磯部涼×細倉真弓『川崎ミッドソウル』 アフター『ルポ 川崎』

Part.1:ふたつの「川崎」ーー変容する南部、侵犯する北部

「川崎」はふたつの顔を持っている。その地名を聞いたときに、ある人は工場地帯を、またある人はニュータウンという相反する光景を思い浮かべるだろう。もしくはそれらは、刺激的だが治安が悪い土地と、平穏だが退屈な土地というイメージに置き換えられるかもしれない。そして、そういったふたつの側面は、東京都と横浜市に挟まれた細長い形をした7区からなる市の「南部」と「北部」とが、各々、担ってきたと言える。

2017年、神奈川県川崎市の人口は150万人に達した。政令指定都市の規模としては全国7位だが、非県庁所在地という条件をつければ1位、更に増加率に関しては条件なしで1位に当たる。交通の便の良さを生かし、ベッドタウンとして一極集中が進む都心から溢れ出した人々の受け皿となっている格好で、市の表玄関にあたるJR川崎駅に隣接したショッピングモール「ラゾーナ川崎プラザ」は同様の施設の中でも全国2位の売り上げを記録するなど、商業地域としても改めて人気を集める。

「ラゾーナ」の面積は7万9000㎡に及び、330もの店舗を擁する5層構造の中心部は人工芝が敷き詰められた巨大な広場になっている。天気の良い日に子供達が駆け回り、大人たちが寛ぐ様子はまるでユートピアだ。しかし、消費の楽園を満喫する彼らがふと1階の書店に入って、並べられているとある書籍を目にした時、どんな風に感じるのだろう。その表紙には「川崎」という大きな2文字が並んでいるが、背景は煙を吐き出す工場の写真で、帯にはこう書かれている。ーー「ここは、地獄か?」。

磯部涼『ルポ 川崎』
磯部涼『ルポ 川崎』(Amazonで見る

川崎が150万人都市となった2017年の年末に上梓した書籍『ルポ 川崎』は、雑誌『サイゾー』のノンフィクション連載をまとめたもので、企画の発端には2015年に立て続けに起こった幾つかの事件があった。まず、2月には川崎駅と1.5キロの距離にある多摩川の河川敷で、地元住民が13歳の少年の惨殺死体を発見。程なくして逮捕された17歳から18歳の少年3人による残忍な手口が世間を震撼させたが、被害者、加害者グループ共に、ネグレクトに近い家庭環境にあったことも問題視された。5月にはやはり川崎駅と1キロの距離にある1泊3,000円程の安価な旅館、いわゆる簡易宿泊所で火災が発生。11人が死亡、17人が負傷する惨事となったが、被害者の多くが高齢の生活保護需給者で、一帯の宿泊所ではそのような人々を多く収容するために違法改築が横行し、そのせいで火の周りが早くなったことが発覚した。また、2月の事件の犯人グループにハーフの少年がいたことから、川崎区内で排外主義を掲げたデモが過激さを増していく。

ちなみに、少年が殺された現場は29階建て、3棟構造の巨大なタワーマンションの目の前だ。あるいは、新しい住民逹の中には件の火災が起きるまで、川崎駅のすぐ近くに古い簡易宿泊所が立ち並ぶドヤ街があったことを知らない人もいた。川崎駅前をヘイトデモが通過する時もほとんどの人は何が起こっているのかよく分からない様子だった。そして、『ルポ 川崎』では一連の事件の背景となっている川崎ーー中でも南部の闇の中に分け入ったが、時に批判されるように土地の極端な側面を取り上げたわけではなく、そのような問題は延々と続いてきたものなのだ。

 

川崎南部を体現していたキャロル。その後継にあたるラップグループBAD HOP

歴史を遡れば、近代の川崎は工業化と共に発展している。1924年、現在の南部(川崎区、幸区)に位置する川崎町、御幸村、大師町が合併する形で市制が施行された頃、同地は既に京浜工業地帯として開発されつつあった。もともと、東海道53次の2つ目の宿場町で遊郭も存在したが、更に各地から集まった労働者のためにいわゆる「飲む・打つ・買う」の業種が盛んになる。やがて、大戦に突入すると軍需産業を担い、そのために空襲で壊滅的な被害を受けるが、終戦後、朝鮮戦争が起こると再び勢いを取り戻す。しかし、その発展によって様々な歪みが生じ、またそれを修正しようと試みる運動も起こっていった。

