©2025 LEFT-HANDED GIRL FILM PRODUCTION COMPANY LIMITED. ALL RIGHTS RESERVED.
台北の輝く夜市を縦横無尽に駆け巡る、5歳の少女。キラキラのネオンに、色とりどりの雑貨——大人の腰ほどの視点から、宝石箱のような街を走る。『左利きの少女』は、全編iPhone13で撮影された作品だ。
あらすじ:台北、夜市の麺屋台。5歳の少女イージンは、借金を背負ったシングルマザーのシューフェンとハイティーンの姉イーアンとともに、生活を立て直すため田舎町から戻ってくる。イージンは昔気質の祖父に、利き手である左手を「悪魔の手」と咎められ、罪悪感を抱くようになる。その悪魔の手は図らずも、家族それぞれが胸に秘めてきた「罪」をあぶり出していく。
監督は、ツォウ・シーチン。2024年のアカデミー賞で作品賞を含む5冠に輝いた『ANORA アノーラ』のショーン・ベイカーと、20年以上に渡って映画をつくり続けてきた。共同監督を務めた『テイクアウト』(2004)以来、プロデューサー、脚本、演者として関わった数々の作品まで、ふたりが積み重ねてきた協業の手法が、本作にもそのまま息づいている。
物語には、アジアに根づく家父長制への眼差しがある。台湾で生きる女性に課せられる無数の制約、伝統に縛られた母の世代、そこから抜け出そうとする娘たち——『左利きの少女』は、20年以上の協業が磨いてきた手法と、監督自身のパーソナルな視線が、重なり合った作品といえるはずだ。
映画批評家、常川拓也が映画を通して社会を見つめる連載コラム「90分の世界地図」。最終回となる第10回目は『左利きの少女』にフォーカス。これまでのツォウとベイカーの協業から本作を紐解き、アジアに根づく家父長制と、そのなかで生きる女性に向けられた視線を考える。
ツォウ初めての単独監督作品——20年以上に渡るベイカーとの協業の到達点
2025年、東京フィルメックス。『左利きの少女』のジャパンプレミアに合わせて来日したツォウ・シーチンに、2016年末、『タンジェリン』(2015)の公開時にショーン・ベイカーへインタビューした話をすると、彼女は目を丸くした。当時の資料をめくり、自分がドーナツ屋の店員を演じている写真を見つけるなり、「これ、私!」と懐かしそうに声を上げる。その屈託のない笑顔に、この人がいかに長くベイカーと映画づくりで伴走してきたかが滲んでいた。
台北出身、NYのニュースクール大学の編集の授業でショーン・ベイカーと出会った彼女は、彼と共同監督を務めた『テイクアウト』(2004)以来、プロデューサーから演者まで、20年以上に渡って協働関係を築いてきた。そして、満を持しての単独初監督作が、『左利きの少女』である。台北の活気あふれる夜市で小さな食堂を開くシングルマザーのシューフェン、独立心の強い長女イーアン、無邪気で活発な5歳の次女イージン。多世代の女性たちの姿を、全編iPhone13で追っていく。
この映画は、長年に渡る協業の到達点であると同時に、家父長制のもとで生きる女性たちへの、きわめて個人的な彼女の視線が貫かれている。
『左利きの少女』は、二人が積み重ねてきた実践の延長線上に
カメラはその柔軟性と機動性を活かし、子どもの目線の高さまで下り、小さな少女の後を追いながら、市場の入り組んだ路地を進む。夜市を気ままに駆けまわるイージンは、あっという間に周囲の顔なじみになり、食堂では母の頼もしい助手として注文を取り、料理を運び、隣の屋台の呼び込みまで手伝ってしまう。愛らしい彼女の視点から、色とりどりの、活気に満ちた光景が捉えられている。
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このアプローチは、全編iPhone5Sで撮った『タンジェリン』の手法と、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017)の子ども目線とを混ぜ合わせたもののように映る。ベイカーの映画でふたりが積み重ねてきた実践の、ひとつの延長線上にあるのではないか。
「間違いなくそうだと思います」とツォウは頷く。
「『テイクアウト』は、私とショーンにとって映画制作の基礎となった、重要な作品でした。私たちがリアリズムを追求する映画づくりを始めたきっかけでもある。それから作品を重ねるたびに、多くのことを学んできました。
