美術館を丸裸?『NO MUSEUM, NO LIFE?』を箭内道彦と観る

東京都千代田区。夕方ともなれば、仕事帰りのランナーたちでごったがえす皇居のお堀沿い。そこに建つ東京国立近代美術館で、今ちょっと変わった展覧会が開催中です。

その名は『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会』。……どこかの大型レコード店で聞いたようなタイトルの、ちょっと変わった内容の展覧会です。マルセル・デュシャン、フランシス・ベーコン、岸田劉生など、近現代を代表するアーティストたちの作品の横には、絵の額を吊るすための金具、地震の揺れを抑える免震台、国内外の美術館の年間予算データなどが、絵画や彫刻と同じ「展示品」として並んでいます。36項目に細かく分類された展示スペースや迷路のような空間もユニークです。謎めいたこの展覧会は、いったいどんな意図で企画されたのでしょうか?

その秘密に迫るべく、美術館にやって来たのは箭内道彦さん。数々のテレビコマーシャル、自ら立ち上げたフリーペーパー『風とロック』、そして何よりもTOWER RECORDSの代名詞となったコーポレートボイス「NO MUSIC, NO LIFE.」の仕掛人として有名なアートディレクター / クリエイターです。

「NO MUSIC, NO LIFE?」と「NO MUSEUM, NO LIFE?」。偶然の一致なのか、あえてなのか? 展覧会の企画者である二人の若き研究員の弁解から、箭内さんとの対話が始まりました。

僕自身もウィスキー会社と「NO MUSIC, NO WHISKY.」っていうキャンペーンを手がけたくらいで(笑)、このキャッチコピーっていろんなものに応用できるんですよ。(箭内)

桝田:まずは……、勝手にコピーをお借りしてすいませんでしたっ!

そう言って、箭内さんに深々と謝るのは、東京国立近代美術館研究員の桝田倫広さん。今展覧会の企画者、そして「NO MUSIC, NO LIFE.」というコピーを箭内さんに無断で借用し、『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典』という展覧会タイトルを付けた張本人でもあります。

箭内:(笑)。いやいや、むしろ使ってもらえて光栄です。タワーレコードさんも多分喜ぶと思いますよ。でもなんでこのタイトルにしたんですか?

箭内道彦
箭内道彦

桝田:気になりますよね。まずその前にこの展覧会の主旨を説明させてください。本展は、東京、京都、大阪にある5つの国立美術館のコレクションをお見せする展覧会で、「美術館そのもの」をテーマにしています。多くの人にとっては「美術館に行く=展覧会を見る」ことだと思います。でも、展覧会を企画することは、美術館の活動全体のほんの一部なんですよ。作品収集、保存、研究、教育普及……さまざまな美術館の仕事をみなさんに知ってほしい、そしてそれを知れば展覧会をより立体的に楽しめるようになると思い企画したのが本展です。

副題に「これからの美術館事典」とあるように、本展は美術館にまつわる36のキーワードが、アルファベットのAからZに分類・展示されています。美術作品169点と美術館にまつわる資料が、「Archive(アーカイブ)」「Curation(キュレーション)」「Frame(額 / 枠)」「Storage(収蔵庫)」などの項目ごとに割り振られ、鑑賞する人は、展示作品を介して美術館の活動に迫り、また美術館の活動を介して作品への理解を深めるという趣向です。ちなみに国立美術館5館のコレクションは総数4万点を超えるそう。その全作品からキーワードに当てはまる作品をセレクトするのは気が遠くなるほど大変な作業だったとか。

「Frame(額 / 枠)」の展示風景
「Frame(額 / 枠)」の展示風景

「Beholder(観者)」の展示風景
「Beholder(観者)」の展示風景

桝田:そして『NO MUSEUM, NO LIFE?』という言葉をタイトルに含めた理由ですが、1つ目は「NO MUSIC, NO LIFE.」と同じように、「美術館があることで、私たちの人生に彩りが加わるのでは?」という提案です。そして2つ目は、美術館の役割にちなんでいます。美術館とは美術作品を守り、未来に伝える貯蔵庫でもあります。つまり「美術館なしには、作品の生命(LIFE)は守ることはできない」。この2つの意味を込めて命名しました。