公害の問題は古くからあったが、戦後、対策を求める市民運動が熱を帯び、国を相手取った訴訟は1990年代まで続くことになる。工場労働者の中には朝鮮半島からやってきた人々もおり、日本人が住まない荒地にバラックを建ててコミュニティを形成。彼らは貧困の問題を抱え、差別も受けていたが、集住地域=桜本にある韓国系教会=川崎教会の故・李仁夏牧師は貧困支援や反差別運動を先導すると共に、様々なルーツを持つ人々と寄り添い合う多文化共生を模索、その思想は川崎市政にも影響を与えていく。他にも、今年5月に死去した絵本作家かこさとしの原点となったセツルメントが活動していたのも幸区であるし、障害者団体・全国青い芝の会が歴史的なバス闘争を繰り広げたのも川崎区である。工場地帯として、発展に伴い様々な問題が発生した川崎南部は、だからこそ、市民運動の聖地になったと言えるだろう。

 

その後、川崎南部は製造業の縮小と共に様変わりしていく。川崎駅西口側(幸区)の再開発における便宜供与からリクルート事件が発覚したのは1988年のことだが、流れは変わらず、撤退した工場の跡地には巨大なビルが次々と作られる。2006年に開業した前述の「ラゾーナ」の場所にも、もともとは東芝の工場が建っていた。公害の象徴だった臨海部(川崎区)の工場地帯が、近年、「工場萌え」というキーワードの下に観光地化していることも示唆的である。

ただし、2015年の一連の事件が明らかにしたのは、川崎南部において、近代化がもたらした問題は決して解決したわけではないということだ。在日コリアンが定着した後は東南アジアや南米からの流入者が増加したが、中一男子生徒殺害事件とそれに伴うヘイトデモは多文化共生の綻びを露呈させた。簡易宿泊所火災事件はかつて川崎の、ひいては日本の発展を支えた日雇い労働者たちの高齢化の問題を突き付けた。

 

もちろん、川崎南部における市民運動の歴史も受け継がれている。『ルポ 川崎』では、前述の故・李仁夏牧師が立ち上げたコミュニティセンター「ふれあい館」と、川崎に流れ着いた労働者たちが結成したアクティビスト集団C.R.A.C. 川崎が連帯、ヘイトデモに抗議運動を行った様子をレポートした。後日譚「アフター『ルポ 川崎』」(『新潮』2018年8月号掲載)では、簡易宿泊所火災事件の起こった日進町において、廃れ行くドヤ街を包摂した上での新しい街づくりを試みている人々に取材した。

サブカルチャーに目を向ければ、かつて、労働者の街としての川崎南部を体現していたのがロックバンドのキャロルだろう。広島市からスターになることを夢見て夜行列車で上京する途中で、「横浜」というアナウンスを聞き、敬愛していたTHE BEATLESの出身地である港町=リバプールを連想、途中下車した流れで川崎に住み始めた矢沢永吉。川崎の繁華街のキャバレーで働くシングルマザーに育てられ、新聞配達で貯めた金でギターを買った在日コリアン2世のジョニー大倉。1972年、そんな2人が川崎駅前の楽器店に貼ったメンバー募集の張り紙を通じて知り合い、結成したのがキャロルだ。

 

そして、貧困や多文化を出発点にしているという点では、『ルポ 川崎』で川崎アンダーグラウンドの案内人の役割を担ってくれたラップグループ、BAD HOPは後継者だろう。2012年にリーダーのT-Pablowがテレビ企画『高校生RAP選手権』で優勝したことをきっかけに不良の道を脱してスターへの道を歩き始め、この11月には初めての武道館公演を行う。矢沢永吉はワーキングクラスの若者達に「成りあがり」の夢を与えたが、キャロルや、「川崎のこの酷い環境から抜け出す手段は、これまで、ヤクザになるか、職人になるか、捕まるしかなかった。そこにもうひとつ、ラッパーになるっていう選択肢を作れたかな」(磯部涼『ルポ 川崎』)と自負するBAD HOPの活動もまた、川崎の市民運動の系譜に連なるものなのかもしれない。

