『天才の孤独』(前編) 吉岡哲志が陥った「方向喪失」

京都の豊饒なる音楽シーンを象徴するような大所帯バンドLLama。しかし、実はその中心人物=吉岡哲志にとって、京都は決して居心地のいい場所ではなかった。ストイックで天才肌の吉岡が抱える孤独にスポットを当て、メンバーの半数が入れ替わりながらも、彼らが4年ぶりの新作『インデペンデンス』を発表するまでの道のりを、ライターであると同時にバンドマンでもある筆者が綴っていく。

京都はそんなに好きじゃない

京都という場所は、日本有数の音楽都市のひとつである。京都大学の西部講堂は「関西音楽シーンの聖地」と呼ばれ、村八分がデビューライブを行った「MOJO WEST」や、フランク・ザッパの来日公演といった数々の伝説的公演が行われている。また、フェス全盛の現在においても、京都には『ボロフェスタ』や『みやこ音楽祭』『京都音楽博覧会』『京都大作戦』など、他の地域にはない個性的なフェスがひしめき合っている。

若い世代にとってはやはりくるりの存在が大きいだろう。デビュー時には彼らが所属していた立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」も話題を集めた。CINRAでも最近では空中ループやOUTATBEROといった気鋭のバンドの取材をしていて、その独自の音楽コミュニティの話は、いつ聞いてもワクワクさせられる。

それぞれのメンバーが複数のバンドで活躍する大所帯バンドのLLamaは、そんな豊饒な京都シーンの精鋭が集まったバンドだと言っていいだろう。中でも、中心人物の吉岡哲志は、やや大げさに言ってしまえば、「孤高の天才」という言葉が相応しい人物である。LLama以外に、映像やコンテンポラリーダンスとのインスタレーション作品や映画への楽曲提供をこなす一方、PAやレコーディングエンジニアとしても様々なバンドに関わるなど、京都のインディシーンにおいて欠かせない存在なのだ。昨年は盟友のPapaerBagLunchboxの作品にエンジニアとして関わっていたことも記憶に新しい。

しかし、意外なことに吉岡自身は、京都のシーンに対して決して居心地の良さを感じているわけではなかった。

吉岡:京都って、好きな人にとってはすごくいいとこだと思うんですけど、僕はあんまり好きってほどではないんです。より正確に言うと、音楽は好きなんですけど、音楽をする人が集まる場とか、その集団ってあんまり好きじゃない。もちろんそういうところで仲良くなって、そこから発展した面白いイベントなんかもあると思うんですけど、それがあんまり…僕にはできないというか(笑)。自分はただ、自分のやるべきこと、自分の音楽を作ろうって思うんです。

吉岡哲志
吉岡哲志

この日のインタビューでも、後日見たライブのMCでも、ライブ後に「お疲れさま」と挨拶をしたときも、終始同じようなテンションで、どこか飄々とした雰囲気があり、確かに社交的なタイプとは言えないかもしれない。僕自身ライターとしてインタビューという仕事をしていながら、仕事以外の場では決して社交的なタイプというわけでもないので、親近感を覚えた部分もあるのだが、大所帯バンドを率い、京都の音楽シーンの中核に位置するように見える彼のこの発言は、実に意外だった。

自分の音楽を作りたい

吉岡の周りには、小さい頃から音楽があった。姉の影響で3歳からピアノを始めると同時に、音楽理論も学び(当時は嫌々だったそうだが)、やがてB’zのファンだった姉のすすめで今度はギターを始めると、イギリスのバンドYESの大ファンだった父親の影響でプログレも叩き込まれるなど、自然と音楽の道を辿り始め、高校を卒業すると音楽の専門学校へと進んでいく。とはいえ、その学校はたったの半年で辞めてしまうのだが。

吉岡哲志

吉岡:その専門学校は、譜面をパッと見て即興で弾けるとか、読譜ができるとか、そういうスタジオミュージシャン的なスキルを教えるところで、それが楽しくなかったんです。「この音楽はこういうことでできてるから、これをやりましょう」みたいな、こういうリズムで、コードで、スケールでって、なんかパズルみたいだと思って。それよりも、自分で音楽を作って、バンドやったりする方がいいなって。


