沖縄に生きる女性たちの肖像 第3回:真喜志民子

沖縄には60、70歳を過ぎてもなお、仕事にやり甲斐を持ち、オシャレも忘れない、今が青春と言わんばかりにイキイキと生きる女性がたくさんいます。

会うたびにパワーをくれる、太陽のような沖縄女性の生き様を紹介する本連載。3回目にご登場いただくのは、墨染織作家の真喜志民子(まきしたみこ)さん。

沖縄の織物を普段着に取り入れるファッションの達人でもある民子さんに、装いと生活の哲学をお聞きしました。

※本記事は『HereNow』にて過去に掲載された記事です。

自分で選択する力をつけるには、本物の美にふれること。

宮古上布や生絹の着物を仕立て直したジャケットに、墨やマングローブ、フクギ染めのスカーフをさらりとまとう。74歳になる墨染織作家の真喜志民子(まきしたみこ)さんは、押し入れにしまわれがちな貴重な着物やビンテージ品を普段着に取り入れるファッションの達人。その暮らしぶりは、古いものやていねいに作られたものを長く使い続けていきたいと思う女性たちにとって憧れの存在だ。

普段のワードローブ(着回しアイテム)は、祖父母や義祖父母から譲り受けた着物を、フランスの作業着のパターンで洋服に仕立て直した数枚のジャケット。黒のスカーフは愛用している20年の間にグレーと藍、墨で3度染め直している。一見、黒に見える布地は、光にあたる度に銀や藍やその中間色のような、何とも表現しがたい色が見え隠れし、ものを愛しむ人の手が入っているからこその美しさが宿っている。

「昔のものを今の暮らしに生かすのは、自分の役割だと思っています。私たち世代が若い人にお手本を示さないとね。」

民子さんは優しく、かつ、はっきりとした口調でそう語る。

数枚のジャケットに、自身で織って染めたショールを組み合わせると、いく通りもの雰囲気の違ったコーディネートが出来上がる。お気に入りは、芭蕉布のジャケットにヨーガンレールのパンツの組み合わせ。

「昔のだけ、今のだけがいいわけじゃない。自分で選択することに意味がある。何度も失敗して、高い授業料を払うことで、その力が身に付いていく。そのためには本物の美に触れること。」

「何を身にまとうか」ということは、民子さんにとって「着る」こと以上の意味を持つ。それは「どう生きるか」という意味に近いのだろう。

計算通りに行かないほうが、面白いことが起こるのよ

沖縄には芭蕉布や首里織、宮古上布、八重山上布など、各地に伝統の織物文化が息づく。フクギ(福木)の黄色や紅露(クール)の紅色など色鮮やかな自然染料が豊富な織物王国。民子さんは、その沖縄の織物の伝統継承者であり、「墨」という新たな色を投じた開拓者でもある。墨で染めた織物と聞くと黒色を連想するが、作品を見ると、淡い銀から漆黒まで墨の濃淡が無限にあることが分かる。さらに民子さんは「フクギや琉球藍、マングローブなどの自然染料と掛け合わせることで、墨と他の色がより一層、互いを引き立て合うの」と墨染の魅力を語る。

墨染に失敗して、ふとフクギの黄色を重ねて染めると、きれいなオリーブ色が生まれたことがある。また干したときに偶然できたムラが「太陽の作り出した模様」のようだと面白く思い、次は意識的にムラが出来るように干して、“太陽の足跡シリーズ”として夢中で作ったこともある。

「計算通りにいかないほうが、面白いことが起こるのよ。失敗したときにこそ、思いがけないいいものが生まれるの。」

染織に失敗した日の夜は、これをどう料理したらいいだろうかと胸がドキドキと高ぶり眠れなくなるそうだ。落ち込むのではなく、明日が楽しみになる75歳。こんな素敵な年の重ね方があるだろうか。

大きな工房なんていらない。いつでもどこでもスタートできる。

民子さんは、4歳で敗戦を経験し、24歳で結婚、30歳過ぎで沖縄の本土復帰を体験した。沖縄戦当時、民子さんは北部へ避難。終戦後の1年余は収容所で過ごした。那覇高校から東京の美術短大へ進学し、帰沖後に首里織の宮平初子先生の門戸を叩いた。結婚後は家庭に入ったものの、娘が3歳になった頃から、やはり「機(はた)を織りたい」という気持ちを抑えられず、親子3人が住む4畳半のアパートに機を置いた。染めの作業は、以前は庭の隅っこで、今は台所で行っている。

「大きな工房を持たなくてもいい。今、自分ができることをすればいい。そう思えば、やりたいことに時期なんてない。」

20代で染織を始めたものの、家事と育児と両立しながらの作業。子どもが巣立ち、45歳の時に旧友で染織作家の石垣昭子さんらとグループ展を始めたことが創作意欲を高めてくれた。そして、墨染を始めたのは50歳を過ぎてから。きっかけは、元々好きだった書道を習い始めたことだった。

「墨をすっていた横で、織物のための糸作りをしていたの。ふと墨の残液がもったいないから、糸を浸してみようと思ってね。すると、墨の濃淡が美しくて、その後は試行錯誤の連続で墨に夢中になったのよ。」

京都でのグループ展で初めて墨染織の作品を発表し、以後、全国のギャラリーや美術館から次々と声がかかるようになった。

「この頃、初めて『先生』って呼ばれてね。本気で誰のこと? って思いました。」と照れ笑いする。

美しさは連帯したもの。淘汰されて、自然な美しさになる。

真っ赤なブーゲンビリアとツタが生い茂る住居兼工房。中に入ると、ご主人で画家の故・真喜志勉さんが手塗りしたという漆喰の壁があたたかく空間を包み込む。壁面に並ぶジャズのレコードは勉さんとの思い出の品。

「沖縄には素晴らしい伝統があるから、『私の作品なんて』といつも気が小さくなっていたんです。でもその度に彼が『もっと自信を持ちなさい』と言ってくれた。脱線しても『いいじゃない』と言ってくれた。私をいっさい縛ることをせずに支えてくれたんです。」

勉さんが遊び心で作ったという木製の呼び鈴、クロスがかけられた作業台、白いコットンで統一された洗面所など、そこに光が射すだけで、まるで映画のワンシーンのように美しい場面があちこちにある。

「美しさは連携したもの。ひとつひとつではなくて、連帯して自然の美しさになる。時間をかけて淘汰して、余計なものを削ぎ落とすことで、心地よくなっていきました。」

身の回りのひとつひとつに愛情を注ぐ民子さんの生活は、物にあふれた私たちの生活に一石を投じてくれる。何を愛して、どう生きるのか。毎日の小さな選択がその答えとなり、その積み重ねこそが人生となるということを教えてくれる。

プロフィール
かいはたみち
かいはたみち

「沖縄の編集工房アコウクロウの空」代表。編集者・ライター。東京での出版社勤務後、雑誌『沖縄スタイル』、地元紙『沖縄タイムス』を経て現職。著書に『ていねいに旅する沖縄の島時間』(アノニマスタジオ)など。

垂見おじぃ健吾
垂見おじぃ健吾 (たるみ おじぃ けんご)

沖縄在住、南方写真師。文芸春秋写真部を経てフリーランスになる。JTA機内誌『Coralway』の写真を担当。共著本に『タルケンおじぃの沖縄島案内』文・おおいしれいこ(文芸春秋社刊)、『みんなの美ら海水族館』文・かいはたみち (マガジンハウス刊)、『沖縄の世界遺産』文・高良倉吉(JTBパブリッシング刊)など。



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