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同性愛がタブーな社会に生きる職人と妻、若い助手。『青いカフタンの仕立て屋』が描く語られざる物語

モロッコの海沿いに位置する古都サレ。結婚式や宗教行事などフォーマルな席に欠かせないモロッコの伝統衣装であるカフタンの仕立て屋を夫婦で営むハリムとミナのもとで若い助手ユーセフが働きはじめ、物語はゆっくりと動き出す……。

マリヤム・トゥザニ監督は日本では2021年に劇場公開された『モロッコ、彼女たちの朝』(2019年)で、不遇の境遇に置かれる未婚の妊婦と彼女を家に招き入れるパン屋を営む女性というふたりの女性を描いた。『モロッコ、彼女たちの朝』は、『カンヌ国際映画祭』でセリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』(2019年)と同年にクィア・パルム賞にノミネートされたが、本作『青いカフタンの仕立て屋』では同性愛という主題をより前景化させた。2022 年の『カンヌ国際映画祭』では国際映画批評家連盟賞を受賞し、世界的にも高く評価されている。これら長篇劇映画たった二作を観ただけでも、すでにトゥザニ監督が確固たる作家性を築き上げているのは明らかであり、今年の『カンヌ国際映画祭』ではコンペティション部門の審査員にも選抜された。

「観る」のみならず「触れる」映画でもある『青いカフタンの仕立て屋』がいかにしてつくられたのか、同性愛に対して苛烈な社会であるモロッコの現状、そこで出逢った観客たちのこと。情熱と愛をもって本作について語ってくれたトゥザニ監督のインタビューをお届けする。

触れ合う手と手、光とクローズアップ。映画における「触覚性」とディテール

―トゥザニ監督の前作『モロッコ、彼女たちの朝』では、パンの生地をこねる女性同士の手と手の触れ合いを官能的に映し出していましたが、『青いカフタンの仕立て屋』ではさらに触覚性を深化させていますよね。映画における触覚性について、どうお考えでしょうか?

トゥザニ:まず主人公のハリムはカフタン職人という設定なので、観客には彼と一緒に縫製しているような感覚になってもらえるよう撮りました。手で触れるだけでも、エモーションは十分に伝達できるのだと私は考えています。それを映画で見せれば、細かく描かなかったとしても観客に対して感情を伝えられると思うんです。

今作は、映画を有機的で情動的なアプローチでつくっていくと、最初から決めていました。そうすれば私たちはより登場人物たちに近づけますし、きっと彼らの親密さや物語の内側からくるものに寄り添えるはずだと考えていたんです。

―布地を映したファーストショットもそうですが、クロースアップを多用されていますよね。そうした具体的な映画技法として、観客の身体的な感覚に訴えかけるためにどのようなことを意識されたのでしょう。

トゥザニ:光もまた、この映画の重要なファクターのひとつになっています。たとえばミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオの絵画ではないですが、感情を表現するため、カメラマンとともに照明は意識しました。

―ハリムと妻のミナ、助手のユーセフの三人の張り詰めた緊張関係が緩んでゆくにつれて、画面が明るくなるよう調整したそうですね。ほかには何かありますか?

トゥザニ:ディテールをスクリーンに刻むこともまた重要でした。私たちの人生は、往々にしてディテールによって構成されているからです。ディテールはその人自身を浮かび上がらせてくれるものですが、日常生活のなかではそれがあまりにもささやかなために、しばしば私たちは見逃してしまう。でも映画は、そういったディテールを捉えることができます。

―映画を観ていると、室内であっても絶えず街の喧騒の音が聞こえてきますが、私たちが息を飲むような瞬間にはその音が止み、しんとなる印象を覚えました。

トゥザニ:この映画には、独特のリズムがあります。そして彼らの手が触れ合う瞬間に、一旦そのリズムを止めるんです。手が触れ合うと外の雑踏が聞こえなくなり、観客は登場人物の内面へと入り込めるようになっています。

―台詞は極力抑えられていて、わずかな仕草や表情などの機微が繊細に捉えられていました。

トゥザニ:私にとって映画は台詞だけではなく、見えざるジェスチャーも重要です。言語以外の要素もまた映画を形作っているものなので、観客は人物のまなざしやなにかに触れることといったすべての動作や仕草で彼らのことを理解していきます。

物語を進めていくのに、必ずしも大きな出来事やアクションは必要ではありません。ディテールだけでも十分に物語を進めていくことができると考えています。映画を撮ることは、装飾をすべて取り払っていき、そこに映される人間の本質を見出して捉えようとする行為にほかならないのです。

『青いカフタンの仕立て屋』予告編

「実際にハリムのような人物はたくさんいる」。同性愛行為が禁じられているモロッコの現状

―ハリムは『モロッコ、彼女たちの朝』のリサーチ中に出会った、美容室を営む男性をモデルにしていますよね。モロッコはイスラム教徒の国で同性愛行為が禁じられていますが、実際どういった状況にありますか。

トゥザニ:モロッコにとって同性愛は投獄されてしまうほどの罪なので、オープンに生きるには困難な状況にあります。ただし、モロッコはモロッコでも地域によって違うんですよね。セクシュアリティをオープンにして生きられる場所と、クローゼットに生きるしかない場所が混在しています。そういった状況を踏まえて簡略化して言ってしまうとするなら、私的な場ではオープンにできる一方、公的な場では触れていけない状況ということになるかと思います。

―おそらく得られる情報などが限定的な状況のなかで、同性愛についてどういったリサーチを進めていったのでしょう。

トゥザニ:実際にハリムのような人物はモロッコにはたくさんいますし、私自身も何人も見てきました。同性愛者であっても世間体を保つために異性と結婚して家庭を持たなければならない方たちのことを、数多く知っています。もちろん同性愛に対して抑圧的な国ですから、はっきりとそういう話をされるわけではなく、囁きのようなものによって知るのです。

―公に話すことがなかなか難しいために、聞き込み調査などの方法というよりは、ハリムのような人々をじっと観察し、想像で膨らませていったわけですね。

トゥザニ:語られざる物語たちが私のなかに深く刻まれているので、彼らの苦しみはたやすく想像することができました。ハリムのモデルになった美容室の男性が、実際にどんな人生を生きているのか知る由もありません。なぜならいまの社会においては、私もまた彼に踏み込んだことを聞ける立場ではないからです。

ただ、彼を見たとき、彼だけでなくハリムのように本来の自分を隠して生きざるをえないたくさんの人たちのことを思い出したんです。彼との出会いがエモーショナルな反応を引き起こし、私の過去のさまざまな記憶を召喚しました。

―映画のなかで描かれているのはゲイ男性ですが、レズビアン女性に関してはどうでしょう。

トゥザニ:男性だけでなく、国外では同性と親密な関係性を持っていたにもかかわらず、モロッコに戻った途端に家族からの期待によって異性と家庭を持たなければいけなくなってしまった女性とも出会ったことがありますね。

「同性愛が可視化されていない社会で、映画という芸術を通してリプレゼンテーションするのはきわめて重要なことです」

―撮影現場では、同性愛を扱うにあたり、どういった演技のアプローチをしていきましたか。

トゥザニ:今回ユーセフを演じた役者のアイユーブ・ミシウィは、性的マイノリティに対する知識はありませんでした。なので、実際に当事者の方とコミュニケーションを取ってもらいました。そういった状況にあるのがどんな意味を持つのかを、彼にも真に理解してほしかったのです。

―クローゼットのゲイ男性、その妻、そこに現れた別の男性という三角関係は、きわめて取り扱いが難しい題材でもあるように思えます。少しでも間違えてしまえば、誰かが犠牲者や悪者にもなりかねません。

トゥザニ:映画はリアリティからしか撮ることができないと考えていますが、物語自体はフィクションなわけですよね。三人の関係性や人間性がいかに複雑か、そして愛のかたちはいかに多様かを掘り下げていきたいと思いました。

とくにミナとハリムには、二人のあいだに間違いなく愛があるからこそ、周りにあるすべてのものを超えていってほしかった。愛に正しいかたちはなく、どんな愛でも等しく価値がある。だからミナとハリムの愛も、同じように美しいのです。愛は人間が決して定義できないものなのだと思います。

