「フジワラノリ化」論 第19回 石川遼 どうして君はそんなに優等生なのか 其の三 サラリーマンとゴルフの密着愛

其の三 サラリーマンとゴルフの密着愛

デンマークのハードロックバンドD-A-Dは、1998年に『シンパティコ』というタイトルのアルバムを発売した。『SIMPATICO』、邦題として『同志』と名付けられたこのアルバムでは、日本独特のある光景がジャケット写真に使われている。写し出されているのは、新幹線の駅のホームでビニール傘をふりながらゴルフフォームの確認をするサラリーマン。タイトルを暗喩させるための写真として、この異様な光景を選んだのだろう。しかし、日本で暮らす自分たちにとってこれは、そんなに珍しい場面ではない。暗喩のつもりが、この日本では直喩となってしまった。なぜって、日本のサラリーマンにとって、ゴルフで得られる関係性とは、「同志」そのものだったからだ。いやぁ昨日は全体的にスライス気味でスコアがまとまらなかっただとか、17番ホールでのあのリカバリーショットは我ながら見事だった、とかってな辺りの話を、どういうわけか「公的」な気配を漂わせながら話をする場面に出くわしたことがあるだろう。同様の場面で、昨日はスーパーの特売で新鮮なトマトが安かったからまとめ買いしちゃったとか、地元のクリーニング屋の夫婦が離婚しちゃって奥さん一人で大変そう、なんて話をしてしまうと、おいおいそれは今話すべき話なのか、という雰囲気に包まれてしまう。ゴルフってのはどうしてだか共通言語として、公的トークとして、様々な場面で前もって認められている気配がある。しかし、ゴルフをやらない多くの方々の共感を得ることを申し上げれば、貴方のゴルフの調子ほど、こちらの興味の薄いことはないのであります。ああ、クリーニング屋さん、大丈夫かしら。

イギリスを発祥とするゴルフが日本に持ち込まれたのは、1901年のこと、神戸の六甲山に出来た4ホールほどのゴルフ場が最初とされている。以降、十数年の間に18ホールのゴルフ場がいくつかできたものの、それらは財閥を中心とした超ハイソサエティの遊びに過ぎなかった。お高くとまっていたゴルフが下々に降りてくるのは、敗戦後のこと。1950年すぎの朝鮮戦争特需、そして何より高度経済成長の中で、人々は、分かりやすく豪快な余暇を探し求めるようになった。東京オリンピックの開催によって交通網が充実し、一家に一台車を持つことが当たり前になってきた時代、ゴルフが一気に市民生活へと染み渡ったのである。市村操一の著書『ゴルフを知らない日本人 遊びと公共性の文化史』には、戦後からのゴルフの浸透っぷりを、「重役のゴルフ」が「部長のゴルフ」に、そしてそこに「課長のゴルフ」が加わり、次は「係長」と「下請けの社長」が参加、最後には「平社員」も随行するようになった、と書いている。つまり、企業のトップから下部まで急速に広まっていったのだ。企業の男たちが総じてゴルフに浸れば、当然、企業間同士で頻繁にゴルフコンペが行なわれることになる。いわゆる「接待ゴルフ」というやつだ。言われがちな、一番偉い人を勝たせるためにわざと池ポチャをした、というのは、やや大げさに盛られたエピソードという感じがするが、いずれにせよ、会社の上下関係、企業間の優越が、そのままゴルフ場に持ち込まれたのだ。上の連中にとっては仕事から離れてスポーツができる上に、太鼓持ちが引っ付いているという好環境。そりゃあ、掃除機に轢かれて「寝転がってるだけじゃなくてなんかやって」と煙たがられる休日より心地良いに決まっている。しかし、その太鼓持ち係はどうか。ようやくやってきた休日にもかかわらず、環境破壊みたいな顔をした上司(何となくご理解いただけるはず)を、一日中持ち上げていなきゃいけないのである。その徒労感をどう払拭するべきか。その時に、脱ゴルフとはならずに、開き直って自分もあっち側へ行こうと出世競争へ積極参戦してしまうのであった。着陸寸前の飛行機から千葉の内陸部辺りをぼーっと見ていると、ありとあらゆる緑地の中がメロン色にくりぬかれているのが見える。限りある自然が、自らの我欲をどうにかしたい群れによって刈り取られたのだ。

自分たちの世代は、ゴルフコンペなんて論外、いかにも旧時代的じゃんと思っているはず。しかし、老舗の建設会社に勤めて5年の友人に聞けば即座に否定、ゴルフをやる、やらないでは社内の通気性が違うとキッパリ。秋口のデビューに向けて練習場通い、ご苦労さんってなもんである。そうはいっても縮小傾向にあるはずのゴルフ外交。そこに、それこそ石川遼や宮里藍など若きトップスターの出現がぶつかって、ゴルフ人口はどう推移しているのかと調べてみれば(日本ゴルフ協会資料より)、1994年に1450万人だったゴルフ人口の総数は、2010年(予測値)は1033万人と、実に30%減となっている。ゴルフとサラリーマンの両想いに軋みが生じ始めた、何よりの証拠となる数値である。興味深いのは、1994年から2010年にかけて、会社でそれなりの位置に上りつめ引退していったと思われる60代のゴルフ人口は176万人から152万人と減りが少ないのに対し、20代に関しては214万人から92万人に、何と6割近くも減ったのである。この数値に安直な分析を向ければ、2点ほど明らかになることがある。会社へ入って数年目の若手社員が、上層部からやりたくもないゴルフを始めさせられるケースが極端に減ったということ。そして、プロゴルフ界における新たなスター、石川遼(2007年に史上最年少優勝)、宮里藍(2003年にプロへ転身、女子高生プロゴルファー)といった存在は、とりわけ同世代の具体的な共感を得たわけではない、ということが露になる。

