『燃ゆる女の肖像』評 視線の交差で溶け出す関係、心を燃やす炎

※本記事は『燃ゆる女の肖像』の内容に関する記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。

画家の視線に込められた記憶を映す。鑑賞者に背を向けた「燃ゆる女」の肖像

暗闇の中、一人の女が佇んでいる。彼女はこちらを振り向きはしない。世界の広大さに一人で向き合っているかのような、孤独な背中である。今夜の空には満月が昇り、清涼な光で女を照らす――だが、女の影は、月光の進路とは反対側に伸びている。女のスカートの裾に、あかあかと火が燃えているからだ。遠い月よりもはるかに強い光で、炎は女を照らし出していた。

スカートは風になびき、炎は燃えている。急いで消さねば、すぐに燃え広がり、炎は女の心臓まで焼き尽くしてしまうだろう。だが、女は奇妙なほど静かである。心臓まで燃える想像は、女にどこかで期待を抱かせているのかもしれない――全てが燃えたら、どうなってしまうのか?

冴え冴えと冷えた暗闇の中で、女はその答えを知らない。

これは一枚の絵だ。タイトルは『燃ゆる女の肖像』。おおよそ「肖像画」という言葉から想像されるような絵――モナリザのように正面に顔を向け、鑑賞者を見つめて微笑む人物のポートレイト――とは全くかけ離れた作品だ。そもそも「燃ゆる女」は鑑賞者に背を向けているから、彼女と鑑賞者の視線が交錯することはない。

しかしそれでいいのだ。大事なのは、鑑賞者と「燃ゆる女」の関係ではない。この絵と同じ名前の映画、『燃ゆる女の肖像』は、遠くから彼女の背を見つめるもう一つの視線――画家の視線に込められた記憶を、丁寧に映し出す作品である。

『燃ゆる女の肖像』 ©Lilies Films.

舞台は一八世紀のフランス、ブルターニュ地方。荒波の中に浮かぶとある孤島に、主人公の画家・マリアンヌは、真っ白なキャンバスを抱えてやってきた。この島に住む伯爵夫人から、肖像画の依頼を受けたためである。モデルは伯爵夫人ではない。その次女、エロイーズだ。

「娘はミラノの男性と結婚させる」。伯爵夫人はそう話す。「ミラノの男性」とエロイーズは会ったことすらないが、すでに結婚は決定事項である。本来この男に嫁ぐはずだったのはエロイーズの姉であったが、彼女は結婚を拒み、崖から身を投げて自死してしまった。この男に向けて、エロイーズは顔見せをしなければならない――マリアンヌが描く肖像画を通じて。

『燃ゆる女の肖像』 ©Lilies Films.

男性の名前を使わねば作品の発表もままならなかったこの時代、「女性画家」であるマリアンヌにわざわざ依頼が回ってきた理由が、ここにある。エロイーズは姉同様、結婚を拒否しているらしいのだ。以前男性の画家がマリアンヌと同じ依頼を受けてこの島へやってきたが、エロイーズは激しく警戒し、決して顔を見せようとしなかった。女性であるマリアンヌならば、画家ではなくエロイーズの散歩相手として接近し、その姿を肖像画に描き起こすことができるだろう……。そう考えた伯爵夫人は、マリアンヌに肖像画の作成を依頼したのである。

『燃ゆる女の肖像』 ©Lilies Films.

視線の交錯によって溶け出す関係。二人の火が燃え始める

一八世紀――いや今だってそうだし、それ以前だってずっとそうだったが――の「女」たちは、絶えず一方的な視線の中にいた。「女」「娘」「花嫁」、その視線の前に出たとき、人は記号に成り果ててしまう。見られているのは人としての在り方ではなく、いつだって記号に必要なステータスだけだ。顔はいいか、出自はいいか、健康か、家政ができるか。もっと直接的に言うなら、「妻」「母」としての資格を、値踏みされている。足りないならいらない。選ぶのはいつも「見る」者の側だ。

エロイーズはまさに、望まぬ視線の只中にいる。エロイーズの肖像を待つミラノの男。娘に結婚を強いる母。そして、そこに加担してしまったマリアンヌ。マリアンヌとの関係にわずかな期待を寄せ始めていたエロイーズは、だからこそマリアンヌがエロイーズを盗み見て完成させた肖像画を強く拒絶した。これは私ではありません。記号として扱われ続けてきたエロイーズは、一度だってマリアンヌの前で見せたことのないポーズで、一度だってマリアンヌの前で見せたことのない表情で、架空の自分を描かれることに耐えられなかったのだ。そんなことをするぐらいなら、対等な視線で、暴きあって欲しかった。

『燃ゆる女の肖像』 ©Lilies Films.