あるいは、川崎駅周辺の再開発による南部のイメージの刷新は、川崎「南部」的なものを、「北部」的なものが侵犯していったのだとも言えるのではないか。例えば、川崎駅以上に北部化しているのが、南部とも中部とも括られる中原区の武蔵小杉駅周辺だろう。同地域も、もともとは工場地帯だったものの、武蔵小杉駅がターミナルとして発展していくにつれて周辺の再開発が活発になり、近年、新たなベッドタウンとして注目を集めるに至る。

2016年には「住みたい街ランキング」(SUMO調べ、関東編)で恵比寿、吉祥寺、横浜に次ぐ4位に入り、映画『シン・ゴジラ』ではゴジラが来襲、タワーマンション群を背景に攻撃を受けるシーンも話題となった。『ルポ 川崎』の営業担当者が武蔵小杉駅周辺の書店に売り込みに行った際には、「この辺はいわゆる川崎とは違うので」と、にべもなく断られたという。ただし、急激な人口増化によってここにも歪みが生じており、武蔵小杉駅における通勤、通学時の混雑状況は国内最悪とも言われる他、保育園不足により待機児童問題も起こりつつある。

多摩川河岸から武蔵小杉駅方面を望む
多摩川河岸から武蔵小杉駅方面を望む

川崎北部の多摩区で育った、ある若いシンガーソングライターの存在

川崎は1924年の市制施行以降、他の町村との合併を繰り返し、1939年には現在の市域が定まった。そして、戦後、高度経済成長期に入ると、都心の人口急増に伴い北部がニュータウンとして開発されていく。長らく川崎北部に拠点を置いてきた脚本家の山田太一は、かつて、同地を初めて訪れた際のことが強く印象に残っているという。彼が家を探すために田園都市線のとある駅に降りたところ、まだ周囲に建物は少なく、砂埃の向こうに団地の影だけが見えた。

やがて、移住すると、モノクロームの世界に色を入れるかのように、徐々にマクドナルドのようなチェーン店が出来て、街は賑わっていった。山田はその過程について、「エロティックな喜びがあった」と表現する。しかし、いざニュータウンが完成すると山田はその平坦な街並に、むしろ、不穏なものを感じ始めた。そこには暗さと汚れが、つまり、味わいが、エモーションを喚起してくれるものがなかった。彼は思う。「なるべく清潔にして滑らかにして、というここで生まれた子はいったいどういう情感を持つんだろう」(小沢健二、山田太一対談『月刊カドカワ』1995年2月号所収、角川書店)。

 

桜美林大学准教授の金子淳は著作『ニュータウンの社会史』(2017年、青弓社)でいわゆるニュータウンのイメージについて、当初は新しいライフスタイルとして羨望の的だったものが、現代の「病理」が巣食う場所として語られていくようになったとまとめている。山田太一も、逆説的に言えばエモーションを喚起してくれるもののない空間が彼のエモーションを喚起したということなのか、そのような社会の病理を描くことで評価されていく。例えば、テレビドラマ『岸辺のアルバム』(TBS系、1977年)ではニュータウンに住む、一見、平穏な家族が、各々の秘密がこじれて崩壊する様を、1974年に(川崎北部と隣接した地域である)東京都狛江市の住宅街を襲った多摩川水害に重ね合わせて描いた。

 

また、1980年には川崎北部の高津区にて、20歳の青年が同居している両親を金属バットを使って撲殺する事件が発生、まさに「なるべく清潔にして滑らかにして、というここで生まれた子」が起こした惨劇として大々的に報道される。写真家の藤原新也は事件現場となった家を撮影しに行く途中、田園都市線から平坦な住宅街を眺めつつ考える。「詩的な光景だなぁと思う。今まで私はこの種のニッポンの文化的といわれるプラスティックで無味な建築を見て何のイメージも生まれてきたことがなかった。しかし今は違う、実に詩的である。金属バット事件は1980年11月29日を境としてニッポンの風景の見方を変えてくれたとさえいえる」(藤原新也『東京漂流』情報センター出版局)。

だからこそ、1990年代半ば、脚本家の山田太一は<10年前の僕らは胸をいためて「いとしのエリー」なんて聴いてた ふぞろいな心は まだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ>(“愛し愛されて生きるのさ”1994年)と、若者の憂鬱を描いた彼の作品の名前を引用しながら、浮き浮きと街を駆け抜けていく歌を作った20代のシンガーソングライターが、川崎北部の多摩区で育ったことを知った時、はっとしたのだ。山田は彼――小沢健二との対談で、いつか気にかけたこの街で生まれた子供、それこそが「小沢さんだってわかった時に、目が覚めるような感動があった」(小沢健二、山田太一対談『月刊カドカワ』1995年2月号所収、角川書店)と告げた。以降、小沢は楽観的なキャラクターでもって人気を得て行くが、自身の根底には冷めた傍観者のような感覚があると言い、さらに川崎北部という地理的条件によるものだと分析した上で、その病理を「川崎ノーザン・ソウル」と呼ぶ。ノーザン・ソウルとは、もともと、1960年代にイギリス北部の工業都市に住む労働者階級の若者たちが愛好したソウルミュージックを指した言葉だが、彼はイメージを反転させたわけだ。

ちなみに、1994年に小沢との共作“今夜はブギーバック”をヒットさせたラップグループ、スチャダラパーの3分の2、ANIとSHINCOこと松本兄弟も川崎北部(高津区)の出身である。彼らは、1990年代初頭のデビュー当時、現代日本の平坦な社会状況ならではのラップミュージックのあり方を模索。銃やドラッグではなくゲームやマンガ、そして、それらをもってしても解消することの出来ない退屈について歌った。小沢はスチャダラパーとやはり1994年に行った座談会で、川崎北部をアップタウン、南部をダウンタウンと定義。両者の間には対立があるとしつつ、だからこそ、「そっち(南部)の方から、同じような音楽やってる人とかが出てくると面白いんだけどね。南部ノリの」(小沢健二、スチャダラパー座談会『PATiPATi ROCK'N'ROLL』1994年10月号所収、ソニー・マガジンズ)と話していたが、その発言はBAD HOPが登場した今、実に感慨深く響く。では、川崎南部的なものがキャロルからBAD HOPの系譜にあるとして、北部的なものは小沢やスチャダラパーから誰へと受け継がれたのだろうか?

 

Part.2:川崎ミッドソウル

ようこそGhettoへ
(soakubeats feat. dodo“Ghetto”より)

「ここが川崎の中心ですよ」。dodoはアロマディフューザーにオイルを注ぎながらそう冗談めかして言うが、目は笑っていない。「僕、小学校から高校まで市立で。だから筋金入りの川崎市民だという自負がありますし、中原区は名前からして『センター』ですから」。次第にフローラルの香りに満たされていく6畳程の部屋はこざっぱりとしており、目に付くものと言えば壁に飾られた少年時代の写真の他は、ポップガードの付いたコンデンサマイクや、Logicを立ち上げたMacBook Proといった録音機材ぐらいだ。そして、それらがこの真面目そうな青年を、ラップミュージックのイメージと辛うじて繋げている。

dodo
dodo

モニタースピーカーには自身に暗示をかけるようにこんな言葉が書いてある。「君ほど天才な人はいない / Just do it like a YAKZA」。その時、ドアをカリカリと引っ掻く音が聞こえて、興奮した黒いイングリッシュ・コッカー・スパニエルが部屋に突入してきた。dodoは愛犬を撫でながら「新しい曲、聴いてみますか?」と訪ね、キーボードを叩いた。窓外で騒ぐ小学生の声が、不穏なピアノと重いキックに掻き消される。何の変哲もない住宅街に建つ一軒家の子供部屋は、日本のラップミュージックにおける不世出の鬼才が「10GOQSTUDIO(天国スタジオ)」と呼ぶ拠点に変わる。

 

1995年2月生まれのdodoは、小学校2年生で神奈川県川崎市中原区へやってきた。それ以前は父親が働いていた富士通の工場がある長野県長野市に住んでいたが、不況の煽りを受けて部門が縮小、同様に工場がある小田中地区へと引っ越す。ただし、そこまで環境の変化は感じなかったと振り返る。武蔵小杉駅周辺はまだ再開発が本格化していなかったし、田畑もある小田中地区には長閑な雰囲気が漂っていた。

dodo:どっちも富士通の城下町なんで、クラスもお父さんが社員で、社宅に住んでいてっていう子が多かったですしね。でもその後、それなりにいろいろな子がいるっていうことが分かってくる。地主でお金持ちの子がいたり、逆に片親で貧しい子もいたり。不良の子は少なかったかな。一人、学校から帰る時にいつも自転車をパクって行っちゃって、家の前が自転車だらけっていう子がいましたけど。根性焼きの跡が凄くて、家庭環境がちょっとかわいそうな感じで。