箭内:僕自身もタワーレコードさんとウィスキー会社とのタイアップで「NO MUSIC, NO WHISKY.」っていうキャンペーンを手がけたくらい、このキャッチコピーっていろんなものに応用できるんですよ。みんなが自由に遊べるフレームであることが嬉しいですし、民間企業から発信した言葉を、東京国立近代美術館という歴史ある場所で使ってもらえる逆転現象が面白い。それに、この展覧会を企画した桝田さんも、新藤さんも、とても若い人なのがいいですよね。美術館を風通しの良い場所にして、社会に開きたいという意志を感じます。

「Storage(収蔵庫)」の展示風景
「Storage(収蔵庫)」の展示風景

今展の企画には桝田さんとともに、国立西洋美術館研究員の新藤淳さんが関わっています。二人はともに1982年生まれ。さまざまな分野のプロフェッショナルが集う国立美術館にあって最年少の研究員ですが、じつは今展が実現した背景には、国立美術館5館合同で行なわれた「展覧会企画コンペ」で、桝田さんの提案が選ばれたということがありました。『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典』展には、美術館のこれからを担うジェネレーションの熱い思いが込められているのです。

新藤:タワーレコードの『NO MUSIC, NO LIFE.』は、ちょうど僕らの世代の青春時代に、とても身近な言葉でしたからね(笑)。

桝田:実家を探したら、まだTシャツもあると思います!

箭内:それは嬉しいなあ(笑)。

そんな青春トークに興じながら、三人は展示スペースに歩みを進めていきます。

(マルセル・ブロータースは)美術館という場所は芸術家を金塊のように特別扱いし、権威づける場所だよね、と皮肉っているんです。(新藤)

まず最初のスペースは「A」。ここはArchitecture(建築)、Archive(アーカイブ)、Artist(アーティスト)などに分類され、美術館構想段階の建築模型や図面、そして17~20世紀のアーティスト像、たとえば「芸術の霊感にとらわれて狂気におちいる画家の姿」を描いた版画作品が並んでいます。箭内さんたちが足を止めたのは、Art Museum(美術館)の前でした。

マルセル・ブロータース『ミュージアム―ミュージアム』
マルセル・ブロータース『ミュージアム―ミュージアム』

新藤:マルセル・ブロータースという20世紀後半のベルギー人作家の作品、『ミュージアム―ミュージアム』です。16個の金塊が描かれた2枚のシルクスクリーンがあって、歴史上の芸術家の名前や「銅」とか「偽物」といった言葉が添えられています。つまり美術館は芸術作品を金塊のように特別扱いし、権威づける場所だよね、と皮肉っているんです。

美術館を批判し「美術館とは何のための場所なのか?」と問いかける作品は1970年代以降、特に多くなってきたと言います。有名美術館に所蔵されたり、大きな回顧展が行われることで作品の市場価値が高騰する現象は、アートワールドではよくあること。美術品を守る貯蔵庫であるはずの美術館は、見方を変えれば、芸術に金塊のような資本価値を与えてしまう場でもありえるのです。

桝田:まずは僕ら自身が、美術館の働きを相対化して考えるところから始めてみようと思ったんです。

箭内:なるほど。まさに『NO MUSEUM, NO LIFE?』の「?」が象徴する問いかけなんですね。ところで、美術館って場所はなんでこんなにドキドキするんだろう? と思うときがあるんですけど、ひょっとしたらルパンとか、大泥棒が盗みに来るかもしれない雰囲気があるからなんじゃないかって思うんですよね(笑)。

新藤:まさにルパンにとっては作品の一つひとつが金塊に見えているわけですね。

箭内:お金持ちにとっては投資の対象でもありますよね。立場によって美術品の見え方は大きく変わっちゃう。

「Artist(アーティスト)」の展示風景 アンリ・ルソー『第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神』
「Artist(アーティスト)」の展示風景 アンリ・ルソー『第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神』

桝田:ちなみに箭内さんは、作品を買ったりされますか?

