命が消えても、スピリットなら残せるかもしれない。DYGL・Akiyamaインタビュー

ときが経つのは早い。2021年の初夏、渋谷でDYGLのボーカル・Nobuki Akiyamaの取材に立ちあってから、いつのまにか1年半の歳月が過ぎていた。その間にDYGLは4thアルバム『Thirst』を完成させたが、同バンドが3rdアルバムを発表するまでに9年の時間をかけていたことを思い返すと、この制作ペースは異例のようにも思える。

「気持ちいい音を出してみて、結果的にそれがロックじゃなくなってもいいぐらい、自由に音楽をやれるようになった感覚がある」。以下に続くAkiyamaのインタビューからは、DYGLがいま、自分たちの状態をどのようにとらえているのかが伝わってくるだろう。そしてこれから先の未来に、何を想っているのかも。

「100年後にはほとんどのものが残らないと思う」「だけど、スピリットなら残せるかもしれない」。そう語るAkiyamaの目に揺らぎはなかった。2023年、冬の渋谷における会話の一部をお届けする。

DYGL『Thirst』を聴く(Apple Musicはこちら

「自分やバンドにとって必要なものがわかってきた」

―まずは4thアルバム『Thirst』について話を聞かせてほしくて。メンバーによる完全セルフプロデュース作ということですが、作品をつくり始める前に、コンセプトや方向性は決めていましたか?

Akiyama:全体像について事前に決めていたことはなくて、いま自分たちが気持ちいいと思っている音をそのまま出してみようという感じでした。3rdアルバムの『A Daze In A Haze』(2021年)をつくったときに、それまでの自分たちよりも自由になれた感じがあったので、そのムードのまま。

1st、2ndのときは「ロックの歴史に名を残さなきゃ」というような感覚があったんですが、3rdくらいのときに「もうそういうことにこだわらなくてもいいか」と思えてきて。そこから一つの方向性を決める作業も無理にしなくなりましたね。気持ちいい音を出してみて、結果的にそれがロックじゃなくなってもいいぐらい、自由に音楽をやれるようになった感覚がある気がします。

―自分がやりたいことを素直にやるのは、それが共同作業であればなおさら、難しいことでもあると思います。なんで今回DYGLにはそれができたんでしょう?

Akiyama:いくつかの要因があると思っていて。まず10代から20代の頃は、自分がどういう音楽をやりたいのかとか、自分にとって居心地の良いことが何かとか、じつはわかっていないことだらけで。だからとりあえず全部やってみる気持ちで、割とがむしゃらに進んできた感覚がありました。

特に2ndを出した頃は「DYGLっぽい像」はあってもバンドとして何がしたいのかがはっきりしない状態で。それぞれが自分のことをわかっていないうえに、方向性もバラバラだったから、みんなが持っている良さを潰してしまったようなところもありました。もちろん2ndも個人的に好きなアルバムではあるんですが、振り返ると結構厳しい期間だったと思います。

でもいまはそういう経験を重ねてきたからこそ、だんだんと自分やバンドにとって必要なものがわかってきた感覚があって。コロナがなかったら、がむしゃらな期間がもう少し続いていた気もするんですが、コロナ禍に入って海外にも行けなくなったことで、かえってゆっくり考えられる期間ができた。そこで1回リラックスできたことが大きかったと思います。

個人的にはTAWINGSのコニー・プランクトンとDeadbeat Paintersってバンドを始めて、DYGL以外にもアウトプットできる場所が生まれたことも大きかったですね。自分のなかで、どこで何を表現したいのかが整理された感覚があって。経験と時代と環境と、いろいろな要因が組み合わさって、いまのムードにたどり着いたんだと思いますね。

―作詞に関してはどうでしたか? 前回のインタビューで「一人で書く詩は鬱々としているものが多いけど、歌詞は楽曲に引っ張られて少し明るくなる」と話していたのが印象的で。

Akiyama:前作よりも今作の方が、自分が純粋な詩を書くときのテンションと近い感覚で歌詞を書けた部分があったかもしれません。

それこそ自然に音楽を楽しめるようになった影響もあるかもしれないけど、言葉を変に曲に寄せなくても成立するような感覚になれた気がして。

―個人的にはあっきー(Akiyama)が作詞作曲を1人で担当している“Lodead Gun” “Salvation”“The Philosophy of the Earth”の3曲の歌詞が、ほかの曲よりもよりダイレクトな印象を受けました。〈救い それは僕に必要なもの〉と書き切っている“Salvation”の歌詞とか。

