沖縄が生んだ写真家・石川竜一インタビュー - 「甘ったるいんだよ、クソ野郎」って、いつも思ってます。

目にした瞬間に、どこにでもある日常のような気もするのに、生々しくて強烈なパワーを感じる。石川竜一の写真には、そういう視点がある。

2015年、弱冠30歳で写真界の芥川賞とも言われる木村伊兵衛賞を受賞した石川竜一は、生まれ育った沖縄について、自身の写真集『絶景のポリフォニー』の最後にこう寄せていた。

「この島は、人間の欲と悲しみに振り回されてきた。だからこそ平和で豊かな南の島を夢見てきたし、そうであろうとしてきた。ただそれは、抑えることのできない欲と、それによって生まれるカオスをいつも孕んでいる。ただ、そんなことは僕らの世代にとっては、生まれる前からある当たり前のことで、それをどうこう言う奴なんてほとんどいない」

沖縄は、いまもなお多くの問題に揺れている。しかしこの島が内側に抱える様々な悲しみや怒り、葛藤は、観光地として紹介される美しい沖縄の風景だけを見ていては決して見えてこない。

石川は、そんな沖縄に生まれ育った自分に正直に、目の前にある風景に、目の前に生きる人たちの姿にカメラを向けている。それは、知らなかっただけで、もしくは知っていたけれど除外していただけで、本当はどこにでもある生々しい「今の沖縄」。彼の写真と言葉から、これまで見えなかった「沖縄」が見えてくる。

※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。

写真を手にした当時は、本当に人間が嫌いだった。

—石川さんは写真を始める前にボクシングをやっていて、プロや大学からのスカウトもあったそうですね。ボクシングを続けるつもりはなかったのですか?

石川:それは無かったです。でもやるからには半端にはできないから、常に「今死んでもいいや」っていうところまでやるつもりでした。でも一方で、ボクシングはずっと出来ることではないという思いもあって。

—ボクシングを辞めてから写真と出会うまでは?

石川:ボクシングを辞めてから2年間くらいは鬱みたいな感じでした。ボクシングに打ち込んでいた分、他のことに全然意識がいってなくて、ポッカリ穴が空いたみたいになって。だから辞めた時、自分が何をやりたいかも全然わからなかった。自分は何かできるんじゃないかと思っていたけど、何事もうまくいかないし、それでどんどん何もしなくなって。本当に何もしたくなくなって、本当に何もしなかった、という。だから、自分が何をやりたいかよりは、結局働きたくなかったんだと思います。サラリーマンとかクソだと思っていましたから。でもその頃、地元の仲間とホントにバカなことたくさんしてて。音楽も映画も好きだし、アートみたいなものにも興味があったし、そういうことが今に繋がっているんですよね。今思うと。

—沖縄からはミュージシャンやものづくりの作家も多く生まれていますよね。自分も“何かできる”という気持ちもあったのでしょうか。

石川:うーん……そんなわけじゃない。その時の僕らはただ叫んでいただけで、大人たちを見ると文句しか出てこないし。やっぱり、そんな若造の僕らが何かやったって相手にされないですよね。

—当時の石川さんにとって、「写真」はどういうものだったのですか?

石川:写真が表現の媒体であるなんてことを思ってもいなくて。そういうことも信じられないし、それこそ自分の写真が残っているのもイヤなくらいで、写真ってイヤだなあって思っていました。

—そんなにイヤだった写真をやろうと思ったきっかけは「リサイクルショップの人にカメラを売りつけられたから」だったそうですね。

石川:その時期はとにかく金も何もかもすべて持っているものは、使って無くしたいと思っていたんですよ。それくらい自暴自棄な感じで。カメラを買ったのも、その時ポケットに2000円入っていて、フラフラしてた時に那覇のリサイクルショップのおじさんから「1000円でいい」と言われたカメラと、残りの1000円で期限切れのフィルムを10本買ったんです。