箭内:じつはちょっとだけ。最近、福田平八郎さん(文化勲章を受章した日本画家)の掛け軸を買ったんですけど、日本画が好きなんですよ。祖母が日本画家だったので、そのセンスが隔世遺伝したって勝手に思っているんです(笑)。日本画の中にあるデザイン性が自分の感性のスタンダードになっている気がするんですね。

福田繁雄さんのポスター『VICTORY 1945』は大好きです。大砲の筒に向かって戻ってくる弾は「相手を攻撃すれば自分に返って来る、天に吐いたツバ」なんですよ。(箭内)

思わぬ箭内さんのルーツも明らかになり、次に差し掛かったのは「E」のスペースです。Education(教育)に展示された『国立美術館アートカード・セット』の前で箭内さんの足が止まりました。国立美術館の所蔵作品やアーティストをゲーム感覚で学べるカードの中に、気になる1枚を発見したからです。

箭内:福田繁雄さんのポスター『VICTORY 1945』のカードがありますね。広告に興味を持ちはじめた高校生の頃に出会ったデザインで、大好きです。大砲の筒に向かって戻ってくる弾は「相手を攻撃すれば自分に返って来る、天に吐いたツバ」なんですよ。

『国立美術館アートカード・セット』 中央の黄色いカードが、福田繁雄『VICTORY 1945』
『国立美術館アートカード・セット』 中央の黄色いカードが、福田繁雄『VICTORY 1945』

イエローの地に黒い大砲と弾が描かれたシンプルな構図。1975年にポーランドのワルシャワで開催された『ポーランド戦勝30周年記念国際ポスターコンペ』で最高賞を獲得した同作で、福田繁雄は国際的デザイナーとしての名声を得ました。じつは箭内さん、彼の授業を受けたくて東京藝術大学美術学部デザイン科に入学したのでした。

箭内:ところが、僕が三浪しているうちに福田さんは退官しちゃったんですよ(笑)。でもその後、とある広告賞の審査でご一緒することができて感無量でした。

「教育」をキーワードにしたスペースで偶然にも箭内さんの大学時代のエピソードが飛び出しましたが、美術館は「博物館法」で定められた国民のための教育機関でもあります。ここでは、美術館が行っている美術教育の資料や、19世紀の画家オノレ・ドーミエの教育を風刺するリトグラフなどが展示されています。ドーミエは市民革命に揺れるパリで活躍した風刺画家ですが、王侯貴族や教会の所有物だった美術品が市民にも開放されるという、時代のパラダイムシフトを反映した作品を多く描いています。現在の美術館・博物館の原型が誕生したのは、まさに近代(19世紀)です。ここにも「美術館とは何か?」を考えるヒントが隠されているかもしれません。

地震の多い日本に、未来へ伝えるべき美術品があること自体が間違っているのかもしれない。でもだからこそ、美術館の人たちはこの場所を守ってらっしゃるんでしょうね。(箭内)

桝田:では、隣のEarthquake(地震)に移りましょう。池田遥邨ら大正期の画家が描いた関東大震災のスケッチや、宮本隆司、米田知子がとらえた阪神淡路大震災の写真を展示していますが、同時に地震に対する美術館の取り組みをお伝えするスペースでもあります。

「Earthquake(地震)」の展示風景 桝田倫広(東京国立近代美術館研究員 / 中央)、新藤淳(国立西洋美術館研究員 / 右)
「Earthquake(地震)」の展示風景 桝田倫広(東京国立近代美術館研究員 / 中央)、新藤淳(国立西洋美術館研究員 / 右)

2011年の東日本大震災では、太平洋沿岸部の美術館の多くが地震や津波の被害を受け、全国の学芸員・研究員が被災状況の調査と作品の救出のために東北に集まりました。桝田さんも陸前高田市立博物館に行って救出作業に参加したそうです。

箭内:陸前高田の博物館はどんな状況だったんですか?