Akiyama:誰かが書いたdemoに歌詞を載せる作業だとまず客観的に曲を聴けるから、割と安定した気持ちで歌詞を書けてるのかもしれないですね。自分の書いた曲に関しては初めから終わりまでずっと自分のなかでの対話を続けなきゃいけないから、いい意味で不安定な部分が出ているんだと思います。

たしかに“Loaded Gun”の歌詞はかなり危うい気持ちまで表現できたかな、という感覚があって。いま言われるまでその辺の区分は無意識だったけど、面白いね。

“Loaded Gun”を聴く(Apple Musicはこちら

「町中の個人商店が全部イオンになる寂しさはある」

―自分は今回のアルバムを、揺れる焚き火を見ているような感覚で聴いていて。嬉しい気分も悲しい気分も、いろいろな感情が同じ場所に同居できる感じとか、その振れ幅がすごく好きでした。

Akiyama:ありがとうございます。

―楽曲のバリエーションも豊かで。長さが5分を超える曲もいくつかあったけど、そのことについて何か意識していた部分はありましたか?

Akiyama:長い曲を書こうみたいな意識はなかったかな。最近は世の中的にすごく短い曲も出てきているから、そういう流れに追随しすぎないってのはあるかもしれないけど。単純に短い曲もいいなと思うし、長い曲もよくない? って感覚がそのまま出ている感じです(笑)。

―短い曲が流行ることに対する抵抗とかではないんだね。

Akiyama:いま自分で「どれが長い曲だっけ」って考えていたくらい(笑)。でも結果的にそうした曲を残した背景には「世の中が同じようなものばかりになるのはつまらないな」って感覚が、無意識に働いていたのかもしれない。とはいえ5、6分の曲なんて世の中には余裕であるから、こんなふうに言うのも、ちょっと恥ずかしいんですが。

でも、町中の個人商店が全部イオンになってしまう寂しさはあるわけで。音楽も一つのトレンドばかり追いすぎてしまうと面白くないなって気持ちはやっぱりあります。多様なものがあったほうが、単純に生きていて楽しいし。

結果的に時代に合っていても合っていなくても、自分たちがまず気持ち良くて、それをわかってくれる人がある程度いるんなら、それがなんであれやる意味はあるかなと思います。差別的なことじゃなければね。多様って言葉も擦られまくっているから、大事に使わないとそれすらちょっとチープに聞こえちゃうけど。

―多様って言葉が擦られまくってるという話は、記事タイトルでその言葉を使ったことがある自分にとってもすごく生々しい話で……。

Akiyama:難しいよね。多くの人の目につく場所にその言葉が出るのは大事なことだと思うんだけど。ただそれが「ブーム」になってしまうと、「ブーム」っていつか終わるから。そうならないように定着してくことが大事だとも思います。

「例えかたちが残らなくても、スピリットなら残せるかもしれない」

―誤解を恐れずに言えば、今回『Thirst』で、アルバムを1枚通して聴くという行為を久々に体験した気がしました。

Akiyama:曲の長さの話のとき、ちょうど自分もそのことを考えていて。最近は曲の長さどころか、映画も2倍速で観るとか、情報をできるだけ速く摂取する方向に世の中が向かっていて。30分、1時間というレベルに限らず、何年かずっと一つのことを考えるということも少なくなってきているのかもしれない。でも、長く一つのものと向き合う行為によってしか得られないものもきっとあるはずだということは、多少意識しています。

―アルバムの聴かれ方についても?

Akiyama:最終的に聴かれ方はなんでもいいと思っているんだけど、自分たちが音楽に向き合う姿勢として、ジャンクにつくってシャンクに消費されるというよりは、もう少し耐久力があるものを目指したい。100年、200年後にはほとんどのものが残らないとは思うんだけど。

―いまあっきーが「100年、200年後にはほとんどのものが残らない」と言い切ったのが自分にとっては驚きで。「残らない」とある種割り切りながらも「耐久力があるものを目指す」という考え方に、どうやって辿り着いたの?