—そこから石川さんの写真家としての道がスタートしたんですね。

石川:でも写真を始めた頃の僕は、人が本当に嫌いで、人と話もしたくないし、暗室にこもってしょっちゅう写真を焼いているような感じで。だから写真も「撮る方」じゃなくて「作る方」の写真になっていったんです。ほんと自分の世界に入り込んでしまってたというか。

自分は何者でもないし、相手を受け入れるまでです。

—石川さんは、琉球舞踏界の重鎮であり前衛舞踏家としても知られる、しば正龍さんにも師事していますが、しばさんと出会ったのはどのタイミングですか。

石川:大学時代ですね。引きこもって写真を作りながらも「何かちょっと違うな」と思っていたので、外に出て何か撮ってみようと思ったんです。それで最初に撮り始めたのが暴走族で。暴走族に声をかけて、一緒に走って彼らの写真を撮るようになったんです。その頃、浦添のライブハウス「groove」で働いている友達に、「変な奴が踊りをやるから、絶対面白いからお前、写真撮りに来い!」って言われて観に行ったのがしばさんで。暴走族に声をかけた時もそうなんですが、僕の家がある宜野湾市の宇地泊は暴走族待ち合わせ場所で、そこから58号線を大きな音出して走ったりしているんですよ。それがマジうるさくて、ふざけるな、といつも思ってたから、ちょっと写真撮ってみようと思ったんですね。

—ふざけるなという怒りが、逆に興味の対象になっていったんですね。

石川:初めてしばさんの踊りを観た時にも、「この歳になって、なんでこの人こんなくだらんことやってるんだろう。ヤバい!」と思って、理解できなかったんですよね(笑)。それで写真に撮ったら理解できるのかなと思って、撮らせてもらったんです。

—自分には理解できないものが目の前にある時に、写真を撮ることで何かわかるかもしれないという発想が面白いですね。

石川:鬱で引きこもっていた時期に、人とか自分とか、好きとか嫌いとか、そういうことをずっと考えていたんです。自分が人に嫌われているという意識もあったし、自分が人のことを嫌いという意識もあったし、「嫌い」って何なのかなと考えた時に、自分が理解できないことを人は「嫌い」だと感じるのかな、って。だから自分の中で違和感があったものには写真で接してみようと。

—しばさんの踊る姿に寄り添いながら、夢中になって撮っている感じだったのでしょうか。

石川:ギリギリですからね。あの人のこと、ホントいまでも恐ろしいと思うから。でもあの時期しばさんに教えてもらったのは、「自分が器になる」という感覚です。直接言われたこともあるんですけど、「自分のこと何様だと思ってるんだ。お前がいることなんか何の意味もない」と。だから、本当にからっぽになって、相手を受け入れる器になれ、と。

—写真を撮り始めた頃の「自己表現」に向かっていた自分を覆されるような出来事ですよね。

石川:そうですね。時間が経つにつれ、その芸の素晴らしさや計り知れない奥深さ、同時に自分の浅はかさを思い知らされた。それは今でも続いていて、多分、僕は死ぬまでしばさんの像を追いかけ続けるんだと思います。

—そしてその時期からポートレイトを撮り始めるわけですね。

石川:しばさんと出会った2年後に出会った写真家の先生に言われたんです。「ポートレイト撮ってみたら?」って。後で訊くと、僕の写真にポートレイトを撮る才能を感じたのではなく、先生は、自分が沖縄の若者のポートレイトを撮ってみたいけれど、それよりも沖縄の若い子が撮るポートレイトも見てみたかっただけらしく(笑)。

—でも、それまで人を嫌いだった人が、人と向き合ってポートレイトを撮るというのは、かなりの覚悟が必要だったと思いますが。

石川:とにかく何もわからなかったんです。だから撮るしかない、ということでしかなかった。でも撮っていく中で、自分がやりたいこととやりたくないこと、欲しいものと欲しくないものというのが自然に出てきた。頭で考えなくても自然にそうなっていくから。ほんと、シャッターも無意識で押していったという感じです。

—後で見返した時に初めて、自分はなぜそれを選びとっていたのかわかるような感覚ですか?

