鈴木惣一朗と直枝政広、部室のような音楽談義

ワールドスタンダードの鈴木惣一朗と、カーネーションの直枝政広。共に1959年生まれで、共通の趣味を持ち、共通の仲間に囲まれながら、なぜか共演の機会がなかった二人が、30年の時を経て遂に結成したユニット、それがSoggy Cheerios(ソギーチェリオス)である。評論家としても名高い二人だけに、果たしてどんなマニアックな音源が届くのかと思いきや、デビュー作の『1959』は、作詞作曲はもちろん、歌と演奏の大部分を二人で分け合った、実にフレッシュな作品となっている。お互いフィールドは違えども、同じ時代を共有し、出会うべくして出会っただけに、余計なコンセプトはなくとも、それぞれが辿ってきた濃密な道のりが自然と音に還元されるであろうことは、二人にとって自明の理だったのだろう。鋭い視点で現代の音楽を取り巻く状況を分析したかと思えば、好きなレコードの話になると途端に10代のようなテンションで話を始める二人を前に、ひとつの作品を聴き込むことの重要性、音楽のマジカルな魅力を、強く再認識させられた。

天の声があったんだよね。「今言った方がいいよ」って。それで惣一朗君に「今度は一緒に音楽やろうよ」って。(直枝)

―今回のアルバム制作は、雑誌の対談がきっかけだったそうですね。

直枝:二人で会うのは大体ポール・マッカートニー関連の企画が多かったよね。

鈴木:ポール好きっていうと、この二人しかいないのかっていう(笑)。まあ、大御所の方はあんまり気さくには出てこないから、僕たちが使いやすいんでしょうね。それで、「また直枝君か、もうしゃべることないよね」って言いながら、毎回結構しゃべるんだよね(笑)。それが何回くらい続いたっけ?

直枝:3回ぐらいじゃない?

鈴木:話す度にだんだん会話の密度が濃くなって、ポール・マッカートニーのことを話してるんだけど、もっと広く音楽の話をしながら触れあっていくっていう、ちょっと特殊な状態になってて。それで、去年『ラム』(ポール&リンダ・マッカートニー夫妻が1971年にリリースしたアルバム)のデラックスエディションが出て対談したときに、帰り際に直枝君が声をかけてくれて。僕はさっさと帰ろうとしてたんだけど(笑)。

直枝:天の声があったんだよね。「今言った方がいいよ」って。それで惣一朗君に「今度は一緒に音楽やろうよ」って。

左:鈴木惣一朗、右:直枝政広
左:鈴木惣一朗、右:直枝政広

―直枝さんはそれ以前から鈴木さんと何か一緒にやりたいと思っていたのですか?

直枝:1980年代後半にエブリシング・プレイ(鈴木惣一朗がシンセマニュピレーターの美島豊明と結成したユニット)の『POSH』の音源を聴いてとてつもない才能だなっていうのはわかってたんですけど、出会うことなく2000年を迎えて。ノアルイズ・マーロン・タイツ(鈴木をメンバーに含む男女混成バンド)の人たちから「二人は絶対会わなきゃダメだ」って言われて、無理矢理、居酒屋で会ったんです。それでまあ、音楽の趣味の話をするんですけど、「THE BANDのセカンドのベードラの鳴りはどうだ」とか、そういうところから話がスタートして。

鈴木:スタート地点からしてかなりのレベルだったんで、そんなに長く話したわけじゃないけど、近いものがあるなっていうのはすぐわかって。でも、直枝君は偉大な存在だから、一緒に音楽をやるなんて思いもよらなかった。

直枝:何言ってんの(笑)。

鈴木:いや、ホントにすごい男だから、遠くから見てればいいかと思ってて。90年代に渋谷のWAVE(レコードショップ)で直枝君を見かけたことがあって、「何買ってるのかな? 声かけようかな?」って後ろからずっと見てて、結局声かけずに帰りましたからね(笑)。

―昔だったら、「一緒にやろう」って言われても、断ってたかもしれない?