『タンジェリン』ではiPhoneを使って撮影しましたが、その手法はそのまま本作に受け継がれています。ショーンの現場では、ストリートキャスティング、ロケハン、スクリプト・スーパーバイザー、衣装デザインと、私はいくつもの役割を兼任してきました。ときには俳優として出演することもあった。そうしたあらゆる経験を通じて学んできたすべてを、『左利きの少女』に注ぎ込んだのです」
『テイクアウト』から、彼らの作品の特徴であるストリートキャスティングとロケーション撮影、そして周縁化されたコミュニティに入り込んで撮影する手法は始まった。今回もまた、現地の人々との協働のなかから、物語を見出していった。
「本作のアイデア自体は、2000年頃からありました。2010年に台湾へ行き、1カ月ほど滞在して脚本を書いたのですが、そのとき実際にイージンのような女の子と偶然出会い、その母親とも親しくなったんです。ただ、脚本は書けても、すぐに製作資金は集まらなかった。2022年に製作へこぎ着けるまでの約10年間、私は毎年その家族を訪ね続けていました。そこで聞いた彼女たちの人生の話の多くが、脚本に反映されています」
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「プリプロダクション期間は、撮影開始の4、5カ月前から毎日のように夜市へ通い、麺屋台を探しました。映画の舞台として理想的な角地の店をようやく見つけて、ぜひ借りたいと思ったのですが、店主は最初『営業の邪魔をされたくない』と首を縦に振ってくれなかった。説得に2カ月かかりました。毎朝、店が開くとすぐに行って、店主のそばに座り、ただ話し続けたんです。そしてある日、『わかった、貸そう』と。営業を終えた夜7時以降なら、必要なだけ撮影に使っていいと言ってくれました。
そうやって店主と交わした会話やエピソードも、脚本に取り入れています。夜市の商人たちは、まるでひとつのコミュニティーのような相互扶助の文化を持っていて。10人ほどが毎月1,000台湾ドルずつ積み立て、翌月お金が必要な人がその月の全額を受け取る。そして次の月はまた別の人が受け取る——そうやって順番に回していく、昔ながらの助け合いの仕組みがあるそうです。そういう話も、そのまま作品に活きています」
『テイクアウト』と本作は同じ出発点? ツォウとベイカー、撮影方法の違い
ツォウとベイカーが当時ルームシェアしていたNYのチャイナタウンで制作した『テイクアウト』と、この『左利きの少女』は、どちらも飲食業界を舞台に、アジア系の貧困と密入国——本作でシューフェンの母は、不法移民に関わる仕事に手を染めている——という問題を扱っている。前者で中華料理の配達員が自転車でマンハッタンを駆け抜けるように、後者ではイーアンがスクーターで台北の街を走り抜ける。
「『テイクアウト』を制作する以前からふたりで『左利きの少女』のアイデアは話し合っていましたが、当時は私たちがNYに住んでいたので、先に実現しやすい企画として『テイクアウト』をつくることにしました。特に英語環境だったこともあり、お互いに協力して制作を進めやすかったのです。
もちろんその制作も決して簡単ではありませんでしたが、わずか3,000ドルほどの予算で完成させることができました。私にとっては、あの作品は実験的というか、試行錯誤を重ねるためのプロジェクトのような位置づけだったと言えるかもしれません。ふたりとも大好きだった『ドグマ95』のような映画をつくってみたい、という思いから始まった。とてもよい出発点になりました」
『左利きの少女』において、ベイカーは脚本を共同執筆したのち、撮影の現場からは身を引き、編集者として本作に携わった。多世代の女性たちの物語を交互に切り取りながら、リズミカルに紡いでいく手腕は健在だ。「彼は中国語のセリフの意味はわからないけれど、いちばんいい演技を見抜く力をいつも持っている」とツォウは力を込める。「映画のペース配分でも、本当に大きな力になってくれました。それこそが優れた編集者のなせる業だと思います」
イーアンは、客を呼び込む目的で露出の多い服装をしながらビンロウ売りとして路上に立つ。彼女の姿は、ベイカーが一貫して描き続ける周縁化されたセックスワーカーとは別の関心から生まれているものの、似通っている部分を感じさせる。彼女たちはその職業のために時に周囲から蔑視され、嘲笑を浴びせる者には反抗的に憤慨する。特に、イーアンと『タンジェリン』のトランジェンダーの娼婦は、自身の男性上司とだけ恋愛関係を築けている点で結びついている。「性的なサービスを提供しているわけではありませんが」とツォウは前置きしつつ、「台湾でビンロウ売りの女性たちは白い目で見られている。確かにその意味では、近い存在とも言えるかもしれません。イーアンは、(社会の期待に従って生き、世間体のために自分を犠牲にしてきた)母とは違う生き方だって選べるのだということをある意味で示したかったのだと思います」と慎重に答える。