石川:そうですね。でもそれも写真集にして初めてわかったことです。いい部分も悪い部分も自分の中にあるし、恥ずかしい部分もいっぱいあるんですけど、それを含めてこんな感じなのか、と。写真にはいろいろあると思うけれど、僕が今面白いと思っているのは、ほとんど意識せずにシャッターを押すことで、自分が思っていなかったものや、見えていなかったものが見えてくる写真です。でもそれは撮りながらわかってきたこと。どちらにせよ、自分は何者でもないし、相手を受け入れるまでなので。

結局は自分が沖縄で生まれ育っているんだから、しょうがない、諦めるしかない、と。

—沖縄という場所は、自然の力も、風俗や風習も、そして米軍基地も全部生活の中にあるから、沖縄で普通に何かを発信するだけで、外から見るとどうしてもメッセージにならざるを得ないところがあると思います。

石川:10代や20代初めの頃は、沖縄の特別に見られる感じというのがイヤで。沖縄そのものも恥ずかしいと思う部分もあったし。でも、『絶景のポリフォニー』にも書いたけれど、結局は自分が沖縄で生まれ育ってそうなっているんだから、それも含めて、いいとしようと。もうしょうがない、諦めるしかない、と思ったんです。

少し話は飛びますが、僕は先月(2015年4月)まで2ヶ月間フランスで写真を撮っていたんです。そこでは移民の人たちと仲良くなることが多かったのですが、苦しい生活環境を強いられている移民の人たちと話をしていると、どうしてもフランス人に対してムカついたりして、そういう部分に自然と目がいってしまう自分がいるんですよ。

—なぜですか?

石川:移民の人たちのお母さんに会えば、そこに自分のおばあちゃんたちの像を重ねて見てしまう部分もあって。それは無意識なんだけど、本当はイヤなんです。自分の記憶やイメージを目の前にあるものに投影してしまうことが。もっとフラットにものごとを見れればいいと思うけれど、人間は記憶の中で生きているから、それを拒否することもできないし。

—石川さんの写真集を見ると、ある種のマイノリティの人たちに視線が注がれていますよね。風景もまた、無意識に除外してしまうような場所を切り取っている。だけどそれは決して沖縄の特別な風景ではなく、沖縄のどこにでもある当たり前の風景です。

石川:『絶景のポリフォニー』の中にも結構そういうものが写っています。ちょっと遠回しに話を置き換えて言いますが、例えば、ゲイの人が自分のコミュニティを撮って発表するということは、周りからすると別に恥ずかしいようなことじゃないかもしれないけれど、自分にとっては恥ずかしいことだと思うんです。しかも、それによって自分の写真が特別な目で評価されてしまう危険がある。「ゲイの写真家」ってね。でもそれは、遅かれ早かれ、写真や表現をやっていると絶対に表に出てくることだと思うし、その人の背景を含めて初めに全部出しておくことで、10年、20年、30年経った時にどんどんそれがフラットになっていくと思う。だから初めに自分をすべて曝け出して、「この人はゲイだ」とか「この人のバックグラウンドはこうだ」とか、そういう見方を、みんなが飽きるのを待ちたいんです。

—様々な生き方をしている人たちを並べてみた時に、世の中とは、社会とは多種多様であることが当たり前なのだ、ということを知ることができます。決して偏見や差別を持っていては辿り着けない目線です。

石川:そうであってほしいんですよね。『絶景のポリフォニー』や『okinawan portraits』もそうなんですけど、今のところの僕の中心にあるイメージはそういうところなんです。全部フラットに、でもそれぞれの中にちょっとした違いがある、という感じが一番いいなと思っていて。

「甘ったるいんだよ、クソ野郎」って、いつも思ってます

—沖縄についてもう少し伺えればと思うのですが、石川さんが子どもの頃の沖縄と今の沖縄は変わっていますか?