鈴木:絶対そうなってたと思う。

直枝:よく言ってたのが、「昔二人でこういう作業をやってたら、喧嘩になったろうね」って。

鈴木:まだ自分を探してる時期だと、かなり自意識も強いし……。

直枝:今でも十分強いですけどね(笑)。

鈴木:54歳って、微妙なお年頃と言うか、この世代は中間管理職の悲哀があって、上には団塊の世代のはっぴいえんどとかがいて、下には小山田(圭吾)君とかがいるわけです。そういう中で、直枝君はホントに体を使って、歌って、ギターを弾いて、アルバムガンガン作って、ツアーもして、ミュージシャン然としてるのがすごいなって。僕は録音中心で、スタジオに引き籠ってますからね。

直枝:でも、俺としてはそれが羨ましいのよ。バンドを続けてきちゃった以上、回していかないといけないから、ツアーはどうしてもやんなくちゃいけないし、そのためには自分で車も運転するし、どんなにヘトヘトでも人前に出ないといけない。今回二人で地下室(レコーディングスタジオ)に入った数週間っていうのは、すごく幸せだったんですよね。

今だからこういうアルバムができたんだと思うし、ホントに30年かかってるって言ってもいいアルバムなんじゃないかと思いますね。(鈴木)

―実際の制作はどうやって進めて行ったのですか?

鈴木:いつも直枝君が僕の家に車で来てくれて、スタジオ行って曲作りをして、夕方になったらお蕎麦屋さんに行って、直枝君は絶対カツカレーで、僕は中華丼とか食べて……。

―お二人ともお蕎麦ではないんですね(笑)。

鈴木:結構食べるんです(笑)。で、眠くなりながらも19時くらいからまた作業を始めて、23時には2曲ぐらいはできてるっていう、すごくスピーディーな作業でした。昔軽音部の部室で友達と無目的にWINGSとかやって、帰りに菓子パン食べて帰るみたいな、そういうルーティーンに戻ってる感じでしたね。

直枝:部室みたいなところで「俺たちこれからどうするよ」みたいな、向き合う感じ。「誰それのあのアルバムを目指そう」とか、趣味的なことを言いそうな二人なんだけど、それは一切なくて、もっと純粋に、中学校のときに初めてギターを持ったときの感覚で、荒っぽいものになってもいいよねっていう話は、彼の方からしてきた。

直枝政広

―惣一朗さんは普段、作り込むタイプですよね。

鈴木:もちろん、もっといろんなことをやろうと思えばできるんだけど、最初の時点ですごく完成されてると思ったし、今はそういうリアルなものが響くんじゃないかと思って。あとは、僕ほとんど初めて歌を歌ったんで、あんまりオケが厚くなると、歌えなくなるんじゃないかっていうのもちょっとあったかもしれない。

直枝:でも、最初に彼がガーッと曲を作って聴かせてくれた時点で、すでにシンガーソングライターとしての貫録がありましたね。「初めての歌のアルバム」っていうことに対して、あんまりナーバスになってないというか、「あ、実際には慣れてるんだな」と思って。そうでしょ?

鈴木:インストゥルメンタルとか、アレンジをやってても、家で聴いてるのは歌ものばっかりだから、鳴ってたのかな。ドラムを10年ぐらい叩いてなかった時期でも、あがた森魚さんのプロデュースをしたときに自分で叩かなきゃいけなくなって、「叩けるかな?」って思ったら、全然叩けちゃうわけ。だから、歌も楽器も自分の中で鳴ってたんだなって。

直枝:あ、今思い出した! そもそも、僕が彼を初めて見たのは1982年なんです。すきすきスウィッチっていうユニットをやってて、僕はその追っかけだったんです。

鈴木:ウソー! それ面白くしてるでしょ(笑)。

直枝:いや、横浜のバーみたいなところですきすきスウィッチがライブをやってて、彼がドラムを叩いてて、“おみやげ”っていう素晴らしい曲を演奏し始めた途端、目の前にいきなり星が降ってきたように俺は感じて、「これだ!」って思った。ああいうリフレインのある曲を作りたいと思って、(カーネーションの)デビュー曲の“夜の煙突”ができたんです。まだお互いのことは知らなかったけど、そもそもそういう出会いをしてるんです。