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ショーン・ベイカーにインタビューした際、彼はマイク・リーからの影響を認めていた。好きな映画で意気投合して共作を始めたふたりは、本作のエンディングでその英国の巨匠の作品を参照している。親族が集う祖母の誕生会で、母娘たちの「秘密と嘘」が露わになるのだ。
「まさにそれが狙いでした。『秘密と嘘』(1996)の結末を拝借したのです(笑)。あの作品では、最後にすべての登場人物が一堂に会し、大きな秘密が明らかになる……私たちはあの展開が大好きでした。
よく考えると、これはショーンのほとんどの映画に共通する特徴でもありますよね。最後にすべての登場人物がひとつの場に集まり、それぞれの物語がひとつにつながっていく。『レッド・ロケット』(2021)も、『タンジェリン』も、『アノーラ』も同じ。あれがショーンの作風なんでしょうね」
ベイカーはリーのように撮影前のワークショップを重視するが、一方で、ツォウの現場は「かなり違ったやり方」だという。
「俳優たちとは、リハーサルを一切やりませんでした。そのほうが、俳優自身がその場で自然に、自分なりの言葉で話すことができると考えたからです。私はもっとおおらかなタイプの監督なんだと思います。
ジェニファー・ローレンスがインタビューで、女性監督のほうが男性監督に比べて、俳優に演出を強く押しつけることが少ないと感じる、と話していました。それが本当かどうかはわかりませんが、もしかしたら一理あるのかもしれません」
多世代の女性が表すのは「伝統」の抑圧。ツォウが見てきた台湾の家父長制
左利きのイージンは、左手は悪魔の手だという迷信を信じる祖父から叱られる。使えば呪われると思い込んだ彼女は、自分の手を封じることを決意する。このモチーフは、ツォウ自身が高校時代に祖父から言われた実体験がもとになっている。映画は、家父長制の色濃く残る社会で生きる多世代の女性たちの葛藤を通して、伝統と現代性のあいだの矛盾をあぶり出していく。
「この3人は、女性の人生のそれぞれ異なるステージを象徴しています。小さな女の子はまだ無垢で、社会によってかたちづくられる前の存在。姉は、社会的な型や同調圧力から抜け出そうとしている最中。そして母親は、すでに完全にその枠組みに縛りつけられている。夫の世話をしていても、そこに本物の愛情があるようには見えない。なぜならそれは、伝統によって縛られているからです。『結婚した相手には一生従わなければならない』という考え方から、抜け出せずにいるのです」
次女は、まだうまく理解できない大人たちの世界をさまよう観察者でありながら、悪化していく家計を救おうと、左手でこっそり盗みを働いてしまう。「悪魔の左手」は、依然として特定の伝統が社会に浸透し重荷となっていること、そして家父長的なアジア社会に根づいた信念や抑圧が、女性のなかに内在化していくさまを象徴しているように見える。
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「左利きのタブーゆえに、無理やり矯正させられる少女を描いていますが、台湾の女性には本当に多くの制約や期待が課せられていると思います。『女の子らしく振る舞わなければならない』とか、『肌は白くなければならない』とか。台湾に限らず、アジアの多くの国では、人と違うことが許されず、みんなと同じでなければならない、という圧力がありますよね。観客には、『人と違っていてもいい』と感じてほしかった。周りの雑音に惑わされず、勇気を持って自分らしく生きればいい、と」
金を無心する母と、それを拒む祖母が口論するそばで、イージンが水槽の魚を眺めながら「魚ってバカだね。何も考えてない」とつぶやく場面がある。これは、伝統に囚われた大人たちのメタファーだろう。「おっしゃるとおり」とツォウは即座に同調する。「オールドスクールな考え方の人たちは、閉ざされた水槽のなかで生きているようなものだから」
家父長制を描きながら「何かを批判したいわけではなかった」。その意図とは?
