『リコリス・ピザ』でハリウッドデビュー果たした安生めぐみ。英語力ゼロで渡米し、夢を叶えるまで

『マグノリア』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』などの傑作を生み出し、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの「世界三大映画祭」で受賞経験を持つ、ポール・トーマス・アンダーソン監督。その最新作『リコリス・ピザ』が、7月1日より公開中。

本作は1970年代のアメリカを舞台に、野心家の子役ゲイリーと地元でくすぶる女性アラナが衝突しながらも絆を深めていくさまを描いた青春ラブストーリー。「第94回アカデミー賞」では作品賞、監督賞、脚本賞の3部門にノミネートされた。

この話題作に出演しているのが、日本人俳優の安生めぐみ。渡米10年にしてハリウッド映画デビューを叶えた彼女は、どのような道のりを経て夢の舞台への切符をつかんだのか。撮影の舞台裏とともに、その歩みを語っていただいた。

渡米10年目にしてつかんだ「憧れの舞台」。ハリウッドのオーディション方法とは?

―『リコリス・ピザ』への出演おめでとうございます。まずは本作のオーディションの話から聞かせてください。応募した時点で、ポール・トーマス・アンダーソン監督(以下、PTA)の作品、ということは明かされていたのでしょうか。

安生:最初は監督もタイトルもわからなかったんです。オーディションの情報をいただき、キャスティングディレクターの名前を調べてみたらPTA監督とずっと組んでいらっしゃる方で。

それで「もしかしたらPTA監督の新作かも?」とワクワクしたのを覚えています。しかも日本人を探しているとのことだったので、頑張るしかないと気合いが入りましたね。

『リコリス・ピザ』のトレイラー

―ハリウッド映画のオーディションの内容は、日本とは違っているのでしょうか。

安生:いままではオーディション会場に行ってキャスティング・ディレクターと対面してキャラクターを演じるのが一般的でしたが、今回はコロナ禍ということもあり「セルフテープオーディション」でした。

台本が手元に送られてきて、練習したうえで演じたものを録画して送るという形式です。

また、何回か審査を重ねて役を決めるオーディションもあるかと思いますが、私の場合は1回のセルフテープで決まりました。

―出演が決まってから、準備期間はどれくらいありましたか?

安生:1か月くらいです。私が演じたのは、「ミカド」という実在するレストランのオーナーの奥さん役でした。アルバイトでウェイトレスとして働いていた経験があったので、それを活かしつつ、いくつかパターンを考えて練習していました。

即興で演じる可能性もあったので、「もしかしたら電話を受けているかな? お皿を拭いているかな?」といったシチュエーションを想像しながら演技を練習しておいて、本番で監督から演出を聞き、実践するというかたちでした。

ポール・トーマス・アンダーソンの撮影現場の雰囲気は? アラナ・ハイムらとの交流も

―PTAは日本でも人気の監督ですが、安生さんはどのようなイメージをお持ちでしたか?

安生:PTA監督に初めてお会いできたのは、本番直前でしたね。もっと緊張するかなと思ったのですが、すごく気さくに接してくれたのでリラックスできました。

過去の映画のメイキング映像をチェックしたところ、厳しくて鋭い方なのかな? と印象があったんです。ところが、実際にお会いしたらとてもほがらかで、ウェルカムな態度で接してくれました。

すごく優しかったですし、家族に日本の方がいらっしゃることもあって、日本に対してもリスペクトを持っていました。

ポール・トーマス・アンダーソン監督とロサンゼルスのプレミア上映で再会 / 安生めぐみのInstagramより

―撮影ではしっかりとテイクを重ねた、と聞いております。

安生:そうなんです。朝から午後まで、お昼休憩をはさんで半日も撮っていただくという贅沢な機会をいただけて本当にうれしかったです。

最初にリハーサルを行なったあと、PTA監督から「めぐみ、ちょっと来てくれる?」と呼んでいただき、「今日はいろんな演技をやってもらうね。アドリブで喋り続けたり、無表情だったり、甘える態度だったり……。さまざまなパターンを試していこう」というお話がありました。

そうやってテイクを重ねていくなかで、「最後に目をそらさないパターンを撮ろう」と言って演じたものが、作品に使われたテイクです。

―それだけ時間を費やすというのは、めずらしいことですよね。

安生:そうですね。1度ハリウッドでテレビドラマに出演させていただいたときは、現場入りしてすぐ演じて、2時間くらいで終わるといった感じだったので。

今回はじっくり時間をかけていただき、主演のアラナ・ハイムやクーパー・ホフマンともコミュニケーションを取ることができました。2人もすごく優しく接してくださって、とてもうれしかったです。

―本作の舞台となった「サンフェルナンド・バレー」は、安生さんご自身もお住まいの街だとか。

安生:1970年代が舞台のお話ですが、実際に現地で撮影しているので、そのままの雰囲気が出ていると思います。映画に映し出された、街並みや夕焼けの美しさなどは、サンフェルナンド・バレーの魅力でもありますね。

―実際に完成した作品をご覧になった際はいかがでしたか?

