「人間らしさ」すら変わるかも。未来を示唆する芸術×科学最前線

風光明媚な太平洋の海浜部と豊かな山に囲まれ、古くから日本の経済と近代化を支えてきた茨城県北地域。科学や先端技術とも深い関わりのあるこのエリアで9月17日から11月20日まで、『KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭』が初開催される。芸術祭ラッシュといえるほどに多種多様な芸術祭が開催される2016年秋、『KENPOKU ART』では、広大な自然を舞台に、国内外約80組のアーティストがアートと科学・技術の実験を行ない、最先端の表現を鑑賞できる場となる。

本芸術祭で総合ディレクターを務める南條史生、そして、最新のテクノロジーを使用したアート作品を発表と研究を行ない、「現代の魔法使い」とも称される落合陽一の二人に、今回の芸術祭の魅力、テクノロジーとアートの関係、そして、未来の都市や人のあり方について話を聞いた。

テクノロジーを使っているとアートじゃないってたまに言われます。現代美術から嫌われてるんです、僕(笑)。(落合)

―落合さんは、今回の『KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭』(以下、『KENPOKU』)でどのような作品を出品されるのでしょうか?

落合:シャボン玉の皮膜に蝶々の姿を映し出す『コロイドディスプレイ』や、飛翔するシャボン玉を単光源で照らす『モナドロジー』、新作の『幽体の囁き』など数点を展示します。いろいろな制約により美術館では展示できない作品を今回は出品するので、ぜひ見てほしいですね。会場となる廃校の雰囲気もとても素晴らしいので。

落合陽一『コロイドディスプレイ』(2012 / 2016)
落合陽一『コロイドディスプレイ』(2012 / 2016)

―『KENPOKU』では、落合さんのように芸術祭に初参加するアーティストが多いのも特徴的です。

南條:国内の芸術祭に過去2年間のあいだに参加した人は選考からなるべく外すようにしました。あとは、「この場所にこの作品を置くといいだろう」の発想で、その場に合わせたサイトスペシフィックな作品を作るアーティストを選んでいます。

南條史生
南條史生

―それは、南條さんが以前アーティスティック・ディレクターを務められた『横浜トリエンナーレ』など、従来の芸術祭とは異なりますね。

南條:2001年の『横浜トリエンナーレ』は、「国際的な現代美術を日本で紹介したい」という段階だった。だから現代美術の有名な人を連れてきて、ひとつの会場でずらっと本物を見せましょうと。

―美術館で開催する展覧会の延長線上にあるものですね。

南條:今は地方でいろいろな芸術祭が行なわれてきて、2008年頃の発想からはかなり隔たっていると思う。具体的には、ひとつの大きな展覧会ではなく、現地の建物や場所を使って、地域の各所に作品を分散させるイメージに変化してきています。だから知名度ではなく、ユニークなことのできるアーティストを紹介したかったんです。

―落合さんを出品作家の一人として選ばれたのも、そういった理由だったのでしょうか? 芸術祭のキービジュアルにも落合さんの『コロイドディスプレイ』が使用されています。

南條:そう。これまでの現代美術業界では、テクノロジーを使ったアートは特殊にとらえられて、脇に置いて箱に入れるみたいな扱われ方をしていた。

落合:テクノロジーを使っているとアートじゃないってたまに言われます。現代美術から嫌われてるんです、僕(笑)。真新しいテクノロジーに目がいってる間は芸術ではないというような考え方、テクノロジー自体を更新することを芸術に含ませないような「冷めた見方」ってあるじゃないですか。そこの人にいろいろ言われることは多かったですね。

落合陽一
落合陽一

南條:でも、これからのアートの新しい道はどこにあるかっていうと、新しい技術や科学、あとは異国の文化だと思うんです。だから、先進的な技術を積極的に取り入れる落合さんの作品はキービジュアルにぴったりだった。

テクノロジー側にはもう、ある程度無駄なことをやるぐらいの余裕がある。だから人間性や心のためにそれらを使ってもいいんじゃないか。(落合)

―ここで少し落合さんとアートの関わりをお伺いしてみたいのですが、落合さんはなぜ、最新のテクノロジーを使うことによって、あえてアート作品を制作されるのでしょうか?

落合:あえて、ってことじゃないなぁ。僕の活動はそもそも渾然一体で、「使ってる」というか、テクノロジーを「作りながら」人間性を探求しているんですけどね、工学部の大学教員だし。でもこれ、実はそんなに難しい話じゃなくて。まずテクノロジーによって、もうこれ以上、現代社会は便利な方向にいかなくてもいいんじゃないかっていうくらいに、ある程度の水準までは今便利になったと思うんですよ。なので、利便性や生活の変化以外でのテクノロジーの利用方法があり得ると思うんです。つまりそういった美やメディアに関する探求活動を許容できるようになった。

―そうですね。

落合:それをなんと呼ぶかというと多分「アート」なんです。コンテンツのみならず、メディアを探求するアート。テクノロジーによって、新しい現象や本当にきれいなものを生み出して、これまでの見方が変わってしまうようなものを作りたい。インターネットとハードウェアのコモディティ化のおかげで、今、テクノロジー側にはある程度無駄なことをやるぐらいの余裕があるので、人間性や心のためにそれらを使ってもいいんじゃないかなって。

南條:一方でアートの世界では度々「絵画は終わった」と言われてきました。2次元の平面を壊すために表面に何かをくっつけるコラージュ、シェイプドキャンバス(従来の矩形でないキャンバス。1960年にフランク・ステラが個展で用いて広く知られるようになった)、表面を切る、絵画を立体化する試みなど、あらゆることが行なわれてきた。今後は新しい展開を求めて、科学技術の方向に向かうと思う。実際に今は、テクノロジーを使用した作品がだんだんと売れるようにさえ、なってきてるんですよね。

―「メディアアート作品は売れない」というひとつの定説が覆されているんですね。

南條:美術館ならまだしも、個人が購入する時代になっている。

落合:メディアアートはアートか? とかアートの定義は? っていう議論は手を動かさない評論家の暇つぶしになってしまった。先日までお台場で開催されていた『DMM.プラネッツ Art by teamLab』の人気が象徴的だと思うんですけど、今年は多分、テクノロジーとアートというのは不可分だっていうのを認めないといけない転換点になるかもしれないですね。

南條:そうですね。今回の『KENPOKU』では、そうしたテクノロジーを使用した作品と場所がすごくハマっている。茨城県内ではこれまで『科学万博−つくば'85』も開催されて、研究施設もたくさんあるし、日立周辺の発展は明治以後の日本の近代化を支えてきた。そこで科学技術を使ったアートを展示するっていうのはすごく自然な状態だと思います。

現代人って、身体を動かしたがっているんだと思いますよ。(落合)

―今回の芸術祭は、茨城県北地域6市町の約1652平方キロメートルにおよぶ広大なエリアの各所で作品を鑑賞するというスケールの大きさがユニークです。

落合:そうそう、すごくいいですよ、まさに芸術散歩。普通、芸術散歩って言われると、500メートルごとくらいに作品があるイメージがありませんか?

―はい。そうですね。歩いていると不意に目に留まるというような……。

落合:それが今回は5キロおきくらい、いやもっとまばらにしか作品がない。それが結構良くて(笑)。ある場所には海、一方では山、と、まったく違う環境で作品を見ていくというのはすごく面白くて、今のムードに合っていると思います。

南條:今の人たちって、そうやって移動しながら作品を見るのが好きだよね。

落合:現代人って、身体を動かしたがっているんだと思いますよ。映像的身体性の裏返しかなぁ、「みんなで楽しく動こうよ」みたいな感じで。しかも、ガイドブックを見ながら滝を見て、アートを見て、また滝とか見ていると「あ~、滝っていいな~」ってしみじみ思いますもん(笑)。ちょっと不思議な体験なんですよね。

南條:奥久慈にある「袋田の滝」は、日本三名瀑のひとつらしいね。

落合:滝に行って、温泉行って、作品を見るみたいな。この感じはむちゃくちゃ面白いですよ。このツアー感を一部の美術クラスタの人は怒るかもしれないけど、でも鑑賞の仕方としては、心を縛るものがなくてよいなと思います。

日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」
日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」

今は、千利休型のインスタレーションアートと、いわば江戸時代の浮世絵型の、大衆でも買えるアートの二極化になっている。(南條)

南條:その話で思い出した。このあいだ、とあるお茶の先生の講演会を聞きに行く機会があったのですが、千利休って、今でいうインスタレーションアーティストだと思ったんですよ。利休と豊臣秀吉の有名なエピソードがありますよね。利休の家に、当時は珍しい朝顔が咲いていて、それを秀吉が見に訪れた話。

―庭の朝顔はすべて刈り取られていて、がっかりした秀吉が茶室の中に足を踏み入れると、そこに一輪だけ朝顔が生けられていたという。

南條:そう。利休は、秀吉が茶室に入る前に朝顔を見てしまったら、風情が台無しになることを知っていたんですよ。細い露地(茶室に付随する庭)を通って、気持ちをセットアップして、茶室に入る。それでこそ朝顔の存在が活きるんですね。

南條史生

落合:体験のデザインですね。

南條:まさに。それで今は、芸術祭やアートツーリズムに代表される利休型のインスタレーションアートと、さっき話に挙がったチームラボのような、いわば江戸時代の浮世絵型の、大衆でも買えるアートの二極化になっていると思う。今の我々は浮世絵を買うかわりにチケットを買っているみたいな状態なんですよね。

チームラボ『小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々』(2016)
チームラボ『小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々』(2016)

落合:その感じは、とても日本文化的と言えるかもしれないですね。

南條:トリエンナーレとビエンナーレもいつの間にか欧米のスタイルと違う、日本型のトリエンナーレやビエンナーレが生まれているんじゃないかと思う。さらに言うならば、現代美術そのものも欧米とは異質で日本化しつつあるんじゃないかっていう気がちょっとするんですよね。

落合:本当にそうで、『KENPOKU』のガイドブックは今回の芸術祭における必読書、いやサバイバルブックだと思うんですけど、この本は超日本型ですよ。だって真ん中におすすめの美味しいお店とか温泉とか観光名所を巡るオススメツアーが掲載されていて、今の日本型トリエンナーレの象徴といっても過言じゃないと思う。これ、欧米ではありえないですよね。

南條:欧米だと、キュレーターが怒り狂うかもね(笑)。きっと日本では、現代美術のためだけに芸術祭をやっているわけじゃないっていう認識がみんなの中にあるんだと思う。19世紀初頭のフランスの標語に「芸術のための芸術(Art for Art's Sake)」っていう言葉があるんだけど、日本の芸術祭は地元のため、経済のため、ツーリズムのためにとか、より広い人々のためにやっているという意識があるかもしれない。

落合:そうですね。「ツーリズム型のインスタレーション」という本義から考えると、今回の芸術祭は正しいスタンスだと思います。というのも、自分の作品を最適な場所に設置したいという欲求はアーティストならだれしも持っているもの。たとえば、夕闇の海原の前にひとつポツンと置きたいとか。その、アーティストが考える本来作品があるべき場所に、鑑賞者が能動的に訪れるというのは、インスタレーション作品を見る上での醍醐味のひとつだと思うんですよね。

―美術館のホワイトキューブとはまったく異なりますね。

落合:そういう意味でも、今回の『KENPOKU』はかなりいい感じですね。作品を置く場所が多種多様で全体的に贅沢なんです。そこに行かないと見られないっていう感じは、集約型の美術館とはちょっと違う。時間が自分で流れる。

南條:茨城の自然の豊かさは、かつて岡倉天心や横山大観が居を定め、その景観をモチーフとしていたことからもわかりますよね。

太平洋に臨む六角堂。岡倉天心は太平洋に臨む景勝地を好み、六角堂や邸宅を新築して活動の拠点とした
太平洋に臨む六角堂。岡倉天心は太平洋に臨む景勝地を好み、六角堂や邸宅を新築して活動の拠点とした

落合:場所自体が、構成要素となる作品を求めている気がしたんです。「場所が呼んでる」みたいな。それって、作品にとってはすごく重要な要素だと思う。そしてそこに行って鑑賞することはインスタレーションの醍醐味だと思います。

人間は機械っぽく、機械は人間のようになってきている。「人間らしさ」「自分らしさ」の定義というのはどんどん変容していくと思います。(落合)

―落合さんの活動テーマの一環に、人とコンピューター、デジタルとアナログの境界が消える世界の新たな自然観「デジタルネイチャー」があります。これは、今回の芸術祭のコンセプトのひとつである「自然と科学技術の交わり」に近いように思います。

落合:そうですね。僕は筑波大学で「デジタルネイチャー研究室」を主宰していて、コンピューター登場以降のインターフェイスや表現を再定義しようとしています。「デジタルネイチャー」はそのうち「ネイチャー」になると思いながら。

―「デジタルネイチャー」自体が、あたりまえで自然なものになると。

落合:そう、今はその前段階。人間性にもきっと同様のことが言えて、僕たちはまだ18~19世紀の産業革命の人間性を持っているんですよ。「機械に対して人間」っていう。だから、人は機械と違って考えないといけないし、全人間性を通じて個性的でなくてはならないという感覚を持っている。でも、今の情報化社会、あらゆるものがプラットフォーム化する社会にとってそれはおかしい。だんだん人間も機械の一部であるかのように社会が変化してきているし、人間は機械っぽく、機械は人間のようになってきていて、その状態が面白い。「人間らしさ」「自分らしさ」の定義というのはこれからどんどん変容していくと思います。

落合陽一

―人間の変化に伴い、都市のあり方も変わってくるかもしれないですね。

落合:都市はもっと柔らかくなると思いますよ。形状の観点からいうと、従来的な大量生産型の構造では、直線的で硬いものしか作れない。でも、今後は3Dプリンターなどの情報技術がそれらの生産をサポートするので、柔らかな形状の大量生産が可能になり、あらゆるものがオーダーメイドできる世界になる。東京の建物はすでに、その予兆があると思います。

南條:人工で作った蜘蛛の糸のような軽くて強靭な素材で、非常に軽量なビルを建てられるという話もあるらしい。そうすると都市自体を空中に浮かせられる可能性も出てくると。テクノロジーにおいて素材開発というのはすごく重要で、素材が世の中を変えるんですよね。

―まるでSF映画のようですね。

落合:要は、人間の居住もプラットフォーム化しうるんですよね。Facebookのインターフェイスのように、ベースはみんな一緒なんだけど、その上の多様性は全然違うみたいな。

南條:今の話で、日本の建築界で1960年代に生まれたメタボリズム運動を思い出しました。それは新陳代謝する都市って意味で、都市を生命体のように考えている。

落合:黒川紀章さんの建築なんて、もう最高ですよね。

南條:都市が四角いコンクリートの箱である時代が終わるだろうね。落合さんが言っているように、パーツ一つひとつをコンピューターで異なる形に作ることができるし。

既知の現実が突如として変わってしまう感覚と可能性。これが、科学・技術とアートの融合にはあると思うんです。(南條)

―現在よりもさらに多様性や柔軟性が増す未来の計り知れなさを感じるんですけど、そうした上での「人間性」はどのようになっていくのでしょうか?

南條:人間の性質はどんどん変わっていくと思いますよ。さっき落合さんが言っていたように、テクノロジーは人間化し、人間もテクノロジー化するってところもあるかもしれないけれど、結局最後にみんな遺伝子をいじるようになる。そこから決定的に、人間の性質は変わっていくと思う。

落合:それは絶対にそうですね。

南條:それに、人間のいちばんコアなところにもともとデジタル入っているような感じもするしね。

落合:超デジタルですよ。DNAには4種類の塩基しかないですし、4種類の塩基で2ビットですからね。バイオテクノロジーというのも、遺伝子をどうプログラミングするかということですから。

南條:どちらにしても、人間は今の人間じゃなくなっていくでしょうね。

BCL『Oubiopo』(2015)「デジタル・ショック」アンスティチュ・フランセ東京Photo: Yuki Yoshioka / 『KENPOKU』では、「DNA折り紙」を和紙に入れ込んだ『折り紙ミューテーション』を展示予定
BCL『Oubiopo』(2015)「デジタル・ショック」アンスティチュ・フランセ東京Photo: Yuki Yoshioka / 『KENPOKU』では、「DNA折り紙」を和紙に入れ込んだ『折り紙ミューテーション』を展示予定

―今回の芸術祭では、そうしたバイオテクノロジーやDNAを扱うアーティストの作品なども出品されますね。

南條:そう、科学、DNA、バイオテクノロジーまで範囲を広げるとさらに作品がバラエティーに富み、面白くなってくる。最近、ハッブル望遠鏡のレンズを磨き直すことで新しい星を発見したという嘘のような本当の話があった。こんなふうに、既知の現実が突如として変わってしまう感覚と可能性。これが、科学・技術とアートの融合にはあると思うんです。

イベント情報
『KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭』

2016年9月17日(土)~11月20日(日)
会場:茨城県 日立市、高萩市、北茨城市、常陸太田市、常陸大宮市、大子町内の各会場

プロフィール
南條史生 (なんじょう ふみお)

1949年東京都生まれ。1972年慶應義塾大学経済学部、1976年文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。国際交流基金、森美術館副館長などを経て2006年11月より森美術館館長を務める。1997年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー、1998年台北ビエンナーレ コミッショナー、ターナー賞(英国)審査委員、2000年シドニー・ビエンナーレ国際選考委員、ハノーバー国際博覧会日本館展示専門家、2001年横浜トリエンナーレ2001アーティスティック・ディレクター、2002年サンパウロ・ビエンナーレ東京部門キュレーター、2005年ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞国別展示審査員、2006年及び2008年シンガポールビエンナーレ アーティスティック・ディレクター等を歴任。2007年、これまでの美術を通じた国際交流の功績に対し外務大臣表彰を受賞。

落合陽一 (おちあい よういち)

1987年東京都生まれ。メディアアーティスト、博士(学際情報学)。2015年東京大学大学院博士課程を短縮修了して現職。筑波大学助教・デジタルネイチャー研究室主宰、VRC理事、社団未踏理事。映像と物質の境界線を探求しメディアアート表現を行う一方、マテリアルリサーチ、ディスプレイ、ロボティクス、ヒューマンコンピュテーションを融合させた世界観であるデジタルネイチャーに向かい研究を続ける。2015年、World Technology Networkより「World Technology Award」を受賞、2016年、Ars Electronica より「Prix Ars Electronica Honorary Mention」、EUより「Starts Prize」を受賞。情報処理推進機構よりスーパークリエータ/天才プログラマー認定を受けるなど受賞歴多数。講演活動や研究のアウトリーチ活動に加え、企業・アーティストとのコラボレーション作品を発表し、国内外で注目を集めている。芸術祭では常陸大宮市・旧美和中学校で《コロイドディスプレイ》を含む複数の作品を展示。



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