桝田:沿岸から約500メートルの平地に建っている施設で、ほぼ全壊という状況です。館内に残された作品を安全な場所に移送し、その後、専門チームが適切な修復処置を行ないました。陸前高田市立博物館は現在も休館中です。

新藤:地震大国の日本では、突発的な地震こそが美術館にとって、もっとも大きな脅威ともいえます。仮に欧米の美術館で「美術館事典」を作るなら、この「地震」という項目は、おそらく入ってこないと思うんですよね。でも、日本で美術館について問うのなら、この項目は外せないと考えたわけです。

箭内:僕たち来館者側からすると、美術館にある作品を「永遠にそこにあるもの」と思ってしまいがちですよね。ひょっとすると、地震の多い日本に、未来へ伝えるべき美術品があること自体が間違っているのかもしれない。でもだからこそ、桝田さんや新藤さんたち美術館の人たちはこの場所を守ってらっしゃるんでしょうね。

『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典』展を区切る壁には、ところどころ窓のような穴が開けられ、別のスペースの様子が垣間見えるようになっています。たとえばEarthquake(地震)は、最初に見たArchitecture(建築)とつながっています。これは堅牢さを必要とする「建築」としての美術館が、じつは常に「地震」の危険と戦っていることを意味しているとも解釈できます。

「Earthquake(地震)」の展示室から壁越しに見る「Plinth(台座)」の展示室
「Earthquake(地震)」の展示室から壁越しに見る「Plinth(台座)」の展示室

会場デザインをトラフ建築設計事務所(鈴野浩一、禿真哉、坂根みなほ)、グラフィックデザインをneucitora(刈谷悠三、角田奈央)が担当した同展覧会は、決められた順路に沿って進むだけではなく、鑑賞する側の興味や発見によって、戻ったり、ジャンプしたりすることのできる空間的な「企み」が随所に秘められています。そんな企みの発見も本展を楽しむポイントの1つ。ぜひ探してみてください。

古今東西の裸体画を自由に並べてみたとき、私たちは「Nude」と「Naked」の境界線を明確に指し示すことができるのでしょうか?(桝田)

「Frame(額 / 枠)」「Guard(保護 / 警備)」「Light(光 / 照明)」など、美術館になくてはならない項目を紹介する展示が続き、しばらく進んだ先に現れたのは、壁面を覆い尽くす絵画や写真の裸体像。「N」は「Naked / Nude(裸体 / ヌード)」のコーナーです。

「Naked / Nude(裸体 / ヌード)」の展示 右奥の壁で中央上下に並ぶ、萬鉄五郎『裸体美人』とギュスターヴ・クールベ『眠れる裸婦』
「Naked / Nude(裸体 / ヌード)」の展示 右奥の壁で中央上下に並ぶ、萬鉄五郎『裸体美人』とギュスターヴ・クールベ『眠れる裸婦』

桝田:裸を唯一の条件にとにかく数を並べました。一般的な展覧会では、ジャンルや時代、地域、素材によって、作品を選別し、配置していくことが多いと思います。ですから、ここにあるように、萬鉄五郎が明治時代に描いた『裸体美人』と、19世紀フランス写実主義の画家ギュスターヴ・クールベが描いた『眠れる裸婦』が上下に並ぶケースはまず見られないでしょう。

まるで萬がクールベを踏んづけているような挑戦的な展示方法は、国立美術館5館のコレクション紹介を目的とした今展ならではの試み。ですが、桝田さんと新藤さんには他にも意図したことがあったそう。