「自分の音楽を作ること」を重視し、専門を飛び出した吉岡は、自分を可愛がってくれた年上のドラマーと、現在もLLamaのベーシストとして活動を共にしている藤井都督と3ピースバンドを結成するのだが、ここでひとつの挫折を経験することになる。かつてCDデビューをしたことのあったドラマーは吉岡にとって憧れの対象であり、そのドラマーと共に自身もデビューをするべく、バンドはかなりのライブを重ねていた。しかし、音楽で自己顕示欲を示したいタイプだったドラマーと、内向的な性格の吉岡の間には次第に距離が生まれ、そのバンドは消滅してしまったのだ。「ショックだった」というバンドの解散後、「自分にとっての音楽とは?」を模索する日々が1年近く続いたという。

吉岡:自分が音楽をやるって何なんだろうって考えてて、ドラムの人は自己顕示欲だったけど、自分はそうじゃない。あてどない答えを探してたんですけど、結局「作る」っていうのが好きだから、とりあえず何かやろうと思って。曲を作って、ライブで演奏するっていう流れが好きなのは間違いなかったんで、そういうことをこれからも続けていくんだろうなって、そういう意志みたいなものはありましたね。

なぜ音楽をやるのか…その理由を特定するのは難しい。自分に照らし合わせてみると、吉岡だって十分に自己顕示欲もあるように思うし、作ることが好きというのももちろんある。しかし、音楽活動によって生まれる人間関係、そこに自分の居場所を見出せるということも、同じように大事なものではあるだろう。結果的に音楽に対する考え方が違ったとはいえ、専門を辞めた後の吉岡にとって、3ピースバンドは大切な居場所だったはずだ。極端な物言いではあるが、ただ曲を作り、演奏をすることの充足感だけで音楽を続けていこうとする吉岡のあり方は、常に孤独と隣り合わせだと言えるのではないだろうか。

2/2ページ:方向喪失の日々

強烈なるストイシズム

「そうは言っても、大所帯のバンドをやってるわけだし、孤独ってことはないんじゃない?」という声もあるかもしれない。しかし、前述した3ピースバンドの解散後、吉岡と藤井、そしてPAの越智弘典という3人からスタートしたLLamaが、一時8人編成に膨らむまで、明確な青写真は一切なかった。アップライトベースにツインドラム、管楽器も含む特殊な編成は、一見緻密な分析から導き出されたようにも見えるが、実際は吉岡のひらめきやノリ、もしくは偶然によって形成されたものなのである。

吉岡:単純に歪んだギターとドラムとベースでバーンみたいのはやりたくなかったんで、藤井君に「アップライトベース、いいやん」ってなんとなく勧めたんです。「縦のこういうやつ、かっこええやん。音もなんかウーンいうし、弓とかも使えるし、面白い音楽作れそうやん」ぐらいな、半ば無理やりでしたね(笑)。ドラムも最初のドラマーだった屋代くんが「アメリカに行く」っていうから、同じ高校に通ってたリッキー(妹尾立樹)を誘ったら、結構早く屋代君が帰ってきちゃって、「2人いるな…じゃ、とりあえず2台で」って(笑)。

吉岡哲志

さらには、プールの監視員のバイトの後輩で、『ヤング・ギター』を傍らにイングウェイ・マルムスティーンをコピーしていたという井口翔太を「お前もやってみる?」と誘い入れ、タブラやバイオリンのメンバーも加入し、8人編成のLLamaが誕生した。そして、作品作りへと向かうタイミングで、吉岡のスイッチがバシッと切り替わる。前述したLLama以外の音楽制作を全て断ちきり、LLamaの作品作りのみに集中した生活が始まるのだ。

吉岡:優先事項みたいなんが自分の中にあって、「今はこれをやる」ってなったらそれをやるってだけなんですけどね。いろいろ同時進行させてるときもあるんですけど、自分の音楽を形にするときは、それ以外のことはなるべく排除して、それをしてるか寝るかぐらいの生活にしたいんで。

吉岡の言っていることは至極真っ当なことではあるが、誰もがそれをできるかといえば、決してそんなことはないだろう。例えば、僕が他のすべての仕事を断って、ひとつの原稿だけにすべてを集中すれば、その原稿はもっとよりよくなるだろう。しかし、現実的にその余裕はないし、それをやるだけのストイックさも恐らく僕にはない。一方で、吉岡の作品作りに対するストイックさというのは、生活そのものにまで影響が及ぶようなものだ。

吉岡:すごい不思議なんですけど、こうなってる(作品作りに集中している)ときは、「これとこれとこれしか食べたくない」とかって思うんですけど、作り終ってからは、「全国のいろんな物食べたいな」とか思うんですよね(笑)。

