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冨田勲の追悼対談 宇川直宏×松山晋也が振り返るその偉大な功績

冨田勲の追悼対談 宇川直宏×松山晋也が振り返るその偉大な功績

冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』
インタビュー・テキスト
柴那典
撮影:高見知香 編集:山元翔一

11月にBunkamura オーチャードホールにて『冨田勲 追悼特別公演 冨田勲×初音ミク「ドクター・コッペリウス」』が行われる。『ドクター・コッペリウス』は、2016年5月5日に他界した冨田勲が上演を夢見て他界直前まで創作を続けていた舞台作品。宇宙へ飛び立つことを夢想する主人公コッペリウスと、それを叶えるべく異界からやってきた初音ミクが織りなすストーリーが展開される。

作曲家として、そしてシンセサイザーアーティストとして世界中に大きな影響を与えた冨田勲。その偉大さはどこにあったのか? DOMMUNE主宰で「現在美術家」の宇川直宏と音楽評論家の松山晋也の二人に、冨田勲の功績と『ドクター・コッペリウス』について語り合ってもらった。

冨田先生は現在のデスクトップミュージシャンの始祖なんですよ。(宇川)

―改めて、なぜ冨田勲さんはこれだけ大きな影響力を持つようになったのかを、知らない方にもわかりやすく語っていただけますでしょうか。

松山:まず大きなことは、1970年代初頭に初めて個人としてMoog(「シンセサイザーの父」と呼ばれるロバート・モーグの名前を冠したメーカー)のシンセサイザーを輸入して、シンセサイザーだけでアルバムを作ったんですね。それ以前から電子機器やシンセサイザーはあったし、現代音楽やエキゾ~モンド系の世界では使われてきていたんですけれど、冨田さんの何が革命的だったかというと、電子楽器で作る音が、それまでの実験音楽で使われていた文脈とは全く違うものだったこと。電子音楽の新しい可能性を、初めて世界にポップな形で提示した音楽家であることは間違いないですね。

―冨田さんの電子音楽は、それ以前のものとどう違っていたんでしょう?

松山:冨田さん自身がインタビューで何回も言ってましたけど、線的な、平面的な、二次元的な電子音ではなく、立体的な、奥行きのある、三次元的な電子音楽を彼は最初から目指していたんです。それを初めて実現したのが74年の『月の光』だった。あのアルバム一枚で電子音楽の持つ可能性が決定的に広がったんです。そこからYellow Magic Orchestraも含めて、70年代後半から80年代以降の電子音楽に繋がっていくわけです。

左から:宇川直宏、松山晋也
左から:宇川直宏、松山晋也

宇川:当時の日本のコンポーザーが線的 / 面的な電子音楽しか作れなかったという印象を残した理由は、単純にマイシンセサイザーを持っていなかったからだと考えられます。50年代以降、現代音楽家は、日本の場合、ほとんどがNHK電子音楽スタジオで音響技術師と組んでトライ&エラーを繰り返しながら実験を重ねるしか方法がなかったでしょう。

あの(カールハインツ・)シュトックハウゼン(ドイツの現代音楽家)も来日時に『Telemusik』(1966年)を制作した伝説のスタジオ。そこでは、音楽家がコンセプトを持ち込み、エンジニアがそれを忠実に形にしていたんです。

―60年代の電子音楽はまだそういう時代だったんですね。

宇川:大阪万博で湯浅譲二さん(現代音楽家)たちがようやく一般に広めた時代ですからね。70年代半ばまではそうでしょう。そこから制作の環境が、放送局から大学、そして自宅へと価格の安定化に準じて徐々に移り変わるわけで。シンセ導入以前は、テープミュージックとミュージックコンクレート(人や動物の声、鉄道や都市などから発せられる騒音、自然界から発せられる音、楽音、電子音、楽曲などを録音、加工し、再構成を経て創作される電子音楽)の時代ですよね。

偶発性に着目したとしても、具体音のテープコラージュっていう発想自体が線的、リニアなものだった。熟考しながら一音一音を重ねていく、つまり多重に時間を積み重ねるというノンリニアな発想ではなかったでしょう。

―そんな時代において冨田さんは、多層的で奥行きのある電子音楽を生み出した。

宇川:まず、1ドル360円の時代に1千万円以上投入し、「MOOG III-P」というマイシンセサイザーを日本で最初に個人輸入した。そして、マイスタジオに寝袋を持ち込み、一人でじっくり時間をかけて微細な音色にこだわり抜いて、電子音と戯れることができた。当時の他のコンポーザーと、冨田先生の制作環境は決定的に違うんです。そこに着目したいのです。つまり何が言いたいかというと、冨田先生は現在のデスクトップミュージシャンの始祖なんですよ。

宇川直宏

松山:いい指摘だね。だから、オタクの元祖と言ってもいいかもしれない。

宇川:全くその通りで。僕が冨田先生と対談したときにも、先生は「超オタクにならないといけない」っておっしゃっていました(笑)。オタクは美しいと熱弁されました。「世界最高齢のボカロP」と崇められた先生がやってきた音楽は、本来的な意味でもオタクカルチャーの先駆けだったのですよ。

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イベント情報

『冨田勲 追悼特別公演 冨田勲×初音ミク「ドクター・コッペリウス」』

2016年11月11日(金)、11月12日(土)全3公演
会場:東京都 渋谷 Bunkamura オーチャードホール
料金:S席10,000円 A席8,500円

プロフィール

冨田勲(とみた いさお)

1932年東京生まれ。慶応義塾大学在学中から平尾貴四男、小船幸次郎各氏に作曲を師事。在学中よりNHKの音楽番組の仕事を始める。NHK大河ドラマの音楽を手がける一方、手塚治虫のTVアニメの音楽を作曲、従来のアニメ音楽を越える優れた音楽性で高い人気を呼んだ。1970年頃よりシンセサイザーによる作編曲・演奏に着手。1974年には米RCAよりリリースされたアルバム「月の光」が米ビルボード・クラシカル・チャート第1位となり、日本人として初めてグラミー賞4部門にノミネートされ、さらに全米レコード販売者協会(NARM)の1974年度クラシック部門最優秀レコードに選出されるという快挙をなしとげ、TOMITAの名は全世界的なものとなる。1950年代前半から、放送、レコードアルバム制作、映画音楽、大型コンサートなど、多くの分野で作編曲家として優れた作品を数多く残し、2016年5月5日にこの世を去る。2016年11月には遺作となる『ドクター・コッペリウス』が上演される。

宇川直宏(うかわ なおひろ)

1968年香川県生まれ。映像作家 / グラフィックデザイナー / VJ / 文筆家 / 京都造形芸術大学教授 / そして「現在美術家」……幅広く極めて多岐に渡る活動を行う全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている。2010年3月に突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数をたたき出し、国内外で話題を呼び続ける。『文化庁メディア芸術祭』審査委員(2013~2015年)。『アルスエレクトロニカ』サウンドアート部門審査委員(2015年)。また高松市が主催する『高松メディアアート祭』ではゼネラルディレクター、キュレーター、審査委員長の三役を務め、その独自の審美眼に基づいた概念構築がシーンを震撼させた。2016年には『アルス・エレクトロニカ』のトレインホールにステージ幅500メートルのDOMMUNEリンツ・サテライトスタジオを開設し、現地オーストリアからのストリーミングが世界的話題となった。

松山晋也(まつやま しんや)

1958年、鹿児島市生まれ。音楽評論家。『ミュージック・マガジン』他の音楽専門誌や朝日新聞などでレギュラー執筆。時々、ラジオやイヴェント等での解説、選曲なども行う。ワールド・ミュージックと実験音楽系の仕事が中心。著書『めかくしプレイ~Blind Jukebox』、編著書『プログレのパースペクティヴ』、その他音楽関係のガイドブックやムック類多数。

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