桝田:8頭身などの理想の身体を描くことが常識だった19世紀中頃までのフランス美術界に対して、クールベは「現実」の裸を描くという新しいチャレンジを挑んだ画家です。Nudeは「理想的な身体」を意味し、Naked(剥き出し)は「現実の身体」を意味しています。じゃあ、こうやって古今東西の裸体画を自由に並べてみたとき、私たちはNudeとNakedの境界線を明確に指し示すことができるのでしょうか? そんな問いかけをこの展示に込めました。

「Naked / Nude(裸体 / ヌード)」の展示
「Naked / Nude(裸体 / ヌード)」の展示

箭内:いやらしいですねえ~。いや、もちろん裸がいやらしいという意味じゃなくて、二人の問いかけが挑発的で、って意味ですよ(笑)。

新藤:美術館は公共空間なので、青少年への影響や公序良俗など、道徳性を考慮して展示活動をせざるを得ないわけですね。ある芸術作品が「わいせつ」かどうかというのは古い問題のようでいて、今日でもよく議論されます。「Nude / Naked」っていうのは、その意味で美術館と社会の関係を境界を計るインターフェイス、いわばリトマス試験紙のようなものだと思うんですね。最近でも、江戸時代の春画とかセクシュアリティーを問う現代写真の展示などには、しばしばその問題が付きまといますよね。

箭内:広告の世界では「考査」と呼ぶんですが、僕らも自己規制について意識することが多いです。絵画と同じビジュアル表現でも、広告って見る人が能動的に触れる場合はほとんどなくて、ポスターにしても看板にしても、多くの人が無差別に接触してしまうメディアなんです。だからみんなが傷つかないような表現にすることが基本としてあります。でも、ある先輩が言っていたんですけど、「クレームのない広告は(人の心に)届いてない広告」なんですよね。そこが難しいところです。逆に、その規制やクレームをすり抜けるアイデアを創造するのが楽しいところでもあって。「制作の『制』は、制約の『制』」なんて言葉もありますし、昔は「テレビ局に怒られてナンボ! 弾かれた企画の数が勲章!」なんて時代が僕にもありましたねえ……最近はだいぶ丸くなりましたよ(笑)。

粋なものって、自分から「これが粋です」とは言っちゃいけなくて、誰かがその人の粋を認めてあげないと、本当に粋にはなれない。(箭内)

エロと規制の問題は、誰にとっても身近で秘密にしておきたいテーマ。ここには書けないキワどい話に盛り上がりつつ、次の展示室は「O」、Original(オリジナル)のスペースです。

マルセル・デュシャンによるレディメイド(既製品を使った作品)が並ぶ「Original(オリジナル)」の展示
マルセル・デュシャンによるレディメイド(既製品を使った作品)が並ぶ「Original(オリジナル)」の展示

既製品を美術作品に転換する「レディメイド」を提唱した、コンセプチュアルアートの祖、マルセル・デュシャンの作品。ピエール=オーギュスト・ルノワールが17世紀の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスを、洋画家、須田国太郎がルネサンス期の画家ティントレットを「模写」した絵画などが並んでいます。美術館に行くと、本物の作品が観られると思ってしまうものですが、果たして模写した絵に独創性はあると言えるでしょうか。デュシャンの『泉』のように、どこにでも売っている便器に作家が署名をしただけで、それは芸術作品と呼べるでしょうか。そんな「オリジナル」「模倣」「作家性」の根拠をめぐる問いかけが、このスペースには満ちています。

マルセル・デュシャン『泉』1917年(1964年、シュヴァルツ版 ed. 6/8)、小便器(磁器)・手を加えたレディメイド、36.0×48.0×61.0cm、京都国立近代美術館 ©Succession Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 E1582
マルセル・デュシャン『泉』1917年(1964年、シュヴァルツ版 ed. 6/8)、小便器(磁器)・手を加えたレディメイド、36.0×48.0×61.0cm、京都国立近代美術館 ©Succession Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 E1582

ピエール=オーギュスト・ルノワール『横たわる浴女』1906年、油彩・キャンバス、54.8×65.0cm、国立西洋美術館
ピエール=オーギュスト・ルノワール『横たわる浴女』1906年、油彩・キャンバス、54.8×65.0cm、国立西洋美術館

箭内:展覧会には、いろんな「!(エクスクラメーション)」や「?(クエスチョン)」があると思うんですけど、ここは「!」がぐにゃっと曲がって「?」に変身していくようなメタモルフォーゼを感じますね。デュシャンはそのクエスチョンを自ら投げかけたアーティストだと思うんですが、それを「これは、問いかけなんだよ、わかる?」ってみんなに教える人がいないと、気づかれずにスルーされてしまうことも多い。以前、なぎら健壱さんと話をしたときに「下町の粋」の話題になったんです。粋なものって、自分から「これが粋です」とは言っちゃいけなくて、誰かがその人の粋を認めてあげないと、本当に粋にはなれない。つまり美術館や評論家って、それを代弁してくれる存在なんだと思います。

桝田:でも、たとえば僕らがフレームアップした粋(イキ)や枠(わく)をそのままお客さんが持ち帰って納得するのもつまらないじゃないですか。それぞれが独自の「!」を見つけていくような経験をしていただければ嬉しいんです。

『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典』会場入り口に設置されたバナー
『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典』会場入り口に設置されたバナー

箭内:会場入り口にあった『NO MUSEUM, NO LIFE?』の大きなバナーがずっと気になっていて。最後の「?」がわざと見切れるようなデザインになっていますよね。「美術館にはたくさんのクエスチョンが隠れているよ」と訴えているけれど、それを声高には言わないデリカシーがかたちになっていて素敵だと思いました。「?」を発見してほしいけれど、作品の美しさや技巧の洗練に驚きたい観客の「!」って気持ちも大切にしようとしている。それが本当に粋ですね。

「仕組み」を見せてしまうのは野暮だと思う方もいるかもしれませんが、それを知ることで美術館での体験はもっと豊かで多彩になると考えたんです。(桝田)

36のスペースを回って、ふたたび入り口へと戻ってきた箭内さん。単に作品を観るだけでなく、美術館の役割や芸術の制度など、作品を取り巻く事物について考えるという珍しい体験に刺激されて、まだまだ語り足りない様子です。

作品照明を展示した「Light(光 / 照明)」の展示風景
作品照明を展示した「Light(光 / 照明)」の展示風景

展示作品の空き箱が並ぶ「Zero(ゼロ)」の展示風景
展示作品の空き箱が並ぶ「Zero(ゼロ)」の展示風景

箭内:すごく面白かったです。作品単体を観て楽しむのではなく、展覧会自体を俯瞰的に見る体験は初めてでした。でもなんで、こういった挑発的な内容の展覧会にしようと思ったんですか?

桝田:おっしゃるとおり、本展は展覧会そのもの、美術館そのものを扱うメタ的な視点にフォーカスした内容ではあります。でも、どんな展覧会にもメタ的な構造があるんですよ。企画者によって考えられたストーリーや構成があって、その枠組みの中で作品は並んでいます。もちろん普段はその文脈をあからさまに見せることはありませんし、「仕組み」を見せてしまうことを野暮だと思う方もいるかもしれません。でも、こういった文脈の網の目が、展覧会の中に、構成のうちに、作品同士の結びつきに、あるいは作品と私たちの関係の中に張りめぐらされていることに気付けたら、鑑賞体験はもっと豊かで多彩になると考えたんです。

箭内:たしかに、美術館鑑賞のトレーニングをしたような感覚もありますね。

箭内道彦

桝田:作品には3つの時間が宿っていると思うんです。それは「作品自体が作られる時間」「作品の中に表現された時間」「作品がここに来るまでの時間」。つまり、僕たちは1つの作品を通して複数の時間を観ているんです。