Akiyama:自分も特に初期の頃は、よく「普遍的なものをつくりたい」と言っていた記憶があって。タイムレスなもの、普遍的なもの――それこそThe BeatlesとかSex Pistolsみたいな、アーティストがロックの歴史の系譜のなかで10年後、20年後、100年後にも語られていく可能性はあると思うんだけど。でも最近は「じゃあ500年後は? 2000年後は?」と考え始めて。

Akiyama:例え信じられないぐらい才能がある人だとしても、2000年後の世界では思い出されない人のほうが多いんじゃないかと思った。シェイクスピアの時代だって、同時代の評価としてシェイクスピアより評価されていた人は当時きっとたくさんいたんだと思う。その人たちのことを、国も時代も違うぼくらが思い出すのって専門家でもないと結構難しくて。

そう考えたときに、タイムレスで普遍的なことを狙いすぎるよりは、真剣にいま意味あるものをつくっていくことに焦点を当てるようになったのかもしれない。

―うんうん。

Akiyama:耐久性という意味では、例えかたちが残らなくても、スピリットなら残せるかもしれないということを、最近特に強く意識しているかもしれません。

最後は人も消えていくわけで。それこそつい最近、仲がよかった友達の1人が亡くなってしまって。命もものもいつかは消えていくなかで、まずはいま自分が生きているあいだに周りの人や自分がハッピーにできるものをつくることって、めちゃくちゃ大事だなとあらためて感じる。

今回のアルバムがもしも後世に残らなくても、自分たちがいまどういう気持ちで人と向き合っているかとか、何を歌っているのかが誰かに伝わって、どこかでまた別の表現につながっていくのなら、それこそ創作活動の意義かもしれないと感じるようになりました。とはいえ、替えの聞かない一曲一曲の音楽として聴いてもらえるのは、素直に1番嬉しいです。

―いま話を聞いていて、『Thirst』のアルバム資料のなかに「世界に3人くらい、この曲でギターを練習してくれるバンドキッズがいれば」というコメントがあったことを思い出しました。DYGLの音楽を聴いた人が、次の行動を起こしていくっていう。

Akiyama:そうだね。つけ加えるなら、コピーはもちろん嬉しいけど、そのあとに自分の曲を書いてほしいなとも思います。むしろそっちの方が大事かもしれない。自分も海外の音楽とかBUMP OF CHICKENを聴いて「音楽すごっ」と思って曲を書き始めたから。音を聴いているだけで情景が浮かんで、自分の毎日が充実してく感覚があったし、いま振り返ればそれで生まれた人間関係もあるし。

そういう楽しい連鎖がどんどん受け継がれていけばいいなと思いますね。それは歳上から歳下にとも限らなくて、最近ではぼくら自身下の世代から受け取るものも多い。そうやって自分たちの音楽が、誰かに何かをしたいって思わせるものになっていたら嬉しいなと思います。

突き詰めれば「シーン」は存在しない?

―DYGLは2月10日までの日本ツアーを終えたあと、2月19日と3月10日に追加公演を実施する予定だと聞きました。この2公演にはそれぞれゲスト(ANORAK!、Strip Joint、TOSH、HOME)も招いていますが、今回のラインナップはどうやって決定したんですか?

Akiyama:好きな人たち(笑)。

―(笑)。シンプル。

Akiyama:そう、シンプルに自分たちがファンで、音楽がいいなと思っている人たち。ライブ見たいし(笑)。

―そっか。何か特別な意味を持たせるような感覚ではないんだね。

Akiyama:もちろん自分たちにとっても、皆にとってもいい機会なればいいなとは思っているけど。でも基本的に「シーンをつくる / 背負う」みたいな考え方も好きじゃなくて。

それよりも各々で真剣にものづくりをしている人たちが緩く、上下関係にも縛られずにサポートし合う場所があちこちにあればいいなと思ってる。もちろん音楽というジャンル以外で活動する人にも、真剣に表現を受け止めているリスナーの人たちにとっても。

―「シーンをつくる / 背負う」みたいな考え方が好きじゃない、という部分について、具体的にどういうところに違和感を抱いているのか聞いてもいいですか? 例えば、自分がシーンを背負わされることに違和感があるとか?

