「女性描写」から紐解くMCUと『ドクター・ストレンジ/MoM』。ワンダを中心に渦巻く賞賛と非難

(メイン画像:『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』 (c) Marvel Studios 2022)

全世界興行収入8億ドルを突破した『ドクター・ストレンジ/MoM』。その賛否両論の背景は?

レビューサイトやSNSを通じ、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』のレビューにざっと目を通してみると、その話題の中心にいるのは圧倒的にワンダ・マキシモフ=スカーレット・ウィッチである。

ドクター・ストレンジによる型破りの魔法バトル、そのさらなる成長と、新たなるヒーロー、アメリカ・チャベスとともに駆け抜けるギミックたっぷりのマルチバースの風景など、見どころはたっぷりだったが、それでもこの映画の真の主役はスカーレット・ウィッチであるということでおおかたの観客の意見は一致しているように見える。

話題作なら当然だが、本作にも賛否両論がある。その賛否両論の渦のなかで、圧倒的に俎上に上がっているのも、スカーレット・ウィッチだ。

映画内での彼女の描写をめぐるさまざまな反応を見るに、大まかには以下の2つに分けられるように思う。

パワフルなスカーレット・ウィッチの破壊行為を見るのが「快感だった」という反応。そして、彼女が演じる役割が「旧態依然の『女性らしさ』に終始している」という反応だ。

スカーレット・ウィッチが体現した「魔女」という存在の多面性

賞賛と非難という、正反対の反応。これは非常に興味深い。

現代においては、「魔女」という言葉には非常に多面的な意味が含まれている。ネット上に流れるさまざまに異なる反応は、スカーレット・ウィッチが、魔女というシンボルが持つ多面性をプリズムのように反射していることの表れとも取れる。

魔女は中世では忌まれ、人々の恐怖は「魔女狩り」を引き起こし、数世紀に渡って無実の人間が数十万人に渡って虐殺された。

「ウィッチ(witch)」には女性だけではなく、男性も含まれているとされ、中世の魔女狩りでは男性も数多く処刑されている。しかし、魔女術の罪で告発され、処刑されたのは多くが女性だった。「魔女」という言葉には女性に対する差別と迫害の歴史が刻まれている。

その一方で、現代社会における魔女は、それとは大きく異なるイメージを担っている。数々の創作物で活躍する「よい魔女」たちが過去のイメージを払拭している。驚異的な力を持ち、思うままに行動できる魔女たちは憧れの存在だ。世間の偏見や抑圧をはねのけて活躍する彼女たちはラディカルな反権力の象徴でもあり、アクティビストやフェミニストの象徴とされることも多い。

つまり、「魔女」とは、社会が女性に一方的に押しつけてきたあるべき姿や偏見と、その呪いからの解放と自立、両方を体現するシンボルなのだ。

スカーレット・ウィッチは1964年にコミックでヴィランとして初登場した。

初期のアメコミは、あらゆる大衆娯楽の要素を寄せ集めて創作されており、そこには古くから親しまれる騎士物語も含まれている。ヴィランのなかに魔女が混じるのは必然で、そんなに深い意味があったようには思えない。しかしそれから長い時期を経て、世界的な有名キャラクターとなった彼女が名前どおりのシンボル性をまとったことは感慨深い。

近年の映画界の多様性をリードするMCUは、これまで女性をどのように描いてきたか?

2021年からはじまったMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のフェーズ4で、マーベル・スタジオにおける多彩なバックグラウンドを持つジェンダーや人種の起用は加速しており、ハリウッドにおける大型娯楽映画の多様性をリードする存在のひとつとなっている。

『シャン・チー/テン・リングスの伝説』はMCU初のアジア系ヒーロー作品として2021年に公開。主演はシム・リウが務めた

MCUフェーズ4として公開された『エターナルズ』(2021年)には、黒人でゲイのキャラクターであるファストスのキスシーンが存在し、耳が聞こえないキャラクターであるマッカリにろう者の女優であるローレン・リドロフを起用するほか、アジア系のジェンマ・チャンやマ・ドンソク、パキスタン系のクメイル・ナンジアニ、メキシコ系のサルマ・ハエックといった俳優陣を主役級のキャラクターに配するなど、非常に多様性に配慮した作品として知られる。監督は『ノマドランド』(2020年)のクロエ・ジャオ

