チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』レビュー

昨年ベルリンのHAU劇場で初演し、絶賛を浴びたというチェルフィッチュの『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』が、5月7日(金)〜5月19日(水)までラフォーレミュージアム原宿にて凱旋公演している。かの地でも大絶賛だったとは聞くが、外国人たちが、あのだらだらとした執拗な言葉の繰り返しを字幕付きで鑑賞し、さらに身振りを抽象的なとこまでに抽出したあのクネクネを見て、どうやって理解し、受け止めたのか、心底知りたいと思う。だってそもそも一等最初がホットペッパーネタだよ…。

劇団「チェルフィッチュ」とは?

チェルフィッチュとは自分本位という意味の英単語、セルフィッシュが、明晰に発語されぬまま幼児語化した造語であり、現代の日本、特に東京の社会と文化の特性を現したユニット名だという。この劇団は、今や演劇を見ている人間にとってはマスト劇団であり、2005年に演劇界の芥川賞と言える岸田戯曲賞を受賞した岡田の『三月の5日間』の作劇法は、まるで渋谷のマックで聞こえてくるような若者の緩い言葉づかいや立ち居振る舞いを、そのまま移植して増幅させたかのような、超リアルとでもいうべきものだった。この作品はポスト・チェルフィッチュな演劇が続出するほどの影響力ももち、チェルフィッチュ以前以降といった具合に、今日的な演劇を見る作法すらすっかりと塗り替えてしまったといっても過言ではない。

チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』レビュー
photo:Toru Yokota

作・演出を手掛ける岡田利規は、最近では戯曲はもちろんのこと小説から紙芝居(!)まで創作し、2008年には小説『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で大江健三郎賞まで受賞したツワモノである。今でこそ、前田司郎や本谷有希子、戌井昭人などの演劇人が小説を書き、並みいる文学賞の候補になっちゃったり、受賞しちゃったりなんてことは日常的な光景になってきた気もするが、一昔前にはまだまだ度がすぎたすごい離れワザだった。

浮き上がりきれない気分の可視化

チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』レビュー
photo:Toru Yokota

反復する言葉の扱い方や身体性の特異性が注目されがちなチェルフィッチュ作品だが、一方で、そのコンテンツには若者と労働の問題が濃厚に描かれている。新国立劇場への初登場となった『エンジョイ』ではまんが喫茶を舞台にフリーターたちの日常を、『フリータイム』では出勤前のひと時をファミレスで過ごす女性の時間の自由を描いて、いわゆるロスジェネと呼ばれる世代の抱く、浮き上がりきれない気分を可視化させた。前作『わたしたちは無傷な別人であるのか?』は、これまでチェルフィッチュ「らしさ」として高く評価されてきたその特徴的な言葉と身体性を拍子抜けするほどぬぐい去り、新たな演技スタイルでもって、価値感の多様化したようでいて消費社会に絡めとられた現代にあって、幸福論を追求するという迷宮に果敢に踏み入る重厚な作品だった。