―二者間だけでなく、三者間で生じる愛もまたとても崇高で、あなたが描いた愛に到達するためにはやはり触覚をはじめ五感すべてでこの映画を観なければいけないと思わされました。現在の社会において非規範的なセクシュアリティを映画で描くことは、あなたにとってどのような意味があったのでしょうか。

トゥザニ:ひとつ重要なのは、もちろん法制度の問題もありますが、私たちもまたメンタリティを変えていかなければならないということです。映画はそれに多大な貢献をもたらすと信じています。同性愛が可視化されていない社会で、映画という芸術を通してリプレゼンテーションするのはきわめて重要なことです。映画は観客に対してエモーションを通じて問いかけることができ、さらに議論へもつなげることができます。

―モロッコの観客はこの映画に対して、どのような反応を示していますか。もし性的マイノリティの当事者からの言葉も耳にしていたら、教えてください。

トゥザニ:『マラケシュ国際映画祭』ではすでに上映されましたが、リアクションも良く、ここで描かれた問題について話し合いたいという観客の欲求を身に沁みて感じられて、とても嬉しかったです。話してはいけないとされてきた題材だったので、オープンに話すきっかけをつくることが大事でした。

「自分たちはずっと隠れた場所にいなければいけなかったので、こうしてスクリーンで描かれるのを待っていた」と言ってくれた観客もいました。世界中で多くの人がこの映画を支援してくれています。

―現在の社会状況では、同性愛表象に否定的な人々もいたのではないでしょうか。

トゥザニ:Q&A付きの上映をした際には、身のある対話がありました。残念ながら「こんなことを描く必要などない」とおっしゃる方もなかにはいましたが、一方でこの映画の必要性を感じてくださる方もいました。驚いたのは、保守派の人までもが同性愛に関して、正直で率直な自分の思いを語ってくださったことですね。

賛否にかかわらず、議論ができるのは健全な社会であることの証拠です。この映画がきっかけになって良かったですし、モロッコの人たちに話し合いたい気持ちがあることを知れてよかったです。きっとこうして社会は前に進んでいけるんだと、確信できました。

―あなたの映画がそうして閉じられたイシューについての対話の空間を生み出しているのは、とても素晴らしいことだと思います。もちろん日本とモロッコでは性的マイノリティを取り巻く状況は異なりますが、その固有性を尊重しつつ、わたしたちの社会にも通じる大切なことが、きっと日本の多くの観客にも届くと信じています。

作品情報
『青いカフタンの仕立て屋』

2023年6月16日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開
監督・脚本:マリヤム・トゥザニ
出演:
ルブナ・アザバル
サーレフ・バクリ
アイユーブ・ミシウィ
配給:ロングライド 
プロフィール
マリヤム・トゥザニ

1980年、モロッコ・タンジェ生まれ。映画監督、脚本家、俳優。ロンドンの大学に進学するまで故郷であるタンジェで過ごす。初めて監督を務めた短編映画『When They Slept(英題)』(2012)は、数多くの国際映画祭で上映され、17の賞を受賞。2015年、『アヤは海辺に行く』も同様に注目を集め、『カイロ国際映画祭』での観客賞をはじめ多くの賞を受賞した。夫であるナビール・アユーシュ監督の代表作『Much Loved(原題)』(2015)では脚本と撮影に参加、『Razzia(原題)』(2017)では脚本の共同執筆に加え主役を演じている。『第74回カンヌ国際映画祭』コンペティション部門に正式出品された『Haut et fort(原題)』では共同脚本を務めた。『モロッコ、彼女たちの朝』(2019)で長編監督デビュー。数々の映画祭で多くの賞を受賞し20か国以上で公開された。長編2作目となる本作でも、前作に続き、『アカデミー賞』国際長編映画部門モロッコ代表に選ばれた。さらに『第76回カンヌ国際映画祭』では、リューベン・オストルンド、ジュリア・デュクルノー、ポール・ダノらと共に審査員に名を連ねている。



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