しかし、この流れはごく最近、フェーズ3(2016年〜2019年)からはじまったものだ。フェーズ1〜フェーズ2(2008年〜2015年)を多様性という点から鑑賞すると、かなり視野が狭いものであることは否定できない。総勢6名のアベンジャーズの創立メンバーに、女性はブラック・ウィドウたった一人。

ブラック・ウィドウをめぐっては、まさに漫画的なセクシー・スパイとして登場した『アイアンマン2』(2010年)から、チームの母親のように振る舞い、恋の逃避行を望んだ『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』(2015年)、自ら命を絶った『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)まで、つねに固定されたジェンダーロール、つまり「女性はこうであるべき」という役割の押しつけをしているという声が必ず上がっていた。

MCUフェーズ4として公開された本作では、ブラック・ウィドウの語られざる生い立ちや人生にスポットが当てられた

MCUフェーズ3として公開された『キャプテン・マーベル』(2019年)では、アベンジャーズが結成される以前の物語が描かれる。本作の監督はアンナ・ボーデン、主演はブリー・ラーソンで、マーベル初の単独女性主演作&初の女性監督作となった / 関連記事:映画『キャプテン・マーベル』は何と戦い、何を打ち破ったのか?(記事を読む

マーベル・スタジオはファンの反応や世間の変化をいち早く取り入れるスピード感を武器にしてきたが、こうした声への反応はあまり素早いものではなかった。作品のベースにしているコミックも、ハリウッドも、男性優位の色合いが強い文化であったためだろう。

この点はMCUの女性ヴィランの少なさにも現れていた。フェーズ1〜フェーズ2までは、女性ヴィランは実質ゼロだ。

実際に統計上、犯罪者の割合は男性が多いのだ、という反論もあるだろう。しかし、割合がどうあれ、女性だって道を誤ることは当然ある。それを描写しないということは、やはり女性に「優しさ」や「品行方正さ」などの理想像を当たり前のように押しつけているととらえることもできる。

MCUフェーズ3として公開された『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017年)のヴィラン、死を司る女神ヘラは、公開当時「史上最強の敵」として登場。ヘラは映画のなかではソーの姉という設定で描かれる

女性キャラクターの「当たり前」を打ち壊しながら、女性のステロタイプの枠に囚われたスカーレット・ウィッチの複雑さ

しかし、フェーズ3から意識的な変革がはじまり、フェーズ4においては、キャラクターの属性が何であろうとも、決まった枠にとどまることはもはやない。この力強い流れのなかで、凶暴なヴィランとなったワンダを見る満足感は、彼女がこれまでの女性キャラクターの「当たり前」を打ち壊した点に深く根ざしていると見ることができるだろう。

彼女が何もかもをなぎ倒す姿から感じられる爽快感は、従来型の権力者男性タイプのヴィランからは得られないものだ。

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』トレイラー映像

しかしその一方で、彼女の描写は、旧態依然とした女性像の枠に囚われすぎてもいる。

本作でのスカーレット・ウィッチの行動からは、主体性が欠けている。子どもを失った悲しみから、ワンダは邪悪な呪文書「ダークホールド」で禁断の魔法に耽り、狂気に陥る。この書には、彼女が破滅の魔女、スカーレット・ウィッチとなることが予言されていた。

彼女を突き動かすのは、避けられぬ運命、邪悪な書物、子どもらへの愛ゆえの狂気。しかし、それでは、彼女の「意思」はどこにあるのか?

たしかに彼女は、サノスをも上回る最強のヴィランだ。しかし、それは彼女自身が望んで選び取った姿ではない。彼女にパワーを繰り出させるのは、野心や戦略ではなく、統制できない衝動である。

衝動的な狂気、主体性のなさは、女性に一方的に押しつけられた偏見の最たるものだ。「狂気の母親」というステロタイプも同様に。この古臭いイメージを、現代の魔女にも押しつけようというのだろうか?