石川:以前、ある写真家が「俺は昔、街と人を一緒に撮ってて、その時は人と街が一緒に繋がっているような気がしたから一緒に撮っていた。だけど今は人と街が離れている感じがする」と言ったんですよ。それを聞いて僕は全然違うよ、と思ったんです。だからその人への答えとして『絶景のポリフォニー』を作ったところがある。「お前が大人になって見えなくなっただけだろ、俺たちは今でもこうやって街でフラフラしてるんだよ」って。

—ある種、なにも変わっていない沖縄を見せたかった、と。

石川:多分、今と昔の沖縄で変わった部分があっても、自分の状況によって見えていないものだってたくさんあると思います。僕も子どもの頃はもっと外で遊んでいたように、今も昔と変わらない感じで子どもたちが遊んでいる。もちろん開発は進むし、それこそ沖縄ってすぐあったものがなくなるけれど、でもその中で変わらないものもたくさんあるから。

—その中で、できるだけ自分は見えていたいと思いますか?

石川:まあ、結局は見えなくなってしまってもいいんですけどね。その時に感じているものを正直に撮れればいいと思う。最終的にはその積み重ねで、それが形として残ることだと思っているから。だから変わっていっても変わらなくても、どっちでもいいみたいなスタンスではいたいですね。それは見方によっても違うし、目線によっても違うし。

—では、石川さんにとって沖縄の好きなところはどういうところですか。

石川:そうですね……。自分自身を差別するようでイヤだなと思うけれど、やっぱり、弱いところ。

—弱さを知っているところ、ということでしょうか。

石川:そんな感じかもしれないです。同時に、いつもイライラするのは、沖縄の人に対しては「甘ったるいんだよ、クソ野郎」と思っています。東京の人も県外の人だってみんな大変。そんな中でやっているのに、自分たちだけ傷ついているみたいな、そんなクソみたいなこと言っている。そんなこと言うなら、お前らもちゃんと同じ土俵に立て、と思いますね。

—同じ土俵というと?

石川:そうじゃないと、言葉って通じないじゃないですか。写真なら写真の、ボクシングならボクシングの、そのルールの上で同じ土俵に立たないと言葉は届かない。そうやって初めて言いたいことが言えると思うんです。戦争や基地の問題は特別で、外から急に入ってきた力に押し付けられている感覚はありますし、ムカついています。しかし、それを、僕が中高校生だった時みたいに「自分たちはこのやり方でいいんだ」とか言っててもしょうがない。例えば政治のことをちゃんとやりながら、政治のことを知らない人たちに言葉を届けるってすごく難しいけれど、それができないと何も変わらないですよね。だからこそやることに意味があるというか。

—自分自身も写真家として、そうであることで届けられるものがある。説得力のある言葉です。

石川:あと僕が沖縄の好きなところは、家族を大切にするところです。家族の繋がりが強いと思うし、沖縄のそういうところはとっても好きです。自分の先祖を大切にすることは、生き物としてそうあるべきだなと思えます。自然なことであり、当たり前のことだと思うし、自分も身の回りのことから大切にしていきたいと思うんです。

プロフィール
石川竜一

1984年沖縄県生まれ。沖縄国際大学社会文化学科卒業。在学中に写真と出会う。2010年、写真家 勇崎哲史に師事。 11年、東松照明デジタル写真ワークショップに参加。12年『okinawan portraits』で第35回写真新世紀佳作受賞。14年、写真集『絶景のポリフォニー』『okinawan portrait』を赤々舎より発売し、第40回(2014年度)木村伊兵衛賞を受賞する。 私家版写真集に『SHIBA踊る惑星』『しば正龍 女形の魅力』『RYUICHI ISHIKAWA』がある。



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