―そこから数えれば、30年以上経って、遂に一緒に作品を作ることになったと。

鈴木:一緒にやらなかったのが不思議なくらいっていう、そういう不思議な縁があって、でもやらなかった30年っていう時間がまた良かったというか、今だからこういうアルバムができたんだと思うし、ホントに30年かかってるって言ってもいいアルバムなんじゃないかと思いますね。

1992年に『天国と地獄』っていうアルバムができて、これだったら同世代の人たちにも誇れるアルバムなんじゃないかって手応えがあって、そこからですね。やっと自信を持てるようになったのは。(直枝)

―アルバムタイトルの『1959』は、お二人が生まれた年ですが、他に同い年の日本の音楽家を調べてみると、まず小西康陽さん、あと小林武史さんがいて、それに58年生まれですけど、小室哲哉さんも加えれば、1990年代のプロデューサー文化を牽引した人たちだと言えると思うんです。で、そういう人たちって、いわば相当な音楽マニアで、それはお二人にも通じる部分だと思うんですね。これは何らかの時代背景によるものだと言えるのでしょうか?

直枝:子供の頃にテレビが普及して、カラーに変わる頃だったかな? 歌謡曲がとってもキラキラしてた時代で、小学生でグループサウンズを知ったみたいな世代なんで、音楽に夢を描いてこれたんだと思うんです。もっと上の世代の人たちは、もちろんビートルズとかベンチャーズを聴いてて、そういうのは後追いで勉強した感じですね。

鈴木:だから、サブカルチャーとカルチャーで言うと、サブカルチャーですよね。僕らが音楽を意識して聴き始めたときにはビートルズは解散してて、60年代ロックはもうなかった。サブカルチャーとしてのグラムロック、ニューウェイブ、パンクみたいな時代で。

直枝:でも、『サージェント・ペパーズ』から6年後くらいにロックを聴き始めてるから、60年代はすぐそこにあったっていう感じもあって。

鈴木:あと5年早く生まれてたら、団塊寄りになるんだけど、59年生まれってすごく微妙な過渡期に生まれてるから、そこが逆に面白いところで。渋谷系で流行ったものもドン被りだし、はっぴいえんどやはちみつぱいの時代のものももちろん知ってるし、グループサウンズとかもテレビで子供ながらに知ってたし、僕は『夢であいましょう』(1961〜66年に生放送されていたNHKのバラエティ番組)が好きで、中村八大・永六輔の曲で育ったと言ってもいいし。

直枝:その頃の音楽は刷り込まれてるよね。

鈴木:だから、今ほど情報がなくてもどんどん詳しくなったのは、普通にテレビを見てればそういうのが入ってきて、自然に浴びることが出来た世代だったっていうことなのかな。あと直枝君が言ったように、「希望を持てた」っていうのは、1970年に大阪万博があったっていうのが大きくて、未来に希望を持てる時代の幕開けというか、そういうのも経験してる。だから、2011年とかいろんなことがあっても、どこかに希望を持てるというか、それが体感として入ってるっていうのかな。

―お二人がワールドスタンダードとカーネーションを結成されたのも、同じ1983年ということですが、その当時も音楽に夢を描いて活動をスタートさせたのでしょうか?

鈴木:僕は1回サラリーマンを経験してるんです。「こんなマニアックな音楽をやっても生きていけない」って、最初に感じてたんで。

直枝:それ感じられたっていうのはすごいね。僕は思いついたらすぐ飛びこんじゃう方なんで、今思えばもうちょい人生を考えたかったっていうのはある。一方には、しっかりとした生き方があるんだって(笑)。

鈴木:でも、僕も2年考えて、結局仕事辞めて飛び込んじゃったから。「やっぱり好きなことやってのたれ死ぬ方がいいや」って、急にロックになっちゃって(笑)。でも、聴き手がどれだけ作り手よりもマニアックかとか、どのくらいの気持ちで音源を聴いているのかは痛いほど知ってたんで、それに対抗できるだけの本気の音源を作らないと、絶対買ってもらえないっていうのは最初から思ってましたね。ただ、エブリシング・プレイの『POSH』っていうアルバムが発売中止になって、そのとき僕30歳だったんですけど、もう音楽やめようと思ったんです。

鈴木惣一朗

―それはなぜ?

鈴木:自分にとってマストのアルバムができたのに、これが世に出ないってことは、もう自分は抹消されたんだと思って。でも、細野(晴臣)さんが声をかけてくれたり、鈴木慶一さん(ムーンライダーズの『マニア・マニエラ』が、一度発売中止になっている)に話を聞いたりして(笑)、やっと発売ができるってなったときに、音楽の神様が「音楽をやれ」って言ってるように思った。それが1992年で、僕はそこから活動を再開したわけなんだけど、直枝君はその間もずっと音楽をやってたわけだよね?

直枝:でも、相当きつかったよ。自分たちの思うようなアルバムがなかなか作れなくて、それがようやくできたのは僕も1992年。それまでは周りの音楽、岡村靖幸とかNEWEST MODELとかが、「何でこんなに強くて魅力的なんだろう?」って考えながらやってたし、一方で彼(鈴木)がやってるような音楽至上主義な感じにも憧れたし、それをミックスして、ロックバンドという形態で何ができるかって思ってやってたけど、ホントになかなか上手くいかなかった。ようやく92年に『天国と地獄』っていうアルバムができて、これだったら同世代の人たちにも誇れるアルバムなんじゃないかって手応えがあって、そこからですね。やっと自信を持てるようになったのは。

STEVE MILLER BANDとジェイムス・ブレイクが交差してる人が横にいるっていうことが、僕にとってはスリリングで、サムシングニューっていうかね。(鈴木)

―今回のアルバム制作が対談をきっかけとしているように、お二人共に評論家としての側面も持っていらっしゃいますが、CDが売れなくなって、レコードショップが減っていく一方で、ネットでのリスニングが一般的になるなど、音楽を取り巻く環境が大きく変化している現状をどのように見ていらっしゃいますか?

鈴木:今は凪(なぎ)の時代というか、例えば1990年代だったら、クラブカルチャーが台頭するちょっと前、ワールドミュージックの頃とかがちょっと凪だったと思う。だから今は何を聴いてもいいし、この先もしかしたら大きなムーブメントは出てこないかもしれないけど、好きなものを聴けばいいわけ。この間中古レコード屋に直枝君と一緒に行って、彼はまだ『サージェント・ペパーズ』を買おうとするのね。

直枝:何枚でも欲しいからね。

鈴木:このさあ、「何枚でも欲しいからね」って爽やかに言えるのがすごいでしょ(笑)。

直枝:棚からレコードを取り出したら、「直枝君、それはもういいから」って押し込められたんだけど、また別の日に一人で行ってそれ眺めたからね(笑)。

鈴木:また大きなムーブメントが来たらいいなとは思うんだけど、来ないなら来ないでも楽しいわけ。例えば映画でも、3Dには飽きちゃって、逆に2Dじゃないと見ないってお客さんも増えてる。もう新しいものは求めてないっていうか、ドナルド・フェイゲンがこの前「イノベーションじゃなくてトラディション」ってインタビューで言ってて、「そうだなあ」と思って。

―革新よりも伝統だと。

鈴木:彼はそのインタビューでデューク・エリントンが今どれだけ新鮮に聴こえるかっていうことを言ってて、つまり、大事なのは個人の聴き方、接し方っていうのかな。例えば、直枝君は昨日STEVE MILLER BANDの話をしていて、今STEVE MILLER BANDのことを言う人ってあんまりいないと思うんだけど、直枝君にSTEVE MILLER BANDがどういう風に聴こえてるかっていうことは、僕にとってすごく新鮮なことで。

直枝:今回のアルバムに入ってる“ロックンロールが空から降ってきた日”っていうのは、俺にとってはラジオで聴いたSTEVE MILLER BANDの“Quicksilver Girl”なんだよ。そういうことがずっとどこかに引っかかってて、それを忘れたくない。ドナルド・フェイゲンがデューク・エリントンを今語ることと同じように、タイミングっていうのがあるから、いつも確認作業はするわけです。

―なるほど。

直枝:アナログ盤の匂いとかさ、あるわけよ。そういうものが失われていくってことを、僕は素直に悲しみたいし、絶対あきらめない。その喜びを誰もが感じなくなったとしても、何とかして俺だけは感じたいと思ってる。そのためにステレオを修理して、昔のケーブルをつないだりとか、そういう発想がなかったら面白くないよね。音楽が生まれてきた歴史っていうのがあるんだから、それに準じた機材を探して、直して、聴けばいいんだから。流れに乗っちゃ面白くないなって、僕は思う。

鈴木:こう言ってるけど、直枝君はジェイムス・ブレイクを見に行ったりもしてて、STEVE MILLER BANDとジェイムス・ブレイクが交差してる人が横にいるっていうことが、僕にとってはスリリングで、サムシングニューっていうかね。新しい新しくないは関係ないところで、直枝君の状態が僕には面白いし、僕も同じようにポール・マッカートニーとジェイムス・ブレイクを聴くわけで、そういうところから何かが生まれるかもしれない。ニューウェイブとか、大きなムーブメントからも音楽は生まれるけど、こういう人間関係の中からも、新しいものが生まれるんだっていうのは気づいたことかな。

左:鈴木惣一朗、右:直枝政広

直枝:すぐにその場で理解できる作品なんてないんだよ。何十年もかかるものもある。理解なんて簡単にできないから、30〜40年かかって当たり前。そこがやっと入口ってぐらい音楽は大変なものだから、それを簡単に扱っちゃいけないって僕は思うな。

鈴木:クラシックは300年ぐらいの歴史があって、300年前のものでもまだ発見がある。ロックはたかだか50年なのに、リマスターとかリイシューが出るとわかったような気になっちゃって、「『レコード・コレクターズ』も特集を考えるのも大変だろうな」みたいになっちゃう。でも、まだまだ始まったばかりかもしれないし、直枝君はそれを実践してると思う。細野さんは最近TRAFFIC(1967〜74年に活躍したイギリスのロックバンド)のことをすごく言ってて、TRAFFICなんて僕は無視してきたぐらいなんだけど……。

直枝:面白いよ!

鈴木:どう聴いても面白くないんだけど……面白い、あれ?

直枝:面白いから! よし、これからすぐレコード店行こう! 全部買おう!

―(笑)。

キャロル・キングとかあの辺の人たちは、たぶんピアノの横に作詞家がいて、一緒に歌いながら作ってるんですよ。次はそれをやんないとダメだよね。(直枝)

―さきほど細野さんの名前が挙がりましたが、アルバムのラストは細野さんと鈴木慶一さんのボーカルによる“とんかつの唄”が収録されていますね。

直枝:このプロジェクトの話が出たときに、すでに惣一朗君のノートブックの中に二人に歌ってもらうっていうテーマがあったんです。最初は僕たちで曲を作って歌ってもらおうって話をしてたんですけど、作業の途中でふとこの曲のアイデアが降りてきて。川島雄三の『喜劇 とんかつ一代』って大好きな映画があるんですけど、その主題歌で、森繁久彌が歌ってるこの曲が大好きだったんです。細野さんは今もとんかつが大好きらしくて、そう言えば慶一さんも夜中に「肉食った」っていうツイートをよくしてて……みんなタフだよね(笑)。それで、じゃあこの曲につなげたら面白いんじゃないかって、ほとんど直感ですね。

鈴木:このアルバムを作ることに構えるかどうかっていうか、「すごいマニアックなアルバムを作るって思われるだろうな」とか、「すごい音響を作らないといけないのかな」とか、そういうのはやめて、シンプルにしたいっていうのがまず最初にあって、そういう中で、遊びで話してるようなことを実現しちゃうのも面白いねって。アルバムはその前の“曇天 夕闇 フェリー”でほとんど終わってるんだけど、『アビイ・ロード』にも“Her Majesty”っていう短い曲がついてたりするし。

直枝:このアルバムの色彩っていうのがすごく重要で、それは「1959」っていう数字から来てる。曲はイメージを二人で交換しながら詞先で作っていったんです。決まりとしては、二人でキーワードを投げ合って、それをどちらかがまとめていくんだけど、名義としてはSoggy Cheeriosっていう作家名だっていう。