『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』

2010年5月7日(金)〜5月19日(水)
会場:東京 ラフォーレミュージアム原宿

作・演出:岡田利規

出演:山縣太一、安藤真理、伊東沙保、南波圭、武田力、横尾文恵
料金:前売3,500円 当日4,000円 学生3,000円
チケット購入はこちらから

音楽とダンスにあふれる、ポップな新作

で、今回の『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』なのだが、こちらはうってかわって、音楽とダンシーさがいっぱいの、ある意味チェルフィッチュらしさ満載のポップな仕上がりの作品である。まず、先に短編として作られていた『クーラー』は、実は演劇でありながら2005年のトヨタコレオグラフィーアワードで最終選考にまで登場し、一躍ダンス界の注目をがっつり浴びたといういわくつきのものだ。壮大なクラシック音楽をバックに(今回の上演では音楽は変更されている)、二人の会社員がくだらない会話をくねくねグダグダ身体をよじらせながらやってたそれは、驚くほど「ダンス」だった。最初に見たときには、そのあまりのダンシーさにたじろいだというか、ここまで「踊り」にもっていっちゃっていいのかと愕然としたものだ。予想外なせりふと虚をつく動きの連発に笑いさえもれる客席…ダンスの観客も演劇の観客も渾然一体となって新しい身体性の出現に目を輝かせた、というか、そういう一派と、眉間に皺を寄せたグループに観客が分裂して、それはもうエキサイティングな客席だった。いわばダンスという依り代に岡田利規の考える身体と言葉の関係性が凝縮された名作だったのだが、今回はそこに、二つの短編が加わりオムニバスとして帰ってくるというわけなのだ。

チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』レビュー
photo:Toru Yokota

舞台はとあるオフィス、不況のあおりをうけて、一人の派遣社員が契約を打ち切られるという筋立てだ。第一幕『ホットペッパー』では、その同僚の派遣社員たちがお別れ会の会場を考える様子が繰り広げられるのだが、観客はまずは派遣社員たちのそのあまりの駄目ぶりにあきれかえるのではないだろうか。送別会の会場さえスッパリと決められないグダグダぶり、その優柔不断さはなんだとか、危機感の希薄さはどうなんだとか、だから派遣なんだよとか、半ば毒づき、身につまされながらも笑いながら見てしまう。二本目の『クーラー』は、こちらは社員の話であるが、男女二人がクーラーの設定温度をめぐって延々と、寒すぎる、設定温度をさげる犯人はわかっている、訴えればどうか、などと、お話だけを追えばそれだけを延々とやっている。『さよならの挨拶』は、契約を打ち切られた派遣社員の文字通りお別れの挨拶である。彼女は自分の出勤前のプライベートな出来事にからめて、契約が打ち切られる情けなさや悔しさをほんの少しにじませる、しかし挨拶としてはとりとめがなく、論旨をまとめられない全く駄目駄目な演説だ。三篇ともここに書いた粗筋どおり、それ以上それ以下の物語の展開は基本的にない。しかし、3本をもって完結すると、これはしたりという方向に話の展開が通じていたり、会社の実態が垣間見えたりして、そこには非正規雇用労働者層の若者たちの現実が生々しく横たわり、不安定な身分に文字通りクネクネする若者の、クネクネした気持ちそのものがくっきりと浮かびあがって見えてくる。

「くだらなさ」ゆえの、深刻さ

チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』レビュー
photo:Toru Yokota

この作品は、チェルフィッチュの手法をもってしか表現しえない唯一無二の境地がシンプルに極められて、分かりやすい形でパッケージ化されたチェルフッチュ入門とでも言えるものだ。ダンシーでポップで伝播性が高く、しかし身体にずしりとのしかかる重量感もある。しかし、それでいて、岡田が一貫して描き続ける若者と労働の問題が、くだらない言葉にのせて、しかし外堀を埋めるようにして、その「くだらなさ」ゆえの深刻さがあぶりだされるのだ。我々はまるで不毛のツボにはまっているようなものだ。何かが間違ってるのはわかってる、でもこれという解決策はわかんない。今度は観客のほうが、そのいたたまれなさにクネクネと身もだえする番だ。身もだえる観客に解決策は提示されない。それを考え続けるという出発点に置き去りにされるだけだ。岡田利規は、同時代のトピックスを自分たちが立っている矮小な地点から見せつけて観客をノックアウトしてしまう。クネクネとした身体は身もだえている。現状を打破する突破口を見つけられない我々は、みな身もだえというダンスを踊っているのかもしれない。

information

『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』

2010年5月7日(金)〜5月19日(水)
会場:東京 ラフォーレミュージアム原宿

作・演出:岡田利規

出演:山縣太一、安藤真理、伊東沙保、南波圭、武田力、横尾文恵
料金:前売3,500円 当日4,000円 学生3,000円
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