レビュー

他者やものと響き合った「わたし」のかたち

白坂ゆり
2012/02/17
他者やものと響き合った「わたし」のかたち

銀座セゾン劇場、西武美術館、ポスターを見て懐かしく思う人も、新鮮に思う人もいるだろう。2月25日まで開催中の企画展『田中一光ポスター1980-2002』では、戦後のグラフィックデザインを牽引し、2002年に急逝したデザイナー、田中一光の表現の豊かさに目を見張る。海外では「田中一光は何人いるのか」といわれ、自らも「私は『わたし』の形を持っていないのではないかと考えることがある」と語ったというほどその表現は多彩だ。

『田中一光ポスター1980-2002』 ©Ferragamo 1997
©Ferragamo 1997

生涯で922点にものぼるポスター作品のうち、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでは、2010年に1953年〜1979年までに制作された中から161点が紹介され、続いて今回は1980年〜2002年制作の150点が展示されている。浮世絵にも通じる日本の伝統的な平面性と、モンドリアンやアルバースなどに代表される西洋のモダニズムの手法の一つ、グリッド構造を融合した「Nihon Buyo」。日本の書と抽象表現が混ざったような「舞踏花伝」や「モリサワ・フォント」シリーズ。インクのしみのような流線型の不思議な形が現れた、サルバトール・フェラガモのポスター。また、「田中一光グラフィックアート植物園」では、切り紙の手法を生かし、器用なハサミ使いによる花と、苦手なカッターによる線を生かした貼り絵のような花の両方を生み出している。

だけど、「わたし」の形を持っていない、なんてとんでもない。生まれ持っての色彩センス、奈良県に生まれ、「興福寺の三重塔や北円堂は小学校時代の道草の場所だった」という生い立ち、やまと絵や琳派、ジャズ、演劇や古典芸能などにも造詣が深い。さまざまなクライアントや題材ありきのポスターでありながら、いや、そうした他者やものとどう響きあうか、関係性の作り方にも「その人」は現れる。いろいろな素養が溶け合ってできたひとつの身体から自然につくられる「流れ」のようなもの。

著書『デザインと行く』(白水Uブックス)の中ではこうも綴っている。「発想が湿り気を帯びて艶やかにきらめくのは、若いころである。この内的イメージが運良く時代やテーマと合致することもある。が、この本能的なヒラメキは、年を重ねるに従って薄れていく。そうなったときは、自分を真っ白にして相手の注文なりテーマなりに染まっていかなければならないのではないか。むろん、相手の核心をしっかりつかむだけの観察能力が大前提であるが。自分勝手にヒラメクよりも、まるで医者のように相手の注文と性格を診断した上で、的確な判断を下すのである」。

「デザインは作家性の主張ではない」という信条。例えば、すでにそこには、イッセイミヤケの服があり、『世界都市博覧会』というこれから行われるイベントがある。ポスターは、それが何かを伝え、受け手の感覚や感情や行動を喚起する、適切なコミュニケーションツールでなければならない。インタビュー映像の中では「2色刷りでも多色刷りにはできない面白さがあるし、必ずしも常にいい状態だからいいものができるとは限らない」と、「制約から生まれる発想」をポジティブに語っている。

『田中一光ポスター1980-2002』 ©TEN SEN MEN 1990
©TEN SEN MEN 1990

『富山県置県百年』『吉田五十八賞の歩み』のような、ポスターとしてはある種地味な題材も面白い。おそらくビジュアル要素や文字情報がちょうどいいようにはなく、どれかひとつを優先して扱えず、出演者や出品者の名前をずらっと並べなければならなかったのだろう。だが、もし街で見かけたら立ち止まるようなチャームポイントを持っている。

「デザインはもてなし」「アートディレクターは手配師にすぎない」と、裏方に徹する言葉は、個性とは何かを教えてくれる。80年代のバブル期には、奇抜なことをして意表を突こうとするもの、相手に媚びるものなど、たくさんのものが生まれては消えていった。現在の風潮はどうだろうか。

田中一光というデザイナーがこの世にいないことは残念だが、80年代以降に生まれた育った世代が、その遺伝子を受け継いで新しい花を咲かせるかもしれない。消費材財でもあるポスターがアーカイブされる意義はそこにもある。

イベント情報

DNPグラフィックデザイン・アーカイブ収蔵品展IV 没後10周年記念企画
『田中一光ポスター1980-2002』

2012年1月13日(金)〜2月25日(土)
会場:東京都 銀座 ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
時間:11:00〜19:00(土曜日18:00まで)
休館日:日曜、祝日
料金:無料

田中一光

1930年、奈良市内に生まれる。
1950年、京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)図案科を卒業。鐘淵紡績(現・カネボウ)意匠科のテキスタイルデザイナーを経て、産経新聞大阪本社事業部でグラフィックデザインに携わる。約5年にわたる産経新聞社時代に、美術家・吉原治良の薫陶を受け、早川良雄の作品に影響を受ける。
53年に日本宣伝美術会(日宣美)会員となり、59年には日宣美会員賞を受賞した。その間の57年に東京に居を移し、ライトパブリシティに入社。60年には日本デザインセンターの創立に参加した。63年、田中一光デザイン室を主宰。
65年に仲間とともに「グラフィックデザイン展<ペルソナ>」を開催、オランダで初の海外個展を開催するなど活躍。60年代には東京オリンピック(64年)、大阪万博(70年)などの大規模イベントに携わり、空間デザインなど仕事の幅を広げた。
75年、西武流通グループ(現・セゾングループ)のクリエイティブディレクターに就任。店舗の空間や環境デザイン、各種のマークやロゴ、商品パッケージ、劇場や美術館のアートディレクションなどを通じて、企業イメージ戦略をデザイン面から総合的に支えるとともに、クリエイターを統括して企業と社会を結ぶ役割を果たした。
日本のデザインを海外に紹介することにも尽力し、展覧会や出版物の企画やアートディレクションの仕事も数多い。国内においても、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)における各種の活動をはじめ、東京デザイナーズ・スペース、ギンザ・グラフィック・ギャラリー、ギャラリー・間など、クリエイターの発表や活動の場をつくることにも貢献した。
作品は早くから海外でも高い評価を受け、1994年に紫綬褒章を受章。同年、ニューヨーク・アートディレクターズクラブの殿堂入りを果たした。晩年には1997年度朝日賞、第1回亀倉雄策賞(99年)を受賞。
2000年に文化功労者、東京アートディレクターズクラブの名誉殿堂入りになるなど、2002年に急逝するまで日本のグラフィックデザイン界の中核を担った。

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