2年に及ぶプリプロと、こうしたストイックな日々を経て、渾身のファーストアルバム『ヤヲヨロズ』が完成。2008年6月に発表されると、その高い音楽性が大きな評価を獲得した。

方向喪失の日々

『ヤヲヨロズ』が大きな成果をあげるも、流れで集まった8人という集団の形成を引き続き維持していくことは、吉岡にとって非常に困難な作業だった。「音楽的に、ひとつの作品としてやれるだけのことをやり切る」という目標を達成してしまったバンドからは、相次いで3人のメンバーが脱退。吉岡は「方向喪失」の日々を送ることになる。

吉岡:『ヤヲヨロズ』を出して、音楽的にはひとつの作品としてやり切ったっていうのはあったんですけど、逆に空っぽにもなってしまったというか、「これから何をしていいのかわからへん」みたいになってしまって、そっからは迷走しましたね。もちろんメンバー1人抜ける度に落ち込んでたんですけど、「次はこれをやるからまた一緒にやろうよ」って言えなかったんで…仕方ないなって。その頃は1人で東京来てソロでライブしてみたりとか、ウロウロしてましたね。

「メンバーの脱退」はバンドにとっての宿命だと言っていい。音楽を続ける人がいれば、辞める人がいるのも当然であり、僕自身ライター業を優先するために2年前にひとつのバンドから脱退している。しかし、吉岡にとっては自分の音楽を作ることが何より大事なのであり、思い描いた音楽を形にできないことほどの苦悩はなかったはず。もしも吉岡が人付き合いをもっと楽しめるタイプであれば、京都の音楽コミュニティの中から代わりのメンバーをすぐにピックアップできたのかもしれないが、やはり彼はそういうタイプではない。やがて、吉岡はバンドの解散を決める。なんとも彼らしい、ひらめきを重視したやり方で。

吉岡:チャリティライブに誘われて、このライブで解散しようってときに、なんとなく、全部新曲でライブしようと思って(笑)。クオリティは低かったと思うんですけど、5曲ぐらい作って、そのとき演奏時間が20分ぐらい、あとの20分ぐらいは僕ずっとしゃべってたと思います。くどくどと「上手くいかへん」「もう終わりやで」って。

失意の底にあり、彼の孤独が極まっていた瞬間だったことは間違いない。しかし、実はこの5曲の中に、バンドの未来を指し示す、ある曲が生まれていた。

吉岡:自分の中で次の道につながる光が見えたというか、「できちゃったなあ」と思って。ただ、それをまた何年かかけてCDにしてどうこうっていうのはちょっと迷ったというか、大変な未来が見えちゃったんです。

その曲こそが、この夏に発表されるアルバムのタイトルトラック“インデペンデンス”だった。この曲の存在により、バンドの解散は無事回避されたが、吉岡の予想通り、これまで以上に大変な未来が、彼を待ち受けることとなる。

『天才の孤独』(後編) 吉岡哲志が陥った「方向喪失」

リリース情報
LLama
『方向喪失フェスタ 12418EP』

2012年4月18日からタワーレコード限定発売
価格:500円(税込)
wounderground / WRCD-58

1. 方向喪失フェスタ
2. ベラドンナ
3. 霹靂 -instrumental-(ボーナストラック)
※ライブ映像DVD-R特典付

プロフィール
LLama

吉岡哲志、藤井都督、越智弘典、妹尾立樹、石渡新平、竹内良太、日下部裕一のPAを含む7人で活動中。構築と即興のコントラストで創造される世界観は、現代の日本で忘れられている日本固有のメンタリィティを感じさせる新しいポップミュージック。2008年6月にはメンバー自身の手によって録音から全てを手掛けられた1stALBUM『ヤヲヨロズ』をSundayTuningよりリリース。以降、KYTE(UK)との全国ツアーやPARAとの2マンライブなどで注目を集め、2010年6月には地元京都で初のワンマンライブを行い、大成功を修める。2012年4月18日にTOWER RECORDS限定EP「方向喪失フェスタ 12418EP」、7月には待望の2ndアルバムリリース予定!



フィードバック 0

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Music
  • 『天才の孤独』(前編) 吉岡哲志が陥った「方向喪失」

Special Feature

Habitable World──これからの「文化的な生活」

気候変動や環境破壊の進行によって、人間の暮らしや生態系が脅威に晒されているなか、これからの「文化的な生活」のあり方とはどういうものなのだろうか?
すでに行動している人々に学びながら、これからの暮らしを考える。

記事一覧へ

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて