無名の画家・堤康将が経験した初めてのグランプリ

文学では『芥川賞』、写真では『木村伊兵衛写真賞』、演劇では『岸田國士戯曲賞』というように、国内の若手アーティスト、クリエイターの登竜門となるような賞は、アートの世界では何にあたるのか? と問われても答えに窮するのが今の日本のアート界の現状ではないだろうか。海外では『ヴェネツィア・ビエンナーレ』の金獅子賞や、イギリスの『ターナー賞』などが挙げられるが、日本では「受賞すればブレイクスルーになる!」というような影響力のある賞がない、と指摘する声は少なくない。

そんな状況の中、美術財団の設立以来、36年にわたる作家活動支援の理念を継承する損保ジャパン東郷青児美術館が、昨年から公募を開始した『損保ジャパン美術賞展FACE 2013』は、日本の状況を少しでも変えていこうという意思を感じる公募展だった。参加資格は、日本国内在住者であれば、年齢・国籍不問。そして、グランプリ受賞の際には賞金300万円(美術館による作品買い上げ含む)という、国内最大級の待遇でアーティストをバックアップする試みだ。日本全国から10〜90代まで1,275名の応募が集う中、見事グランプリに輝いた若手日本画家、堤康将に話を聞いた。

宝くじとは違う重さを感じています。

『損保ジャパン美術賞FACE 2013』(以下『損保ジャパン美術賞FACE』)の応募総数がいきなり1,200名を超えたという事実は、この公募展に対する日本のアーティストたちの注目度の高さを示している。ゴッホの傑作『ひまわり』をはじめ、ゴーギャン、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、岸田劉生など、美術史に名を連ねる錚々たる大家の作品を多数所蔵することでも知られている損保ジャパン東郷青児美術館。その美術館に賞金300万円と共に、自分の作品が買い上げられることについて、率直にどう感じているのかをまず堤に尋ねてみた。

堤:受賞の通知が届いたときはまったく信じられず、何かの間違いだと思って電話で確認してしまいました(笑)。これまでずっと入選止まりで、グランプリを取れたことは一度もありませんでした。自分を信じてやり続けた結果が初めて出たのでとても嬉しいです。子どもの頃から知っている有名な近代画家たちの作品を所蔵している、そんな美術館に作品を買い上げていただけることは、私の作品もひょっとしたら100年後の未来の人たちにも見てもらえる可能性があるのかもしれないと、不思議な気持ちです。賞金300万円は、一部は親孝行に、一部は制作活動に、一部は呑んで、一部は他の作家さんの作品に、一部は先を見た貯金といった感じで使わせていただこうと思っています。宝くじとは違う重さを感じていますので、その重さに見合うよう有益に使わせていただきたいと思います。

『損保ジャパン美術賞FACE 2013』グランプリ 堤康将『嘯く』2012年、岩絵具・銀箔・麻紙、194.1×92.2cm
『損保ジャパン美術賞FACE 2013』グランプリ
堤康将『嘯く』2012年、岩絵具・銀箔・麻紙、194.1×92.2cm

確かに自分の作品が美術館に買い上げられるという事実は、ある意味「重さ」を感じることにもなるだろう。それまで作家にとってごくプライベートな存在だった作品が、自分とは関係のないパブリックな場所で、様々な人に鑑賞され、反応を生み出していく。またそれは作品を買い上げる美術館にも相当の覚悟が必要である。ただグランプリを表彰して終わり、ということではなく、作品を実際に買い上げるということは、その作家に対する責任を背負うことにも繋がってくるのだ。

スランプ状態のときに、気に入らない人を見返してやろうと、怒りに近い気持ちで『損保ジャパン美術賞FACE』に応募したんです(笑)。

ところで一見、ピアスを開けた今どきの若者に見える堤だが、話を始めると素直で素朴なコメントがこぼれ落ち、孤高のアーティストというよりも、気のいいお兄ちゃんといった佇まいでほっとした気分にさせられる。堤は地元福岡の九州産業大学大学院で日本画を学び、これまで『日展』や『院展』などの美術団体展にも何度か出品したことがあるという。しかし結果はいずれも落選。そのときは大きな挫折を経験したのだろうと話を振ってみると、意外にもおおらかなコメントが返ってきた。

堤:大学生の頃から色んな公募展に出して入選したりもしていたんですけど、それぞれの公募展の方向性に合わせて作品を描くというのがどうしても出来なかったんです。だから自分の作品がどの公募展に向いているのかもよくわからなくて……。結局、友人で東京を目指していたやつがいて、そいつの真似をしながらとりあえずついていけばいいのかな、と(笑)。そいつが公募展に出すなら「じゃあ俺も出す!」みたいな感じでした。

堤康将
堤康将

この潔いほどの正直さと無防備さ。しかし、今回の『損保ジャパン美術賞FACE』への応募について話を伺ってみると、また少し事情が違っているようだった。

堤:去年、ちょっと気分が落ち込んでいたというか、上手く描けなかったりして、もう筆を置いてしまおうかという気持ちになっていたことがあったんです。スランプ状態だったから、周りの人にイライラしてしまうことも多くて……。そんなときに気に入らない人を見返してやろうと、僕はもっと出来るはずだと、怒りに近い気持ちで『損保ジャパン美術賞FACE』に応募したんです(笑)。

しかし、そんな負けず嫌いの性格だったことが功を奏して、堤の『嘯く(うそぶく)』はこうして見事『損保ジャパン美術賞FACE』グランプリ受賞を果たした。応募の動機はともかく、これまでの努力の積み重ねという才能があったからこそ、成し遂げられた受賞だったと言えるだろう。

オタク系のアニメやマンガが好きだったけど、アニメやマンガのような描き方をしたいとは思わなくなりました。

受賞作品『嘯く』を見てみよう。麻紙に銀箔を貼り、さらに岩絵具を塗り重ねた縦2m近くある大きな作品。画面中央に潜水服を着た人物と犬、それを挟むようにして立つ2本の電柱と電線の距離感に、遠近感覚が微妙に歪まされる。グリッドを残した背景の銀箔は、たゆたうような弛緩を見せ、近景にある珊瑚のような物体の色鮮やかさに鑑賞者の視座が固定される。ここはどこの世界なのか。どうやら水の中のようだと察しがつけば、いつしか堤のドリーミーなイメージに引き込まれていることに気がつく。

堤康将『嘯く』2012年(部分)
堤康将『嘯く』2012年(部分)

堤:中学生くらいのとき、ネットにある色々な画像を検索してバーッと見ている中に、『泳ぐ鳥』という昔の中国で描かれた小さい絵があったんですね。鳥と波の文様が描かれている構図とそのタイトルがなんとなく記憶に残っていて……。「あべこべの作品だなあ」と思ったんですが、もう1度見ようと検索しても2度と出てこなかったんです。今も時々探すのですが出てこない。だから自分で作ってみようと思ったんです。多分勝手に美化しているところもあると思います。でもそれが『嘯く』の元ネタなんです。

堤の作品にはそうしたファンタジーやSFの要素がある。『損保ジャパン美術賞FACE』の出品直前に描いたという同タイトルの別作品に登場するキャラクターの丸い眼や目玉の黒い点はドイツ人の画家、ミヒャエル・ゾーヴァを参考にしているそうだが、その他、今の世代らしくアニメやマンガの影響も見ることができる。しかし堤はアニメやマンガの影響を、そのまま日本画や油彩画で展開するようなタイプともまったく違う。

堤:僕はもともと剣と魔法の世界で竜が登場するようなオタク系のアニメやマンガが好きで、中学生の頃から絵を描き始めていたんです。でも高校に入ってから本格的な画塾に通って基本的なデッサンや水彩画、油彩画、デザインをやり、その頃からアニメやマンガのような描き方ではなくなりました。その後、大学で古典的な日本画の描き方を教ったんです。

堤康将

ちなみに堤はなぜ最終的に日本画を選んだのだろうか?

堤:昔から細かい作業が好きだったんです。日本画を選んだ最初の動機はそれでした。もし日本画をやっていなかったら、宮大工になっていたと思います(笑)。寸分の狂いもなく木を削って強固な日本家屋を作る技術は本当にすごいと思います。正確で気のかかる作業がどうも性に合っているんですね。

そうした「細やかさ」へのこだわりは、作品表現にもはっきりと表れているようだ。

堤:たとえば大学院の頃の作品では、普通は少し重なっているはずの背景の銀箔同士を重ねないように神経質に作っていたんです。その方が作品制作に対してシビアで全力で取り組めると思ったのかもしれません。だから箔のグリッドの線がほとんど出ていない。でも『嘯く』は、逆にあえて箔を重ねてグリッドを残しています。それによって意図しない変色跡が生まれたりもします。また、電柱には色をつけていないんですが、それは人工物と自然物の違いを表しています。人工物には、わざわざ魅力的な色をつけなくていいかなと。それで、電柱は箔をカッターの刃先で削って描いているんですね。下地の紙を痛めてしまうので普通はやらないと思うんですが、そのおかげで結構形がはっきりして悪くないなと思ったんです。反対に自然物のように命のあるものには色を塗り重ねています。もともと岩絵具は自然の色に近いので、そういう感覚で描いていると、本当に自然の生き物を描いている気になるんです。

堤康将『嘯く』2012年(部分)
堤康将『嘯く』2012年(部分)

彼の細やかで、かつカッターなどを用いて自由に表現する日本画を見ていると、日本画というジャンルは用いる画材や技法によって定義されているだけではないか、という思いが強くなる。世界的に活躍するアーティスト村上隆が東京藝術大学において日本画科初の博士号を取得しているのは有名な話だし、山口晃や松井冬子、三瀬夏之介といった新進の日本画家たちが現代美術の文脈で語られることもある。では堤にとっての日本画とは何だろうか?