そんな、子供にとっての社会であるクラスの中で、彼はいじめっ子でもなく、いじめられっ子でもなく、ごく普通のタイプだった。

dodo:勉強は嫌いでしたけど。自分をコントロール出来ないっていうか、ゲームばかりやっちゃうんですよ。それもポケモンみたいにコツコツ育てるものは苦手で、いちばんハマったのは中学生の時に買った『コール・オブ・デューティ / モダン・ウォーフェア』っていう戦争ゲーム。

しかし、dodoは通学路をふと外れるように、周りの友人たちとは違う関心を深めていく。きっかけは映画『デスノート』(2006年)の主題歌として使われたRed Hot Chili Peppersだった。そして、「洋楽」に興味を持ち、当時、“今夜はロウ☆ロウ☆ロウ”という邦題を付けられた楽曲(原題“Low”)がヒットしていたラッパー、フロー・ライダーのアルバム『Mail on Sunday』(2008年)を親に買ってきてもらう。そこまでは平均的な中学生だが、同作のオープニングにもうひとつの世界への入り口があった。リル・ウェインを起用した“American Superstar”だ。

dodo:最初は気持ち悪い曲だと思いました。耳が痛くなるようなシンセで、更にそこに変な声のラッパーが入ってきて。でもせっかく買ってもらったし、我慢して聴いていたら、調教されるように気持ちよくなったきて。またタイミングが良いことに、ちょうど『Tha Carter III』が出る時期だったんですね。

 

リル・ウェインは2000年代における最も重要なラッパーの一人で、2008年に発表された『Tha Carter III』はビルボードチャートで1位を記録、アメリカで380万枚を売り上げた彼の代表作と言っていいだろうアルバムだが、日本では癖のあるラップが幅広く受け入れられたとは言い難かった。dodoの周りも同様で、彼はたった一人でその音に耽溺した。

ごく平均的な学校生活と並行しながら探究は続いた。高校生になったdodoは山岳部に入ったが、音楽はもうラップミュージックしか聴いていなかった。

dodo:山岳部の部室がコンピューター室だったので、空いた時間はそこでずっとDatPiff(ミックステープダウンロードサイト)を見ていました。同級生でラップを聴いている人もいましたけど、僕とは知識のレベルが違ったんで話は合いませんでしたね。

 

「ラップをするということは確実にリスクを上げるんですよ」(dodo)

それにしても、dodoはどうしてそこまでこの文化に惹かれたのだろう。例えば、BAD HOPは地元の先輩から半ば強制的にやらされたラップの、ニューヨークの貧困地区で始まったという背景を知っていく中で、自分たちが育ってきた環境との共通点に気付き必然性を感じたという。もちろんこの文化は不良のものだけではないが、むしろdodoは悪そうなラップミュージックこそを愛しているのだ。

dodo:大人しく見えても、内面では「舐めんじゃねぇ」と思っているようなところがあるんですよ。そういう二重人格っぽい自分の裏面にフィットしたっていうか、ラップの持っている強さに惹かれたんです。

やがて、dodoはこの文化によって承認されたもうひとつの人格を、自分自身で、ラップでもって表現し始める。

 

ある日、17歳のdodoはインターネットという大海に放出した自分の楽曲に「DOPE」(ヤバい)というコメントが付いていることに気付く。それは、日本のラップミュージックのキュレーションサイトJPRAP.COMを主宰していたbenzeezyによるものだった。そして、彼とのメールのやり取りはすぐにアルバム制作という計画へ展開していく。当時、benzeezyはシーンと呼ばれていたこのジャンルにおける、いわゆる業界の在り方に対する苛立ちを隠そうとせず、言わばdodoは想いを託された格好だった。

dodo:こんなに文化のことを考えている人がいるのかと驚きました。「シーンはこうあるべきだ」みたいなことを熱く語っていて、明治維新前の松下村塾みたいな雰囲気がありましたね。

 