アメコミという文化の持つ長い歴史、MCUの巨大な映画世界がゆえに生じたジレンマ

彼女をめぐっては、これらとはまた別の立場からの発言も大変多く見受けられたことにも触れておきたい。

Disney+で2021年より配信している連続ドラマ『ワンダヴィジョン』を視聴したファンたちからの反応だ。

本作の前日譚を描く『ワンダヴィジョン』では、ワンダの心情が細やかに描かれている。両親、弟と死別し、さらに恋人のヴィジョンまでも失った彼女は、ヴィジョンと結婚し、子どもたちと一家揃って暮らす虚実の世界を魔法で作り上げ、そのなかに逃避してしまう。

しかし、やがて彼女は現実と向き合うことを選び、自ら魔法を解いてヴィジョンとの別れを受け入れる姿が描かれている。

『ワンダヴィジョン』予告編 / 関連記事:マーベル作品の異端かつ、ど真ん中 『ワンダヴィジョン』(記事を開く

このドラマを見ていたからこそ、劇中でのスカーレット・ウィッチが抱える深い悲しみが理解できた、と語る人々も多数いる。

その一方で、ワンダの絶望と再生の物語に共感を寄せていたのに、映画には血まみれのホラークイーンの面しかない、と不満を述べる人々も多い。サム・ライミ監督がRolling Stone誌のインタビューで「『ワンダヴィジョン』のすべてを視聴したわけではない」(*1)と打ち明けたときに、「ドラマを尊重していない」と非難の声をあげたのはこの層だ。

他方、ドラマをまったく見ておらず、ワンダの変身にただ驚いていた人々もいる。

キャラクターの心情面をドラマに担わせ、その末の暴走を劇場映画で描くという今回の構成では、ワンダとスカーレット・ウィッチの描写がまるで別人格のように分裂していると感じる観客が出てくるのは避けられない。

連載が何十年も続き、多くの作家たちが交代しながらストーリーを描くアメリカのコミックでは、こうしたキャラクターの表現の非連続性がしばしば起こる。

過酷な運命に翻弄され続けたワンダは、この先どんな道をたどるのだろうか?

原作でのスカーレット・ウィッチは、やはり双子の子どもたちをつくり、失った。

しかし、一家が幸せに暮らす次元を見て安堵した彼女が己の現実を受け入れる場面も描かれたのに、そのあとまた喪失と怒りで気が狂い、何もかもを破壊して、新しく構築した世界のなかに閉じこもる一連のストーリーが描かれる。これが『ワンダヴィジョン』から『マルチバース・オブ・マッドネス』に至る原案となっている(*3)。

アメコミでは比較的作家の自由度が高いため、こうしたことはどのキャラクターでも起こりうることだが、ワンダの歴史を俯瞰で見ると、怒涛のような運命に巻き込まれ、小舟のように翻弄される描写が多い。コミックとMCUはかなりストーリーが異なっているが、全体の流れとしては同じようなことが起きていると言えるだろう。

『マルチバース・オブ・マッドネス』のラストで、スカーレット・ウィッチは自滅の道を辿る。しかし、これで終わりとならないことは、コミック原作映画を見慣れた観客にとっては常識だろう。ワンダを演じるエリザベス・オルセンも、「Collider」のインタビューで「これで終わりとは思っていない」(*2)と発言している。

近年のコミックストーリーでも彼女の人生は困難なままだが、失われたアイデンティティーを統合し、自分の道を歩む姿が印象的だ。

スカーレット・ウィッチの旅はまだはじまったばかり。劇中でプロフェッサーXはこう言った。「つまづき、道に迷った者も、永遠に迷子でいるわけではない」。

彼女の行く末はまだ暗闇のままだが、ワンダが自分の手で光を灯す力があるのは誰もが知るところだ。彼女がこれからも現代の魔女として、私たちの心をさまざまにかき立てていくことを期待したい。

*1:Rolling Stone「From ‘Spider-Man’ to ‘Doctor Strange’: How Sam Raimi Conquered the Superhero Multiverse (Again)」(外部サイトを開く
*2:Collider「Elizabeth Olsen on ‘Doctor Strange 2,’ Her Marvel Contract, and How She Never Met Some of the Cast While Filming」(外部サイトを開く
*3:邦訳出版されているが、すでに絶版。『アベンジャーズ:ディスアセンブルド』、『X-MEN/アベンジャーズ ハウス・オブ・M』いずれもヴィレッジブックス

作品情報
『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』

2022年5月4日(水・祝)公開

監督:サム・ライミ
製作:ケヴィン・ファイギ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

出演:
ベネディクト・カンバーバッチ
エリザベス・オルセン
ベネディクト・ウォン
レイチェル・マクアダムス
キウェテル・イジョフォー
ソーチー・ゴメ


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