迷信を押しつける頑固な祖父、欲望に駆られる粗野なビンロウ売りの上司——彼らは女性たちの生活を支配し、家父長制のイメージをかたちづくっている。妻子を捨てた不甲斐ない夫は、まるで沈黙のなかで贖罪しているかのように、病床でひとことも発しない。家父長制への批判をどう込めたのかたずねると、ツォウは「何かを批判したいわけではなかった」と静かに答えた。
「カンヌでのプレミア上映後、フランスの男性記者が『なぜあなたの映画の男性キャラクターは醜く描かれているのか』と怒っていたのを覚えています。私はそんなつもりで描いていなかったので、そう感じるのだとしたら、それはその人自身の内面が映し出されているのかもしれないと感じました。観客が登場人物をどう感じるかは、私が完全にコントロールできるものではありません。映画を観るというのは、自分の人生経験を投影する行為であり、観る人自身を映し出す行為だと思います」
一方で映画は、有害ではない男性像も提示している。隣の屋台を営みながら一家を気にかけるジョニーは、母娘の衝突を仲裁し、さりげない慈愛を示す。
「世の中には多様な人々が存在している、ということの表れだと思います。私はこれまで出会ってきた一人ひとりの人物や、誰もが人生で経験する真実を、できるだけ正直に描こうとしてきました。他者を傷つける人もいれば、助けようとする人もたくさんいる。人生が面白いのは、そうやって多種多様な人たちと出会えるからこそだと思うんです。特定のキャラクターを美化するつもりはありません。この映画はある意味、ドキュメンタリーとフィクションが半々のような作品だと思っています」
台湾で「名前」が持つ意味。自分自身の名前を守ったツォウ
以前書いた「ショーン・ベイカー 初期傑作選」評でも触れたが、彼の映画ではキャラクターの名前がいつも重要な意味を担っている。その点で興味深いのが、実際に台湾で起きた騒動「鮭の乱」——2021年、寿司店の「名前に『鮭』が含まれる人は食べ放題無料」というキャンペーンをきっかけに、改名する人が続出した——をとおして、名前を変えることがユーモラスに描かれている点だ。劇中で、イーアンが再会する高校の同級生たちはみな開運を求めて名前を変えているのに、彼女だけは変えないのである。
「実は、名前を変えるというアイデアは、私自身の経験から来ています。高校の同窓会で台湾に戻ったとき、同級生がみんな名前を変えていて、元の名前のままだったのは私だけだったんです。
子どもの頃、母に連れられて占い師のところへ行ったことがあって、そのとき『名前を変えたほうがいい』と言われたこともありました。私の名前には『自立』を意味する字が入っていて、男性的な印象を与えることがある。占い師には『女性が男性的な名前を持つと、人生が苦難に満ちたものになる』と言われました。
でも私は拒否したんです。自分の名前がとてもユニークで、気に入っていたから……。結果的には、占い師の言う通りだったのかもしれませんね。映画を1本完成させるのに25年もかかってしまったんですから(笑)」
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ベイカーが手がけた『スターレット』(2012)で女性名を持つオスのチワワが出てきたことを思い出したと伝えると、彼女は紙に字を書きながら姉妹の名前に秘められた意味を明かしてくれた。
「イーアン(宜安)とイージン(宜靜)という名前には、中国語で意味が含まれています。『安(アン)』と『靜(ジン)』を組み合わせると『安静』——静かという意味になる。女性は静かであるべきだ、というニュアンスがそこに込められているのです」
そう名づけられたふたりが、やがて古い慣習を打ち破ろうとする存在になっていく。『左利きの少女』は、男性による支配や救済に頼ることなく、女性たちが互いに支え合いながら生き抜く姿を静かに、しかし力強く描き出す。それは、占い師の忠告を退けてでも自分の名前を守り抜いたツォウ自身の物語でもあるのかもしれない。
「周りには必ず誰かがいて、助けてくれる人や支えてくれる人が現れるもの」
ベイカーもツォウも、周縁に置かれた市井の人々が経済的困窮を生き抜く姿を描いてきた。『テイクアウト』でも『左利きの少女』でも、希望が潰えたように思えたとき、同じコミュニティーで、苦境を理解する者からの「金銭を渡す」という行為が、一種の救いとして差し出される。ふたりの映画は、複雑な現実を突きつけながらも、決して暗い物語には終わらない。むしろそこには、温かなまなざしと、心をほどくようなユーモアが散りばめられている。
必死に苦闘する者へ、慰めと連帯を示したいと思っているか——そう尋ねると、ツォウは大きく肯首した。
「私は、人間の物語を描きたいと強く思っています。人生には幸せなときもあれば、悲しいときもある。よく映画は人生を映す鏡だと言われますが、私は人生のあらゆる側面を描きたい。そして何より、観客の心に深く響き、本当の意味でつながる映画をつくりたいのです。
周りには必ず誰かがいて、助けてくれる人や支えてくれる人が現れるものだと、私は信じています。大切なのは、最善を信じ続けること。前向きな気持ちを持ち続けていれば、多くの場合、物事はちゃんとうまくいく。
この映画もそうでした。完成までに25年かかりましたが、振り返ってみれば、すべてが最もふさわしいタイミングで実現したのだと感じています。結局のところ、すべてはあるべきかたちに落ち着いたのだと思います」
◆連載「90分の世界地図」おわり
- 作品情報
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『左利きの少女』
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
監督:ツォウ・シーチン
脚本:ツォウ・シーチン、ショーン・ベイカー
製作/編集:ショーン・ベイカー
- プロフィール
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- ツォウ・シーチン
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台湾・台北出身。輔仁大学卒業後に渡米、ニューヨークのThe New School(メディア研究修士)において映画編集を学ぶ過程でショーン・ベイカーと出会う。彼との共同監督作『テイクアウト』(2004)を発表。以降は『タンジェリン』(2015)、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017)、『レッド・ロケット』(2021)など、ベイカーの監督作をプロデューサーとして支える。『左利きの少女』がツォウ・シーチンの単独監督デビュー作品である。現在、ニューヨークを拠点に映画作りを行っている。
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