安生:もう信じられないような気持ちでした。ずっと夢だった「自分の名前が載る」が、イメージ以上のかたちで実現して。エンドロールを観ていただくとわかりますが、名前だけでなく自分の出演シーンと一緒にクレジットを載せていただき、最高のプレゼントだと感じました。

『ミリオンダラー・ベイビー』のヒラリー・スワンクに憧れ。強い女性像に心を打たれる

―ここからは、本作に至るまでの安生さんの歩みについて教えてください。俳優業を目指したのはどんなきっかけからですか?

安生:小学生のときにテレビドラマを観て「演技をやりたいな」と思ったのですが、親からは「大人になってからやりなさい」と反対されました。

そこから時間が経って、クリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』を観たときに、主演のヒラリー・スワンクのような演技をしたい、と思ったんです。本当に大きな夢ですが、そこからハリウッドを意識するようになりました。

『ミリオンダラー・ベイビー』のトレイラー

―ヒラリー・スワンクは、『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞していますね。彼女の演技に影響を受けたのでしょうか?

安生:演技もそうですが、彼女が演じたマギーというキャラクターにも影響を受けたんです。とくに「私はもう30歳だけどボクシングがやりたい」と情熱をもってトレーナーを説得するような、強い意志を持った女性像に惹かれました。

『ミリオンダラー・ベイビー』でオスカーを受賞したヒラリー・スワンクのスピーチ。監督、夫をはじめ、周囲のさまざまなサポートに感謝を伝えた

2011年にアメリカへ。英語が話せないなか、どうやって乗り越えていった?

―その後、安生さんがアメリカに拠点を移されたのは、2011年と聞いています。東日本大震災が起きた年ですが、このタイミングでの渡米のきっかけには、どのようなエピソードがあったのでしょう。

安生:ずっとアメリカに行きたいと思って準備はしていました。このとき、当時、私は30歳近くになっていたのですが、映画俳優を志すきっかけになった『ミリオンダラー・ベイビー』のマギーの年齢とも近づいていて。

もう一度作品を観たとき、彼女が私の背中を押してくれるような気がしたんです。そして「やりたかったことをやろう」「後悔しないように生きよう」と思い、渡米を決意しました。

―なるほど。ただ、渡米当時は英語力もほぼゼロだったとか。未知のところに飛び込んでいく怖さはなかったのでしょうか。

安生:私自身楽観的なところがあって、行けば必ず話せるようになるだろうと思っていました。でも実際に行ってみたらなかなかそうはならなくて(笑)。とにかく英語の勉強をしました。

―渡米される際、周囲からアドバイスなどは受けたのでしょうか?

安生:もともとミュージカルを勉強していたのですが、もっと演技を学ぼうと思い、20歳くらいのときにアメリカ式の演技が学べる学校に通っていました。

そこで渡米への思いが強くなったのですが、俳優の先輩に「日本人であることを強みにしなさい」とアドバイスをいただいたんです。日本的な文化を知っていて、ちゃんと体現できるようになること。そこで日本舞踊を学んだりしました。『リコリス・ピザ』でも、その経験が生きましたね。

―と、いいますと?

安生:じつは今回、最初は70年代風の洋服で登場する予定だったんです。ただ、PTA監督がカメラチェックをして和装に変更したいと。

衣装担当の方はアカデミー賞を受賞されている方でしたが、着物の着つけまではすぐに対応できなくて。そこで急いで自分でやりました。学んでおいてよかったと感じましたね。

―かなりフレキシブルな現場だったんですね。

安生:ヘアメイクの方に「こういう風に急に変わることはあるんですか?」と聞いたら「ときどきあるよ」と言っていました。そういった場合も想定して、しっかり準備してきたことが功を奏しましたね。

オーディションで不採用が続いてもあきらめない。支えになった「10年ルール」 とは?

―安生さんは渡米されてからは、まず学校に通っていたんですね。

安生:はい。まず英語を使う環境に入ろうと思い、いろんな年代の人が気軽に通える「アダルトスクール」という英語学校に通い始めました。

その後、まだまだ英語力が足りないと感じ「ロサンゼルス・バレー・カレッジ」という学校に入りました。

―語学学校ではない、一般の学校に入るのは、ややハードルが高そうにも思うのですが、どうでしたか?

安生:「コミュニティーカレッジ」と呼ばれる、日本では「短大」にあたるような2年制の学校でした。地域に根づいていて、若い子から年配の人まで、幅広い年代の人が学んだり、学び直したりする機会を求めて入る場所でもあります。

世代が違う人たちとなじむのには少し時間がかかりましたが、さまざまな方がいるので溶け込みやすい環境でしたね。

学校の先生たちはとにかく学生のたちの良いところを見つけて褒めてくれるんです。海の向こうから来た私に対して、いつも応援して、進路についてもまるで自分のことのように一緒になって真剣に考えてくれました。これらがモチベーションや自信にもつながりましたね。

―それは良い環境ですね。

安生:渡米してちょうど7年目くらいのときに、なかなかチャンスがつかめず落ち込んでいたのですが、先生が「10年ルール」という考え方を教えてくれたんですよ。

これは「ビギナーがプロフェッショナルになるには10年の期間が必要」という考え方です。こうした周囲からの教えやサポートから、一生懸命に取り組んでいたらいずれはチャンスが訪れるはず、と自分に言い聞かせていました。

―今回、まさに10年越しに実現しましたね。アメリカでの活動は、こういったモチベーションの維持が重要なカギだったのでしょうか。

安生:そうですね。オーディションを何度受けても、決まらないことも多いですから。ただ私の場合は「どうしてもやりたい」という思いが「あきらめよう」という気持ちよりも強かったので、どんなに時間がかかってもやれるはずだと信じていました。

「ダイバーシティ」を意識し、変わりゆくハリウッド。安生めぐみの次なる目標は?

―近年、ハリウッド作品の大役をアジア人が演じるなど「アジアン・パワー」が強まっているという向きもありますが、安生さんはどうご覧になっていらっしゃいますか?

安生:私自身、歴史や映画史に詳しいわけではないのですが、『ラスト サムライ』のあたりから日本人を題材にした映画が撮られることが増えてきて、そこからドラマでも、日本人をはじめ、アジア人の役が増えてきていると感じます。

あと、少し前は日本人の役でもアメリカ英語しか話せない方が演じることが多かったり、日本人の登場人物にほかのアジア人が起用されていたりすることもありました。

でも最近は、日本語をきちんと話せるキャストや、登場人物と同じ国籍の俳優を起用するようになってきているので、すごくうれしく感じています。

『ラスト サムライ』のトレイラー

―ご自身のハリウッドでの生活に、そうした変化はありましたか?

安生:それはあまりないかもしれません。私がハリウッドで出会ってきた人たちは日本の文化が好きな方が多く、日本に対するリスペクトもあったように感じています。

どちらかというと、映画をはじめとするエンターテイメント業界が、「ダイバーシティ(多様性)の尊重」といった世の中ごとを意識して、業界を変えていこうとしているように思います。

―最後になりますが、『リコリス・ピザ』出演を経て、今後の目標を教えて下さい。

安生:より多くの作品にかかわれるよう、これからも日本人俳優として頑張っていこうという思いがあると同時に、ミュージカルの映画やドラマにも挑戦してみたいという気持ちもあります。

日本でもやってみたいですし、フィールドを限定せずに取り組めたらと思っています。

作品情報
『リコリス・ピザ』

TOHOシネマズ シャンテほか全国で公開中

脚本・監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:アラナ・ハイム
クーパー・ホフマン
ショーン・ペン
トム・ウェイツ
ブラッドリー・クーパー
ベニー・サフディ

© 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
プロフィール
安生めぐみ (あんじょう めぐみ)

昭和音楽大学短期大学部ミュージカル科の卒業公演で主役を務め特別賞を受賞。卒業後、「アップスアカデミー」でアメリカの演技手法を学ぶと同時に、「日本舞踊正派西川流」に入門し、師範名取となる。2011年に本格渡米し、映画の名門・南カリフォルニア大学で短編作品に参加。学業を続けるかたわらコミックオペラ『ペンザンスの海賊』にケイト役で出演。渡米10年目にして、ポール・トーマス・アンダーソン監督最新映画『リコリス・ピザ』の撮影に臨み、NBCの人気ドラマ『グッドガールズ:崖っぷちの女たち』シーズン4にも出演。映画とテレビでの同年デビューをはたす。



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