なぜ、デヴィッド・ボウイは特別なのか? 奈良美智が語る

デヴィッド・ボウイの約50年にわたる創作活動を、貴重な作品や衣装、音楽と映像で振り返る大回顧展『DAVID BOWIE is』が、連日にぎわいをみせている。2013年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催されて以来、世界9都市を巡回し、約160万人を動員した本展。その10番目の都市であり、アジア唯一となった東京も、幕開けから2か月が過ぎ、会期は残り約1か月となった。

そこで今回は、この大回顧展を機会に、約50年という長きにわたって、音楽はもちろん、アート、ファッションなど、さまざまな分野を横断しながら活躍した、デヴィッド・ボウイの魅力をさらに探るべく、奈良美智のもとを訪れた。本展に寄せて、「リアルタイムでジギーに出会えたことが、今の自分が在ることの始まりだった」とコメントを残している奈良。「ジギー」とは、デヴィッド・ボウイが1972年のアルバム『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』で描き出した架空のスーパースターだ。

果たして奈良は、『DAVID BOWIE is』を、どんなふうに観たのか。そして、今回の大回顧展を通して今、改めて浮かび上がるデヴィッド・ボウイの特異性とは。さらには、ボウイの死後1年を経た今、その大回顧展が日本で開催されることの意義とは。さまざまなトピックについて、思うところを語ってもらった。

展示の内容が、『ジギー・スターダスト』の時期に近づくにつれて……タイムトンネルを通って、中学生に戻っていくような感覚があった。

―まず今回の回顧展を、奈良さんはどんなふうにご覧になられましたか?

奈良:僕は中学生のときに『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』(1972年発表。以下、『ジギー・スターダスト』)をリアルタイムで聴いた、言わば直撃世代なんですね。最初に好きになったデヴィッド・ボウイの曲が、“Starman”で。

奈良美智
奈良美智

―“Starman”は『ジギー・スターダスト』の収録曲で、デヴィッド・ボウイの存在が世界的に知れ渡るきっかけとなった楽曲ですよね。

奈良:そう。だから、今回の展示の内容が、『ジギー・スターダスト』の時期に近づくにつれて……タイムトンネルを通って、中学生に戻っていくような感覚があったんです。で、“Starman”が聴こえてきたときに(『DAVID BOWIE is』ではヘッドホンが配られ、展示物に応じた楽曲や音声を聴きながら観覧することができる)、完全に中学生の自分に戻ってしまって。“Starman”の展示を観ながら、しばらくのあいだ呆然としてしまったんです。

1972年に『Top of the Pops』(BBC)に出演した際の映像が流れる“Starman”のブース。ジギーは、<誰かに電話をかけなきゃいけなくて、君を選んだ>と歌い、テレビ画面越しにこちらを指差している / Photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)
1972年に『Top of the Pops』(BBC)に出演した際の映像が流れる“Starman”のブース。ジギーは、<誰かに電話をかけなきゃいけなくて、君を選んだ>と歌い、テレビ画面越しにこちらを指差している / Photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

『ジギー・スターダスト』のツアー衣装で、1972年に『Top of the Pops』に出演した際も着用している。衣装デザインはフレディ・バレッティ / 「Quilted two-piece suit」Courtesy of The David Bowie Archive ©Victoria and Albert Museum
『ジギー・スターダスト』のツアー衣装で、1972年に『Top of the Pops』に出演した際も着用している。衣装デザインはフレディ・バレッティ / 「Quilted two-piece suit」Courtesy of The David Bowie Archive ©Victoria and Albert Museum

奈良:泣いたとか感動したとかではなく、わけがわかんなくなっちゃって。何かそうやって自分の過去に入っていくような、すごく不思議な感覚がありました。

―“Starman”のブースに加えて、何か印象に残った展示物はありましたか?

奈良:デヴィッド・ボウイの私物や直筆のスケッチ画など、本当にいろんなものがあって、それはそれですごく面白かったんですけど、僕がいちばん見入ってしまったのはボウイの私物でもなんでもない、アポロ8号が撮った地球の画像だったんです。暗闇のなかに青い地球がぽっかり浮かんでいる画像。

今だったらインターネットとかで簡単に見ることができるけど、当時は宇宙から地球を見ることなんて、ありえなかったわけですよね。だからそれは、今からは想像つかないぐらいショッキングなイメージだったと思うんです。

奈良美智

奈良:でも、デヴィッド・ボウイは、そのイメージにただ驚くだけではなく、その写真を撮った宇宙飛行士の視点で、“Space Oddity”(1969年)という曲を書いた。しかも、宇宙飛行士が地球に生還する曲ではなく、だんだん通信が途絶えて、どんどん地球から離れていってしまう曲を。

―アポロ11号による人類初の月面着陸が成し遂げられたのは、“Space Oddity”のシングルが発表された9日後ですからね。宇宙がまだまだ未知なるものだった時代です。

奈良:そう。そういう意味で、ボウイはやっぱり、普通の人の想像力を超えたところがあったなと思う。だから、あの地球の画像を展覧会で観たときに、「ああ、ボウイには、地球がこういうふうに見えていたのか」ってボウイが自分に憑依したような感覚になったんですよね。それは僕にとって、すごく鮮烈な体験でした。

何か新しい生き物というか……ボウイはとにかく、完全に新しいビジュアルだったので、本当に衝撃で。

―先ほど『ジギー・スターダスト』直撃世代とおっしゃっていましたが、奈良さんは、どんなふうにボウイの音楽と出会ったのですか?

奈良:僕は青森県の弘前市の出身なんですけど、小学生の頃から音楽がすごく好きで。青森には三沢基地があったから、極東放送(FEN)を聴くことができたんですけど、そのときはThe BeatlesとかThe Rolling Stones、The Whoとかを聴いていて。あとは、ハードロックですよね。ひと言で言えば、髪の毛の長い男連中がやっているような音楽ばかり(笑)。

奈良美智

―1960年代から70年代にかけてのロックバンドたちですね。

奈良:だから、デヴィッド・ボウイの名前はなんとなく知ってはいたんですけど、あれは中学1年生の終わりだったかな。ラジオから流れてきた、ボウイの“Starman”に心をグッと掴まれてしまったんです。

歌詞の意味はよくわからなかったけど、「あ、この歌は俺たちに向かって歌ってる」って、なんとなく思えて。ヒッピーとか大学生とかにではなく、自分たちに向かって歌っている気がしたんですよね。それで、お小遣いを貯めて、“Starman”が入っている『ジギー・スターダスト』のレコードを買って、それで一気に大好きになったんです。

―『ジギー・スターダスト』というアルバムの、何にそこまで魅力を感じたのでしょう?

奈良:まずは、ジャケットに描かれていた、ボウイのヘアスタイルですよね。当時、ロックミュージシャンっていうのは、みんな長髪だと思っていたから、後ろだけ長くて前が短いボウイの髪型に、驚いてしまったんです。全然ロックミュージシャンじゃないじゃんって(笑)。かといってヒッピーとかでもなく、何か新しい生き物というか……とにかく、完全に新しいビジュアルだったので、本当に衝撃で。

『DAVID BOWIE is』メインビジュアル。アルバム『Aladdin Sane』(1973年)のジャケットのアザーカットで、ジギー・スターダスト期のデヴィッド・ボウイをフィーチャーしている
『DAVID BOWIE is』メインビジュアル。アルバム『Aladdin Sane』(1973年)のジャケットのアザーカットで、ジギー・スターダスト期のデヴィッド・ボウイをフィーチャーしている

男の人を美しいと思ってしまう自分の感性は、大丈夫なんだろうかって思って、友だちには、恥ずかしくて言えなかったんですよね。

―性別不詳な容姿に近未来的な衣装、異星から来たというジギーの設定もこれまでにないものだったでしょうし。

奈良:音楽雑誌を読んでみたら、ファッションデザイナーの人がデザインしたような、いろんなタイプの衣装を着ていて。それのどれも、これまでとは異質な、すごく新しいイメージばっかりだったので、「なんだこれは!」って思ったんですよね。曲だけ聴いても普通にカッコいいのに、本人のとにかく強烈なイメージにやられてしまったんですよね。

鋤田正義の撮影による1973年のデヴィッド・ボウイ。衣装を手がけたのはフレディ・バレッティ / ©Sukita , The David Bowie Archive
鋤田正義の撮影による1973年のデヴィッド・ボウイ。衣装を手がけたのはフレディ・バレッティ / ©Sukita , The David Bowie Archive

1970年代から90年代にかけての、デヴィッド・ボウイの衣装 / Photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)
1970年代から90年代にかけての、デヴィッド・ボウイの衣装 / Photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)

―当時は賛否両論あったようですが、奈良さんはすぐにそのビジュアルを受け入れられたのですか?

奈良:賛否も何も、彼のことは宇宙人だと思っていましたから(笑)。他のミュージシャンはロッカーだったりヒッピーだったりしたけど、デヴィッド・ボウイはそのどれでもない……自分からはかけ離れたところの人だったんですよね。

他のミュージシャンは、街を歩くと似たような感じの大学生がいたりしたけど、ボウイみたいな格好をしている人は全然いなかった。少なくとも、僕が住んでいた田舎には、全くいなかったです。

奈良美智

―簡単に真似できるような格好じゃないですもんね。

奈良:そうですね。だから僕は、最初からカッコいいと思っていたんですけど……なんか友だちには、恥ずかしくて言えなかったんですよね。男の人を美しいと思ってしまう自分の感性は、大丈夫なんだろうかって思って。中学生の自分としては、ちょっと戸惑うところがいっぱいあった。

子どもが見てはいけない陰のある美しさというか、すごく耽美的な感じがして、これは近寄っちゃいけないものなんじゃないかなって思っていましたよ。でも、音楽自体はすごくカッコよかったから、そのギャップみたいなものに、中学生のときはドギマギしていたことを、今、思い出しました(笑)。

―当時は、男の子たちよりも先に、女の子たちから支持されていたと聞きましたが。

奈良:ああ、確かに女の子たちは、僕とは違う観点で好きになっていたような気がします。少女漫画に出てくるようなきれいな男の子が実在したような感じでしたからね。

山本寛斎のデザインによるストライプ柄のボディースーツをまとったデヴィッド・ボウイ。撮影は鋤田正義 / ©Sukita , The David Bowie Archive
山本寛斎のデザインによるストライプ柄のボディースーツをまとったデヴィッド・ボウイ。撮影は鋤田正義 / ©Sukita , The David Bowie Archive

奈良:でも、やっぱりデヴィッド・ボウイは……『ジギー・スターダスト』にハマったあと、その前のアルバムとかも聴いたんですけど、ロックの人というよりも、どこかフォークソング的な感じというか、「詩人」のような印象をすごく受けたんです。だから、ロックをやっていても、他のものとは違って聴こえたのは確かですね。

たとえば、『ジギー・スターダスト』のなかで言うと、“Suffragette City”がいちばん激しい曲だと思うんですけど、そこにも何か物語的なところがあって。単に鬱憤を晴らすような曲ではなく、聴いているとその街のなかに連れていってもらえるみたいな感じがあった。

奈良:ジギーが誘い込んでくれた夢のなかで、一緒にロックさせてもらえるような感じがあったんですよね。それがやっぱり、他のミュージシャンたちとは全然違っていた。

―見た目はセンセーショナルですけど、音楽はむしろやさしい感じがありますよね。

奈良:そう、歌詞もどこかやさしいんですよ。まあ、謎な歌詞もいっぱいあるんだけど。だから、デヴィッド・ボウイは、すごくイギリス的なものを持っているなと思っていました。アメリカ人のような土の匂いのする感じやラフな感じではなく、もっと繊細な表現だなと。

「霧のロンドン」っていう言い方がありますけど、デヴィッド・ボウイの音楽は、そういう感じなのかなって、当時はロンドンに行ったこともなかったのに、いろいろ勝手に想像したりしていました(笑)。

奈良美智

デヴィッド・ボウイは単なるミュージシャンではなく、明らかにクリエイターなんですよ。

―今回の回顧展を観て、改めてボウイとは、どんな存在だと感じましたか?

奈良:デヴィッド・ボウイは、時代ごとで、いろんなことに挑戦し続けた人というイメージが強いですよね。ひとつの道を極めることではない強さが彼の表現にはあると思う。というか、誰も挑戦したことのない道を必然的に選んでいったような気がするんです。

ニコラス・ローグ監督による、デヴィッド・ボウイの初主演映画『地球に落ちて来た男』(1977年)より / Film stills by David James ©STUDIOCANAL Films Ltd., Image ©Victoria and Albert Museum Courtesy of The David Bowie Archive
ニコラス・ローグ監督による、デヴィッド・ボウイの初主演映画『地球に落ちて来た男』(1977年)より / Film stills by David James ©STUDIOCANAL Films Ltd., Image ©Victoria and Albert Museum Courtesy of The David Bowie Archive

奈良:だから、デヴィッド・ボウイは、クリエイターとしてすごく尊敬できる。そのとき流行っているものや王道を絶対行かずに、彼がやったことが、そのあと流行や現象になったところはあると思います。

それは音楽以外のことでも、たとえばビジュアルとかに関しても同じで、アレキサンダー・マックイーンを起用したのも相当早かったし、日本の歌舞伎とか、非欧米的な要素を表現活動に取り入れたのも、たぶんボウイが最初だったんじゃないかな。当時、日本なんていうのは、海外のミュージシャンから見たら辺境の地だったと思うし、来日公演も、ほとんどなかったですから。

『Earthling』(1997年)のジャケットに使用された写真。着用している衣装はアレキサンダー・マックイーンのデザインによる / ©Frank W Ockenfels 3
『Earthling』(1997年)のジャケットに使用された写真。着用している衣装はアレキサンダー・マックイーンのデザインによる / ©Frank W Ockenfels 3

―音楽の周辺にあるカルチャーまで取り入れたボウイの表現活動は、当時すごく斬新だったんでしょうね。

奈良:そうですね、音楽だけに目が向いていなかった。音楽的にプロフェッショナルなミュージシャンって、他に素晴らしい人はいっぱいいるんですよ。でも彼は、ファッションや文学、演劇をはじめとした、音楽以外の表現も全部ひっくるめた「カルチャー」として、精神性も取り入れたうえで、最終的に音楽に向かっていったんですよね。そういうところが、クリエイターだなって思うんです。

アメリカの小説家ウィリアム・バロウズとデヴィッド・ボウイ / Photo by Terry O'Neill with colour by David Bowie, Courtesy of The David Bowie Archive, Image ©Victoria and Albert Museum
アメリカの小説家ウィリアム・バロウズとデヴィッド・ボウイ / Photo by Terry O'Neill with colour by David Bowie, Courtesy of The David Bowie Archive, Image ©Victoria and Albert Museum

奈良:ちょうど同じ時期に、The Rolling Stonesの回顧展も海外で観てきて思ったのは、彼らはやっぱりミュージシャンだってことなんですよね。今回のボウイ展と同じように、彼らが描いたステージのスケッチ画みたいなものが展示してあったんですけど、あんまり上手くないんです(笑)。もちろん、それはそれでカッコよさはありますよ。でも、デヴィッド・ボウイの描く絵は本物なんです。趣味で描いたようなものではなかった。

1978年に描かれたデヴィッド・ボウイの自画像 / Courtesy of The David Bowie Archive , Image ©Victoria and Albert Museum
1978年に描かれたデヴィッド・ボウイの自画像 / Courtesy of The David Bowie Archive , Image ©Victoria and Albert Museum

奈良:だから、ストーンズ展を観たことで、ミュージシャンとクリエイターの違いが、改めてよくわかりましたね。デヴィッド・ボウイは、明らかにクリエイターなんですよ。

ボウイは先見の明がありすぎたところはあると思う。その先鋭さにオーディエンスが、ついていけなかったところもあったんじゃないかな。

―デヴィッド・ボウイは、いつの時代もどこかアウトサイダー的なイメージがあったように思います。それについては、どのようにお考えでしょうか?

奈良:それはやっぱり、すべてが早すぎたからじゃないですか。1970年代末にニューウェーブが出てきたとき、どこか既視感があって……「あれ? デヴィッド・ボウイって、こんなことしてなかったっけ?」って思ったんですよね。

あと、ステージにビジュアルを持ち込んで、ひとつの劇のように構成にすることもそうですよね。以前からThe Whoが「ロックオペラ」と称してやってはいたけど、それはロックオペラでしかないんです。でも、デヴィッド・ボウイの場合は、ひとつのライブであり、ステージでもある、つまり音楽であるとともに演劇でもあった。振れ幅と表現の質が全然違ったんです。

『Diamond Dogs』(1974年)をリリースした際のプロモーション写真 / Photo by Terry O'Neill , Image ©Victoria and Albert Museum
『Diamond Dogs』(1974年)をリリースした際のプロモーション写真 / Photo by Terry O'Neill , Image ©Victoria and Albert Museum

ジョージ・オーウェルの小説『1984』(1949年)のミュージカル化から発展した、『Diamond Dogs』の作品世界を表現するために考案されたツアーセット / Courtesy of The David Bowie Archive , Designed by Jules Fisher and Mark Ravitz , Image ©Victoria and Albert Museum
ジョージ・オーウェルの小説『1984』(1949年)のミュージカル化から発展した、『Diamond Dogs』の作品世界を表現するために考案されたツアーセット / Courtesy of The David Bowie Archive , Designed by Jules Fisher and Mark Ravitz , Image ©Victoria and Albert Museum

奈良:その振れ幅が大きければ大きいほど、それぞれの分野に精通している層には伝わるんだけど、全体的には浅くしか伝わらないというか。たとえば、ファッションが好きな人は、デヴィッド・ボウイのファッションに注目するし、舞台の構成が好きな人は、その構成だけを見る。

ボウイがアウトサイダー的に、どこの枠組みにも所属しない表現者に見えるのは、そういうことなんじゃないかな。すべてのジャンルに精通している人であれば、ボウイの関心の広さと深さ、表現としての質の高さに気づくことができるけど、世の中の多くの人はそうじゃなかった。

―なるほど。

奈良:それと、ボウイは常に、王道ではないところに目を光らせているんですよね。さっきの日本の話じゃないけど、他の人には思いもよらないところから、キラッとしたものを見つけ出してピックアップする才能があった。そういう先見の明がありすぎたところはあると思います。その先鋭さにオーディエンスが、ついていけなかったところもあったんじゃないかな。

『Scary Monsters』(1980年)の収録曲。MTV開局の1年前に発表された映像は、この後に続くミュージックビデオの新時代を切り拓いた

―常に時代の一歩先を歩いていたというか。

奈良:そうですね。僕はパンクが好きだから思うのは、ボウイはパンクと同じように古い価値観を壊してたと思うんだけど、さらにその先のビジョンも示してきたんですよね。それはパンクにはできないことだった。だから、ボウイは、あとになってからわかることが、すごく多いんですよね。中学生のときに感じた、「このビジュアルをカッコいいと思う俺は、なんかおかしいんじゃないか?」なんていうのは、今考えるとまったくおかしくないですし。

音楽性にしても、あんなにロックをやっていたのに急に70年代半ばにフィリーソウルに傾倒したりして。当時はなんか違うんじゃないかって思ったんですけど、音楽はそんなに浅いものじゃなくて、幅の広いものなんですよね。ボウイ自身はいつも、ただ前に進もうとしていただけなんです。

ボウイが様々なカルチャーを音楽に変換していった姿を見て、僕も美術の道を選んだんです。

―そんなボウイの存在は、アーティスト・奈良美智にどんな影響を与えているのでしょう?

奈良:あるジャンルに関して、そのなかだけで物事を考えない姿勢や、挑戦するメンタリティーには、すごく影響を受けましたね。新しいことに挑戦するには、自分の表現における居心地のよい場所から出て、いろんなものを取り入れたり、勉強したりしなくてはならない。それは、居心地のいい場所にいたままではできないことなんですよね。

奈良美智

奈良:もちろん、そこには勇気と痛みが伴うんだけど、物事をクリエイトしていく、創造していくということは、そういうことなんじゃないかと思うんです。それは、僕も高校を卒業するくらいの頃に感じたことでもあって。僕が美術を本格的にやろうと思ったのは、高校の終わり頃で、普通の美大志望者に比べて遅かったんですよね。

―そうだったんですね。

奈良:昔からみんなに絵が上手いとは言われていたけど、美大とか芸大っていうのは特別な人だけが行くものなんじゃないかっていう、変な先入観があったんです。周りで美大を目指している人は、みんな美術部に入ったり、塾に行ったりしていたし。でも、美術の勉強をすることだけが、何かをクリエイトすることに繋がるわけじゃないっていうのは、デヴィッド・ボウイが示してくれたことでもあって。

僕は、ボウイが様々なカルチャーを音楽に変換していった姿を見て、美術の道を選んだんです。もともと文学がすごく好きで、詩人になりたかったんですけど、その想いを美術に変換すればいいんじゃないかって思えたことは、今の自分にとって大きな出来事でしたね。

歳をとったら死ぬのは当たり前のことだけど、死期を感じとって、どれだけ冷静に作品を残していけるかにボウイは向き合った。

―今回、ひとつ聞きたいと思ったのは、過去のCINRA.NETのインタビューで(奈良美智インタビュー「君や 僕に ちょっと似ている」)、奈良さんは「僕がいなくても作品が語るようでなくちゃいけない」とおっしゃっていて。改めて、それはどういう意味なのでしょう?

奈良:それをボウイの作品でたとえるならば……僕が大好きだったジギー・スターダストは、1970年代の前半に、いなくなってしまうんですよね。デヴィッド・ボウイはいたけど、ジギー・スターダストは宇宙に帰ってしまって、僕の前からいなくなってしまったんです。


1973年、ジギー・スターダストが人気絶頂のなか、突如「これが僕たちの最後のショーになる」と言い放つ一幕

―デヴィッド・ボウイがジギー・スターダストとして活動したのは、わずか1年半だったんですよね。

奈良:そうなんですよね。でも、ジギーの引退によって、『ジギー・スターダスト』というアルバムは、僕のなかで不滅のものになったんです。もう二度とジギー・スターダストの新作は出ないわけですからね。

当時、デヴィッド・ボウイが、どういうつもりで突然ジギーをやめるって言ったのかはわからないけど、ジギーがいなくなることで、あのアルバムが宝物のようになっていったんです。自分が、それ以降のデヴィッド・ボウイに対して、ジギーのときほど熱狂しなかった理由を考えると、まだボウイ自身は生きていたからだと思う。

奈良美智

―なるほど。その話を踏まえたうえで、ボウイの最後のアルバム『★(ブラックスター)』(2016年)と、その発表の2日後に訪れたボウイの死について、奈良さんはどんなふうに捉えているのでしょう?

奈良:ああ、これで本当に完結したんだなって思いました。というか、その最期にアルバムを用意していたことに、すごく驚きましたよね。それは、ジギー・スターダストではできなかったことなので。ジギーをやっていた頃は、ボウイも若かったし、自分の寿命なんてわからなかったと思うんです。でも、歳をとるにつれて、死というものを捉えていくようになって……。

奈良:歳をとったら死ぬのは当たり前のことで、年齢とともに人が老いて、やがて土に返るというのは、すごく自然でまっとうなことですからね。でも死期を感じとって、どれだけ冷静に作品を残していけるかにボウイは向き合った。すごい人だなって、最後の最後にまで思わせられましたね。

―『ジギー・スターダスト』が不滅のものとなったように、『★』もまた不滅のものになっていくのかもしれないですね。

奈良:そうですね。「ボウイは死ぬことまでも作品化した」みたいなことをみんな言っているけど、ホントにそうだなと。そういうことをできる人って、なかなかいないですよね。即身成仏する僧侶じゃないですけど、強い覚悟のもとに自らの存在そのものを作品化していくというか。人間的にもすごく強い人だったんでしょうね。

奈良美智

僕の感性がいちばん育まれた10代の頃に聴いた、“Starman”という1曲で、自分の感性の大部分が作られたんだなと今回改めて感じた。

―その死から1年が経った今、この日本でボウイ展が開催されていることの意義については、どんなふうにお考えですか?

奈良:正直に言うと、僕はちょっと客観的に見ることができないんです。デヴィッド・ボウイの死というのは、自分にとっては親兄弟や親しい友人が亡くなったときと同じような感覚がしているので。身近な親しい人が亡くなったときって、その人の人生を通して、自分がどう関わってきたかが見えてくるじゃないですか。

それと同じで、僕の感性がいちばん育まれた10代の頃に、デヴィッド・ボウイの存在はまったく重なっていて、その頃に聴いた“Starman”という1曲で、自分の感性は、その大部分が作られたんだなと今回感じました。そんなこと、これまであまり思い返したことがなかったんだけど。

奈良美智

―では、今回の回顧展を観て、改めて気づいたことや発見したことはありましたか?

奈良:今までは、ただ好きっていうだけだったけど、今回の回顧展で、デヴィッド・ボウイというひとりの人間の生き方を通して見ることによって……繰り返しになるけど、ずっと挑戦し続けた人だったんだなと、改めて思いましたね。そこがやっぱり、他のミュージシャンとは違う。

ボウイは音楽に埋没して、音楽のなかだけに道を求める表現者じゃないんです。音楽に埋没することなく、表現やカルチャーという大きなくくりで、俯瞰した目線で創作の種を探しながら、音楽を作っていたから。そういうスタンスがアーティストとしての命綱になっていたというか、音楽に溺れそうになったときに、他の分野のものを取り入れることで、表現に厚みが増していったような。イメージで言うと、そんな感じがしましたね。

イベント情報
『DAVID BOWIE is』

2017年1月8日(日)~4月9日(日)
会場:東京都 品川 寺田倉庫 G1ビル
時間:10:00~20:00(金曜は21:00まで、最終入場は閉場の1時間前)
休館日:月曜(3月20日、3月27日、4月3日は開館)
料金:
一般 前売2,200円 当日2,400円
中高生 前売1,000円 当日1,200円
※16時以降入場の会場販売当日券はそれぞれ200円引き

プロフィール
奈良美智 (なら よしとも)

1959年青森県生まれ。愛知県立芸術大学修士課程修了。1988年渡独、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍。ケルン在住を経て2000年帰国。2001年国内で初めての大規模な個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」を横浜美術館で開催。独特のひねた表情の子どもを描く絵画やドローイングが国境や文化の枠組みを越えて絶賛される。2000年中頃、大阪のクリエイター集団grafとの共同プロジェクト「Yoshitomo Nara+graf: A to Z」を展開。音楽を愛し、山々を望むアトリエで制作する。

デヴィッド・ボウイ

移り変わり行くロック・シーンの中で、時代と共に変化し続ける孤高の存在にして、英国を代表するロック界最重要アーティストの一人。60年代から、その多彩な音楽性をもって創作された、グラム時代を代表する『ジギー・スターダスト』、ベルリン三部作と呼ばれる『ロウ』、『ヒーローズ』、『ロジャー』、80年代を代表する『レッツ・ダンス』などの名盤の数々は、その時代のアート(芸術)とも言え、全世界トータル・セールス1億4,000万枚以上を誇る。「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」(NME/ミュージシャンが選ぶ)や「100人の偉大な英国人」(チャーチル、ジョン・レノン、ベッカム等と並び)にも選出される。2004年の『リアリティ』ツアー中に倒れ心臓疾患手術を行い、第一線から退いてしまい、もはや引退か??と囁かれた中、2013年世界中の誰もが驚いた予期せぬ復活劇は、「事件」として瞬く間に全世界を駆け巡り、10年振りの新作にして、ロック史上最大のカムバック作となった『ザ・ネクスト・デイ』を発表、アルバム・チャート初登場全英1位、全米2位を獲得し、世界的な大ヒットとなった。その後も大回顧展『David Bowie is』がイギリスはじめ世界で開催され話題を集めている。 ウォルター・テヴィス著『地球に落ちてきた男』(The Man Who Fell to Earth)がインスピレーション基となって、デヴィッド・ボウイと劇作家エンダ・ウォルシュによって書かれた『ラザルス』は、演出家イヴォ・ヴァン・ホーヴェが監督、舞台作品として2015年12月7日からニューヨーク・シアター・ワークショップ(NYTW)にて上演中。舞台の中ではボウイのバック・カタログからの楽曲に新鮮なアレンジを施したものや、新曲「ラザルス」がフィーチャーされている。2016年1月8日(金)69回目の誕生日に、ニュー・アルバム『★』(読み方:ブラックスター)が発売。その2日後、2016年1月10日(金)にこの世を去った。



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