エロイーズはマリアンヌを島から追い出すのではなく、肖像画の描き直しを要求し、今度は自分がモデルになると申し出た。椅子に腰掛け、画家の前にやってきたエロイーズは、自分を見つめるマリアンヌを、まっすぐに見つめ返す。「画家」と「お嬢様」という関係は、視線の交錯によって溶け出した。肖像画の描き直しに与えられた猶予は五日間。伯爵夫人が本土へ出かけ、帰ってくるまでのわずかな期間である。それはとても短い。しかし、火はすでに燃えている。二人の心臓が、焼けつくように高鳴る。

この関係が永遠ではないと知っている。それでも決して「儚い」とは形容したくない

この五日間の様子が、それはもう、愛おしい。絵を描くだけではない、ただ視線で暴きあった生身の人間としてのコミュニケーションが、そこにはふんだんに描かれている。エロイーズ、マリアンヌ、そして召使いのソフィは、三人でワインを飲み、カード遊びに興じ、ギリシャ神話の一つ、オルフェウスの物語を解釈して楽しむ。そしてエロイーズとマリアンヌは、望まぬ妊娠をしてしまったソフィの堕胎を手伝う過程で、次第に自分の心臓を燃やす火を無視できなくなっていった。気がついたときには、唇が触れあっていた。どちらからともなく服を脱がせあい、肌を寄せていた……。二人は理解している。互いがどれほど互いを愛しているか。そして今二人で作り上げている肖像画が、何のためにあるのか。この関係性が永遠ではないのだと知っていて、それでももう、情熱を止めることはできなかったのだ。

『燃ゆる女の肖像』 ©Lilies Films.

短いランデブーがどのような終わりを迎えるのか、ここでは語らないでおこう。ただ、あの島で交わった視線のこと、二人が間違いなく愛し合っていたことを、「儚い」とは絶対に形容したくない。あんなに強くて熱い炎が、死ぬまで魂に残ったはずのあの火が、そうも弱いわけがない。魂に火を抱かずに死ぬ人の方が、世の中にはよほど多いはずではないか。二人に終わりが来ること自体は、あまりにも苦しく、むごく、悲しいことだが、それでもたぐいまれな火は、その後の二人の人生を温め続けた。それが何の慰めになろうか、と言いたくなるような時代の物語ではある。だが、それでも、その火はこの上なく尊い。それだけは絶対に、間違っていない。

『燃ゆる女の肖像』 ©Lilies Films.

女性の目、クィアの目で、歴史を語り直すこと。時代もののレズビアン映画としての意義

最後に重要なことを書き添えておかねばならない。一八世紀という女性・クィアにとって間違いなく受難の時代であった時期を舞台に、こうも見事なレズビアン映画が作られたという事実を、大きく祝福したいのである。

古い時代の史料から、同性同士の愛のしるしを見出す行為は、あらゆる意味で困難であり、それゆえに歴史の教科書のほとんどは、異性愛規範の内側に身を置いた者たちによって占有されている(ように可視化される)。だからこそ、フィクションの力が必要なのだ。あらゆる時代のあらゆる場所を、女性の目で、クィアの目で、語りなおす物語が、そこにいたかもしれないたくさんの他者の存在を、われらに想像させる。『燃ゆる女の肖像』もまた、誰かにとっては、自分に近い立場に置かれた者たちの姿に歴史的系譜を感じ、勇気が湧いてくるような作品となるだろうし、また別の誰かにとっては、考えたこともない不自由な場所に生きた人たちの姿に、新たな視界を開く契機を得る作品になるだろう。

迷っているなら、見た方がいい。燃ゆる女たちは、あなたのことも見つめようとしている。あなたが女たちを見つめ返すとき、きっとその火は、あなたにも燃え移る。

『燃ゆる女の肖像』予告編

作品情報
『燃ゆる女の肖像』

2020年12月4日(金)からTOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国で順次公開

監督・脚本:セリーヌ・シアマ
出演:
アデル・エネル
ノエミ・メルラン
上映時間:122分
配給:ギャガ



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