Akiyama:自分に限らずこれまで日本社会を眺めていて思うところがいろいろあって。でも、究極まで突き詰めると、シーンなんてものは本当はないはずだと思っているところがあるかもしれません。それぞれがそれぞれの表現をしているだけで。

状況を盛り上げるためにメディアは一つのシーンという括り方をするし、それによって生まれるクリエイティビティーもあると思うから、完全に悪いものではないと思うんですが。なんなら好きだったムーブメントとかもあるし。でも自分はどちらかと言えば、勝手にやっていたら結果的にそうなっていた、くらいの自然さのほうが好きなんだと思います。言い換えれば、つくられたものが嫌だっていうことになるかもしれない。

―うんうん。

Akiyama:あとは自分に当てはめて考えると、「シーン」みたいな大きなものに引きずられてしまったら、自分がそのとき本当に表現したかったものから離れてしまうかもしれないという気持ちがあります。

Blurのデーモン・アルバーンがわざわざ「ブリットポップは死んだ」と言ったように、自分の心と対峙し続けている人ならきっと、表現を一つの枠に縛られたくないって気持ちがあると思う。バンドのムードも時代のムードも、そのときどきで変わるものだから。

自分が向き合えるのは、最終的には自分の心だけだと思っていて。そこであんまり外側のものに責任を負いすぎると、感覚がずれてしまう気がするんですよね。もう少しうまく言いたいけど……とにかくみんなそれぞれが、好き勝手に表現をしている状態が最高だと思うかな。

ものづくりにもライブにも、自分の気持ちにアクセスできる鍵はある

―日本での公演が終わったら、そこからは息つく間もなくアメリカツアーが始まる予定です。単純すぎる質問かもしれないけれど、ライブをすることと作品をつくることは、それぞれどういう影響をバンドに与える行為なんでしょうか?

Akiyama:個人的な性格で言うと、ものづくりがすべての始まりという感覚があります。ライブをするために曲を書いているというよりは、つくった曲があるからライブをするという気持ちが強くて。

自分の話だけで言えば、もともとは1人で部屋に篭ってずっとものをつくり続けているような性格で。いかんせん歌が好きだったから、歌うために前に出たり、人前で喋る機会を与えてもらったりもしたけど。

でも、いまでもたまに「なぜか自分が人前に出てる」って感覚を覚えるときがあるんです。人前には一生慣れないし。でも一方で、ライブでしか解放できない自分がいるのもわかっていて。

ライブは、うまくハマらないときは結構大変な作業だけど、ハマったときには一番深い部分にある自分の気持ちを、ものすごい速度でほかの人に伝えられる行為だと思います。その実感が確かにある。そう考えると、ものづくりにもライブにも、ちゃんと自分の気持ちにアクセスできる鍵があると思えますね。

イベント情報
『DYGL JAPAN TOUR 2023』東京追加公演

2023年2月19日(日)
東京都 渋谷 CLUB QUATTRO
出演:
DYGL
ANORAK!
Strip Joint
料金:前売4,800円(ドリンク代別)


『DYGL JAPAN TOUR 2023 / Output 11th ANNIVERSARY』

2023年3月10日(金)
沖縄県 那覇 Output
出演:
DYGL
TOSH
HOME
料金:前売4,500円 当日5,000円(ドリンク代別)
リリース情報
DYGL
『Thirst』


2022年12月9日(金)リリース
価格:2,500円(税別)
HEC-008

1. Your Life
2. Under My Skin
3. I Wish I Could Feel
4. Road
5. Sandalwood
6. Loaded Gun
7. Salvation
8. Dazzling
9. Euphoria
10. The Philosophy of the Earth
11. Phosphorescent / Never Wait
プロフィール
DYGL (でいぐろー)

2012年に大学のサークルで結成されたロックバンド。Albert Hammond Jr.(The Strokes)がプロデュースした1stアルバム『Say Goodbye to Memory Den』(2017)は、国内外の多くのメディアの注目を集めた。2019年には2ndアルバム『Songs of Innocence&Experience』をリリース。世界53都市を巡るツアーを遂行し、日本のみならず北京・上海・ニューヨーク公演でチケットが完売となった。2021年には3rdアルバム『A DAZE INA HAZE』、2022年には4thアルバム『Thirst』を発表。



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