アカデミー脚本賞受賞作『ベルファスト』。紛争に引き裂かれた街で、子どもの目は何を映し出す?

メイン画像:©2021 Focus Features, LLC.

イギリスの名優にして映画監督のケネス・ブラナー製作・監督・脚本による映画『ベルファスト』。『第94回アカデミー賞』脚本賞を受賞し(そのほか作品賞・監督賞などにもノミネート)、注目を集める本作が描き出すのは、北アイルランド紛争で引き裂かれたベルファストの街に暮らす一家の物語だ。

主人公・バディの目線を通じて映し出される、紛争下の日常と非日常。否が応にも現在の世界情勢を思わせるが、監督の自伝的作品である本作は私たちにどのようなことを伝えるのか。

紛争下の日常と非日常を子どもの視線で描いた『アカデミー賞』脚本賞受賞作

子どもの視線で戦争を描いた映画は数多い。たとえば『禁じられた遊び』(1952年)、『僕の村は戦場だった』(1962年)、『さよなら子供たち』(1987年)、『ジョジョ・ラビット』(2019年)など、そこで描かれるのは戦争という非日常のなかでの日常であり、無垢な視線から見つめた暴力や死の不条理さだ。

イギリスを代表する名優であり、映画監督としても活躍するケネス・ブラナーが監督・脚本を手がけた『ベルファスト』もその系譜にある作品で、彼の実体験をもとにした物語だ。

1960年に北アイルランドのベルファストで生まれたブラナーは、イギリスの王立演劇学校を首席で卒業し、23歳で名門ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに入団。数々の舞台に立つ一方で、主演を務めた『ヘンリー五世』(1989年)で映画監督としてデビューした。

そんな格式高い経歴を持っているだけに、スーパーヒーロー映画『マイティ・ソー』(2008年)を監督した際は意外だったが、近年では『オリエント急行殺人事件』(2018年)、『ナイル殺人事件』(2022年)といったアガサ・クリスティ原作のミステリー映画で主演と監督を務めるなどエンターテイメントの世界で活躍している。

シェイクスピアにスーパーヒーローにクリスティ。どんなジャンルもこなすケネス・ブラナーとは、一体どんな人物なのか。『ベルファスト』はブラナーの素顔が垣間見える作品でもある。

舞台は、北アイルランド紛争で引き裂かれたベルファスト

物語の舞台になるのは1969年のベルファスト。そこで生まれ育った9歳の少年バディは、毎日友達と遊びまわっていた。父親のパはイギリスに出稼ぎに行って留守がちだが、しっかりものの母親のマ、優しい兄のウィルと3人で仲良く暮らしていた。

近所の住人はみんな知り合いで、街を歩いていると気さくに声をかけてくれる。まるで街全体がひとつの家族のようだった。そんなある日、街に突然、暴徒の集団が現れて通りに火の手が上がる。それは北アイルランド紛争のはじまりだった。

『ベルファスト』予告編

かつてイギリスに併合されていたアイルランドでは、長い歴史のなかでカトリックの住民とプロテスタントの住民(彼らの多くはイギリスからの入植者)が対立してきた。イギリスからの独立をめぐる激しい戦いの末、1921年にアイルランド北部6州はイギリス領「北アイルランド」となり、残りの地域は「アイルランド自由国」として独立する。

そして、1960年代に入ると北アイルランドでカトリックへの差別撤廃を求める運動が盛り上がり、そのなかでプロテスタントの住民とのあいだで対立が発生。両者の争いは激化していく。バディの街を襲ったのは暴徒化したプロテスタントの住民だった。

戦争ではないものの、大きな暴力の脅威にさらされる日々は戦時下と変わらない。街には武装集団を入れないためにバリケードがつくられ、重苦しい緊張感が漂いはじめる。バディ一家はプロテスタントだったため、帰国したパは暴徒のリーダーから「一緒に戦いに参加しないと家族の身が危ないぞ」と脅される。

そんな緊迫したなかでも、子どもたちには独自の世界があった。本作はバディを中心にして紛争のなかの日常を描き出し、モノクロの映像で1960年代のベルファストにノスタルジックな詩情を与えた。