受容者が低迷したら、とりあえず若い女性を狙えというのはどこの業種も一緒のようで、この数年、女性向けのゴルフ用品等の開発・販売、そしてその存在の必死な売り込みが目につくようになってきた。飲み会の変わりに男女数人ずつが組みとなってゴルフをプレーする「GOLコン」なんていう悪寒のする言葉まで聞こえてくるとさすがに注視せざるを得なくなり、2006年に創刊されていた若い女性向けゴルフ雑誌『Regina』を開いてみることにした。「初対面での接近距離はワングリップまで」「18ホール崩れ知らずの接近メイク」「ラブが生まれるGOLFファッション誌」「ゴルフ美人は口元勝負」といった、突っ込みどころ満載のキャッチコピーが踊ってしまう。しまいには「私たち『スコアよりウェア』です」と表紙で謳ってしまう始末。開き直りすぎ。言い方は慎重に且つ大胆に申し上げると、ええと、キミらにはそのぅ、恋とかモテとかそんなんしかないのか。なんか他にすることないのか。だから、サラリーマン社会が古臭いまま成り立っちまう。そびえ立っちまう。サラリーマン男子が必死か露骨か知らんがゴルフから逃れ始めたってのに「私、何にも知りませんー。教えて下さいー。てかそのまえに、超かわいいでしょう、このウェア」と、緑の芝でピーピーパーパー騒いでどうする。なんてのかな、女子のみなさん、この手の女子をもうちょっと同性として取り締まれないもんなんでしょうか。いや、わたしたちも遠ざけてたのよって? だから、ゴルフ場まで行っちゃったのか。だとしたら、仕方ない。

「フジワラノリ化」論 第19回 石川遼

なでしこジャパンが帰国するや否や、ワイドショーや週刊誌は彼女たち一色になった。しかし、それは、どこそこのプレーが良かったと試合を詳しく振り返るものではなかった。プライベートの恋はどうなの、に始まり、ビジュアルランキングに近しいものを作成したり、と、オッサン目線で女子を品定めする消化が脂ギッシュに行なわれたのだった。メンバーを集めて彼氏がいる人はと尋ね、一人だけ手を挙げたその人を捕まえて、なれそめを聞く。断言するが、この消費では、女子サッカーの人気は100%続かない。酷なのは、ここまで持ち上げられ、後で落とされる彼女たちである。女子プロゴルファーがわざわざミニスカートを履き、ショットの度に激写され、オッサン週刊誌のカラー面を賑わせている事を、「スコアよりウェア」な脳天気連中は知っているのか。意識的に下品に書くが、オッサンどもは「スコアよりウェアより具体的な接触」を狙っている。

男子プロの新世代・石川遼や池田勇太からは、伝わってくるかぎり、いわゆる野球選手やサッカー選手的な異性交遊が漂ってこない。女子プロも、西岡剛やダルビッシュなどと浮き名を流した古閑美保くらいで、あとはそういった話題が賑やかに入り込んでくるわけでもない。見た目は派手だが、見た目が派手なだけだ。石川遼があれほど話題になり、日本ゴルフ界を一新させる活躍を見せたにもかかわらず、ゴルフ予備軍の世代はゴルフから逃れようとしている。しかし、女子は、どういうわけか、クラブを握ろうとする。三木谷とホリエモンがベンチャービジネスの旗手として浮上してきたとき、彼等は意識的に旧体制からの脱却を物申す形で声を上げた。収監される際、モヒカンにするという子供じみた反骨を晒したホリエモンには『ホリエモンが目覚めた“頭を使う”ゴルフ』なる入門書本がある。財界人との付き合いがホリエモンとの差と言われた三木谷は、勿論ゴルフを嗜んでいる。考えてみれば、脱・旧体制のこの二人が、戦後サラリーマン史にとっての動脈硬化のような存在にあたるゴルフ外交に素直に臨んでいるのがすこぶる不思議だが、前述の「GOLコン」とやらに参加するための応募フォーマットを見て、何やら納得。「ご勤務先名」を入力するコーナーがあるのだが、そこには注釈があり、「※GOLコン組合せの参考にさせていただいます」と添えられているのだった。つまり、どこの会社かで、しっかりとラウンド組が仕分けられるようになっているのだった。金があれば女にはモテると豪語したホリエモンに呼応する男女が、今更ながらゴルフグラウンドに集っているのだろうか。炎天下に点在する猫なで声が、今日もグリーンに響き渡っているのだろうか。

次回はさすがに石川遼を主役に、ただし、今回の議論=「ゴルフとオッサンとサラリーマンと女子」という問題を敷きながら、彼のファッション&髪型を中心に考えていく。



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