの玲二を撮影した1枚と、27年3月3日夜に息を引き取った玲二を、その翌朝に撮影した1枚が並んで展示されている。

『玲二』1926(大正15)年 島根県立美術館蔵
『玲二』1926(大正15)年 島根県立美術館蔵

『玲二』1927(昭和2)年 島根県立美術館蔵
『玲二』1927(昭和2)年 島根県立美術館蔵

「子供を無くして見ないと、ほんとうに子供を無くした心持はわからない。子供を無くした私はいつか知らない間に宗教方面を研究し始めた」と記した定好は、その後、先ほど紹介した小坊主のシリーズに着手した。

人の人生は時代の大きな流れからは逃れられないが、個人の眼差しが向けれられた小さな場所や時間が、強いリアリティーと共感をもって後世の人々に訴えかけるものは絶対にある。定好は、そのことを教えてくれているようだ。

最後にその後の定好について補足しつつ、美術館で同時開催されている2つの展覧会『奈良原一高の愛したヴェネツィア』『森山大道の愛したパリ』との関連も記しておこう。時代を席巻した芸術写真の動向は、1930年代に日本に輸入された「新興写真」(絵画主義的な写真を批判する、ストレートで即物的な近代写真表現)の流行に押され、一気にその存在感を失っていった。

しかし、多くの人気写真家たちが、筆を折るように表舞台から退場するなか、定好はずっと山陰の地で写真を撮り続けた。常連投稿者として毎月のように雑誌に取り上げられる機会こそ失ったが、定好は常にカメラを通して、故郷と、自分の身の回りにいる人と向き合っていたのだ。彼の人生と写真と山陰は、最後まで途切れることはなかったのである。

『破船』1929(昭和4)年 個人蔵
『破船』1929(昭和4)年 個人蔵

奈良原一高と森山大道は、定好より多くの街と関わりを持ってきた写真家だが、今回紹介されているヴェネツィアとパリという街は、二人の写真家のなかでも特別な存在であるのは間違いない。軍艦島の写真からキャリアをスタートさせた奈良原は、浮島であるヴェネツィアに惹かれ、野良犬のような放浪に憧れ続ける森山は、パリの路地裏に約2年間のあいだ住み着いてしまった。今回同時開催されている、塩谷定好、奈良原一高、森山大道の3つの展覧会は、写真家と土地の逃れられない関係を浮き彫りにする機会でもあるのだ。

イベント情報

島根県立美術館『愛しきものへ 塩谷定好 1899-1988』

2017年3月6日(月)~5月8日(月)
会場:島根県 島根県立美術館
時間:10:00~日没後30分(入場は日没時刻まで)
休館日:火曜(3月7日、5月2日は開館)
料金:
企画展 一般1,000円 大学生600円 小中学生300円
企画・コレクション展セット券 一般1,150円 大学生700円 小中学生300円
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方と付添の方は無料

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