子どもの好奇心や無邪気さを通じて、非常時下の日常が活き活きと映し出される

大人たちの心配をよそに、非常時でも子どもは楽しいものを見つけて夢中になる。

映画やテレビ番組、コミックといった想像力を掻き立てるさまざまな物語。この作品を通じて、ブラナーの原点は大衆的なエンターテイメントだったことがわかる。バディの子ども部屋には『マイティ・ソー』のコミックが転がっていたりもするが、子ども時代のブラナーにとって、映画やコミックはつらい現実を忘れらせてくれるかけがえのない楽しみだったのだ。

なかでもブラナーに影響を与えたのは家族で見た映画の数々だ。『恐竜100万年』(1966年)、『チキ・チキ・バン・バン』(1968年)、『真昼の決闘』(1952年)など、劇中で紹介される映画のシーンがすべてカラーで映し出されていることからも、バディにとって映画が特別なものだということが伝わってくる。

ブラナーがどんなジャンルの映画も撮れるのは、こうした子どもの頃の映画体験の賜物だろう。

とくにバディのお気に入りだったのが西部劇。暴徒のリーダーと父親が対決するシーンを、ブラナーは西部劇を意識した構図とカメラワークで撮影。この物語がバディの視線で描かれていることが伝わってくる。バディにとって父親は正義のガンマンで、父親を脅し街を破壊する暴徒たちは悪漢なのだ。

また、暴徒が街で暴れているとき、バディは女友達にそそのかされて、暴徒に荒らされた店内に侵入。万引きをしようとして母親にこっぴどく叱られる。子どもにとって暴動はときとして冒険なのだ。

まだ善悪の区別がつかないバディは、宗教問題や独立問題といった大人の理屈とは関係なく街を駆け回る。

そんな子どもの好奇心や生命力やユーモアを交えながら描いているところは、第二次世界大戦を舞台にした『戦場の小さな天使たち』(1987年)に通じるところもある。『戦場の小さな天使たち』で大嫌いな学校が爆撃されたことを大喜びする子どもたちの無邪気さが、『ベルファスト』にも息づいている。

危険な故郷を離れるか否か。それぞれに揺れる3つの世代の思い

大人たちも苦しい日々に負けないように娯楽を楽しんだ。アイルランドといえば音楽。街のダンスホールで住人たちがダンス大会をするシーンがあるが、そこで恋人の頃に帰ったように歌って踊るパとマの姿は輝いている。

映画の後半、紛争が激しさを増すなかで、バディ一家はイギリスに引っ越すか、ベルファストに残るのか決断を迫られることになる。

現在のウクライナのことを思わずにはいられない厳しい状況だが、そんな一家を静かに見守り、どんなことがあろうと故郷に骨を埋める決意をしている祖父母の姿が印象的で、二人を演じたジュディ・デンチとキアラン・ハインズの存在感が光っている。

彼らのどこか悲劇的な佇まいに、ベルファストという街が歩んできた複雑な歴史の影が投影されているようにも思われた。

バリケードで区切られた小さな世界の、美しくも悲しい物語

街が主人公とも言える本作だが、映画のサントラにベルファスト生まれのミュージシャン、ヴァン・モリソンの歌を数多く使用。

主題歌“Down To Joy”は『アカデミー賞』歌曲賞にノミネートされたが、そのソウルフルなボーカルはまるで街の声のようだ。

映画を観ていてベルファストの街が舞台の書き割りのようにも感じたが、調べてみると、映画を撮影するにあたってイギリスの空港の一角に1960年代のベルファストの街並みをセットでつくったらしい。そのどこか人工的な空間が、地元以外の外の世界を知らない「バディの小さな世界」の雰囲気を醸し出している。

ブラナーはコロナでロックダウン中にこの物語を思いついたそうだが、バディが住んでいる街は暴力によってロックダウンされ、バリケードで区切られた世界なのだ。

『ベルファスト』より / ©2021 Focus Features, LLC.

モノクロの映像でブラナーが再現した美しくも悲しい記憶。そこには現代に通じる差別や分断、暴力といったさまざまな問題が描かれているが、そんななかでも幸福な瞬間があり、家族や友人、そして、文化を愛することができたことを、この映画は伝えてくれる。

作品情報
『ベルファスト』
2022年3月25日(金)からTOHOシネマズ シャンテほかで絶賛公開中
配給:パルコ ユニバーサル映画

製作・監督・脚本:ケネス・ブラナー
出演:
カトリーナ・バルフ
ジュディ・デンチ
ジェイミー・ドーナン
キアラン・ハインズ
ジュード・ヒル

※本文の記載に一部誤りがございました、訂正してお詫びいたします



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