そんな中、dodoに『高校生RAP選手権』のオーディションの誘いがくる。2012年に始まった同企画は、アンダーグラウンドでは既に蓄積があったフリースタイルバトルの面白さを広く提示、瞬く間に人気を集めた。第1回の優勝者は後にBAD HOPを結成するK-九(現・T-Pablow)で、新しいスターを発掘する場としても注目されていく。dodoも名を上げるチャンスだと考えるが、周りにラッパーがいなかったため、当然、バトルをやったこともなく、YouTubeで過去の試合を見てイメージトレーニングを重ね、池袋のクラブBEDで行われたオーディションに挑んだという。

dodo:参加者が50人ぐらいいたんですけど、みんな如何にもBボーイな格好をしてるし、本番の前からサイファー(リレー形式のフリースタイル)をがんがんやってて、「怖!」と思って。一人で公園に逃げて出番を待ってました。

dodoはオーディションを突破したものの、TAKA(現・WillyWonka)、LEON(現・Leon Fanourakis)、M-6PO(現・Hideyoshi)、HIYADAMといった、今をときめく同世代のラッパーたちと出場した本戦では実力を発揮出来なかった。「緊張しました……ダメでした」。

以降もソングライターとしてはその諧謔と技術が順調に評価を集めていったが、他のジャンルよりもコミュニケーションに比重が置かれがちなラッパーとしては躓きが続いた。クラブで起こった行き違いをもとにサイプレス上野を揶揄するいわゆるディスソングを発表したところ、すぐさま本人からアンサーソングが返ってきたことは当然として、ネットで不特定多数の人々から袋叩きにあったことが彼を竦ませた。それまでもこだわりが強いが故に時間がかかっていた作詞は、更に滞るようになった。

dodo:ラップに恐怖心を持ってしまったんですね。もしかしたら、負の連鎖を引き寄せてしまうんじゃないかって。例えば、XXXテンタシオン(2018年6月に20歳で殺害されたアメリカのラッパー)だってラップをしていなかったら死ぬようなことはなかったわけですよね。ラップをするということは確実にリスクを上げるんですよ。

 

dodoもまた、ラップによってもうひとつの人格を表現してさえいなければ、人に喧嘩を売るようなことはなかっただろう。曲が作れなくなったdodoは移り変わりの早いこの文化の流れに飲み込まれ、消えたかのように見えた。予告されていたアルバムも遂に出ることはなかった。

そして、2017年、dodoは再びネットに現れた。前年にもプロデューサーのsokubeatsと組んだEP『FAKE』を発表、健在振りを知らしめていたが、今度は継続的に楽曲を発表するようになったのだ。活動再開のきっかけは、就職し、一人暮らしを始めたことだという。

dodo:川崎から離れて、誰も知っている人がいない街でマンションの部屋を借りたんですけど、そこでようやくまたクリエイティビティーが湧いてきたんですね。ネットも繋がらなくて、情報が遮断出来たことも良かった。部屋でレコーディングしたら、YouTubeにアップロードするためにわざわざ駅前の漫画喫茶まで行っていました。

地元も、仲間も、シーンも関係なく、自分自身を肯定してくれるものとしてラップミュージックを愛していたはずなのに、いつの間にかコミュニケーションに巻き込まれてすり減っていったdodoは、また一人になることでこの文化を再発見したのだ。活動再開後の楽曲の中でも、「kill more it」に「キモい」という日本語を重ね合わせ、<ねぇ、kill more it? オレ、kill more it?>と自問自答する同名曲の自虐性には凄みがあり、彼の表現が次の段階に進んだことを告げていた。

dodo:あの曲はネットで叩かれたことに対するアンサーを、今だったら返せるかなと思って作りました。当事、「キモい」っていう意見が大半だったんで。自分の弱さを受け入れた上で、強さを表現したというか。

dodoが就職した飲食店はブラックと言っていいような業務内容で、結局、彼は退職した。仕事では生肉を扱っていたが、血に触れ過ぎたせいで自分では食べられなくなってしまった。川崎の実家へと戻り、社会に上手く適応出来ないという感覚が残った。「僕が言うGhettoは地域的なものではなくて、自分の収入がGhetto的だということですね」。

BAD HOPはラップを通して日本にも文字通りのGhettoがあることを暴いたが、dodoの言う新しい貧困層としてのGhettoも現代的な問題である。今、彼は職業訓練校に通いながら、実家の子供部屋でレコーディングを続けている。相変わらずラップを書くことには苦労しているが、時折、アップロードされる楽曲はますます研ぎ澄まされている。

dodo:最近、楽曲を売ることで、ちょっとずつですけど金を稼げるようになってきているんです。でも、早くまた就職して引っ越し代を貯めて、一人になりたいですね。何処でもいいから。アメリカでも、トロントでも、中国でも。僕がいればそこが「10GOQSTUDIO(天国スタジオ)」なので。

川崎「北部」的なものが侵犯していく平坦な世界の中で、dodoの孤独の深さは際立っている。

 

イベント情報
『NEWTOWN』

2018年11月10日(土)、11月11日(日)
会場:東京都 多摩センター デジタルハリウッド大学 八王子制作スタジオ(旧 八王子市立三本松小学校)
時間:10:30~19:00(予定)

美術展:『SURVIBIA!!』(サバイビア!!)