堤:日本画は本来、襖絵や屏風、掛軸のように日本家屋の構造に合わせて描かれます。四季折々の自然風景や思想のような偉大な存在を身近な生活に取り入ることで、心にゆとりを生むことができるのです。私はまだ襖や屏風には描いたことはありませんが、自然と見る人に考えや想像を促すことができるような作品を描ければいいなと思っています。

そんな思いは今作『嘯く』にも隠されている。

堤:今作品も、『泳ぐ鳥』同様に私たちの生活がもしも水中にあったら? と比喩することで、実は生きていくことの大変さを強調しているんです。また、もう1つ私が込めた意味があって、それは「嘯く」というタイトルです。この言葉は嘘をつくという意味なのですが、自然の中に潜む嘘、つまり電信柱が異質なものであるにも関わらず、自然の中に溶け込んでしまったものという思いで、電信柱に文句があるわけじゃないんですが、実は不自然な存在なんだ、ということを表しています。

そもそも現代美術自体が何なのかもわかりませんし、ギャラリーに所属するっていうこともよくわかっていないんです(笑)。

今回『損保ジャパン美術賞FACE』グランプリ受賞をしたことで、堤に対してアートの世界から注目が集まると思うが、すでに何らかの変化は訪れているのだろうか? 今後の展望を聞いてみた。

堤:東京のギャラリーの方が声をかけてくれて、来年に新作の個展をやることになりそうです。でも、今の学校で教えながら、自分の作品も作れる生活のペースが気に入っているので、東京に拠点を移すことは考えていません。そういえば、最近たまに現代美術について聞かれることがあるんですけど、そもそも現代美術自体が何なのかもわかりませんし、ギャラリーに所属するっていうこともよくわかっていないんです(笑)。

『損保ジャパン美術賞展 FACE 2013』展示風景
『損保ジャパン美術賞展 FACE 2013』展示風景

やっぱり正直にわからないことはわからない。そう正面から言い切ってしまう彼に、東京とは違う福岡ならではの気風や自由さを感じた。たとえばこんなエピソードがある。

堤:昔の作品で、高さが4m40cmのものがあるんです。美術館の天井の高さを考えないまま作ってしまって、展示室に入るのかどうかもわからなかったんですが、ギリギリ10cmくらい余裕があって入りました(笑)。でも、それだけの高さがあるので、下から見上げないといけないし、かなり作品から離れないと全体を見ることができない。さらに絵の上の方に鳥が1羽飛んでいるんですけど、離れて見ると鳥が小さくなってしまって、ほとんどの人はそれをよく見ることができないんです(笑)。

堤康将

本人はさらっと言ってのけるが、この既存のフォーマットにとらわれない自由さは、今後彼の武器になっていくのかもしれない。同世代のアーティストたちは東京だけでなく、海外展開も視野に入れている者も多いが、そんな状況を堤はどう感じているのだろう? 自分の日本画を海外で試したいという気持ちはあるのだろうか。

堤:海外に行ってみたいという気持ちは漠然とありますが、やっぱりどうしたらいいのかわからない(笑)。僕は日本画家ではなく、絵描きだと思っているので、別に日本画だけにこだわるつもりもありません。でも海外ではきっと新鮮に捉えてくれる、悪い反応ではないという気はしています。とにかく今は、描けるうちにたくさん絵を描いておこうと思いますね。

『損保ジャパン美術賞展 FACE 2013』展示風景

今回のグランプリ受賞は、これまで無名だった彼の世界に間違いなく新しい扉を開いた。ちょうど東京・銀座にあるギャラリーでのグループ展では、2点出品していた作品が、2点とも売れていったそうだ。これによっていきなりブレイクスルーが起こることはないかもしれないが、グランプリに名を刻んだことで、じわじわと色々なことが変化していくのだろう。インタビュー後、授賞式会場で錚々たる審査員の面々や、惜しくもグランプリを逃したライバルたちの視線を一身に浴びる彼の姿を見ながら、そんなことを感じた。自らを「日本画家」でも「絵師」でもなく「絵描き」だと言う一人の作家が今後どのような道を進んでいくのか、楽しみである。

イベント情報
『損保ジャパン美術賞展 FACE 2013』

2013年2月23日(土)〜3月31日(日)
会場:東京都 新宿 損保ジャパン東郷青児美術館
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜

『損保ジャパン美術賞FACE 2014』

2013年9月16日(月)〜 2013年10月20日(日)まで申込受付
審査員:
本江邦夫(多摩美術大学教授)
松本透(東京国立近代美術館副館長)
堀元彰(東京オペラシティアートギャラリー チーフ・キュレーター)
光田由里(美術評論家)
原口秀夫(損保ジャパン東郷青児美術館館長)

プロフィール
堤康将

1983年熊本県生まれ。福岡在住。沖学園高等学校非常勤講師。九州産業大学大学院芸術研究科美術専攻日本画修士課程修了。同芸術研究科美術専攻研究生修了。2009年『第13回新生展』入選、2010年『第45回日春展』入選、2011年『第46回日春展』入選、2012年『第2回アートアワードネクスト』入選、2013年『損保ジャパン美術賞FACE 2013』グランプリ受賞。



フィードバック 1

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Art,Design
  • 無名の画家・堤康将が経験した初めてのグランプリ

Special Feature

Crossing??

CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?

詳しくみる

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて