『M-1』が愛され続ける2つの革新性。お笑いは、社会の空気を映し出す

今週末に迫った『M-1グランプリ 2021』(以下『M-1』)の開催。国民的な人気番組となった同番組は、なぜここまで世間に浸透し、20年ものあいだ愛され続けているのだろう。お笑い評論家・ラリー遠田が『M-1』の革新性を綴る。

『M-1』ほど成果をあげたお笑い賞レース番組は、テレビの歴史上存在しない

『M-1グランプリ』は2001年に始まった漫才日本一を決めるお笑いイベントである。開始当初は一般的にはあまり話題にならなかったが、年を追うごとに注目度が高まり、現在ではほかのお笑い番組とは一線を画す国民的な人気番組へと成長した。

お笑いのネタで芸人が勝敗を競う「お笑い賞レース」は、『M-1』以前にも多数あった。また、テレビ番組でネタの勝負を見せる「ネタバトル番組」も、『お笑いスター誕生!!』(1980年4月〜1986年9月 / 日本テレビ系)『爆笑オンエアバトル』(1999年3月〜2010年3月 / NHK)をはじめとして多数制作されてきた。だが、視聴率、話題性、影響力を総合して考えると、現在の『M-1』ほどの成果をあげているお笑い賞レース番組はテレビの歴史上存在しない。

年に一度の晴れ舞台で、予選を勝ち抜いた芸人たちが全身全霊を込めて演じる漫才は見る者を感動させる。多くの時間と手間をかけ、必死の練習を重ねて練り上げられた上質の漫才が、期待に胸を高鳴らせた視聴者を爆笑させ、この上ないカタルシスをもたらす。

「面白さ」というそれぞれ異なる感覚に、優劣をつける難しさ。それをクリアにした2つのポイント

『M-1』は熱心なお笑いファンや業界人にとって、実力を秘めた若手漫才師の見本市だ。決勝の舞台で目立った芸人は、その後のお笑い界やテレビ界で活躍を期待できる逸材だと判断される。業界関係者は決勝だけでなく、準決勝、準々決勝、敗者復活戦などの動向も見守っていて、明日のスターを発掘しようと躍起になっている。

結成10年以内(2015年大会以降は結成15年以内)であれば所属事務所を問わず、誰でも参加が可能。予選は全国で行われ、何回かの予選を勝ち抜いた9〜10組の芸人が決勝に進む。決勝の模様は全国ネットのゴールデンタイムで生放送され、優勝者には賞金1,000万円が与えられる。審査員には松本人志をはじめとするお笑い界の巨匠たちが名を連ねる。『M-1』は、始まった当初からどの要素を取っても前代未聞のお笑いイベントだった。

『M-1』の最大の特徴は「笑いの真剣勝負」を徹底的に追求したことだ。基本的に、お笑いで客観的な勝ち負けをつけるのは簡単なことではない。笑いに対する感覚は人によって異なり、まったく同じ感性を備えている人は存在しないからだ。

しかし、『M-1』ではどこまでも公平な審査にこだわった。漫才に優劣の評価を下して、その結果を視聴者や観客にも納得してもらう。この困難な課題をクリアできた理由は、大きく分けて2つある。

1つは、芸人の知名度や前評判、芸歴、所属事務所などを一切考慮せず、その日の漫才の出来だけを見て勝敗を決めるシンプルな審査方針を徹底したことだ。主催者側が明示している『M-1』の審査基準は「とにかくおもしろい漫才」であることのみ。この方針を厳格に守った結果、テレビによく出る売れっ子芸人が予選で敗退したり、事務所内での立場が低い無名の芸人が決勝に進出するなどの番狂わせが頻繁に起こり、それが大会の醍醐味となった。

もう1つの理由は審査員の質の高さにある。『M-1』の大会委員長を務めた島田紳助は、『M-1』を始めるにあたってこの点に特にこだわった。

というのも、紳助自身が若手の頃に、賞レースで納得のいかない審査に煮え湯を飲まされたことが何度もあったからだ。お笑いに真剣に向き合っていないような訳知り顔の評論家やタレントに審査を任せるわけにはいかない。