箭内:なるほど。たしかに、これから他の展覧会を観に行っても、絶対に見え方が変わるだろうと思うし、別の時間軸も感じられるようになった気がします。あと、もちろんいい意味でですが、この展覧会自体がお二人の作品になっているとも思いました。AからZに分類されていますけど、KとQとUとVの項目は欠けていますよね。そういう意味で、この美術館事典は未完成。点数で言うと、87点くらいかもしれない(笑)。でも、そこにお二人の人間味を感じるし、美術館が人の手で現在進行形に作られている場所なんだと気づかされる。だから、桝田さんや新藤さんのような研究員の存在がもっともっと知られるようになったらいいですよね。ちょっと美術に興味のある人が「あの人が作った展覧会は絶対観ておきたい」ってなったら楽しい。ぜひスター学芸員になってください!(笑)

新藤:(笑)。事典の話が出ましたが、じつは事典こそがもっとも未完成な書物ともいえるわけですね。つまり、改訂の可能性に開かれているということ。有名な『ブリタニカ百科事典』なんか、改訂に改訂を重ねていて、18世紀からずっと続いている。さっき桝田さんが言っていた作品の3つの時間に、美術館が扱う第4の時間「ここに作品が来てからの時間」を加えてもいいと思います。それは、美術館の人間も、美術館にやって来た人たちも介入することができる、事典の改訂作業にも似た、みんなで作っていける時間。『NO MUSEUM, NO LIFE?』展は、美術館や展覧会の「書き換えの可能性」を提案するものでもあるんです。

作品を鑑賞する受け手(来場者)を展示した「You(あなた)」の展示風景
作品を鑑賞する受け手(来場者)を展示した「You(あなた)」の展示風景

箭内:その体験を持ち帰って日々の暮らしや芸術文化について考えてみる、第5の時間を僕も提案したいな(笑)。いいものを見っ放しにするっていうのはとてももったいないことで、音楽や美術が自分の人生に与えた影響を考えてみたい。『NO MUSEUM, NO LIFE?』展は、そのきっかけを与えてくれるものだと、僕は受け取りました!

イベント情報
『NO MUSEUM, NO LIFE?―これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会』

2015年6月16日(火)~9月13日(日)
会場:東京都 竹橋 東京国立近代美術館
時間:10:00~17:00(金曜は20:00まで、入館は開館の30分前まで)
休館日:月曜(7月20日は開館)、7月21日
料金:一般1,000円 大学生500円
※高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者1名は無料

イベント情報
『MOMAT サマーフェス』

2015年7月31日(金)~8月2日(日)
会場:東京都 竹橋 東京国立近代美術館
時間:10:00~22:00(8月2日は8:00~17:00、入館は閉館の30分前まで)

『真夏の夜の野外シネマ』
2015年7月31日(金)19:00~21:00
会場:東京都 竹橋 東京国立近代美術館 前庭
料金:無料(申込不要)

『灼熱のシンポジウム』
2015年8月1日(土)15:00~21:00
会場:東京都 竹橋 東京国立近代美術館講堂、前庭
料金:無料(申込不要)

『おはよう!びじゅつ体操』
2015年8月2日(日)9:00~10:00
会場:東京都 竹橋 東京国立近代美術館 前庭
料金:無料(申込不要)

作品情報
『ブラフマン』

2015年7月4日(土)から新宿バルト9ほか全国で公開
監督・撮影:箭内道彦
主題歌:BRAHMAN“其限”
出演:BRAHMAN
語り:
Ken Yokoyama
りょう
井浦新
配給:プレシディオ

プロフィール
箭内道彦 (やない みちひこ)

1964年福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、フリーペーパー『月刊 風とロック』の発行、故郷 福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日の『NHK紅白歌合戦』に出場したロックバンド猪苗代湖ズのギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。東京藝術大学非常勤講師、青山学院大学非常勤講師、秋田公立美術大学客員教授、福島県クリエイティブディレクター、郡山市音楽文化アドバイザーなども務める。

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