校舎内を利用して、「郊外を、生き延びろ。」(Survive in Suburbia.)をテーマにした美術展を開催。「ノーザン・ソウル」+「サウスサイド」+「ロードサイド」からなる「郊外」を提示することを試みます。映画部屋で参加作家の作品も上映予定。

2018年11月10日(土)、11月11日(日)
時間:10:30~19:00
キュレーション:中島晴矢

『川崎ミッドソウルーーアフター「ルポ 川崎」』
細倉真弓
磯部涼

『EXPO-SURVIBIA -千里・万博・多摩-』
秋山佑太
石井友人
キュンチョメ
中島晴矢
FABULOUZ
原田裕規

『変容する周辺、近郊、団地』
[URG]
石毛健太
衛藤隆世
EVERYDAY HOLIDAY SQUAD
垂水五滴
中島晴矢
名越啓介
BIEN
yang02

『PERSISTENCE_suburb』
[PERSISTENCE]
新井五差路
百頭たけし
藤林悠

映画『サウダーヂ』上映
空族

トークイベント『死後の〈郊外〉—混住・ニュータウン・川崎—』
11月10日(土)14:00~15:30
小田光雄
磯部涼
中島晴矢

トークイベント『都市・郊外・芸術ー計画と無計画の間で』
11月11日(日)14:00~15:30
会田誠
中島晴矢

『SURVIBIA!!』クロッシング・トーク
11月11日(日)17:30~19:00
出展作家多数

料金:無料

プロフィール
磯部涼 (いそべりょう)

ライター。主に日本のマイナー音楽、及びそれらと社会の関わりについてのテキストを執筆。単著に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版、2004年)、『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト、2011年)、『ルポ 川崎』(サイゾー、2017年)がある。その他、共著に九龍ジョーとの『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ele-king books/Pヴァイン、2014年)、大和田俊之、吉田雅史との『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(毎日新聞出版)、編者に『踊ってはいけない国、日本――風営法問題と過剰規制される社会』(河出書房新社、2012年)、『踊ってはいけない国で、踊り続けるために――風営法問題と社会の変え方』(河出書房新社、2013年)等。

細倉真弓 (ほそくらまゆみ)

立命館大学文学部、および日本大学芸術学部写真学科卒業。東京近郊で撮影した自然と若者のヌードを組み合わせた初期作『KAZAN』が、繊細さと力強い感受性で都市を描き出し、独特なエロスと美しさをそなえた新しい東京の写真表現として国内外から注目を集める。2011年オランダ「Foam Magazine」の新人選抜号『Foam Talent 2011』に選抜される。2012年、台湾關渡美術館のレジデンシプログラムに参加。主な個展に『祝祭ーJubilee』(nomad nomad、香港、2017年)、『CYALIUM』(G/Pgallery、東京、2016年)、『クリスタル ラブ スターライト』(G/Pgallery、東京、2014年)、『Floaters』(G/Pgallery、東京、2013年)、『KAZAN』(G/Pgallery、東京、2011年)。二人展に『Homage to the Human Body』 (Galleri Grundstof、オーフス、デンマーク、2017年)、グループ展に『集美xアルル国際写真フェスティバル Tokyo Woman New Real New Fiction』(厦門、中国、2016年)、『Close to the Edge: New Photography from Japan』(MIYAKO YOSHINAGA、ニューヨーク、2016年)など。写真集に「KAZAN」(アートビートパブリッシャーズ、2011年)、「Floaters」(Waterfall、2014年)、「クリスタル ラブ スターライト」(TYCOON BOOKS、2014年)、「Transparency is the new mystery」(MACK、2016年)、「Jubilee」(アートビートパブリッシャーズ、2017年)。また磯部涼と共に手がけた月刊誌での連載「ルポ 川崎」が、サイゾーより単行本化された。

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