レビュー

宇多田ヒカルは本当に時代と関係なく生きてきた?『初恋』を考察

宇野維正
編集:佐伯享介
宇多田ヒカルは本当に時代と関係なく生きてきた?『初恋』を考察

「驚き」を生む宇多田ヒカルの新作『初恋』。自身以外のコーラスを大々的に援用した楽曲

宇多田ヒカルの7枚目のオリジナルアルバム『初恋』は、これまでの宇多田ヒカルのディコグラフィーの中では極めて異色の作品だ。もしこれを機に今後の宇多田ヒカルの作風が変わっていくのだとしたら、本作はそのターニングポイントということになる。アルバムがリリースされてから1か月近く経つにもかかわらず、(もちろんすべてのレビューに目を通しているわけではないが)あまりそのような指摘がされていないのが気になっていたところに今回の原稿依頼が来たので、まずはそのことについて明らかにしていきたい。

最初の驚きはアルバムの1曲目“Play A Love Song”からやってくる。前作『Fantôme』の1曲目“道”同様、四つ打ちのビートと、ピアノが主導するアップリフティングな旋律が印象的なアルバムのオープニングソングだが、今回の“Play A Love Song”では大所帯(8人)の女性コーラス隊によるバックボーカルが、コーラスのパートだけでなく、ヴァースの合間にも、まるで宇多田ヒカルのボーカルと掛け合いを繰り広げるように頻繁に入ってくる。これはゴスペルにおける聖歌隊の役割を倣ったもので、その音楽的意図は明確だが、結果的に「宇多田ヒカル」名義の作品において、シンガーやラッパーの客演があった楽曲以外で宇多田ヒカル以外の声が聴こえてくる、“Goodbye Happiness”以来となる2つめの楽曲となった。

宇多田ヒカル『初恋』ジャケット
宇多田ヒカル『初恋』ジャケット(Amazonで見る

「生音」から「生演奏」への変化。しかし密室性は不変

驚きはコーラスだけじゃない。同じような趣向を持つ“道”と比べても、明らかに立体的で肉体的な感触のリズムが鳴っている“Play A Love Song”には、パーカッションとアディショナルドラムにクリス・デイヴが、シンセベースにジョディ・ミリナーが参加している。そして、よりサウンド全体の中での生音比率が上がっていく2曲目“あなた”以降の楽曲においても、その両者か、ドラムではクリス・デイヴに代わってシルヴェスター・アール・ハーヴィンがほとんどの曲のレコーディングに参加。そのほか、ルーベン・ジェームズ(ピアノ)、サイモン・ホール(指揮、ストリングスアレンジ、ピアノ、アナログシンセほか)ら錚々たるミュージシャンが作品をバックアップしている。

エンジニアを務めているスティーヴ・フィッツモーリスのコネクションだろう。スティーヴ・フィッツモーリスが近年手がけているサム・スミス作品の参加ミュージシャンたちに、ディアンジェロやアデルなどとの共演でも知られる世界屈指の天才ドラマー、クリス・デイヴが加わったという大まかな認識で間違いはない。

これまでの宇多田ヒカルの作品にも数多くの有名ミュージシャンが参加してきたし、スティーヴ・フィッツモーリスが参加するようになった前作『Fantôme』と重なるミュージシャンも多い。ただ、『Fantôme』までは宇多田ヒカルが描いた精密な設計図に従って、名うてのミュージシャンたちが忠実に音の肉づけをしている印象が強かったが、今作『初恋』では(あくまでも部分的にだが)ミュージシャンに音を委ねているように聴こえる。つまり、これまでの宇多田ヒカルの作品から聴こえてくる「生音」があくまでも「生音」だったのに対して、今作『初恋』からは「生演奏」が聴こえてくるのだ。これは、「宇多田ヒカルの音楽史」的にはあまりにも画期的なことだ。

これまで聴こえてこなかった「コーラス」や「生演奏」が宇多田ヒカルの歌声と一緒に聴こえてくることで、宇多田ヒカルの音楽が何を新たに手に入れて、何を失ったか。それはリスナーが個々に発見すべきものだろうが、不思議なのは、宇多田ヒカル作品特有の密室感は本作においても不変であることだ。普通に考えたら音楽的に他者に委ねる部分が増えれば、それだけ作品の有機性や偶然性も増し、風通しも良くなりそうなものだが、2018年の世界や時代との接点の多さという点では、前作『Fantôme』と比べても今作『初恋』は後退しているように自分は感じた。

「時代と関係のないところで生きてきたのでわかりません」。孤高の才能と、日本音楽ビジネスの功罪

「今をどのような時代であると思いますか?」「時代と関係のないところで生きてきたのでわかりません」。「その中で、音楽はどのような役割を担っていると思いますか?」「音楽に責任はありません」。アルバム『初恋』のリリースに先駆けて公開された、タワーレコードの宣伝ポスター。そのコピーとなっていた上記の問答はソーシャルメディア上でも拡散されて、宇多田ヒカルの孤高のポジションを自身が言語化した発言として、ほぼ賞賛一色の大きなリアクションを集めていた。

意見広告シリーズ「NO MUSIC, NO LIFE!」ビジュアル
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しかし、本当に宇多田ヒカルは時代と関係のないところで生きてきたのだろうか? 2010年から2016年にかけての休業期間は別としても、1998年12月にデビューして以来、時代ごと、アルバムごと、楽曲ごとの濃淡はあるものの、宇多田ヒカルの音楽も他の同時代の「流行歌」と同様にこれまで時代を強く反映してきたはずだ。それは「結果的に反映したものとして受け止められてきた」部分も大きいのかもしれないが、「結果的に反映したものとして受け止められてきた」ことの蓄積こそが、そのアーティストの持つ時代性なのではないだろうか。そこを見て見ぬふりをしてしまったら、それはもはやポップミュージックではないし、ポップカルチャーではない。

宇多田ヒカルの音楽のポップミュージック性、ポップカルチャー性を担保してきたものの一つは、今も昔も一つのアルバムがリリースされる前から1年以上、場合によっては数年もの期間を股にかけてその都度仕掛けられてきたタイアップソングという日本の音楽ビジネス特有のシステムだ。いまだにCDの一種販売を続けていること。ようやく過去音源はストリーミングサービスに提供するようになったものの、新しい音源に関しては頑なにネット上ではダウンロード販売のみであること。宇多田ヒカルのビジネスモデルにおいてはそのような良く言えば伝統的な、悪く言えば旧態依然とした「売り方」も注目されがちだが、自分がより興味深く眺めているのは、広告、映画、ドラマと、あたかもまだ1990年代が続いているかのように繰り出されているタイアップの数々だ。

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リリース情報

宇多田ヒカル
『初恋』(CD)

2018年6月27日(水)発売
価格:3,240円(税込)
ESCL-5076︎

1. Play A Love Song
2. あなた
3. 初恋
4. 誓い
5. Forevermore
6. Too Proud featuring Jevon
7. Good Night
8. パクチーの唄
9. 残り香
10. 大空で抱きしめて
11. 夕凪
12. 嫉妬されるべき人生

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