紳助は参加する芸人になんとしても審査に納得して帰ってもらいたかった。審査員の質が低ければ、勝負に敗れた芸人たちはその結果を審査員のせいにしてしまうだろう。それは本人たちにとっても不幸なことだ。

審査が公平だからこそ、出場者は自分たちの負けを素直に認めて、それを成長する機会につなげられる。たとえ負けたとしても、審査員にではなく自分に腹が立つようでなければいけない。それが紳助が考える理想の審査だった。

2001年の最初の『M-1』で審査員を務めたのは、島田紳助、松本人志、西川きよし、青島幸男、春風亭小朝、ラサール石井、鴻上尚史の7名。今年(2021年)の審査員を務めるのは、上沼恵美子、松本人志、立川志らく、礼二(中川家)、富澤たけし(サンドウィッチマン)、塙宣之(ナイツ)、オール巨人の7名。いずれもお笑い界やテレビ界の第一線で輝かしいキャリアを誇る重鎮ばかりである。この豪華メンバーに審査されるのなら、たとえ勝負に敗れても文句のつけようがない。

なかでもダウンタウンの松本人志を審査員として引っ張り出した意義は大きかった。『M-1』に挑む芸人にとって、松本は絶対的な存在だったからだ。

野心を持つ若手芸人にとっては願ってもないチャンスだった。決勝で松本に「面白い」と褒められれば、日本一面白い人に認められたことになる。そんな機会はほかにない。「御前試合」ならぬ「御前漫才」を目指して、数多くの芸人が意気揚々と『M-1』に挑んだ。

厳格な審査方針と信頼できる審査員のおかげで、視聴者も『M-1』を笑いの真剣勝負として楽しめるようになった。

昨今の『M-1』から見える、お笑いが映し出す「世の中の空気」

『M-1』は桁違いに注目度が高いお笑いイベントであるため、しばしばそこから世間を巻き込むような論争や騒動が起こることもある。昨年(2020年)の『M-1』がきっかけとなった「漫才論争」はそのひとつだ。

2020年の『M-1』ではマヂカルラブリーが優勝した。彼らの漫才では、ツッコミ役の村上がセンターマイクの近くに立ったままツッコミをいれていくのに対して、ボケ役の野田クリスタルはセンターマイクから離れた場所で好き勝手に暴れていた。そんな彼らの変則的な漫才に対して「あんなものは漫才ではない」と主張する人が続出したのだ。

なぜこのような論争が起こったのかと言えば、『M-1』は普段お笑いを見ていないような人も含めて大勢の人々が見る番組だからだ。『ワールドカップ』のときだけサッカーを見て代表監督の采配を批判したり、『オリンピック』のときだけ柔道を見て判定に不満を述べたりするような人は珍しくない。『M-1』は文字通りの「国民的行事」であるからこそ、それがさまざまな影響を生んでいくのである。

M-1グランプリ2021 ティザー

また、『M-1』は、お笑い界の最新のトレンドを発表するパリコレのような側面もある。何が面白くて何が面白くないのかという基準は時代によって変わる。プロの芸人は世の中の空気を敏感に察知して、いまの観客に通用するような笑いを追求する。

2019年にはぺこぱが決勝に進んで、ツッコミ役がボケ役をきつくたしなめることなく、肯定的に受け止める斬新なかたちの漫才を披露した。セクハラやパワハラに対する意識が高まり、他人を頭ごなしに否定するような振る舞いが嫌われるようになっているなかで、ぺこぱの提供する「優しい笑い」は時代の空気にマッチしていた。お笑いは社会の反映である。『M-1』を見ればお笑いのトレンドがつかめるし、世の中の空気が読めるようになる。

個人的には、このような『M-1』を取り巻くものすべてを含めた「『M-1』現象」自体が興味深いものだと感じる。年に一度の「笑いの祝祭空間」から、今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。

プロフィール
ラリー遠田 (らりーとおだ)

作家・ライター、お笑い評論家。1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。専攻は哲学。テレビ番組制作会社勤務を経て、フリーライターに。在野のお笑い評論家として、テレビやお笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。



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