鈴木:「レノン=マッカートニー」みたいな、どっちが作ったかわかんないっていう……よく聴くとわかるんだけど。

直枝:僕は今までこういう作り方をしたことがなかったんで、すごく新鮮でした。彼はわりとノベルティっぽく、おちゃらけていろんなキーワードをくれるんだけど、それを僕はシビアに歌詞に書いたりして、例えば、“ロックンロールが空から降ってきた日”だと、<空から紅白の餅が降ってきた>とか、彼が投げかけた「お餅」っていうキーワードを、僕は歌にしてゆく。逆に、僕がイメージを投げた東京湾のフェリーの風景とか、そういうどんよりした空気を彼に投げると、“曇天 夕闇 フェリー”みたいな世界が出来上がる。曲がどんどん思ってたのと違った方向に進んでいく、そのやり取りがすごく面白くて。

鈴木:今はみんなプロダクションが込み入ってるから、曲先になってて、ラララでデモテープを作るのが多いんですけど、そういうデモテープはバツなんです。曲として認めない。詞を後につけると、曲が細くなるんですよ。ビートルズをいっぱい聴いてきたから、詞が最初からついてるって素晴らしいなって感心しちゃうの。しかも譜面もなかったから、みんな頭に入ってて、その状態でセッションしてるから、ビートルズの曲は太くなってるんですよね。

―なるほど。

鈴木:でも、今の人はほとんど曲先で、ラララで歌って、後で言葉尻を合わせていくような感じでしょ? 例えば“ずっとずっと”なんかは、<ずっとずっとずっとずっと>っていうのを考えてたら、直枝君にシャッフルとかブギーみたいなことを言われて、そういう曲になっていった。最初にブギーを作って、そこに<ずっとずっとずっとずっと>ってはめても、あんまり面白くない。

―言葉のリズムがシャッフルのリズムを連れてきたわけですね。

鈴木:そうそう、だからさっきの歌謡曲の話もそうだけど、阿久悠さんとか松本隆さんは詞先なんですよね。中村八大・永六輔もそうだし。

直枝:キャロル・キングとかあの辺の人たちは、たぶんピアノの横に作詞家がいて、一緒に歌いながら作ってるんですよ。次はそれをやんないとダメだよね。『イシュタール』って映画知ってる? ダスティン・ホフマンとウォーレン・ベイティが主演で、二人組の作詞作曲家コンビがドタバタの状況に持ってかれちゃうって話で、その曲作りのシーンは全部それ。当時の作家チームはみんなそんな感じで作ってるから、グルーヴがひとつなのよ。

鈴木:それ一緒に生活しなきゃいけないんじゃない? 次は寝起きも共にしないとか(笑)。

左:鈴木惣一朗、右:直枝政広

1枚のアルバムを作ることの意味とか、そこに込められた想いとかをいっぱい聴いてきて、その温度っていうのかな、それが人を感動させるはずだし、そういうアルバムにはなったと思う。(鈴木)

―途中でアルバムとしての色彩と「1959」という数字の関係という話がありましたが、やはりノスタルジックというか、少年性を感じさせるような色彩の作品になっていますよね。

直枝:54年間っていうすっごい長い物語を見てるような感覚がありますね。奥の方から引っ張り出してきた景色とか、匂いみたいなものとか、お互いのものが合わさってますね。

鈴木:寄る年波なんで、いろんなことを忘れていったりするんだけど、でも大事なことは覚えてて、その大事なことっていうのは感覚だったり、そのときの空気の匂いとかで、そういう部分で曲ってできるんですよね。音楽業界に入ってからは、めんどくさいことがいっぱい待ってましたけど、そこまではわりとすくすく育ってたはずだし、友達とレコード屋行ったり、音楽やるのがホントに楽しかったから、それを今またもう一度直枝君とやり直してるみたいな感じで。

直枝:ホントこの30年くらいはね、思い出したくないこといっぱいあるよ(笑)。でも、書くべき空白があるとすると、そこに浮かんでくるのはとっても和やかな空気とか、楽しかったときの温度とか、作品ってどうしてもそういうものをくみ上げてくるものなんだなって。

―でも、「ただ楽しかった」というだけではなく、どこかくぐもったムードも漂っていますよね。

直枝:全体の重いムードっていうのは、二人でミーティングをしてるときから実はあって、やっぱり震災のことは必ずあるんですよね。海沿いに住んでる友達は「海の色が変わった」って言ってるし、音楽の響きだって絶対変わるんですよ。そこは避けられないところで、さまざまな思いが交差して、独特なトーンが生まれてくる。ミーティングしながらそんな話はずっとしてました。

鈴木:直接的な震災ソングを書くのはやめようって言ってて、今直枝君が言ったように、それは僕らの中に根付いてるっていうか、あえて言わなくても出てくるものだろうし、ふざけてるように見えて実はすごくシリアスだったりするのは、きっとそういうことだと思う。

直枝:“百八つの窓”っていうのは、54と54で108、煩悩の数ってことなんだけど、それはイコール永遠に続いていくんだって意味にも取れる数字で、「人生はずっと続いていく」っていうメッセージに聴こえたんだよね。とてもヘビーなテーマ性を、実は詞のやり取りでやってたんだなって。

鈴木:1枚のアルバムを作ることの意味とか、そこに込められた想いとかをいっぱい聴いてきて、その温度っていうのかな、それが人を感動させるはずだし、そういうアルバムにはなったと思う。今って、そういうアルバムがすごく少ないけど。

直枝:大事なのは知識とかテクニックじゃないんだよね。

鈴木:ビートルズにあれだけアルバムがあって、でも僕はホワイトアルバムが気になって、「なんで白いのかな? 仲悪いのかな?」とか思ったら、実際仲が悪かったり、あのサイケデリックカルチャーが終わって真っ白になっていく感じっていうのは、後追いでも「わかるなあ」って思った。それはファッションとかカルチャーともリンクしてるもので、それが1枚のアルバムに込められてて、僕も直枝君もそういうものを何度も何度も聴いてきた。このアルバムも深く深く根付くものになって欲しかったし、なったと思う。アートワークも含めて、舐めるように聴けば、中に濃いものが入ってるアルバムだと思いますね。

リリース情報
Soggy Cheerios
『1959』(CD)

2013年7月17日発売
価格:2,730円(税込)
P-VINE RECORDS / PCD-26054

1. ロックンロールが空から降ってきた日
2. 明日も
3. かぜよふけ うみよなけ
4. 知らない町
5. 百八つの窓
6. きみがいない
7. 19時59分
8. ずっとずっと
9. ぼくはイノシシ
10. 曇天 夕闇 フェリー
11. とんかつの唄

プロフィール
{鈴木惣一朗(すずき そういちろう)

1983年にインストゥルメンタル主体のポップグループWORLD STANDARDを結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。95年、ロングセラーの音楽書籍『モンド・ミュージック』で、ラウンジ・ミュージック・ブームの火付け役として注目を浴び、97年から5年の歳月をかけた「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスから絶賛される。近年では、ハナレグミ、ビューティフル・ハミングバード、中納良恵、湯川潮音、羊毛とおはな等、多くのアーティストをプロデュースする一方、2011年夏、自身の音楽レーベル[Stella]を立ち上げた。

直枝政広(なおえまさひろ)

1959年生まれ。1983年カーネーション結成。1984年にオムニバス『陽気な若き博物館員たち』(水族館/徳間ジャパン)でソロ・デビュー。同年、カーネーションがシングル「夜の煙突」(ナゴム・レコード)でレコード・デビュー。以後、カーネーションは数度のメンバーチェンジを経ながら数多くの傑作アルバムをリリース。2000年には直枝政広としての初ソロ・アルバム『HOPKINS CREEK』を発表。同時に鈴井貴之初監督作品『man-hole』のサウンドトラックも手がける。2007年に初の著作となる『宇宙の柳、たましいの下着』を上梓。2013年、結成30周年を迎えるカーネーションと並行し、ソロライヴでの活動や執筆等、精力的に活動中。



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