なぜSMAP・中居正広を論じるのはこんなにも難しいのか?

中居正広は、知れば知るほど正体がつかめなくなる

どれも実際に出ている本のタイトルだが、『なぜ、タモリさんは「人の懐」に入るのが上手いのか?』だとか、『明石家さんまの話し方はなぜ60分、人をひきつけて離さないのか』だとか、『イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点』だとか、著名人の言動から実用的なエッセンスを引っ張り出そうとする働きかけはおおむね疑わしい。彼らが、取扱説明書を順番に読んでいけば誰でも組み立てられるような、単純な構造をしているはずがない。とはいえ、明らかに目立つ立場で居続ける存在は、表面上そういった分かりやすさを見せつけてくるのも確かである。

社会学者である太田省一は、SMAP・中居正広を1冊丸ごと使って探求した『中居正広という生き方』の執筆動機を「見れば見るほど、聞けば聞くほど正体がつかめなくなるような不思議な感覚に襲われるから」だとしている。その感覚は、本1冊を通読した後でもさほど変わらない。読書家、ヤンキー性、MC力、ダンス、演技など、様々な着眼を投じながら中居正広の輪郭を捉えようとするが、その輪郭が冒頭で挙げた本の内容のように気持ちよく明示されることはないし、そこにこそ中居正広の特異性がある、と訴えかけてくる。これだけメディアに出続けている彼が、「○○な人」という端的な解説から逃れているのはとても不思議なことだ。しかし、周囲からの証言がそれぞれ異なるミステリーのように、角度によっていくらでも見え方が変わってくる存在は、考察しがいがある。

中居正広は、自分の冠番組でも自分を法規化しない

著者は、2011年、SMAPが何度かの延期を経て実現した北京公演における中居の振る舞いに注視する。豪雨が降ってしまいリハーサルを行うことができない中、メンバーはそれぞれ控え室で過ごしている。雑談を交わしながらライブの進行を再確認する五人、いや、四人。中居だけが少し離れたソファーで「衣装姿のまま一人本を読んでいる。タイトルは『青の炎』、著者は貴志祐介である」。この様子に「静謐と表現したくなるくらいの静けさを感じ」たという。

数多のテレビ番組でMCを務める中居を見かけるが、積極的でなければならない立場なのに、時折、どうにも晴れやかではない印象を受け取ることがある。それは、ただただぶっきらぼうというわけでもない。しかし、その場を最大化させる献身的な所作とは程遠いと感じさせる瞬間があるのだ。司会というのは文字通り番組全体を司る存在であるはずだが、中居の場合、進行は抜群に上手くとも、空気やテンションを丸ごと司ることはしない。通常、自分の名をかざした冠番組では、場の空気やテンションが「冠を背負っているあなたにお任せします」と委ねられているものだが、中居は自分の冠番組であっても自分を法規化してこない。

中居「くん」が維持される摩訶不思議

彼が「プロフェッショナルとは?」という設問に対して、「一流の素人」と答えていることを知って驚く。その場をプロとして統率しすぎないというスタンスが、彼の印象を多様なものにし、「中居くん」と「くん」付けで呼びたくなる親しみやすさを維持させる。これだけのトップアイドルでありながら、呼び捨てでも、ニックネームでもなく、「くん」づけが続く摩訶不思議。私服のダサさや歌の下手さといった、欠損した部分を特性に変えていくのも大きな特徴だが、著者は「『フツーの男の子』の“カッコわるさ”をあえて追求しているのではないかと思わせる」と分析している。

「その魅力が最も輝くのは、中居正広が誰かとペアでMCをするときである」との指摘に唸る。時折『めちゃイケ』で戯れ合うナインティナイン、『ワイドナショー』の松本人志や『ナカイの窓』で登場する山里亮太らとの掛け合いには、SMAPを統率するときとは違う、そして一人でMCを務めるときとも違う、楽しもうとする積極性を感じる。むしろ一人の司会業では「まわす」ことを意識しすぎて、その都度の感情が消えているのではないかと感じることも少なくない。「まわす」をより強く感じるのが、音楽番組『UTAGE!』だ。アシスタントにAKB48の渡辺麻友がいるものの、彼女は基本的に相槌を打っているだけなので、一人でトークを構築せねばならず、お仕事感が増してしまっている。

ペアでのMCと言えば、とんねるずの石橋貴明と組んだ音楽番組『うたばん』を思い出す。モーニング娘。の保田圭やEvery Little Thingのギタリスト伊藤一朗など、地味なキャラクターを引っ張り出して弄ぶことでその存在を抜群に光らせる石橋貴明の荒療治が機能していた『うたばん』。この番組でコンビを組んでいた中居正広は、石橋の悪巧みに便乗するか、ミュージシャン側の困惑に寄りそうか、その場その場で敵になるか味方になるかを選んでいた。この番組が最も、番組を司る役割を果たしていたかもしれない。

中居の安定感は簡単に語ることなどできない

本書内からの引用になるが、昨年11月の『ワイドナショー』で坂上忍と杉田かおるが、セリフがあると大丈夫だが、アドリブになると素が出てしまいそう、としたのに対して、中居は「芝居やるほうが素にならないとできない感じがあります」「司会とかやってるほうが何か演じてる感じもします」と答えている。テクニックでこなせるのはむしろ後者であるというのは、「泣くとか怒るとか素でやらないと役者さんのパワーや技術に追いついていけない感じがする」という謙遜からきているようだが、普段バラエティー番組で見かける「演じていない素の中居正広」が押し並べて「演じている中居正広」ならば、ますますつかまえるのが難儀になる。

著名人の言動を考察した本は、ビジネスや対人コミュニケーションにも応用できそうな生き方論を語るか、あるいはその姿をマニアックに浮き彫りにさせるか、そのいずれかになることが多い。しかし、この本は、そのどちらでもなく、中居正広という対象が、いかにつかみどころがないほどの奥行きを持つかを伝えてくる。彼の安定感は簡単に語ることなどできない。考察をいくら積み重ねても見えてこない難しさに、「中居正広という生き方」が滲み出ている。

書籍情報
『中居正広という生き方』

2015年7月29日(水)発売
著者:太田省一
価格:1,512円(税込)
発行:青弓社

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。



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